第5話源氏大臣の語る

 私の小さい頃の話をしていたのだって。

 こわいこわい。

 式部はね、私が生まれた頃から仕えてくれていて、なんでも覚えているんだよ。

 なになに、皇太后様かね。

 あの方は怖かったよ。

 私は幼くして母を失ったせいもあって、父院の後についてどんな女君の御簾の内にも自由に出入りを許されていた。また、どこに行っても歓迎されるんだよ。ちょっとくらい暴れても、騒いでも、まあ叱られたことなどなかったね。

 ところが皇太后様は違った。

 悪戯などするとね、こっぴどくお叱りになるんだ。全く手加減なさらなかった。上に立つものは下のものよりも自分を律するのでなければ示しがつかないとおっしゃって、皇太后様所生の姉上、兄上や妹と首を並べてお説教されたものだよ。

 そうそう、あの頃は弘徽殿にばかり入り浸っていたなあ。姉上も兄上も妹もいて、お付きの童、女童も多かったし、絶好の遊び場だった。遊び呆けてそのまま寝てしまったりもして。目が覚めると何かしら甘いものが用意されているんだ。粉熟ふずくとか果物とか。

 うん、今でも懐かしい方だよあの方は。まあ確かに、結局は長くお会いしないままになってしまっているけれど。だってなんとなくお会いしづらいじゃないか。兄上の寵姫である尚侍を横取りしたりしたわけだし。しかも正式の婚姻をこっちが断って、出仕した後の話だったしね。その上尚侍は皇太后様の妹君なんだから。

 お腹立ちだと聞いたときも、それはそうだろうと思ったよ。世間に公表なすったのも、厳しくはあるけれどあの方らしい筋の通し方だと思ったしね。

 須磨へ引っ込んだのだって、要はいたたまれなくなったのだよ。だって叱られる事をしたのはこっちだからなあ。そのくせ叱られていることにふてくされたいような気持ちもあった。父上の亡くなった直後で、思うにまかせないことも多かったし、なんだか ひどく苦しい、納得できない気持ちだった。そんなこんなで京に戻ってもなんだか後ろめたいような気がしてね。

 兄上とはしょっちゅうお会いしているよ。二人で話すことも多いしね。尚侍のことはなんと思っておられるのかなあ。そこはよくわからないのだけど。相変わらずのご寵愛だそうだから、案外気にしておられないのかもしれないね。尚侍かい。美しい女性だよ。皇太后様の妹君というのがうなずける、艶やかな人だ。ただ、皇太后様のほうがずっと凛として高貴だけれど。

 今思えば皇太后様こそが私の母代でいらっしゃったのかもしれないな。

 ほら、誰でも自分の母親のことは小うるさいだの何だのと言うじゃないか。そういう話を聞きながら私の頭に浮かぶのは、他でもない皇太后様なのさ。

 いつだったかな。昔、青海波を舞った事があったのだけど、誰も彼もが感涙にむせぶ中で、あの方だけが私が鬼にでも魅入られるのではないかと気に病んだそうだよ。後からご祈祷などなされていたとしても驚かないね。

 今、お会いしたらなんておっしゃるかな。叱られるような気がするな。あの頃も叱られてばかりだったしね。

 そういえば皇太后様のお加減がよろしくないという話も聞いているよ。父院がお亡くなりになってから少しづつ弱ってきておられると。兄上も心配しておられるよ。周りには出家をおすすめする者もいるようだし。

 だけどねえ、あの方が墨染をお召しのところなんて想像もできないじゃないか。

 お美しい方だったよ。紅がとてもお似合いで。本当に紅の君とでも呼びたいような艶やかに高貴な方だった。

 お叱りの時は本当に怖いんだけどね。老いておられてもあの方の艶やかさが失せてしまうところなんてちょっと想像もつかない。だから墨染の尼姿になんかになられたら、ひどくそぐわないのではないかな。

 そうだな。私はあの方の事が好きだよ。今でもね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

弘徽殿の女御 真夜中 緒 @mayonaka-hajime

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