第15話 帰宅

圭太と弥七、銀子の三人が屋敷の戻ると、まるで道を迷わずに真っ直ぐ帰って来れるようにと言わんばかりに、屋敷全体に明かりが灯っていた。

圭太と銀子は普段から車の格納庫として使っている屋敷の納屋の手前で雷神、風神のエンジンを切り、雷神と風神を押して、納屋に格納すると、三人は屋敷のドアを開ける。

すると雷神、風神の排気音が聞えたのか、ドアにカギがかかっておらず、中からギエがいつもと変わらぬ顔で出迎えた。

「只今、ギエさん。」

「圭太様、おかえりなさいませ。

 皆様も、お疲れさまでした。」

ギエは恭しく頭を下げた。

「タムやチャウは入院しないで戻ったんだって?」

「はい、お医者様も大丈夫と言ってくださって。

 それに二人が屋敷で圭太様たちを待つと言ってきかなかったもので。」

「そうなんだ。

 で、二人は?」

「はい、クエン様がいらして、三人でリビングのソファアの方に。」

「え?

 クエンも来ているの?」

圭太は驚いた顔をした。

「はい、クエン様は、タムとチャウをお風呂に入れてくださったり、いろいろと面倒をみていただきました。

二人ともクエン様の言うことは良く聞きますので、大助かりでした。」

「まあ。」

銀子が笑みをこぼした。


圭太達三人がリビングに入ると正面のソファアに、真ん中にクエン、クエンの左にタム、右にチャウがパジャマ姿でクエンの腿を膝枕にして寝ていた。

クエンは圭太を見ると嬉しそうな顔をして、タムとチャウを起こそうとした。

「あ、クエン、そのまま起こさないでいいよ。」

「え?

 だって、ボス、二人ともボスの帰りを首を長くして待っていたんですよ。

 銀子さんから連絡があって、これから帰るって聞いた時、二人、小躍りして喜んでいたんですよ。」

クエンが声を上げても、タムとチャウはピクリともしなかった。

「疲れと、薬のせいかしら。」

(まあ、あとはボスが無事だということを聞いて安心したのね)

