3話:彼の者進むはもつれた道
彫刻に似た美貌を持つ、目の前の女。
それが放つ異様な空気に、全身の毛が逆立った。
小ぶりな剣をぶらりと下げ、彼女は細木の様に立っている。
「ジーグ。僕たちにも運が回ってきたみたいだね」
白い外套の女が、機嫌が良さそうに声を躍らせる。
彼女の言葉は後ろの赤髪の子供に向いていた。
だが、視線を私から外すことは無い。
「やりすぎンなよ。強盗相手とはいえ、街中で殺しはヤバい」
後ろの子供が再び口を開いた。
一見、男か女かわからない。
注意深く感覚を研ぎ澄ませて初めて、匂いから男と判断できた。
「殺しはしないよ。でも、ケガは覚悟してね」
目の前の女はそう言って、構えをとる。
右手に収めた剣を掲げ、大上段に。
体の中心を晒す、無防備な姿。
『緑林の王国』伝統の独特な構えを見て、意識なく脚が動いた。
脳が警鐘を鳴らす。
こいつは、かなりの難敵だ。
やはり女の口元は笑っている。
だが眉はしかめているし、なによりその眼が苛立ちの炎を宿していた。
靴底を擦りながら、立て直しの算段を立てる。
一度距離をとって、別の獲物を――。
そこまで考えた時、女の後ろにいる子供と目が合った。
男だか女だか分からない、中性的な美貌。
その眼を見て感じたのは、恐怖。
理由はわからない。
だが、絶対に逃げられない。
確信に近い何かが、私の体を硬直させた。
「――フッ!」
「ッ!?」
足音もなく、一つの息と共に。
一瞬の隙を突かれた。
その一歩で、女は私の懐へと入り込む。
飛び退く事すら間に合わない。
全身の筋肉が軋みを上げた。
時間の流れが遅く感じる。
ゆっくりとした視界の中。
剣閃が私の脳天めがけて、飛来する。
白い尾を引きながら、縦に真っすぐと。
右目の端に、分厚い剣が映りこんだ。
私の顔の横を、必殺の一撃が通り過ぎていく。
尖ったそれが、石畳を砕く。
地面だったモノの一部が、
空を裂く音と地面の悲鳴が、同時に耳朶を震わした。
音が遅れる程の、神速の振り下ろし。
声を出す間もなかった。
考えるより体が先に動いた事を、天に感謝したくなった。
冷汗で束を作った髪が、舞う様に地に落ちる。
傍には、剛剣を放ち隙を晒す獲物。
この奇跡を逃す手はない。
「スーッ、フゥ、フッ!!」
大きく肺を満たしてから少し吐き、それから勢いよくもう一度吐く。
喉に一瞬熱が宿り、すぐに消える。
それを幾度か繰り返し、明滅が十を超えた時。
私の腕は、戦槌と化した。
猛る肉は
包む皮膚は
支える骨は
「せいやぁああぁっ!!」
殺したくはない。
そこは、分水嶺だから。
目前の女が、目を見開く。
狙いは地面を砕いてもなお健在な、彼女の小剣。
いかに
私はなおも動かない彼女の手の内目掛けて、思い切り武器を振り払った。
左腕の草を刈る様な軌道が剣芯を打ち砕く直前。
彼女が、何かを呟いた。
「それは、困るな」
破城の衝撃が、空を切った。
目標を見失った腕が、狭い路地の壁へ打ちかかる。
轟音と共に壁は崩れ、暗い倉庫が顔を覗かせた。
敵が、消えた。
幽鬼が如く消え失せた事に、ドっと汗が噴き出す。
居なくなった影の先で、赤髪の子供が立っている。
薄布に隠れた顔は、笑っている様にも見えた。
「どこに――」
言い切る前に、背後から音が聞こえた。
それは小さく、微かに鼓膜を震わせる乾いた音。
反射的に、振り返る。
「これしか持ってないんだよ」
頭の中で、鈍い音が反響した。
「ぐ、あっ……!?」
頭骨が砕けたとすら感じる程の、強烈な衝撃。
視界が歪み、端が赤くなる。
柄で殴られたのだと気づくのに、時間がかかった。
衝撃で湾曲した空間が、目の前に広がる。
血の色に染まった世界の中に、女が居た。
「お前、跳ん――!?」
「だからこれを壊されるのはさ、すっごく困るんだよ!」
言葉と共に降りかかるは、先に劣らない剛剣。
今度は避け切れない。
そういう確信が、耳の中で木霊する。
「で、りゃああああぁあっ!」
避けられないのであれば、迎え撃つ。
