アポステリオリ

和五夢

アポステリオリ

 白色の明かりが部屋の壁に反射して部屋を白く染め上げる。

 大小様々なプランターが整然と並び、豊かに実るのは色鮮やかな野菜や果物。


「さて、マーク。この二つのトウモロコシを見比べて何か気付くことがあるかな?」

「はい、ナオヤ。左の物は右に比べて背が低く、一つ一つの実も小さいです。僕が思うに人工灯の当たり方が不均一だったのではないかと……」


 少し自信なさげに声を弱めるのは十歳の少年、マーク。


「そうだね。ここで栽培している植物たちはどれも遺伝子的に完璧だ。だから、問題なのは土や光や水などの環境因子ということになる」


 年の離れた二人は傍から見れば、まるで祖父と孫のように映るかもしれない。

 正解した褒美に頭を撫でてやると、彼ははにかみながら笑った。

 本当にマークはいい子だ。

 こうやっての笑顔を見るたびに私の選択はやはり間違いでなかったと思えてくる。




 今から60年前、西暦にして2030年、私がまだ15歳の時。

 あるニュースが世間を騒がせた。

 

『50年以内に極超規模太陽フレアが地球を襲う』


 発表当時はまだ半信半疑の人も大勢いた。

 なぜならこれはあくまで太陽表面の磁場のパターンなどから算出された一つの可能性に過ぎなかったからだ。

 しかし年々、観測技術が進むにつれてその信憑性は確かなものになる。


 太陽フレアは超規模の核爆発のような物。普通の太陽フレアであれば一時的な通信障害などで済むが、予測された極超規模フレアはその比ではない。


『莫大な熱エネルギーと放射線の嵐が地球上の全ての生物を死滅させる。太陽が伸ばした腕が地球をまるごと飲み込むように』


 専門家たちは口裏を合わせたようにそう言った。


 

 そして各国首脳会議が執り行われ、実現可能な二つのプランが打ち出された。


 プランAは地下に耐熱・対放射線シールドを施した大型の居住空間を建造すること。

 うまくいけば全人類を救うことができるかもしれない計画だが、フレアのエネルギーに耐えられるかという懸念と、地表の放射線の影響で地下での暮らしが長期化し、資源が枯渇するという問題があった。



 そこでプランB。

 

 端的に言えば地球を捨てる、だ。


 人類の中から選りすぐりの七人を宇宙に飛ばし、別の惑星の資源を用いて新たな文明を築くという壮大な計画。


 まさかそのうちの一人に私が選ばれるとは夢にも思わなかったが。



 2032年まで宇宙研究開発用に運営されていたISS(国際宇宙ステーション)を軸にして、数人規模で長期居住および航行可能な宇宙船『The SEED』を建造していった。


 そして2077年。七人を乗せた宇宙ロケット『LAST HOPE』が地球を旅立つ事になる。

 

 しかし、我々の門出を見送る人たちの表情は暗かった。


 月探査ロケット『アポロ』の打ち上げと違い、乗組員たちはある意味地球を見捨てて災厄から逃れる事のできる選ばれし者たち。


 物理学者、技術者、教育学者、人類学者など、人類の繁栄に必要と思われる各分野でいずれも若くして才覚溢れる者達だ。



 私が選ばれたのは運がよかったと言わざるを得ない。


 選考方法は年齢、学業成績、功績、得意分野、健康状態などを参考に選抜され、筆記試験を合格し、宇宙飛行士訓練を通過した者の中から選ばれた。


 競争率は分野ごとにばらつきがあり、私の得意分野は低倍率――というよりも一人しかいなかったのだ。


 私は医師として搭乗することになった。


 ただし、私が得意とするのは臨床ではなく研究の方。

 基礎的な医学・生物学的知識に加えて当時最先端を行く遺伝子操作技術が彼らの気を引いたらしい。

 他の選考者はみな25~35歳であったことからも、その需要の高さが伺える。

 55歳の老体にとって、宇宙飛行士になるための訓練はかなりハードだったが、(おそらく下駄付きで)何とかパスした。


 そして打ち上げは見事成功。


 宇宙空間で『The SEED』とドッキングし、航行を開始した我々は地球を離れ、木星軌道上まで約2年の歳月をかけて到達した。

 