クエンは、タムとチャウの頭を交互に撫でながら言った。

タムは鼻の辺りに大きな絆創膏をしていて、チャウは頬にやはり大きな絆創膏をしていて痛々しかったが、クエンの膝枕で気持よさそうな顔をしていた。

「クエン、悪いけどもう少しだけ、そのままにしていてくれる?」

「え?」

「いや、この格好だと埃だらけで、二人を抱えて部屋に連れて行くにも、また病気になるといけないから、ちょっと着替えてきたいんだ。」

そう言って圭太は自分の姿をまじまじと見ていた。

確かに、圭太と弥七たちの服装は泥やほこり、血のような跡も付いていて、とても清潔とは言えた格好ではなかった。

クエンは、圭太がタムとチャウを自分で抱いて部屋に連れて行こうとしているのが感じ取れた。

「いいですよ。

 ついでにシャワーでも浴びて来てくださいね。」

と、にこやかに頷いて見せた。

「ありがとう」

そう言い残し、圭太は2階の自分の部屋に向おうとしたが、ギエに呼び止められた。

「圭太様。

 お着替えは用意しておきますので、そのまま、お風呂の方に。」

「わかった。」

そう言って圭太はバスルームに向かって行った。


それから10分も立たないうちに、小奇麗な格好に着替えた圭太が戻ってくる。

「圭太、随分早いわね。

 ちゃんと身体洗ってきたの?」

銀子の揶揄うような口調に、圭太は苦笑いしながら頷いた。

そして、クエンの前に立つとタムとチャウの顔を交互に覗き込んだ。

二人は、相変らずぐっすりと眠っていた。

「まずは、チャウからかな。

 チャウ、部屋に行こう。」

そう言って圭太がチャウの身体に下に手を入れると、眠って目をつぶっていながらもチャウは“う~ん”と言って圭太の方に腕を伸ばし圭太の首にその腕を絡めた。

そして、抱き上げるとギエが先を歩き、圭太はチャウを抱きながら2階のチャウの部屋に向かって行った。

少しして圭太が降りて来ると、タムにも同じように声をかけ抱き上げると、タムも目を閉じたまま圭太にしがみついた。

「あらあら、二人とも。」

クエンたちはそれを見て笑顔を見せていた。


2階に上がっていくとギエがタムの部屋の前でドアを開けて待っていた。

「ありがとう。」

圭太はそう言うと、そっとタムの部屋に入り、ベッドの上にタムを寝かせつけた。

チャウの部屋も同じだが、つい数か月前はがらんとした物置のような部屋が勉強机や花柄のベッドカバー、明るい色のカーテンと、すっかり子供部屋に変身していた。

圭太はタム達が暮らし始めてから、部屋に入ったことがほとんどなかった。

「どうされましたか?」

ギエは、不思議そうに部屋を眺めている圭太に声をかける。

「いや、殺風景だった部屋が生き生きした部屋になったなと思って。」

「そうですね。

 やはり、家も部屋も人が暮らしていないと寂しいものです。」

「そうだね。

 チャウは?」

「はい、ぐっすり寝ています。」

「そうか。

 今日は、二人とも大変だったからな。

 きっと、心にも大きな傷を負ってしまっただろうな。」

圭太は顔を曇らせた。

あと一歩遅かったらと考えると、二人はどんなに怖い思いをしたのだろうと心が痛んだ。

「大丈夫ですよ。」

「え?」

圭太はギエのひと言が意外だった。

「タムもチャウもそれを打ち消すほどの大事なものを手に入れましたから。」

「え?」

「…」

ギエはそれ以上のことは言わずにタムに布団をかけ部屋の電気を消し、圭太を促しタムの部屋を出てドアをそっと閉めた。

「まあいいか。

さあ、皆が待っているから下に降りよう。」

圭太がギエに話しかけるとギエは立ち止まった。

「?」

「圭太様。

 今日は二人の危ないところをありがとうございました。」

そう言うとギエは深々と圭太にお辞儀をした。

「な、なにを急に。」

圭太はいきなりのことで面食らった。

元はと言えばタムとチャウを家に連れてきたのは圭太で、しかも、養子縁組から世話まで全てギエに押し付けた格好だったので、ギエは謝るより怒る方が当然だと圭太は思っていた。

「私の力が及ばないばかりに、たいへん申し訳ございませんでした。

 私がもっとタムとチャムを見ていればこんな大事にならなかったのに。

 本当に私の不徳のいたすところでございます。」

尚も畏まるギエに圭太はなぜか複雑な顔をした。

「ギエのせいじゃないよ。

 すべては僕が原因だ。」

(そう、僕がタムとチャウをお金で買ったから…。)

「圭太様?」

圭太はギエに背を向けると、一人で階段を下りて行った。


弥七たちのいるリビングに戻り時計を見ると、すでに夜中の11時だった。

「タムちゃんたちは?」

圭太に気が付いたクエンが声をかける。

「ああ、二人ともぐっすり寝ているよ。

 クエンも夜中まで、ありがとう。」

圭太の言葉にクエンは頬を赤らめながら首を振った。

「チョウたちのことは、ロンさんに任せればいいとして、タムやチャウの誘拐、監禁、それに受けた暴行の件で警察が何も言ってこないな。

 遅いから事情聴取は明日に回したのかな?」

弥七が腕組みをしてふしぎそうな顔をした。

「警察に知り合いがいますので、私から説明しておきました。

 ですので、そちらの方も大丈夫です。」

いつの間にかリビングに入って来たギエが答えた。

「え?

 そうなんだ、さすがギエさんですね。」

弥七はそう言うと、全て済んだと言わんばかりに、大きく息を吐きだした。

「私、お腹ペコペコ。

 クエン、お家に何か食べ物あったっけ?」

銀子はお腹を押さえながらクエンに話しかける。

「え?

