邪神を殺す、そんな話

@i4niku

邪神を殺す、そんな話

 豪邸の庭である。



 血の海に浮かぶ心臓を踏み抜いて間合いを詰め、上段から大剣が振るわれた。迫る大剣を一瞥した赤髪の周囲が無数の銀光を放った。まばたきの後には軽やかな破砕音を立てて、飴細工めいて二メートルの刀身が砕け散った。宙を舞う剣戟の破片が陽光を受けて乱反射した。



 同時に大剣の柄を握る大男、その首に真一文字に赤い線が引かれた。ズルリと首が落ちた。断面から噴水のように鮮血を突き上げて、後ろざまに倒れる大男の腹が斬り飛ばされた。中身の内臓が血の海の一部になる。



 返り血を意に返さず、赤髪は辺りを見渡す。二十五人のバラバラ死体が血化粧を瞬かせている。零れた内臓に早くも蟲が集っている。眼窩から飛び出した眼球を野鳥がつついて、破れた眼球から硝子体が溢れた。――赤髪が豪邸の玄関へ向かうと、両開きの扉が細切れになった。



 赤髪は美丈夫である。手ぶらであり、何かをしたようには見えなかった。ただ彼の周囲が閃いたのだ。まるで不可視の刃が一閃したように。



 赤髪が豪邸に足を踏み入れた。







 ゴブリンと呼ぶには人間に似ているし、人間と呼ぶにはゴブリンに似ている。



 赤髪はそう思いながら、跳びかかって来た異形を幹竹割りにした。八の字に分かれた胴体が落ちて、鮮血が絨毯に吸い込まれる。ふんわりとした毛足が内臓を受け止める。ゴブリンもどきが武器としていたのは棍棒であり、小さく歪な体躯に歪な顔、しかしその肌の色は人のそれであった。



 彼の不可視の刃を閃かせたシャンデリアが大きく揺れた。シャンデリアから跳び降りたのは二体目のゴブリンもどきであり、落下の勢いを乗せて棍棒を振るった。それは赤髪の後頭部、完全な不意打ちが成るかに思えたが、命中の数センチ手前で棍棒が砕け散った。まるでミキサーに掛けたような破砕具合であり、その破片が舞って、ゴブリンもどきも微塵切りに変わった。



 全身は原形を留めず、血肉と内臓のミックスジュースと化して、絨毯のシミになった。



 赤髪が不意打ちに気付いた素振りはなかった。ただ彼の周囲に浮かぶ無数の見えない刃が一閃して、さながら侵入者を排除する防衛装置めいて機能したのだ。――赤髪は進み、曲がり角から襲い来たゴブリンもどきに無数の刺突を与えて、階段を下った。







 地下は一本道である。



 横幅は三メートルほどで、縦には四メートルほどか。明かりはついていて、前方から奔り来るオークを浮かび上がらせている。オークは赤髪を見、羽蟲でも払うように丸太めいた右腕を薙いだ。



 赤髪は屈んで躱し、そのまま中腰でオークとすれ違った。同時にオークが崩れ伏した。身体の右半分が消し飛んでいた。正確には切り刻まれたのだ。断面からおびただしい量の鮮血が零れる。痙攣する心臓が顔を出した。



 次に前方から奔って来たのは、十数頭の双頭犬であった。その顔は片方は犬、片方は人間であった。十数頭の双頭犬は赤髪を睨み据えて、邪魔だと云わんばかりに牙を剥いて跳びかかった。赤髪へ牙は届かず、しかし着地することもなく、プロペラに巻き込まれたみたいに細切れの肉片に変わった。赤髪の通った床が鮮血に染まる。



 次に前方から飛んで来たのは、ワイバーンであった。本来はワイバーンにヒトのような腕はないが、この翼竜にはあった。どころか足が四本もあった。翼竜と人間を掛け合わせたような顔、その口が大きく開いて、赤髪目掛けて火球を吐き付けた。――命中の寸前、赤髪の周囲が閃いた。まばたきの後に火球が消えたのは、無数の斬撃が弾き飛ばしたからだ。