 別に木星を第二の地球にしようと考えたわけではない。

 木星は地球よりはるかに巨大な質量により、形成される磁場はそれの約2万倍。

 わかりやすく言えば地球のそれの約2万倍のバリアを備えている。


 遠方にある、大きな避暑地というわけだ。


 木星の軌道上から太陽表面の活動を観測し、極超規模フレアがバーストするタイミングで木星の陰に隠れるように速度調整。

 


 そしてついに審判の時は音もなく訪れた。先に太陽に近い青く美しい我々の故郷に。


 遠目ながら地球が赤熱する様を見る皆の目は悲しみに満ちていた。

 ロシア人の教育学者リズが、地球に残された家族やこれまで弁を振るってきた生徒たちの事を思い、泣き崩れたのを今でも鮮明に覚えている。


 私はその時、地球の影の部分なら生存者がいるのではないかと、いやに冷静だった。


 それほどに現実感がなかったのだ。



 実測されたフレアは予想を遥かに超えるものだったが、幸い船の計器に異常を来すほどではなく、プランBは次の段階へと進む。


 ここからはほとんど賭けに近かった。

 

 木星の軌道を周回しつつ、資源が豊富そうな惑星を探す作業はほとんどがAI任せ。とはいえ、そのデータの膨大さゆえ、流石に骨が折れた。

 

 そもそも地球と同じように呼吸可能な大気を持つ惑星など太陽系には存在しないし、生物資源は言うまでもない。


 最有力候補であった木星軌道上のエウロパもフレアバースト時の位置取りが悪かったのと、同じ木星軌道と言ってもかなり外側であったため、地球と同じ運命を辿ってしまった。



 だがどんな絶望の中にも希望はあるものだ。



 約半年が過ぎた頃、AIがある惑星を探し当てた。


 光スペクトラム解析で水が確認されたその星は、以前は候補にさえ上がっていなかった星。

 それまで、毒ガスで覆われた死の星と思われていた天体が、地球に死をもたらしたフレアにより息を吹き返したのだ。


 天文物理学者のジョルジは、


「奇跡だ……、こんなのあり得ない確率だ……。やはり、この世界には創造主がいらっしゃるのか……」


 と科学者らしからぬ歓喜の声を上げた。

 他の船員もみな恍惚とした表情でそれぞれの神に祈りを捧げた。



 もし神がいるとしたらなんという残酷なやつだろう。



 私には心から崇める神がいなかったので、そんな罰当たりな思考が頭をよぎった。


 

 とは言え、これで次に進むべき目標が出来た我々は、重要な岐路に立たされた。

 

 その奇跡の星『リジェネ』は木星から出発して50年かかる距離にある。

 船内は最新の循環システムを採用しているため、七人であればなんとか50年持つだけの備蓄はあった。

 だが仮に目的の星に着いたとして、その時彼らは85歳前後。私に至っては恐らく生きてはいないだろう。


 つまりは冷凍睡眠カプセルを使うかどうかという問題なのだが、私はどうもこの冷凍睡眠というものに強い不信感があった。


 人体を瞬間冷凍した瞬間に生じる血液中の水分の体積増加と結晶化による組織へのダメージ。その問題はカプセル内の気圧調整で回避されていて、動物実験でも身体に影響がないことが確認されていたのだが――。


 私が医師であったせいか、薬剤で言えば動物実験は臨床試験の極初期の段階であり、人間においての成功率や副作用は全くの未知だと思えてならなかった。

 

 議論の末、結局は多数決で冷凍睡眠――もとい極低温睡眠をとることに決まり、それぞれがカプセルに体を横たえた。


 私はリーダー――NASAは冷静な分析能力から選んだと言っていたが恐らく年長者であることが大きい、であったことからクルーの眠りを見届ける役回り。

 

 正直なところを言うと、クルー全員が冷たく寝静まった後も私だけ起きていようかと思っていた。

 とはいえ、人類の長寿ギネス記録に挑戦する気概もなかったので渋々カプセルに身を任せる事に。




 そして事故は起こった。



 異常を伝えるけたたましいアラーム音。

 閉まる途中で停止したカプセルのケースの僅かな隙間から何とか這い出した私は、嫌な汗を掌に滲ませながらも、液晶画面に表示されたエラーコードを確認し事態の把握に集中した。


「マクスウェル! エラーコードB-1117を検索しろ!」


 音声認識機能を搭載したコンピューター植え込み型AI『マクスウェル』はすぐにその詳細とトラブルシューティングをメインモニターに表示。


「カプセル内気密性の不具合?」


 要はカプセル内の気圧調整機能に不調があるということ。

 もしそれが本当なら、早急に対応しなければ彼らは二度と目覚めることはない。

 私は祈るような気持ちで各員のカプセル内気圧を確認した。が、すべて目標範囲内に調整されていた。


 ほっとした反面、エラーコードと現状との矛盾に困惑。

 エラーを解除しなければ六人の解凍プロセスに入ることができない。

 

