はつこい

フカイ

掌編(読み切り)




入り口近くの狭いところを、彼の先っぽでこすられるのが好きだった。


もっと奥まで差し込んで欲しいと思う気持ちと、その狭いところでキュッと締め付ける感じのもどかしさが好きだった。

ふたりとも、エッチな獣のようになって、本やビデオで見た色々な体位を試したりした。





あたしは、いつもより15分も早く待ち合わせ場所の書店に来ていた。

あたしがいつも遅刻するせいで、暇がつぶせる場所が彼とのお決まりのデートの待ち合わせに使われた。

その書店に併設されたカフェで、あたしはピンクレモネードを飲んでいる。

喉が渇いていた。緊張で。

だからあたしは、彼とのいくつものセックスの場面を思い起こしていた。





そう、あと、おもちゃ。

ピンク色の小さく震えるのや、オーソドックスな男性のカタチを模したもの。

逝く寸前でにゅぷって抜き出されては、意地悪く、やらしいおねだりを何度もさせられたっけ。

そういう時ってどうして、超エッチな言葉が普通に言えちゃうんだろ?

腰を振りながら、もう一度、奥まで刺し込んでほしくて仕方がなくなっちゃう。


例えばお料理の好きなカップルが、デートのたびに新しいレストランを開拓するように。

例えばドライブ好きなカップルが、新しいルートを開拓するように。

あたしたちは、セックスのたびに新しい快感を求めて、互いの身体を探検した。

背骨の凹凸のひとつひとつに唇を這わせたり、とろける入浴剤を入れた無重力のような浴槽のなかで素肌を密着させたり。


いわゆるタブーというものがなかったのは、あたしたちがセックスフレンドという形で出会ったからだろう。


出会い系で知り合った何人かの男のひとたち―――。

食事だけして終わったひともいれば、一度だけホテルに行ったひともいた。

一回なんて、駅で待ち合わせた相手のキモヲタっぽさにバックれたこともあったし、プチストーカーっぽいヤバそうな人もいたっけ。


でも彼のときはちがかった。

相性が良かったんだと思う。


気取ったレストランに連れて行かれるわけでもなく。特別なプレゼントをしてもらったわけでもなく。何度かのメール交換の後、最初に会ったその場でふたりとも、こっそりと火がついてた。

何気ない顔してラテを飲みながら、でも、抑え切れないほどドキドキして、興奮してた。あたしも彼も。


一番最初の時のセックス。

東京から少し離れた場所のラブホテルだったけど。そんなことさえもどうでもよかった。

ふたりとも緊張して、初心うぶだった。でも重ねた肌がぴったりと吸いつき合って、理性もどこかに飛んじゃって。

彼ってば、挿入して1分持たなかった。

でも、あたしも笑えない。

れられる前に、いじられてるだけでプシァァ…って、なんか出ちゃったし。。

なんかもう、ふたりともプチ・パニックみたいな感じだった。

なんだか判らないけど、それはすごい快感だった。

とても素敵な、こんな気持ちのいいセックスをすることができるんだって、あたしは目を見開かされた。


セックスという共通の趣味を持った友人として、あたしたちは、まわりには内緒で何度も何度も身体を重ねた。

デザイン事務所に勤務するあたしは一人暮らしをしてた。

でも仕事柄、平日の夜はほぼ毎日、終電まで残業だった。

メーカーの研究所勤務の彼は実家住まいで朝が早かった。

結果、あたしたちは月曜から金曜まではKaKaoする以外の連絡手段がなかった。LINEはやっぱり“表”のアカウントだし。貴重な週末の二日間も、あたしの仕事のせいで月に二度は潰されてしまう。それでも土曜の朝から日曜の夕方まで、会える間はずっと一緒にいた。

ラブホテルの週末フリータイムをつかって、何もかもを忘れて、セックスに没頭した。


例えばテニスの仲間は、同じ趣味を持った友だちになりうるのだけど、どうしてセックスの友だちはオープンに語れないんだろう?