 うーん、一応、食材はあるけど。」

「作るの面倒よね。

 途中で、屋台で何か食べて帰ろう。

 でも、お店やっているかな。

 弥七さんは?」

「俺は、酒がいいや。」

「それもそうね。」

銀子たちの会話を聞きいていたギエが圭太に目配せをする。

圭太がそれを見て頷くと、ギエは口を開いた。

「皆様、もしよろしければ、今晩、屋敷にお泊りいただけますか?

 食事やお酒の支度も用意いたしますので。」

「え?

 いいの?

 圭太。」

銀子が目を輝かせて圭太を見る。

弥七や銀子は、仕事の打ち合わせと称して、よく圭太の屋敷の泊まることがあり、着替えも置いてあった。

当然、ギエの造る料理やお酒が目当てだったが、タムやチャウが来てからは、二人とも泊まるのは遠慮していた。


「当然。」

圭太は頷く。

「クエンも?」

「もちろん。」

圭太は当たり前だろうという顔で頷いた。

「え?

 銀子さん、私も?

 だって、支度も…。」

クエンは一度も屋敷に泊まったことが無かったので驚いて銀子を見る。

それにクエンは泊まる支度をしてこなかった。

「大丈夫よ。

 私の着替えが何セットか屋敷においてあるから。

 体形も似てるし、大丈夫でしょ。

 それに少しなら化粧道具もあるし。

 ね、ギエさん。」

「はい、弥七様のお着替えや銀子様のお着替えは、クリーニングして仕舞ってありますので大丈夫です。

 お部屋も、こうなるかと思い、ベッドの用意をしてございます。

 当然、クエン様の分も、銀子様がいつも使われているお部屋の方に用意してございます。

 少し手狭かと思いますが、お許しいただければ。」

「さすが、ギエさん。

 やることにそつがないな。

 さすがに、今夜はくたくたなので泊めてもらうよ。」

「私も!

 狭いって言ったって、我家より広いわよ。」

「ぎ、銀子さん…。」

「クエンも、私とならいいでしょ?

 それとも圭太のベッドの方がいい?」

「なっ、何を!」

クエンは銀子にからかわれ真っ赤になった。

「ボス、いいんですか?」

「ああ、クエンさえよければ。」

クエンは圭太の屋敷に泊まることに興味がわいたのと、銀子が泊まる気満々であるので一緒に泊まることにした。

「じゃあ、お願いします。」

クエンは顔を赤らめながら小声で返事をした。


「では、よろしければ先にお風呂に入られ、埃を流されたらいかがでしょうか。

 その間に、食事の支度とお酒の用意をしておきますので。」

ギエがそう言うと酒が飲めるのと飲んだ後に帰る煩わしさから解放されたので弥七は上機嫌になっていた。

「じゃあ、お言葉に甘えて。

 まずは、レディファーストでお銀とクエンちゃんから先にどうぞ。」

圭太の屋敷の風呂は、大人が二人で使っても十分余裕のある大きさで、よく泊まる時に使っている銀子は別として、クエンもタムとチャウをお風呂に入れていたので、大きさがわかっていた。

弥七は、そう言うと恭しくお辞儀をして見せた。

「あら、いいの?

