まだ書き初めし……
里内和也
まだ書き初めし……
小学一年生の娘が書き初めをした半紙を見たら、力強い「大金」の文字が目に飛び込んできた。
「なんでまた……」
同じ「金」関連の言葉でも、「お年玉」なら、無邪気さやお正月のおめでたさが感じられる。あるいは単に「金」なら、「金メダル」とか「金太郎」とか「超合金」とかからのイメージでこの文字を選んだ、と取ることもできる。上に「大」が付いただけで、どうしてこうも俗っぽいというか、生々しい印象になるのだろう。
「墨がちゃんと乾くまでそこに広げたままにしておきなさい」と注意しておいたため、娘は半紙をリビングにそのまま置いて、遊びに出かけてしまった。なぜ「大金」なのか、それとなく聞いてみたくても、今はできない。
育て方を間違えただろうか。それとも、出費はなかなか減らないのに夫の給料は一向に上がらないのを、敏感に感じ取っているのだろうか。
うちは決してお金に困っているわけじゃないから心配しなくていいのよ、と安心させた方がいいのだろうか。それとも、お金より大切なものもいっぱいあるのよ、と教えるべきなんだろうか。
いや、それ以前に、これは書道教室で出された課題だ。提出した時にあらぬ疑念を抱かれないよう、書き直させるべきだろうか。
こういう時、母としてどうあるべきなのか。半紙を前に、ああでもない、こうでもないと一人考えあぐねていると、
「ただいまー」
玄関のほうから聞こえてきたのは、娘の声だった。続けて、ぱたぱたと足音が近づいてくる。私が慌てて半紙をテーブルに置くと、気を取り直す間もなく、娘がリビングに駆け込んできた。
「忘れ物したー」
と言いつつ、おもちゃ類が入れてある箱へ急ぎ、中を探っている。
私はできるだけ自然体を装いつつ、
「書き初めの半紙、もう墨は乾いてるから片付けておきなさい」
娘は振り向いて、素直に、
「はーい」
とこちらにやって来た。私はさらにさりげなく、
「書き初めの課題は確か、今年の目標だったわよね。お金を稼ぐのを目標にしたの?」
「おかね?」
不思議そうに首を傾げる娘に、私のほうが戸惑った。
「だってこれ、『たいきん』って書いてあるじゃない。あっ、それとも『大金持ち』のつもりで『おおがね』って書いたのかしら」
「違うよー。『だいきん』だよー」
頭の中が混乱した。だいきん?
「大きいっていう字は『だい』とも読むけど、この場合は『たいきん』って読むのよ?」
「間違ってないよー。おじいちゃんが、『
は? 大金星?
「でもこれ、星の字は……」
「『大』と『金』が大きくなりすぎちゃって、書けなかったの」
よくよく半紙を見れば、「金」の下に中途半端な余白がある。ここに「星」の字を書こうと思ったら、他の二文字の半分以下に縮小せざるを得ない。実際に書いてみるまでもなく、かなり不釣り合いというか、不格好になるだろう。そもそも、娘の腕でそこまで小さく書こうとしたら、字がつぶれてしまって読めなくなる可能性が高い。
……力が抜けた。三文字目さえ書かれていれば、書道教室にも堂々と提出できる。
だが、まだ腑に落ちない点もある。
「大金星なんて言葉、どこで知ったの?」
「おじいちゃんのおうちに行った時。お相撲で言ってた」
「ああ……」
おじいちゃんというのは、夫の父親だ。車で十分ほどの所に住んでいるので、時折この子を預かってもらっている。我が家ではほとんど見ない大相撲中継も、義父ならよく見ている。
「そっか。それで、今年の目標は『大金星』にしたのね」
「おじいちゃんに『大金星って何?』って聞いたら、『一等賞よりももっと上の勲章で、すごいことをした人がもらえるんだよ』って、教えてくれたもん。私も、大金星がもらえるぐらい頑張るの」
娘のまっすぐさに、思わず笑みがこぼれた。
ただ、やはりこのまま提出させるわけにはいかない。
「それならちゃんと星の字も書かないと、『大金星』ってわかってもらえないわよ。もう一度書き直しましょう」
「えー。星の字、難しいからやだー。それに、字が二つだけのほうが書きやすいもん」
「やだー、じゃないでしょ。書き直しなさい」
「書き初めって、その年の最初に書いたののことでしょ? 二回目に書いたのじゃ、書き初めって言えないよ。だから、このままじゃないと駄目だもん」
……やはり、育て方を間違えただろうか。
まだ書き初めし…… 里内和也 @kazuyasatouchi
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