あたしの女友だちに彼を紹介したこともないし、彼の友だちに紹介されたことだってない。

付き合いで合コンに行くときはいつもフリーって自己紹介したし、彼と会うときはいつも、普段の行きつけの街とは違うところでデートした。


でもそうやって、日常から切り離されたあたしたちのセックスは、本当にファンタジックで素晴らしかった。

なにものにも捉われず、ただ純粋にたがいの身体の秘密を探りあうように、いくつものベッドのなかで逝き続けた。

彼のエキスを口で受け止めたこともあるし、あたしが自分でするのを見られながら、逝ったこともある。


けど。

性的なことに関してはすこしもタブーなどなく、お尻の穴まで刺激しあったあたしたちだけど、やっぱりひとつだけ触れづらいことがあった。


あの時の一回も、忘れられないセックスだ。

忘れられないし、すべてを変えてしまったセックスだった。


その時あたしは仕事でひどい失敗をした。

激務の中で制作したパンフレットに誤植が見つかってしまった。てにをは程度ならまだしも、新商品の価格が一桁間違って記載されてちゃってたのだ。

クライアントからは、納品したパンフレット40万部の破棄と刷り直しを迫られた。それもウチの会社の費用全額負担で。

会社の人たちは腫れ物に触るようにあたしに話しかけた。

でもあたしがクビになったら、それでなくとも人手不足の状況から、いまの仕事が絶対に立ち行かなくなるのを恐れ、誰もあたしを責めなかった。

あたしは夜も眠れず、会社では笑うことも忘れ、茫然自失のまま月曜から金曜までを過ごしていた。


だけど。

週末は別。

彼とふたりでいるあいだじゅう、そんな自分の、下らない平日のことは話さないようにしてた。あたしは彼に、そういう愚痴っぽいことを絶対に言わないようにしようって決めてた。

