星に願ってる場合じゃない!

羊木

第1話

 夏といえど、夜の屋上は涼やかだ。私の心はまったくもって熱いけど。嫌に汗ばんだシャツが首元に張り付く。緊張しているのは重々承知。

「皆さん、そろそろ目も慣れて来ましたね。星は空気の澄んだ場所でしか見えない、と思われがちですが、光さえなければよく見えるでしょう?」

 屋上の中心で先生が何か言っている。でも、遠い星々の煌めきなんて、今の私にはどうでもいい。というか、それどころじゃないって。

 みんなが顔を上げて夜空を眺める。はしゃぐ友達。星はどうやら綺麗らしい。私は、つい横を見てしまう。少し遠いところ、歩数にして10歩程度。でも、私には遠い。遥か彼方の星々よりはマシってレベルだ。夜空にはしゃぐ集団から離れたところで、先輩が望遠鏡のセッティングをしていた。

「ふぅ」

 先輩が一息ついて、空を見上げる。

「綺麗だな」

 呟く姿1つで、頭がくらっとして胸がときめく。我ながら重症だ。心臓の鼓動がうるさい。でも、今しかない。みんな空に夢中になっている。先輩を見ているのは私だけ。制服の襟ぎゅっと握りしめて、胸の高鳴りを鎮めようとする。大丈夫。先輩とたくさん話した。先輩のことをたくさん知った。先輩に告げる言葉をたくさん考えた。だから、きっと、大丈夫。

 ……なんて、言い聞かせても私は臆病だった。足は地面に埋まって動かない。目線は先輩から動かない。先輩はまだ空を見上げている。こんなに見ているのに、ちっとも気づかない。

「動け、動け。動かなきゃ」

 思わず声が漏れる。震えた、酷い声。

「動いてよ」

 なんで泣きそうになってるんだ、私。

「あっ! 流れ星!」

 誰かが叫ぶ。半泣きの顔を空に向ける。まだ涙は溢れてないけど、夜空に描かれた流線は酷く歪んで見えた。

 先輩と結ばれますように!

 先輩と結ばれますように!

 先輩と結ばれますように!

 3回唱える。気づけば、目を閉じ両手を合わせて祈っていた。


「祈ってる場合かよ」

 呆れた声が聞こえる。

「え?」

 目を開くと若い男の人がいた。袴?浴衣?着物? よく分からないが古風な服を着ている。ゆったりとした、少しぶかぶかな服が夜風になびいている。え、誰これ。

「俺に祈る人間はそれこそ星の数見てきたが。まったく意味なんてありゃしねぇのにな。何光年離れてんだと思ってんだか」

 唇を尖らせて男はぼやく。不機嫌と呆れが入り混じっている。目つきが鋭くてちょっと怖い。なんだか苛立ってるけど、私は突然の乱入者に戸惑うしかない。え、誰これ。思わず、身を引く。あんなに固まっていたはずの足が動いた。

「何、呆けてんだよ。お前だよ、お前。お前に話してんだ」

「私?」

 指で自分を指して確認する。ああ、と男はぶっきらぼうに返事する。

「普段なら無視するとこだが、明日は年に一度の非番なんでな。お前はラッキーだ」

「ひ、非番? そ、それより、貴方は何?」

「何って、お前。てめぇが呼んだんだろうが」

 男は空を指さす。星が瞬いている。……星?

「んなことよりいいのかよ。アレ」

 空を指していた指をゆっくり傾け、水平にする。私の視線も釣られて横を向く。先輩がいた。隣には、女の子がいた。

「えっ、誰。アレ」

 女が、先輩と楽し気にお喋りしている。え、何。誰。えっと、ちょっと待って、そこは私が、先輩の隣は、私が―――


 ***


「あっ! 流れ星!」

 誰かが叫ぶのと、私が足を踏み出すのは同時だった。視界の隅に、流れ星が見える。真っ暗なキャンパスに白い流線を描いている。綺麗だけど、私には先輩しか見えなかった。

「星に願っている場合じゃない」

 思わず、声が漏れた。不安が零れたんじゃない、覚悟が溢れたんだ。今なら、先輩と親し気に話す、あの女は居ない。今しかない

 一歩、二歩。

 遠い。

 三歩、四歩。

 けど、近づいている。

 五歩、六歩。

 何光年先でも。

 七歩、八歩。

 祈る暇があるなら、前へ進め。

 九歩、十歩。

「先輩!」

 上ずった声。たかが、数歩で息切れをしてしまう。先輩はちょっとびっくりしたけど、君か、と笑ってくれる。

「元気だね」

「はい!」

「星はどう?見える?」

「見えました」

 くっきりと目の前に。とびっきりの一等星が見えます。

「あの星、見えるかい。たぶん夏の星なら一番有名かな」

「ベガ、アルタイル、デネブ。夏の大三角ですね」

「日本じゃ織姫、彦星とも言われる」

 年に一度しか会えない二つの星。二人は自分たちの役目・仕事より、愛を育むことを優先した。結果、神様に怒られて、会えなくなってしまったんだっけ。愛に溺れすぎた彼と彼女。きっと、同じように私も溺れている。勉強どころじゃないんだ。そして、先輩もそうあって欲しくて。