未だ膂力を失わない腕を、腰ごと回して振りかぶった。
腕と剣がぶつかり合い、金属同士がぶつかるモノに似た硬い音がする。
女は自らの手ごと仰け反り、体勢を崩す。
私の腕が、筆で引いた様な赤い直線を描いた。
遅れて、刺す様な熱が腕を襲う。
女が剣を落としかけている間に、私は腰を軽く落とす。
脇を締め、正眼の構えを取った。
拳を握りしめると、腕の硬さが増す。
剣を折るのは難しい。
それも、狙いが捉えられているのなら猶更だ。
次の狙いは、相手の子宮。
想起するは、地面に根差す大樹。
古木が風に煽られても揺れない様に、しっかりと踏みしめて。
「せいやああぁぁっ!!」
鉄塊となった自分の拳を、真っすぐに打ち込む。
空気を射抜き、相手の腹を貫く│想像≪イメージ≫。
そこまでやって初めて、勝てる相手だと思ったから。
うなりを上げて、拳が突き進む。
女の腹に当たる、その直前。
「捕まえた」
拳が空を切った。
女がやったのは、脚を軸にして体を回す事だけ。
たったそれだけの動きで、私の渾身の一撃を避けてみせた。
突き出された腕を、女の細い手の平が包む。
メキメキと骨が音を立て、右腕が一瞬で青く染まる。
女は、笑っていた。
左手で私の腕を掴み、右手で剣を握りしめながら。
輝く金の瞳を反射して、剣の先が鋭く光った。
――殺される。
「――くっそぉぉお!!」
「うわっ!?」
掴まれた右腕ごと、女の体を無理やり持ち上げる。
少しずつ萎えてきた筋肉が悲鳴を上げ、その繊維が糸を裂く様に千切れた。
手首を染めた紫が、その範囲を広める。
そのまま壁に叩きつけようとしたが、すんでのところで女は飛び退く。
女は空中で一回転し、踊りの締めの様に着地した。
「こんの……化け物めっ!」
自然と罵声が出た。
中には強敵も居たが、それでもここまでの強さではなかった。
卵の殻を割る様な響きと共に、私の腕はしなやかさを取り戻す。
肉はしなび続け、最後には元の細さへと変わった。
「気導魔術かぁ。
女は言って、剣を収めた。
両手を空けて、やれやれとでも言う様に肩を竦める。
「だからさ、僕も」
それから、右手の人差し指をこちらに向けた。
「使って良いよね」
背筋に悪寒が走る。
この女はまだ、
「『肥える地』、『吾が立つ地』、『土の腕に抱かれ』」
女の喉が震える度、呼応して周囲の壁や地面が震える、
星が意志を持って、体を押しつぶさんとしているのではないか。
そう感じる程の重みが、私の体を襲う。
うごけないでいる私を指し続けながら、彼女は言った。
「『弁士は眠る』」
視界いっぱいに広がった黄色い光。
私はその中で、眠りについた。
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「よし、ついてこい!」
よく晴れた真昼の青空の下を、青年が走る。
それに遅れて、少女が青年の尾を追う様に駆けていく。
地平線の先にまで広がった大草原。
彼らの後ろを、数十人の集団が移動していた。
彼らを含め全員が、どこか動物的な雰囲気の外見だ。
牛に似た角を持つ者は、大量に積まれた荷を引き。
背の高い猫に似た者は、忙しなく辺りを見渡している。
少女の先を行く青年は猪の牙を生やし、全身は厚い毛皮に覆われていた。
少女の背丈と同じ位の高さの草をかき分けて、野兎が飛び出した。
兎は青年を避け、耳を立てて跳ねまわる。
「いけ!」
青年の声に、少女は兎に負けない程に大きく跳んだ。
獲物までの距離をドンドンと詰める。
それがゼロになった瞬間、少女は兎を踏みつぶした。
小さな骨が砕ける音が、肉の外まで響いた。
一つ高い鳴き声を放ってすぐ、兎の目から光が消える。
「やったな!流石俺の妹だ!」
少女は青年の歓声に、満面の笑みで答える。
青年と少女の姿は似ても似つかない。
そもそも、この集団で似たヒト等一組もいなかった。
例え親子であっても、全く違う外見を持った子が生まれてくる。
