青くて丸いビー玉は地球みたい

 午前十一時、僕たちはこの小屋を後にする。今日は土曜日、きっと両親と兄も家にいるはずだ。大層叱られることは容易に想像が付く。だけど僕の心の中はむしろ穏やかだった。自分の存在意義を見つけられた気がしたから。結局、僕は自分の人生を生きていなかったのではない。僕自身がその人生を選んでいたからだと気付いたから。

 亜希と出逢って、彼女によって僕は生き方を学んだ。きっと彼女はそんなつもりは毛頭ないだろうけど、生きるか死ぬかも、自分で選べるということを。


「それじゃあ、お別れだね」


 彼女が自転車のハンドルに手をかけ、スタンドを足で外す。出来ることなら付いていってやりたいが、彼女がそれを拒否した。彼女は新しい人生を歩むための一歩を踏み出すのだと、自分の力で、自分の判断で生きていくのだと豪語するもんだから。


「ああ、お別れだ」

「あたし、ソーイチくんにここで会えて良かった。本当は死ぬつもりだったのに、なんで誰かいるのよ! とか思ったりした。だけどソーイチくんと一緒にいたら何だか嬉しくって……ぶっきらぼうでも、それでも、信じられないくらい温かかった。何でも持ってるソーイチくんも、何もかもに見捨てられたあたしも……足りなかったのは生きる為の【行動力】なんだって、気付けたから」

「僕も、同じことに気付けたよ。本当は煩い女だ、なんて思ったけど……ありがとう」

「なんだか感謝されてる気がしないなぁ」


 ケラケラ笑いながら彼女は自転車に跨がった。「あっ」と言いながら、僕に手招きをしてポケットからあのビー玉を取り出した。


「はい、これソーイチくんの。ひとつあげるね、あたしたちがここに確かに居たって証に」


 彼女は自分のビー玉をひとつ、僕に手渡した。

 青く透き通ったビー玉、今の僕たちの心を映し出したかのような、綺麗で何の曇りのないビー玉だった。

「ああ、分かった。ありがと――」


 言いかけて、亜希が僕の頬にキスをする。

 何が起きたのか、何をしてるのか、僕は理解するのにコンマ五秒以上かかった気がする。


「またね、聡一郎くん!」


 美しく、僕にとって絶世の可愛さを表した笑顔を最後に、彼女は思いきりペダルを漕ぎ出す。砂利道をものともせず、彼女の自転車は軽快にスピードを上げていく。短いショートの髪からの香りを残しながら、彼女はみるみる小さくなっていった。


「あいつ、名前……」


 しばらく呆然と立ち尽くし、手の平に残されたビー玉を力強く握りしめた。



✿✿✿



 家に着くと、両親からは案の定叱られたものの、意外にも謝られた。

 僕の気持ちと両親の考えのピントは少しズレてはいたものの、僕と直接向き合ってこなかったことに反省している、と両親は口にした。僕は僕なりの気持ちを伝え、これからのことをしっかり話し合って決めていこうと約束した。さすがに中学三年生の夏、もう進学先は変えられないけど社会に出るまで時間はある。焦らなくても、自分の生きたい生き方が何なのかを見つけていこうと思う。


 新学期が始まった頃。県内ニュースで隣町の児童虐待者が逮捕されたという一報が耳に入った。逮捕されたのは四之宮という名字の夫婦で、実の娘である十四歳の少女が無事に保護された。少女の身体には無数の痣があり、肩には煙草を何度も押しつけたと思われる跡が確認された、とのことであった。


 胸の奥が痛む。それでも、僕は彼女が生きていることに安堵した。きっとこれから、あの天真爛漫な彼女を遠慮することなく発揮しながら生きていくのだな、と思うと自然と笑みが零れた。


 青いビー玉を、夕焼けにかざす。



「青くて丸い……地球みたい、か。やっぱ良く分かんないな」



 謂わば青春、と題するに相応しい、希有な出逢いを体験した中学最後の夏。


 それは僕を一回り大人にさせた、青い夏だった。




~fin.

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青くて丸いビー玉は地球みたいと彼女は言う 水郷美六 @Miroku_Mizusato

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