第4話二条院の式部の語る

 まあ、懐かしいこと。命婦どのですか。ええ、存じておりますわ。

 あの方と、他にも弘徽殿の宮様方の乳母、女房とみんなして、朱雀院や源氏大臣、お付きの童たちを追い回したものです。時には女一宮様もお姉さまぶって手を貸して下さって。

 本当に、悪かったんですよ大臣は。

 見た目は天界の童子もかくやという美しさ、愛らしさでいらっしゃるのですけれど、それはもういたずらがひどくて。また、兄君である朱雀院をたいてい引っ張り込んでしまわれるんです。お二人を捕まえるのは、本当に骨が折れました。

 弘徽殿は、本当によい遊び場でした。

 庭の造作もさりげなく子どもたちの遊び良いように整えてあって、甘いものや冷やした飲み物もいつでも用意されておりました。あれはおそらく皇太后さまのお指図だったのでございましょう。皇太后様ご自身も、よく端近まで出てこられて、御簾の影から様子をご覧になっておられました。

 そうそう、大臣はいつだったか皇太后様に、お尻を打たれた事がおありなんです。

 あれは確か、水城とかいう女房の髪に大臣がわざと小枝を絡めてしまわれたときのことだったと思います。水城はまだ、女童とたいして変わらないような小娘で、豊かな美しい黒髪をそれはもう大事にしていたのでした。子どもたちは囃し立てる、水城は泣き出すの大騒ぎの中を、いつの間に近づかれたのか皇太后様が大臣を捕らえて音高くお尻を打たれたのです。一瞬にして場が静まり、水城の涙さえ止まりました。

 呆気にとられている大臣を皇太后様は順々と諭されました。

 ー髪は女子の命と申します。まして二宮は帝の皇子。仕えてくれる女房を泣かせるとは何事ですか。何をしても許されるお生まれであるからこそ、人を思いやるお気持ちを決してお忘れになってはいけません。

 桐壺院の女君方は、どなたも大臣には甘うございました。なんと言っても帝のめぐ。しかもあのお可愛らしさですもの。少々の悪戯をはたらいても大目に見られて当たり前でございましたが、皇太后様お一人は決してそのような甘やかし方をなさいませんでした。

 ご自分の所生である女一宮様や朱雀院、前斎院さきのさいいんと変わること亡く、良いこと、良くないことの筋をきちんと通されておいででした。大臣が九つの御年に藤壺に女院が入内されるまで、大臣は弘徽殿で御兄弟の宮様方とお育ちになったようなものです。

 女院が入内されるとまだ見ぬ母の面影を求めてか、大臣は藤壺に入り浸られるようになり、自然と弘徽殿から足が遠のかれたのでした。

 でもねえ。

 私は時々思うのですよ。もしも女院が入内あそばされなければ、大臣も須磨や明石の辺りをさすらわれることもなかったのではないかと。あのまま弘徽殿でお育ちになれば、大臣だけでなく朱雀院や姫宮様方との間にも、もっと違うあり方があったのではなかったかと。

 年寄りの愚痴でございますかしら。

 今、こうして時めいておられる大臣なのですから、過ぎたことをくよくよと考えても仕方ないのでございましょうね。

 ああ、噂をすれば大臣がいらっしゃったようでございますよ。こんな風に突然おいでになることがあるんですよ。

 申し訳ありませんが少うし円座わろうざをずらしていただけますか。大臣のお席をおあけしなければなりませんから。

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