だってそんなことを言いはじめたら、まるで泥臭い中年夫婦みたいになっちゃうもの。

だってあたしたちは、明るく淫らで健全な、セックスフレンドだもの。


愚痴と繰り言を忘れるための、つかの間のセックス。

現実から逃げる為のセックス。

そんなことのために、あたしたちは身体を合わせてるんじゃない。


誰より純粋に、誰よりエッチに。

誰もがセックスのことに興味津々なくせに、気のない振りをして通り過ぎるから。

でもあたしたちは違う。

こんな相手にめぐり合うことなく一生を過ごしていく惨めなひと達の分もまかなうくらい、素晴らしいセックスをするんだ。

そう、思ってた。


だから彼に触れたとき、あたしのどんよりとした日常はいつもスッと消えた。

彼の肌は、そんな魔法を持ってた。

そのつるりとして滑らかな肌にぴったりとくっついていると、何もかもを忘れてセックスに没頭できた。

かすかな甘い体臭と、がっしりした骨の感じられる肌。

それに触れるだけで、あたしはもう濡れてたのかもしれない。


でもあの日、様々な前戯のあとに彼がはいってきて。

ふたりの身体がひとつにつながって、性の快感の高まりが登りつめた時。



…じゅんくん



あたしは彼の名前をつい、呼んでしまった。

初めて会ったときは「ピムさん」「のんちゃん」とハンネで呼び合って。やがてそれが彼の本名、准一君となり。それはいつしか、じゅんくん、と縮めて呼べるようになってた。


じゅんくん、って。


セックスのさなかに名前を呼ぶなんて、そんなの、そういえば一度もなかった。

不思議な話だけど。


たぶんね…。

不用意に心を開き過ぎないないよう、細心の注意を払ってたんだと思う。

身体を重ねるってそういうことだから。

彼のことはもちろん信用してたけど。

でも、どこかで傷つきたくない自分が、心に壁を作ってたのかもしれない。

でもその名前は、なんというか、すごい力を持ってた。


じゅんくん、って。


じゅんくん、って呼ぶだけで、胸が締め付けられるみたいに切なくなった。

彼に、膣の奥の奥まで突き刺されながらあたしは、何度も名前を呼んだ。

そして、自分の膣が、きゅぅぅって締まるのを感じた。

じゅんくんをどこまでも深く捕らえるため。

捕えて、離さないでいるために。


じゅんくんは、セックスのさなかに名前を呼ばれた瞬間、明らかにひるんだ。

何かにおびえるみたいに。

たくましい彼のものが、一瞬、我を忘れるのを感じた。

そして、あたしに気づかれたことが、じゅんくんにもわかった。


じゅんくんは、あたしと同じだった。

セックスではあんなに大胆になれるのに、あたしたちはどちらも、こんなにも怖がりだ。目隠しされて両手を前に出して歩く子どものように怖がりだった。こころを開いて、ホントの気持ちを伝えることに。

名前を持った、現実の自分を明け渡すことが、怖くて仕方がなかったんだ。

だって、下着を脱いで性器を出すほうが、ホントの自分を見せるよりもかんたんだったのだから。


でも。

いまわかった。


あたしたちに何より必要なのは、だった。

いま、失ってはいけないのは、だった。

だからあたしはひるまなかった。

じゅんくんのことが必要だった。

彼を離すことなんて、できやしなかった。

不安さと苦しさで胸がいっぱいになって、涙がまぶたにいっぱい溜まってるひどい日常からあたしを救って、守ってくれるのはじゅんくんしかいなかった。


両手で彼の背中を抱いて、あたしは何度も彼の名前を呼んだ。

そしたらじゅんくんは、あたしの頭をかき抱いて、



りこ



と。

ため息つくみたいに、



りこ、



と、いつものように、理恵子というあたしの名前を略して呼んでくれた。

腰を振って、じゅんくん自身を何度も奥まで突き刺しながら。

切ないかすれた声で。



―――りこ、って…。



名前って不思議だ。


その瞬間、えっちな獣だったあたしたちは、恋人になってしまった。

まるで魔法をかけられたみたいに。

まるで長い夢から覚めたみたいに。

あたしたちは、互いの名前を呼び合ったまま、真っ白な快感の嵐のなかで互いの身体にしがみついたまま逝った。

いままでの快楽とは全然違う気持ちに、あたしたちは逝ったまま、つながったまま、身動きが取れなくなった。


じゅんくんとあたしの愛液が互いの性器にわだかまり、ふたりの肌は汗でしっとりと濡れていた。

そしてなにより、あたしの目からは、知らぬ間にほろほろと涙がこぼれていた。


好きとか愛してるとか。

大切にするとか守るとか。

そんなのちっとも信じてなかった。

そんなのはダサいテレビドラマの中の、現実にはありえないセリフなんだと思ってた。


実際、いまあたしが感じてる気持ちは、そんな言葉じゃ表せない。

だってあたしたちはずっと、言葉を越えてコミュニケーションしてきたんだもの。

言葉なんかなくても、ずっとずっとわかり合ってきたんだもの。


でも、あの時名前を呼び合って絶頂に達して。

言葉にならなかった気持ちが、初めて形を持った。

ずっと好きだったんだって。

ずっと、そばにいて欲しいんだって

はじめて分かった。





今日、あなたとファースト・デイト。

何を着ていけばいいのか、何を話したらいいのか、ちっとも分からないよ。

今日はじゅんくんが遅刻みたいだね。

ピンクレモネードはすっかり飲み干してしまって、緊張にまた、喉が渇いてきちゃってる。ヤバい。


あたしは地下鉄の出口を見る。

そこに、やせ形の背の高い彼の姿を見かけた気がした。

すこし慌てて、こちらに向かって走ろうとしている。


やさしくしてくれるかな?

何度も笑かしてくれるかな?

朝からドキドキがとまらないよ。


今日あなたとファースト・デイト。

セックスが目当てだったエッチ友だちを卒業して、あたしたちは初めて恋に落ちた。

順番は逆かもしんないけど。

でも臆病なあたしたちには、とても自然な流れだった気がする。


今日、あなたとファースト・デイト。

きっとセックスは、照れくさくって困っちゃうから。

だからおでこへの、やさしいキスから始めてくれたらいいな。


こんな気持ち。

まるで、はつこいだ。




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