 マクスウェルに尋ねても、システムエラーの原因はわからない。


 様々な異常事態に備えて十分なシミュレーションを行ってきた。

 専門知識を持っていなくても、対応できるように手順をマニュアル化しているのだ。

 だが、原因がわからなければ対応のしようがない。



 私はやはりリーダーとしての器ではなかった――。



 こういった事態を想定し、ロケット開発にも携わったNASA技術者であるエドワードを最後に残すべきだったのだ。

 

 ただカプセルに入りたくないという身勝手な理由など捨てて客観的に判断すべきだった。



 そんな愚かな私にもシステムを復旧させる方法は残されていた。



 それはシステムの再起動。



 ただ、この場合、一定時間電源を落とす必要があるためカプセル内で既に冷却中の彼らは死亡する危険性がある。



 人類の未来か、彼らの命か。



 再起動のスイッチに突き付けた私の指先は小刻みに震えていた。

 

 頭がおかしくなりそうな極限状態の中、いろいろな考えが頭の中を嵐のように駆けめぐる。

 

 何年かかるかわからないが、必死に勉強すればエドワードの代わりにシステムを復旧できないか?


 しかし、高度な物理や工学知識のない私にどこまでできるだろう。

 教育学者のリズが開発した学習プログラムで、ある程度の専門知識は得られるが、この船に使われているのはいずれも最新鋭の技術。この冷凍睡眠装置はエドワードでなければ開発できなかったといわれるほどの偉功。

 基礎的知識だけからそれを読み解くには彼に匹敵するだけの天才的なセンスが必要とされるだろう。


 私にその才能があるとはどうしても思えない。


 やはり再起動のスイッチを押して、エドワードが生存する可能性にかけるのが最善か。



 いや、落ち着け――。


 また同じ間違いを繰り返すところだ。常に最悪の場合を考えろ。

 考え得る最悪のシナリオ、それは彼らが全員死んでしまうことだ。

 その場合どんな打開策がある?



 

 復旧させたシステムがうまく作動したとして、一人『リジェネ』にたどり着いた私にできるのは――。




 その時、ある閃きが私の脳髄を駆け巡った。



 そうだ、私は遺伝学者だ――。



 私はエドワードにはなれない。

 だが、私なりのやり方でこの問題を解決できるかもしれない。


 

 私が思いついた妙案は簡単に言えば計画の前倒し。

 次代の人類の育成。


 つまり、クローン技術を用いた選りすぐりの人類再興計画を、この長く孤独な宇宙の旅の間を利用して取り掛かってしまおうというわけだ。


 道徳的、宗教的な観点から人間のクローン化実験は公にはされていなかったが、先のフレアが懸念され始めてから、極秘裏に技術的な進歩を遂げていた。


 その気になればアインシュタインも、ガリレオも、DNA情報が残っているあらゆる天才たちを甦らせることができる。


 とは言え、船内の生活資源が限られているため人数は限られていた。

だが、迷う必要はない。


 彼らを甦らせればいいのだ。



 冷たい箱で眠る彼らを――。


 

 それから一週間考えた上で、スイングバイを利用して木星の軌道から外れ、『リジェネ』へと舵を向けた。

 本当はもう少し考える時間が欲しかったが、そのタイミングを逃せば次回のランデブーまでは半年以上かかる計算で、資源節約の観点から不可避であったのだ。


 船体を回転させることで重力環境を地球と同等に整え、遺伝子実験用セクションで缶詰状態になりながら作業を進めた。


 私は私を除く六人のクルー達の遺伝情報を元に、特殊な酵素を使用して任意の塩基配列――電子媒体上の遺伝情報を有機体からなる生の遺伝子へと変換。それを封入した人口受精卵を人工胎盤に着床させ、電気刺激で細胞分裂のスイッチをONにすると劇的な変化が始まる。

 初めはもちろん肉眼では観察できない。

 しかし三週間も立てば、本来子宮内で行われる奇跡の変化がガラス越しに観察可能になる。

 半透明の卵の殻のような人工子宮内で胎児が育っていく様は、何度見ても感慨深く、それが六体もあったものだから、私には地球最後の瞬間よりも余程印象に残る光景だった。




 40週前後で無事生まれた彼らに、オリジナルと同じ名前を付けた。

 