 女のお風呂は長いわよ?」

「構わないですよ。

 お酒でも先に飲みながら、二人がお風呂に入っている姿を想像して待っていますから。」

「え?」

クエンが驚いた顔をした。

「大丈夫よ、冗談だから。

 じゃあ、弥七さん、お先に。

 行こう、クエン。」

「タオルとバスタオルは浴室に用意してございます。

 お召し物は、後ほどお持ちいたします。」

いつの間にか席を外していたギエが戻って来て銀子とクエンに声をかける。

「さすが、ギエさん。」

「ギエさん、すみません。」

銀子とクエンはギエにお辞儀をすると浴室の方に歩いて行った。


「弥七さん、ほらビール。」

圭太はそう言いながらビール瓶を持って居間に戻ってくる。

「お、若、気が利くね。

 サンキュ。

 でも、風呂上がりのビールも捨てがたいんだよね。

 風呂上がりにキンキンに冷えたビールをごくっと、あー、たまんねぇ。」

弥七は大げさに飲んでいる振りをして見せた。

「じゃあ、風呂上がりにということで、これは、また、冷蔵庫に戻しておくから。」

「ちょっと、待って。

 このイケず。」

圭太がビール瓶を持って食堂に戻ろうとするのを、弥七は慌てて押しとどめ、ビールを奪い取ると、ソファアに深々と腰掛けながら上手そうに飲んで見せた。

「しかし、ここ数カ月、いい意味チビちゃんたちに振り回されっぱなしですね。

 若。」

ビールを飲んで人心地着いたのか、弥七が口を開く。

タムとチャウを引き取ることに最初は難色を示していた弥七だったが、今では二人が可愛くて仕方なかった。

「ああ、そうだね。」

圭太は気のない返事をしたが、緊張から解き放たれた弥七はそれに気が付かなかった。

「二人とも素直で朗らかだし、それに器量よしでしょ。

 将来が楽しみですよね。」

「……」

空返事のように頷くだけの圭太を見て弥七は疲れているのだろうとしか思わなかった。

少ししてギエが風呂が空いたと弥七に言いに来る。

「弥七様、お風呂が空きました。

銀子様とクエン様は今お部屋の方で身支度を。」

「おっ、早いね。

 じゃあ、若、ちょっくら行ってくる。

 いいなぁ、若い娘の入ったあとのお風呂。

 クエンの若いエキスが溶けだしているっとくりゃぁ。」

弥七は鼻歌を歌いながら立ち上がった。

「あ、弥七様。

 お風呂のお湯は入れ替えておきましたので。」

「え?!

 そ、そんなぁ。」

弥七は天国から地獄のように肩を落とした。


「私、ギエさんの春巻き、大好きなの。」

銀子が嬉しそうな声を上げた。

食堂に全員揃ったところでギエがビールと食べ物を出してくる。

食べ物は、銀子やクエンを意識してか春巻きやバイン・セオ、フォーなどV国の料理が並んでいた。

「本当、ギエさん、美味しい。」

クエンもエビや生野菜、香草が入った見た目にもカラフルで美味しそうな生春巻きを頬張ると、嬉しそうな顔をする。

「ギエさん、料理上手いからな。」

弥七は、ビールをうまそうに飲みながら、ビーフジャーキーの入ったサラダをつまんでいた。

皆、深夜0時だというのに、空腹だったせいか旺盛な食欲で出されたものを片端から平らげていった。

「ねえ、クエン、知ってる?

 圭太ったら、雷神で空を飛んだのよ。

 正確に言うと、3階から飛び降りたんだけど。」

「え?

 雷神?」

雷神と聞いて、クエンは不思議そうな顔をする。

「あ、そうか。

 クエンは知らないわよね。

 雷神ていうのは、圭太のバイクの仇名。

 で、私のバイクが風神て言うの。

 明日見せてあげるわね。」

「もしかして、3人が会社から乗って行った牛のように大きなバイクのこと?」

クエンは3人がタムとチャウの救出のため支店長室を出て行った後、心配で玄関のところを見ていて、各々がバイクに分乗して飛び出していくのを見送っていた。

「牛?

