透明少女の放浪

黒中光

第1話 透明少女の放浪

 土曜日。私は昼近くに目覚めてすぐに顔を洗いに行った。親はとっくに仕事。


 洗顔の後は寝癖チェック。女子なら当然。けど、これができなかった。


 寝癖がなかった。


 私の姿がなかった。


 驚いてどれだけ鏡にへばりついても映るのは短い廊下のみ。


 パニックになる頭の中であるイメージが浮かぶ。黒い扉。


「まさか、本当に」


 昨日の午後にさかのぼる。


 私は仲の良かった男子に告白した。高校一年生。初めての告白。相手は同じバスケ部の男子。カラオケとかゲーセンとかもよく一緒に行く仲。ちょっとした仕草がかわいくて、部活の片付けを手伝ったらいつもにっこり笑ってくれた。


 けれど、返事は「恋人として付き合うイメージができない」だった。


 なまじ、自分を奮い立たせようとして友達に宣言していたのでダメージが大きかった。消えてしまいたくなるくらいに。


 私はまっすぐ帰る気にもなれなくて、普段通らない道を歩く。夜だが全く怖くない。ビルの建つ活気のある道。そんな中で小屋があった。扉は黒く、銀色の文字でこう書かれていた。


「あなたの『望み』を叶えます。あなたが本当の望みを叶えるまで。さあ、あなたの『望み』は何ですか」


 私はその言葉に惹かれて扉に近づいた。


「消えてしまいたい」


 扉が開くとテーブルがぼんやりと照らされていた。その上にはコップに入った透明の液体。私は何も疑わずそれを飲んだ。そして、気が付けば自分のベットで寝ていた、というわけだ。


「どうしよう」


 なんとかしなくちゃ。布団にくるまっててバレなかったけど、親が帰ってきたら誤魔化しようがない。


 とにかく考える。扉に書かれていた言葉を。


「願いを叶えるまで、ってことは。別の願いをすれば良いってことかな」


 一番良い願いをするまで願いなおす? 試す価値はある。少なくとも今の状況から抜け出せばそれで良い。


 急いで手近のコートを羽織ると、身につけた瞬間に消えた。見えないボタンを手探りで留めながら道に飛び出す。


 昨日初めて通った道だったが場所は分かってる、歩いて10分ほど。


 全力疾走で走る。冷たい空気が肺を焼く。それでも一心不乱に走り曲がり角を曲がる。


 バン。自転車に激突した。怪訝そうな声が聞こえてくる。


「何、今の?」


 買い物袋を拾ったおばさんが辺りを不気味そうに見渡している。そうだ、私は見えないんだ。相手からすれば、いきなり自転車をひっくり返されたことになる。


 どうすればいいか分からない。


「ごめんなさい」


 言って私は逃げ出した。後ろからおばさんの悲鳴が上がる。


 人通りが増えるにつれてぶつかる回数は増す。それでも進み続けた。あの夜の扉にさえ着けば終わる。そう思っていたから。


「……ない」


 ビルとビルの間。そこには何もなかった。ビル同士は隙間なくくっついていて、小屋があった痕跡すらない。


「嘘でしょ」


 その場に膝をつく。色々と不可思議なことはあったが、ここに来て初めて怖くなった。今まではそれなりに目途がついていたから。でも、この状況はまずい。


 いつまで透明のままなんだ。しかも、見えないというのは自転車の件でもわかるようにかなり危ない。誰にも気づいてもらえない恐怖。


 寒さとは違う意味で震えた。


「ねえ聴いた~あの曲」


 能天気な声が離れたところから聞こえてきた。振り返ってみると、道路越しに万智の姿があった。私の友達。助かった。


「万智!」


 大声で叫んで、道を渡る。万智も気づいたようだ、電話を切って周囲を見渡している。


「優香?」

「そう、私」


 居場所を分かってもらおうと、腕をつかむ。が。


「きゃっ」


 びっくりするぐらいに強い力で振り払われた。怯えた表情で万智は走り去っていく。


「待って、行かないで!」


 必死に追いかけるが、顔面蒼白になった万智の速さは尋常ではない。あっさり見失ってしまった。


 友達すら逃げていくのか。


 突きつけられた事実に愕然として私は近くのベンチに腰を下ろした。何も考えられない。


 いつまで俯いていたのか。こつん、とつま先に何かが当たる。


 小さな女の子。たぶん、小学生にもなっていないだろう。きょとんとした顔でこっちを見ている。


 恐る恐る手を伸ばして私を触り始めた。腕、耳、口、鼻、頬。


「泣いてるの?」

「え?」


 言われて気づいた。私の頬を温かいものが伝い落ちている。


「何でもないよ」

「泣きたいときは泣かなきゃいけないんだよ。いっぱい泣いて、ヤなこと全部押し流しちゃうの」


 女の子は胸を張って言う。優しい言葉。


「ありがとう」


 そう言えば、振られた時。誰にも会いたくないと思ってたけど、本当はこんな感じで慰めてほしかったっけ。


「元気になったみたいだね、お姉ちゃん。風邪ひいちゃだめだよ」


 女の子はそう言って去っていった。なんで最後に風邪?


 残っていた涙を手でごしごしぬぐう。


「あ」


 見える。手も。コートの下のパジャマも。


「そうか」


 何にも言わずに慰めてもらえたから。本当の願いが叶ったから。


 終わった。


 気が抜けて、私は一人で笑い、立ち上がる。

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