 独り身だった私は当然育児の経験などなく、六人の子供達に苦戦。

 リズがいないことを何度呪ったことか。


 だが、医師としての知識と彼女が残してくれた教育プログラムを元に何とか育て上げていった。


 リズの教育プログラムが秀でていたのもあるだろうが、流石に天才達の遺伝子だけあって彼らの記憶力や洞察力などは平均を軒並み超えていた。



 そうして八歳を迎える頃には高校生並みの学力を有していた。


 私は末恐ろしくなったが、同時に希望も湧く。


 能力が近いだけあって協調性も抜群。彼らなら彼ら以上のチームになるのではないか、と。



 そして九歳になる時、私は彼らに各々が進む道を示した。

 彼らは何をやらせても常人を超えそうな事は容易に想像できたが、それでも敢えて選ぶなら――。


 安直だが、最も可能性が高い選択。


 つまり、オリジナルの彼らが得意とした分野を割り当てたのだ。


 普通であれば子供たちの自由を奪ってしまうような、非道ともいえる行いだが、彼らは誰一人文句を言わなかった。


 別に権力や恐怖で押さえつけている訳ではない。


 賢明な彼らは追い込まれた人類の現状を理解し、論理的思考を以てして私のプランに賛同したのだ。



 そして半年が経過した頃、私はまた過ちを犯したと知ることになる。


 六人中一人は学習到達目標を問題なくクリアした。だが、他の五人は、それまでの勢いが嘘のように失速したのだ。


 不審に思った私は科学的アプローチによる分析を行った。

 すると、学習進度が芳しくない五人ではいずれもストレスホルモンの血中濃度が高いことが判明したのだ。


 そこで一人一人に詳しく話を聞いてみると、彼らはみな次のような趣旨の発言をした。



「どうしても興味が持てなくて、勉強するのがつらいのです」



 これが地球で暮らす一般児童の発言なら、まあ、そうだろうと何の抵抗もなく飲み込めた。


 しかし、彼らはその分野で頂点に立つほどの能力を持つ遺伝子から生まれた、言わば約束されたエキスパート。

 オリジナルと全く同じというのは無理だとしても、適正は十分なはず。


 なぜ――。



 困惑した私は試しに、各々が興味のある分野を自由に学習するように命じてみた。



 するとどうだろう。

 彼らはすぐにその才覚を表し、学習目標を軽々しく突破していったのだ。



 私はふと、地上での彼らとの会話を思い出した。


 例えば教育学者のリズ。


 彼女はロシア人の父親とカナダ人の母親の間に生まれた。


 投資家であった父が成した財で、教師であった母が紛争地域で孤児となった子供達のために学校を創設。それはとても小さなもので、リズの母を含め数人の教師だけで成り立つようなものだった。