だからこそ彼らの言う家族は、他のヒトビトとは意味が異なる。
血縁を重視せず、同じ生活を歩むモノ。
それを指して家族と呼び、子は皆の子であり、皆の兄弟なのだ。
そして青年と少女に血のつながりがないのを、私を知っていた。
「バムク、お前ならきっと――」
これは、私の在りし日の記憶なのだから。
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「そろそろ起きてくれないかい?」
よく通る声が耳に届く。
声は美しくずっと聞いていたいと思える程のモノであったが、そこには確かな苛立ちが見えていた。
重い瞼を、力を込めて少しずつ開いていく。
瞼の裏にあった暗闇が段々と消えていき、ぼやけた視界が輪郭を持ち始める。
暗いどこかの空間の中を、仄かに
空間に一瞬風が吹きこみその先を見ると、壁に大穴が空いていた。
あの穴は、私が空けたものだ。
そこで初めて、あの路地裏を壁にしていた倉庫だと気づく。
「あ、起きた?」
声に目を巡らせると、そこにはあの
「――お前っ」
思わず殴りつけようとするが、体が動かない。
違和感に体を見渡すと、両手両足に石で出来た環がくるりと巻かれていた。
なんとか外そうと力を入れるが、環が太く上手くいかない。
「クソ! 一体何が……」
「縛らせてもらったよ」
「ふざけんな! 外してよこれっ」
「外したら襲い掛かっってくンだろお前」
少年の声に、グっと言葉が詰まる。
寝起きすぐに殴りかかろうとしたのだから、何も言えない。
自然と、顔が下を向いた。
そのせいか、雨が地面を打つ音がより大きく聞こえる。
「……アタシをどうする気?」
何か言わなければと思い、それだけを絞り出す。
あまり良い未来を想像できないから聞きたくなかったが、それでも聞くしかなかった。
「憲兵に引き渡す」
私の質問に、彼女は予想通りの答えを返した。
わかっては居たが、やはり実際に言われると心に来るモノがある。
項垂れ過ぎて、首がとれてしまいそうだ。
私がそうやって脂汗を流している時、彼女が言った。
「でも、そうしないでやってもいい」
その声に、思わず顔を上げてしまった。
一体どういう意味なのか。
全身に滞留する倦怠感のせいもあるだろうが、頭が回らない。
それと、顎がズキズキと痛む。
「俺たち、今仕事を受けてンだよ」
少女の先の言葉を、赤髪の少年が紡ぐ。
「いやぁ実は僕ら、お財布の中が空でさ。
少し考えてから、彼らが
冒険者と名がついているモノの、その内容は部屋の掃除から傭兵業まで様々。
「……財布が空?」
「うん」
「……はぁ~……。ホントに最近は……」
ツイていない。
あまりの暮らしに、自分の審美眼も狂ってしまったのかもしれない。
肺の中が空になるくらいの大きなため息がもれる。
「それでその仕事がさ、結構アブない仕事なんだよね」
その言葉に、ピクりと耳が動いた。
先ほどよりも大きく、嫌な予感が体を襲う。
「……それで?」
「法の外側を生きている様な、そういうロクでなしの力を借りたい内容なんだ」
予感は確信に変わる。
「そして今目の前には、ピッタリな悪人がいる」
ニコニコと笑顔のまま、女はそう言った。
「……協力したら、これ外してくれるの?」
「選択権はないよ?」
彼女は言いながら、腰に携えた剣の柄頭を指で叩いた。
「……どっちが悪人なのかわかンねえな」
「一応聞くけど、どうする?」
少年のつぶやきを無視して、彼女は問いかけてくる。
彼女の言う通り、選択肢はない。
断れば長い事牢屋へ入れられるだろうし、最悪死刑もあり得る。
「……あぁもう! わかった、わかったよ。協力すればいいんでしょっ」
「そうこなくっちゃね」
こうして私の、最低最悪の一週間が始まった。
獣の詩。それと無垢と経験についての考察 OkabeHK (校閲:花鶏イトヨ) @OkabeHK
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