「夏は天の川も有名だ。でも、夏の星空はそれだけじゃない。そうだな、あの星は―――」

 先輩は夜空を私に教えてくれる。私も知っていることを話す。よく知ってるね、へーそうなんだ。先輩は笑う。ああ、私はこの人が好きなんだな。改めて気づくんだ。

「先輩」

「ん?」

「明日、七夕ですね」

「そうだね」

「星。見ませんか?」

「明日もかい? 君も星好きだね」

「先輩ほどじゃありません」

「そりゃ僕も星は好きだけど、君ほどじゃ……」

「違います」

 星空を見るのはやめた。貴方だけを見る。

「星より、先輩の方が好きって意味です」

 先輩はきょとんとしていた。でも。行け、このまま。

「何より!どんな星よりも!」

 星に願っている場合じゃない。あの星よりも、私は煌めくんだ。

「先輩が好きです!」


 ***


 愛の告白が耳を突き刺す。告白したのは私じゃない。

「お前がちんたらしてる間に先越されちまったなぁ。顔は見えねぇが、まさかスカート履いた男ってわけでもねぇだろうよ」

 くつくつと男は笑う。私は笑えなかった。先輩の視線は夜空ではなく、その子に向いている。横顔からは笑みが見える。うまくいったのだろう。私はまた固まってしまった。今度は涙すら固まった。流星に一喜一憂する声がさらに遠くなる。この場で笑っていないのは私だけ。

「星に願っている場合か?」

 さっきとは打って変わった、真剣な声だった。

「今なら、まだ間に合うんじゃねぇか?」

「無理だよ」

 先輩は楽しそうにお喋りしている。あんな親し気にできる女の子なんて、私だけだと自惚れていたんだ。部活でも一番話しかけたし、奇遇ですね!なんて何度も言った。なのに。

「先輩ってあんなに笑うんだ」

 不思議と落ち着いていた。知らない先輩の表情を知って、まだ私はときめいている。そこにいるのは私じゃないのに。心より、先に動いたのは涙だった。頬を伝って落ちる。男は無表情で地面に出来た涙のシミを一瞥し、ため息をつく。力の抜けた、呆れ顔で言う。

「光りってのはな、近すぎると眩しくて何も見えねぇんだ」

「へ?」

 急に、何この人。しかして、その表情は真面目だった。

「暗闇に慣れてから、改めて見ると、その眩さに驚く」

「星を見る前に、光を消すのと似てる?」

「ああ」

「確かに、今。ものすごく暗い」

 真っ暗だ。

「俺はな。年に一度しか、好きな奴と会えないんだ。だから、星に祈るしかない」

「えっ、あんなこと言ったのに、アンタは祈るの?」

「そうするしかない。今見える星の光は、何億年も前に出来たものだ。それが長い月日を経て届く。それぐらい、俺とアイツは遠い」

 お前はどうだ? 男は目でそう尋ねてきた。いや、無理でしょ。……でも、星よりは近いのだろうか。

「まだ届くかな?」

「届くさ。少なくとも、星に願うよりはマシだ」

 男はニタリと笑う。真面目な表情が崩れて、からかうように言う。

「時間ってのは曖昧だ。何光年も昔の星の光。数秒前の声。今、目の前のお前。全てが同列の空間にある。過去、現在、未来は連続したモンじゃねぇ。混在して、互いに干渉してんだ」

 何を言っているのか、さっぱり私には分からない。ただ、コイツは少年のように笑っている。自信に溢れた言葉に、私の固まった心は動かされてしまう。

「安心しろ。世界はお前が思うより、雑で曖昧だ」

 だから、とコイツは続けて言う。

「動いた奴が未来を決める。意識?願い? んな弱いもんは要らねぇ」

 足を指さされる。

「もう、動けるよな?」


 ***


 目を開けると、誰もいなかった。ただ、遠くに、望遠鏡を準備する先輩が見えた。

「あっ! 流れ星!」

 誰かが叫ぶのと、私が足を踏み出すのは同時だった。視界の隅に、流れ星が見える。真っ暗なキャンパスに白い流線を描いている。綺麗だけど、私には先輩しか見えなかった。

「星に願っている場合じゃない」

 思わず、声が漏れた。不安が零れたんじゃない、覚悟が溢れたんだ。今なら、先輩と親し気に話す、あの女は居ない。今しかない。

 一歩、二歩。

 遠い。

 三歩、四歩。

 けど、近づいている。

 五歩、六歩。

 何光年先でも。

 七歩、八歩。

 祈る暇があるなら、前へ進め。

 九歩、十歩。

「先輩!」

 上ずった声。たかが、数歩で息切れをしてしまう。先輩はちょっとびっくりしたけど、君か、と笑ってくれる。

「元気だね」

「はい!好きです!」

「へ?」

 未来なんて、曖昧なものだ。多少、ショートカットしたっていいはず。もう、私は待てない。星なんか要らない、私が未来を決める。

 夜空の星が、笑うように瞬いた。

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