 リズは母が熱弁する姿を幼い頃から目の当たりにしてきた。

 だが、教師になるつもりはなかったらしい。

 十歳のリズが得意としたのはピアノ。

 その才能は両親ともに認めるほどで将来はピアニストか指揮者に成ることを夢見ていたという。



 だが、リズが十二歳の時にある転機が訪れる。


 年始にロシア国内で、ある教育者向けの学会が開かれ、母を含めた教師たちは全員その学会に参加。

 孤児達の面倒は父親と数人の用務員が請け負うことになり、リズもそこにいた。


 母達が発った次の日、豪雪のため通信障害が発生し孤立。

 その地域では良くある事なので、備蓄も十分にあり雪解けを待った。



 しかし、天候が回復し通信が復旧した時、リズたちは世界から孤立してしまっていた。


 雪に閉ざされている間に紛争が激化し、ロシアを含めた隣国が国境を閉鎖したのだ。


 学校はロシアと紛争国の国境付近にあった。

 当時、ロシアは難民の受け入れを許可していなかったため、紛争国側になったのは必然と言えば必然。だが、それが家族を引き裂くことになった。


 国境閉鎖は5年にもおよび、その間リズは孤児たちの面倒を見ざるを得なかった。

 彼女曰く、それが嫌だったわけではないらしい。

 ただ、言葉の壁がある生徒も居て、コミュニケーションに難があったという。

 それでもジェスチャー等を交えて必死に、少しづつ理解を深めるようになるにつれ、他国の言語の習得が苦で無くなっていったと言う。


 さらに母に代わって低学年の子供たちに教科を教えるようになり、教育者としてのやりがいを自覚するようになる。



 そして、閉鎖が解かれたとき、リズは8か国語を話せる立派な教師になっていたのだ。


 それからリズは母から教師としての指導を本格的に受けるとともに資格を取得。

 様々な言語、様々な年齢の子供達と接した経験から、国や文化に左右されない革新的な教育プログラムを確立し、27歳の時にノーベル賞を受賞することになった。



 彼女が偉業を成し遂げたのは元々の素質もあるだろうが、何よりも経験が大きかったということだ。



 他のクルー達も似たようなもので、みな置かれた環境に適応するようにして、その才能を開花していった。


 

 つまり私は大きな勘違いをしていたのだ。



 偉人達を偉人たらしめているのは、先天的に決められた遺伝情報ではなく、彼らを取り巻く環境ストーリー――。



 リズが居たら、「そんなの当たり前よ」と言うかもしれない。

 私は今まで自分がやりたいようにやって、今に至っていると思っていたが、それは勘違いなのかもしれない。


 彼女のようにドラマティックなエピソードは無いにしろ、日常の何気ないことが私の興味を惹き、与えられた環境が私の嗜好に影響していたとしたら?


 例えば――。

 幼い時、親の目を盗んで深夜に見たSF映画。

 叔父に買ってもらった偉人達の伝記本。

 小学校の夏休みの自由研究で育てた朝顔。

 高校の時好きだった子に教えるために必死で勉強した生物学。

 大学の時、常備してあるバリスタと落ち着いた雰囲気が好きで入り浸っていた研究室。

 臨床にでたものの、理不尽で高圧的な上司やそれを取り巻く歪な人間関係に辟易して研究の方に傾倒していったこと。



 そう、よく思い返してみれば、もともと得意だったのではなく、得意になっていたのだ。

 



 やれやれ、この年になって壮大かつ難解な研究テーマを抱えてしまったようだ。



 私が大きくため息を吐くと、マークが心配そうな目で見上げてきた。


「僕は何か間違えましたか?」

「いや、マーク。君は何一つ間違えてなどいないよ」


 そう、遺伝的に完璧に一致しているはずなのに、異なる二つのものがあるとすれば、その要因は後天的素因アポステリオリに他ならない、



 しかし、それにしても不思議なことがある。


 六人の子達の得意分野がうまくばらけたのは偶然だろうか。


 もしかしたらお互いにお互いの得意不得意を察して、互いを補うように環境に適応した結果なのかもしれない。


 だが年のせいか、何か強大な見えざる力が働いてなるべくしてなったと思えてならない。


 七人のクルーの中で私が残されたのも何か意味があるように思えてくる。


 私だけ取り残されることがなければ、今こうやって子供達と宇宙の旅をしていることもなかった。

 しかし、仮に何らかの意味があるとしても、それが分かる頃には私はもういないだろう。


 なぜなら遺伝情報から予測される私の寿命はあと十年もないのだ。

 したがってが冷凍睡眠から解放される場に立ち会うことも恐らく不可能だろう。


「ナオヤ、どうして笑っているの?」


 少年に問われて自分が口の端を持ち上げていることに気が付いた。


「ああ、別に……ちょっとした思い出し笑いさ」


 がある日目を覚ます時の光景を想像したのだ。

 目的の星に着いたと思ったら、そこにいるのは自分そっくりの人間たち。


 人類史上、最も手の込んだサプライズプレゼントになるのは間違いない。



「さあ、マーク。授業は終わりだ。もう寝る支度をしなさい」

「はい。遅くまでありがとう、ナオヤ」


 そういって彼はリフトでみなの待つ居住区画へ戻っていった。



 一人になった私はコーヒーを淹れて顕微鏡やらが置かれた机にマグを置くと、お気に入りの木造りチェアーに腰かけた。


 脇にある小窓には、何層にもわたる強化ガラス越しに暗黒の世界が広がる。そこには幾つかの恒星が散らばっていて、まるで針の穴のように小さな光をちらつかせていた。

 今にも闇に消え入りそうなか細い光を見ていると、が頭をよぎる。


 コーヒーを一口飲むと震えが収まり、頭が冴えわたっていくような気分がして、もう一度だけ思考を巡らせた。



 私が彼らを創り出した意味――。



 本当はもう分かっているのだ。



 私はきっとこの暗く冷たい宇宙を、一人で彷徨う勇気がなかっただけなのだと。

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