終章 聖女と吉星
「また、凶星だと」
皇帝はまるで子供のようにうろたえ、謁見の間を落ち着きなく歩き回る。
大理石の床は汚れている。先程報告を持ってきた星見の血で。
「聖女はどうなっているのだ。処刑したのではないのか!?」
「ええ、疑わしい女は全て。何人も」
男はため息をついた。いくら諌めても、皇帝は聖女の処刑をやめようとしなかった。裁判もせずに、疑わしいというだけで、何人もの女を殺した。聖女でないという証明ほど難しいことはないというのに。
民は理不尽な恐怖政治に耐えられなくなり、あちらこちらで暴動が発生している。すでにこの国は、取り返しがつかないところに来てしまっている。
男もすでにこの皇帝を見限っていた。ここはもう法治国家ではない。ならば、彼の仕事はここにはなかった。
腰を浮かせる。すでに謁見の間からは人が消えている。不興を買って殺されてはたまらないと思っているのだろう。
沈みかけた船からネズミが逃げるかのよう。男も速やかに逃げなければならない。元々、この帝国は先代の皇帝のカリスマだけで成り立っていたのだ。現皇帝がこれだけ無能を示し続けたのであれば、もう終わりだ。
おそらく、帝国は崩壊する。聖女の予言一つで勝手に自滅するのだから、愚かしいにもほどがある。
(一緒に溺れるのなどまっぴらだ)
「お前は言っていただろう? 聖女は女神をその身に降ろして《男》を見つけると――まさか……見つけたのか? セヴァールの生き残りを」
男は薄く笑うと、無言で立ち上がる。それが本当だとしたら、彼の行き先は決まっている。己の力を存分に振るえる場所に、彼は行く。
「おい、どこへいく!?」
男が謁見の間から立ち去ると、そこには皇帝以外、誰もいなくなった。
***
「どうして教えてくれないのですか。せっかく女神の力を得ることができるのに……」
アンジェラは今日も必死で訴える。女神を降ろして聖女として役目を果たしたいといくら訴えても、ブラッドは首を縦に振らない。
「お前に女神をおろすのは色々問題がある。全部解決してから、じっくり対策を考えるから……だが」
どうするかな……相手は腐ってても女神だからな……と、呟く彼からはなんだか弱気が見え隠れする。
(え、それって、国を取り戻すよりも重大な問題なの!?)
そんなわけがない。ブラッドが今から戦う相手は帝国なのだ。前哨戦のように考えるのはおかしい。
「だから……まず、全部解決するためには、女神の力は必要な力だと思います!」
「不老不死だけで十分だ」
「本当ですか? でも眠れていないのは精神衛生上よろしくないですよね!?」
「……なんとか、なる」
どうにも歯切れが悪い。そしてどうしても顔色が悪い気がして仕方がない。彼は平気だと言い張るけれど。
(あぁ、もう、頑固なんだから……)
「わかりました。それなら解呪の方法をジーンに聞きます。そして無理にでも呪いを――」
「はぁ!?」
むわっと彼の体から怒りが立ち上ったのがわかって、アンジェラは怯む。
(だけどしょうがないじゃない……誰も教えてくれないんだもの!)
どうやら解呪の方法はキスではないらしい。だが、それ以外の方法をと問いかけると修道女たちは全くあてにならず、首をかしげるばかり。そして口止めされているのか船員たちも皆、口を閉ざしている。
パーシヴァルは「死んでいる暇はないので」、と全く取り合わず、ジョシュアは「どうしようかなあ」と揺れるふりをしつつも、なんだかんだで口は堅い。なんとか落とせそうな印象なのは「馬鹿かお前、俺が知るわけ無いだろうが」と真っ赤になって嘘をつくジーンだけだった。
現状、不老不死の力は失っていないので、問題はない――そうブラッドは言うけれど、彼の不眠の呪いをアンジェラの力では打ち消すことができなくなっているのは、大問題だ。
眠れない海賊に逆戻り。だというのに、彼はいつも笑って言うのだ。
「眠らない海賊だ。望んで眠らないだけだ」と、どこか誇らしげに。
だけど、アンジェラとしてはどうしても心配だ。彼が今から立ち向かうのは、国を復興させるという大事業だ。眠れないことだけでも大変なのに。死なないからといって、辛くないわけではないということは知っているし、それに、彼が国を取り返すのは一体いつになるかわからない。いざという時に自分が死んでいたら、聖女の力は無駄になってしまう。使える時に使うのがいいと思うのだ。
だから、こうして訴える。彼に力を与えたいのだ。それがアンジェラの役割なのだから。
「バカか、お前は。そんなことをしたらジーンを殺す」
「ジーンをって……あなたこそバカでしょう?」
「他の男に聞くなよ絶対に」
問答無用とばかりに命じられる。
(でも、わたし、ブラッドの役に立ちたいのに)
相変わらず無能な自分が悔しくてうつむくと、ブラッドはやれやれとため息をついた。
「お前がそばにいれば、それだけで俺は力が出る」
「…………!?」
彼は耳元でささやくと、そのままアンジェラにくちづけをする。心臓がどくんとすさまじい動きをして、アンジェラは思わず真っ赤になって飛び上がる。
「な、なな、何をするんです!?」
苦情を言うと、ブラッドはそっぽを向いた。髪の毛で表情は見えない。だけどその耳が少し、赤い。
「お前が、俺が一人じゃないと教えてくれたんだろう? ……だから、心配しなくても、俺は、きっと誰にも負けない」
ブラッドはアンジェラを両手で抱えあげる。そしてそのまま甲板に集まった仲間に向かって言った。
「さあ、出港だ。俺たちの国を取り戻しに行こう」
勝鬨をあげる船員たちが大砲を一発撃つと、それに応えるように辺りで大砲の音が響き渡った。
見渡すと、海上には、真新しい旗を掲げた船が大量に浮いていた。
旗には波を模した横縞に、一つの星。吉星が流れた時、聖女が現れるという伝説をなぞらえたもの。それは、セヴァールの国旗だった。
(あぁ、なんて、きれい)
それらが誇らしげにはためく様を見ていると、アンジェラの不安は徐々に小さくなり、やがて消えていく。
ブラッドならば、女神の力などなくとも、きっと国取り戻すだろう。不思議なくらい、そう信じることができたのだった。
《第1部 了》
嘘つき聖女と眠らない海賊 山本 風碧 @greenapple
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