 それは雷神ね。

 風神は、もっとスマートよ。」

銀子は少し拗ねたように言った。


「クエン、じゃあ、そのバイク、誰が持て来たか見ていた?」

弥七が話に割って入が、クエンは首を横に振った。

「いえ、見ていません。

 ボスたちが車ではなく、いきなりバイクの方に走り出していったのを見ただけです。」

「ねえ、弥七さん。

 もしかして?」

「ああ、そういうことをするのは、“助さん”と〝格さん“しかいないだろう。

 二人は、あれからどうしているか、お銀は知っているか?」

「いいえ」

銀子は首を横に振る。

「若は?」

圭太も首を横に振る。

弥七が“助さん”“格さん”と呼んだ人間は、圭太の母、光衛のボディガードで弥七も銀子もあらゆる面で一目置くほどのスーパーボディガードだった。

しかし、光衛が爆死した現場にいたのだが、たまたま別の車に乗ったため、かすり傷程度の怪我で済んでいた。

しかし、二人は光衛を守れなかったという無念さからか、その後足取りがぷっつりと途絶えていた。

「その“助さん”“格さん”と言う人は?」

クエンは初めて聞く名前だったので興味あり気に銀子に尋ねた。

「うん、私や弥七さんの師匠に当たる人達かしら。

 また、今度、話してあげるわね。

 それでね、圭太がね、その牛のように大きなバイクで空を飛んで、悪党の屋敷の屋根をぶち破って突入したのよ。」

「ええー!?

 ボスは大丈夫だったんですか?」

クエンは心配そうな顔で圭太を見ると、圭太は笑顔でⅤサインを見せたので、ほっとした顔をした。

圭太は、パーキングビルの3階に上がった時、まるで射出板のように角度も計算され置かれていた板について、そう言うことが出来るのは“助さん”“格さん”しかいないと考えていた。


一通り胃袋を満たした一同は、ギエの出して来たコーヒーを飲んで、ほっとしていると、弥七が思い出したように圭太に話しかけた。

「そう言えば、若。

 今日は、2回ほど蘇生しましたよね。」

「蘇生?」

銀子が面白そうに尋ねる。

「ああ、1度目はチビちゃんたちを助け出した後、チョウを追う時。

 若は、助け出して気が抜けたのか、気合、気力ともゼロになってたんだよ。

 そんなんで、チョウのところに行ったら返り討ちもいいところだったのに、雷神の爆音とともに急に元気になってさ。」

「じゃあ、もう一度は?」

「2回目は、チョウを片付けた直後、ロンさんたちが押し入ってきた時。

 チョウを片付けたので、圭太は心底エネルギーゼロの状態だったんだよ。

 だから、ロンさんの兵隊さんを見た時、覚悟を決めたんだけど、急に若が元気になって、じゃあ、迎え撃とうかって。」

「ああ、2回とも歌みたいな…。

それともなにかか細く高い声が聞えたと思ったら、急に元気が湧いてきたんだよ。」

圭太が不思議がる弥七に応えた。

「え?

 それってどんな声?」

「うーん、良く判らない。」

「そう言えば、ギエさんがタムやチャウを病院に連れて行く時、チャウが何か歌みたいのを歌ったって言ってたわ。」

銀子が横から口を挟み、ギエを見るとギエは頷いて見せた。

「それならば、私も。

 タムちゃんチャウちゃんをお風呂に入れている時、チャウちゃんが何か歌みたいのを口ずさんだんです。

 “それは何の歌?”って聞いたら、無事に帰って来てっていうおまじないだって教えてくれました。

 タムちゃんの歌は歌わなかったけど、同じお祈りを一緒にって。

 なにか、二人の村に伝わるお祈りみたいなことを言っていました。

 でも、誰に教わったかっは覚えていないって。」

クエンが自分の経験したことを話した。

「時間的には同じ頃か。」

弥七が銀子とクエンの話を聞きながら腕組みをしながら圭太を見るが、圭太はわからないといった仕草をして見せた。

「まさかね…。」

銀子は不思議そうに呟いたが、ギエとクエンは、何か納得したような顔をしていた。


その夜、タムとチャウは同じ夢を見ていた。

夢の中で、チョウの店から病院に運ばれた時、高熱と身体の痛みで苦しかった時、誰かが額に手を置いて「もう、大丈夫だから。安心してね。」と言う声が聞え、不思議と体の熱と痛みが治まって行く。

