第2話元弘徽殿の女房美濃の語る

 まあ、姪の八重にお会いになったのですか。あれは元気にしておりまして。お喋りな娘でございましょう。うんざりなさったんでなければいいのですけれど。

 ええ、私は確かに昔、美濃の名で皇太后様にお仕えしておりました。まだ皇太后様が弘徽殿にお住まいで、桐壺院の女御であられた頃のことです。

 その後女一宮様、後宮を下がられた後の桐壺院の麗景殿さまとお仕えして、それから出家いたしました。

 皇太后様はまだ女御でいらした頃からすでに、正后の貫禄を備えておいででした。私が出仕いたしましたのはちょうど朱雀院がお生まれになってすぐの頃のことです。華やかでございましたよ、あの頃の弘徽殿は。

 朱雀院には五十日の祝の頃にもう親王宣下がございまして、誰と争うまでもなく、次の東宮位は疑いなしと誰もが思っておりましたもの。

 けれど、あとから思えばあの頃には、すでにあの方が宮中におられたわけです。

 あの方、桐壺の更衣。

 言わずと知れた源氏大臣の母君です。

 それはもう大変なご寵愛でした。夜毎に桐壺から渡ってくる更衣の衣ずれの音に、後宮中が息を潜めて聞き入り、歯がみしていたのですもの。

 ただ、だからといって皇太后様が一緒になって騒いでおられたかというと、そんなことはありませんでした。むしろ皇太后様ほど落ち着いておられた方は他にはおられなかったのではないでしょうか。帝も皇太后様に対しては、すっかりお見限りということもございませんでしたし。

 それでも私達、お側付きの女房にしてみればおさまりません。主の誉れは私どもの誉れ、主の敵は私どもの敵。

 中でもいきり立たれたのが、少将どのと呼ばれておいでだった方でした。

 ああ、姪にお聞きになられましたか。そうです、姪が初めて仕えたのが他でもないその少将どの。あの頃から勝ち気な、ともすれば意地悪いほどに気の強い方でしたよ。

 実を言えば私は、少将どのにくみして桐壺の更衣と呼ばれていた方に嫌がらせを働いたこともございます。

 桐壺から清涼殿までの長い、長い道のり。その間には他の女御更衣の局もあれば、渡殿や打橋もございます。やろうと思えばいくらでも嫌がらせの種はありました。

 子供っぽい、くだらないことをとおっしゃいますか。

 そうですねえ、私もそう思います。

 今思えば少将どのも意地になっておられました。私もそうですけれど少将どのもその頃はまだどちらといえば新参の女房の一人で、古参の女房衆に対抗しておられたのではないかとも思えるのです。主の無念を晴らせば古参の寵を奪えると思っていたのではありますまいか。またあの人のご気性は思い込んだら一筋と言いますか、自分とは違う考えの存在など点から思いつきもしないような、見ようによっては無邪気で単純な人なのです。

 それで静観の構えの局の雰囲気に業を煮やし、私のような新参の弱気なものを巻き込んで、桐壺の方への嫌がらせに励んだのでした。

 あとになってみれば、あれはまずうございましたね。

 結局そんなことも理由になって、桐壺の方は他の更衣のお一人と引き換えに、後涼殿にもお部屋を賜ることになったのですもの。そうなればそうなったで、少将どのはいっそう桐壺の方憎しの気持ちに固まってしまわれて。

 私でございますか。

 さあ、どうしておりましたかしら。いい加減に嫌気がさしたりしながらも、少将どのの指図の通りに動いていたのではないかしら。もともとあまり意気地のある方ではないんですよ。

 どちらにしても、古参の方々が少将どのやその指図で動く私の事を忌々しく思っておいでだったのは間違いないと思います。それはそうですわよね、わざわざ事を荒立て。

 その内、少将どのと私は、女一宮様のお側に移されました。女一宮様の乳母の命婦という方がしっかりした方でしたので、その方に預けられたということなのでしょう。私は少将どののおまけでしょうか。

 少将どのが抜けてしまわれると、弘徽殿の女房の関わる嫌がらせは、なくなってしまったそうです。少将どの以外は皆嫌気がさしてきていたのかも知れませんね。

 もっとも、私どもがこそこそやっていた嫌がらせがなくなったところでいかほどの差でもなかったのではと思います。それこそ局を上げての嫌がらせなど、珍しくもありませんでしたもの。

 女一宮様にお仕えするうちに、私にも通う男が現れました。いえ、たいした契りではなかったんですの。契りのまだ浅いうちに少将どのに嗅ぎつけられてしまったんです。それから冷やかされるやら、言いふらされるやら。あまりの騒ぎに嫌気が差したのか、男の足はたちまち遠のいてしまいました。そのうちに麗景殿どののところの手が足りないとかで、皇太后さまが差し回された女房の一人として移りましたが、世に忘れられたようなお方の所でははかばかしい縁もございません。そのうちに主も亡くなったりしたこともあって、飾りをおろしてしまいました。

 一応は世を捨てて読経などもいたしますけれど、私など悟りの境涯には遠く、こうしてただなんとなく生きているわけです。

 ええ、本当に意気地というものがないんですの。

 そういえば。

 先程お話いたしました女一宮の乳母の命婦どの。あの方も出家なすったのですよ。今も折々文のやり取りを続けているのですわ。

 あの方なら皇太后さまの為人ひととなりを、私などよりもはるかにご存知なのではないかしら。

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