いつもは、誰が額に手を当てたのか、誰が優しく話しかけてくれたのか、顔が見えずにわからなかったが、今回は明るい光がその人物の顔を照らしていた。

その人物は、優しい顔をした圭太だった。


翌朝。

チャウは目を覚ますと、ドアの方から自分を呼びかける声が聞えた。

「…。

 チャウ、起きている?」

それはタムの声だった。

時計を見るとすでに起床時間をとっくに過ぎ、8時を回っていた。

(いけない、寝坊しちゃった。

 でも、確かクエンと一緒にパアパを待っていたはずなのに、なんでベッドで寝ていたんだろう。)

チャウはピンク色の花柄のパジャマ姿でベッドから抜け出しドアのところに歩いて行ったが、首や全身あちらこちらに痛みを感じていた。

「タム?」

「うん。」

返事が聞えドアを開けると水色の花柄のパジャマを着て鼻の辺りに大きな絆創膏を貼ったタムが立っていた。

「ねえ、タムもベッドで寝ていたの?」

「うん。」

「昨日確かクエンとリビングのソファアでパアパを待っていたはずなのに…。」

チャウは頭の上に“?”マークが沢山浮かび上がっている気がした。

「チャウ、そんなことよりも、下でみんなの声が聞こえるの。

 パアパの声も。」

「パアパの声も?」

タムの上気する顔を見て、チャウも体中熱くなるのを感じた

「行こう!」

「うん!!」

タムに促され、チャウもタムと手をつなぎ1階に降りて行った。


一方1階では朝食を済ませた一同が思い思いのことをやっていた。

銀子とクエンは納屋に雷神、風神を見に行って戻ってきていた。

「ね、クエン。

 雷神、風神って凄いでしょう。

 今度、風神に乗せてあげるわ。

 気持ちいいわよ。」

「本当ですか?

 やったー!」

クエンは飛び上がるように喜んだ。

圭太と弥七はリビングの窓際で壁に寄りかかるようにして立ってコーヒーを飲んでいた。

「今日は土曜日で休みだからよかったですね。

 チビちゃんたちは、怪我があるから今日はお休み。

 来週から学校いけますかね。」

V国は基本週休1日制だが圭太の会社は日系企業なので週休2日制を引いていた。

「じゃあ、若、申し訳ないけど俺達を家まで送って行って下さいね。

 安全運転で。」

「ああ、わかっているよ。」

「あ、私たちもね。

 圭太。」

弥七の言葉を聞きつけ、銀子も口を挟んできた。

「当然だよ。

 クエンは助手席ね。」

「あ、は、はい。」

クエンは、助手席と聞いて顔を赤らめて返事をした。

昨日、圭太や弥七、銀子は雷神、風神を足として使ったので、車は圭太の自家用車しかなかった。

圭太の屋敷から銀子たちの家や弥七の家は、各々車で10~15分の距離だったので歩くには厳しい距離だった。


その時、ギエの叱る声がリビングに響いた。

「タム、チャウ、あなたたちパジャマ姿でなんですか。

 お客様もいるのに、はしたない。」

圭太たちはその声で一斉にリビングの入り口の方を向くと、そこには顔に大きな絆創膏を貼ってパジャマ姿で手をつないで立っているタムとチャウがいた。

二人は興奮してか顔を上気させ、目線の先の圭太をじっと見ていた。

圭太は二人に嫌われていた時、目線も合わせないようにしていた二人に慣れていたので、じっと見つめられ、どうしたものかわからずに、立ち尽くして二人を見ていた。

「パアパ…。」

先に口を開いたのはタムだった。

「パアパ。」

それに呼応するようにチャウも口を開く。

それを合図にタムとチャウは圭太の方に1歩2歩と歩み始める。

圭太は、“パアパ”と呼ばれているのが自分のことだと理解できたが、なぜ“パアパ”と呼ばれるのか理解できなかった。

しかし、今はどうでもいいと思いパジャマ姿の可愛いタムとチャウから目が離せなかった。

「若、コーヒーカップ。」

そう言って弥七は圭太の手からコーヒーカップを奪い取ると、圭太の膝の裏側をそっと蹴った。

「あっ」と言う声を上げ圭太はバランスを崩し、地面に膝立ちをする格好になった。

そこにタムとチャウは「パアパ!」と叫びながら小走りに近づいてくる。

「タム、走ったら危ない。」

圭太がそのセリフを最後まで言わないうちに、そのまま右側にタム左側にチャウが圭太の首に抱きついてきた。


「え?!」

二人の飛び突いて来た勢いで圭太はバランスを崩しそうになった。

昨日抱きつかれた時は、圭太が怪我している抱きかかえるために自分から呼びこんだものだったが、今朝は二人の意思で抱きついて来たので、圭太は二人の行動にまるっきり予測をしておらず、戸惑って、そのまま固まっていた。

徐々に状況を理解して来た圭太は、両腕でそっと、そして力強く二人を抱きしめた。

タムとチャウは圭太に抱きしめられるのを待っていたようだった。

「パアパ、ごめんなさい。

 私たち、パアパを誤解していたの。」

タムが耳元で囁く。

「ごめんなさい、パアパ。

 ごめんなさい…。」

チャウも泣きそうな声で耳元で囁く。

いつしか二人と涙で頬を濡らしていた。

「まあ。」

「あらあら。」

それを見ていた銀子やクエンが笑いながら声をあげる。

弥七やギエも微笑ましそうに圭太にしがみついているタムとチャウを見ていた。

「タム、チャウ、そんなこと、どうでもいいんだよ。

 嫌な思いや、怖い思いをさせてごめんね。

 でも、もう、大丈夫だからね。」

圭太が優しく言うと、タムとチャウは顔を上げて圭太を見つめる。

「パアパ、怒っていない?」

「怒ってなんかいないよ。」

「パアパ、私たちのこと、嫌いになってない?」

「嫌いになんかなっていないよ。」

「ここに居ていい?」

「当たり前だろ。

 ここがお前たちのお家だよ。」

「ほんと?」

「本当。」


タムとチャウは泣き止み、各々顔を見合わせ、ほっとしたように顔を見合わせた。

「パアパ、やさしいパアパ。

 大好き。」

「私も、パアパのこと大好き。」

そう言ってタムとチャウは再び圭太に抱きついた。

二人の息が首筋に当たりくすぐったかったが、二人の体温の温かさが心地よく感じ、また身体から甘い良い香りがすると圭太は思った。

タムとチャウは、また顔を上げ圭太を見るが、その顔は今度は真剣な顔だった。

「パアパ、私のこと好き?」

最初はチャウだった。

「ああ、好きだよ。」

「私のことは、好き?」

今度はタムだった。

「ああ、好きだよ。

 二人とも大好きだよ。」

二人はニッコリ笑うと、お互いに目配せし、圭太に声を揃えて言った。

「パアパ、じゃあ、私たちをお嫁さんにして!」

「え?」

圭太は突然のことで声を失った。

「ま!」

「おい!」

「え?」

それを聞いて銀子、弥七、クエンと思い思いに驚いた声をあげる。

「いいね、若。

 二人にもてて。

 二人ともお嫁さんにしてあげれば?

 ほら、冗談でも“はい”って返事をしてあげなくっちゃ」

弥七が笑いながら言う。

「ちょっと、弥七さん。

 それは…。」

クエンが何か言おうとした時、ギエに肩を叩かれた。

「ギエさん?」

クエンがギエの方を見た時、圭太は二人に「いいよ」と返事をした。

「あ、ボス…」

クエンは慌てて圭太の方を振り返ったが、時既に遅かった。

(ボス、知らないですからね。

 この国では結婚の約束はたとえ小さな子供でも神聖なものなのよ。)

クエンは、思わず顔を覆い、横ではギエが満足そうにうなずいていた。

弥七と銀子は事の重大さに気が付いていないように“よしよし”とうなずいていた。

銀子もV国人だったが、日本で育ったりしていたのと、あまりにほほえましい光景だったので、ついその意味をその場では失念していた

タムとチャウは、圭太の返事を聞いて満足そうにお互い目配せし、「やったぁ」と小さな声で喜びを爆発させていた。

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