 ワイバーンは腰のホルスターから、二丁の短機関銃を抜いた。ホバリングで姿勢を整えて、数メートル先の赤髪へ引き金を引いた。排出される空薬莢が床を跳ねて小気味よく響く。――赤髪は歩みを止めない。その周囲が一閃を繰り返し、秒間三十発を数える弾丸を斬り飛ばし続ける。弾倉が空になり、ワイバーンが火球を吐きだした。これをやはり斬撃の風圧で弾いた赤髪が間合いを詰め、跳躍した。連続一閃の後にはワイバーンの輪切りが床に落ちた。スライスされた内臓が衝撃で弾ける。



 次に前方から来た三つ目の鬼を正中線で斬り通す。金棒が床に落ちて重く響く。次に前方から来た霧めいたコウモリの群れを正確に斬り落とす。甲高い断末魔に混じって、人間めいた悲鳴が響いた。赤髪が振り返ると、コウモリの一匹に変身していた吸血鬼が絶命していた。次に前方から来たケンタウロス、その突進の勢いを乗せた斬り上げる大斧を赤髪はサイドステップで躱した。赤髪とすれ違ったケンタウロスの胴体が落ちた。馬の身体はそのまま数メートル進んで崩れた。――



 そして赤髪は、開かれた鉄扉の前に辿り着いた。







 鉄扉をくぐる。先ほど襲ってきた異形たちはこの中から来たのだ。



 そこは地下空間と思えないほど広い。直径百五十メートルはある。血臭に混じって、かすかに消毒液の匂いがする。恐らくはこの空間の一角から香っているのだろう。台座の近くに手術器具がある。拷問器具の類いも散見される。壁際には幾つもの檻があり、開け放たれている。収監されていたであろう生物は死体として散らばっている。死屍累々の空間であった。



 単眼の巨体の死体がある。手足が四本ずつの死体がある。頬まで裂けた口から乱杭歯を覗かせる死体がある。顔がウルフで身体が触手の死体がある。触角が生えて羽が生えて複眼を見開いた人間の死体がある。他にも様々な異形の死体が血の海に浮かんでいる。



 生存者は二人いる。綺麗な服を着た青年と、血塗れの中年だ。



「この家の主人、シューネスだな」中年へ近づいて赤髪が云う。「あなたには奴隷虐待の疑いがある。今すぐ――」



「殺せ」中年が云った。「敵だ」



 無表情の青年が頷いて、駆けた。速い。十数メートルあった距離が一瞬で縮まった。



「おおっ」赤髪は驚き、そのままバックステップをうった。同時に斬撃が鼻先を掠った。血が散る。この攻撃が通ったのは、青年が殺気を放っていなかったからだ。不可視の刃による自動防衛は殺気に反応する。



 青年は踏み込み、振り抜いた右腕を突き出した。いや右腕は鋭い刀のように変形していた。これを半身で躱した赤髪の周囲が銀光を放った。青年が足だけで側転をうった。虚空に斬撃が刻まれる。――赤髪は知らなかったが、豪邸には隠しカメラがあり、彼の攻撃方法は筒抜けであった。しかしそれでも不可視の斬撃を躱したのは、恐るべき勘と身体能力である。



 側転で宙を舞いながら、青年が頬を膨らませた。口から吐き付けられたのは、歯であった。それはさながら散弾めいた勢いで赤髪に迫った。赤髪はサイドステップで躱す。空ぶった歯が床にめり込んでひび割れがはしった。



 着地した青年へ、赤髪が念力で不可視の刃を振るう。空間が閃いたのと同時に青年がバックステップをうつ。追いすがる赤髪へ、青年が両腕を交差の軌道で振るう。右腕と同じように左腕も刃に変わっていた。――金属音が響いて、青年の刃を、赤髪の見えない刃が受け止めた。同時に青年の身体に無数の穴が開いた。



 現在、赤髪が操る不可視の刃は百本である。場所の広さによって本数は変えられるが、今の時点では、九十八本の刺突が青年を貫いた。二本は青年の刃を受け止めている。さながらアイアンメイデンに貫かれたような刺し傷から、鮮血が噴出した。



 青年が崩れ、絶命した。



「これは殺人未遂だ」赤髪が中年を見据えて云う。「云い逃れはできん。シューネス、あなたを強制的に連行する」







「ああ。分かった」中年が云う。「素直に従おう」



 中年が近づいてくる。赤髪は辺りを見渡した。異形の死体の山に血の海に浮かぶ内臓。此処はいったい何をするための場所だったのか。この異形の群れを殺し尽くしたのは恐らく青年――



 いやそれはおかしい。



 青年は綺麗な服を着ていた。返り血を浴びていないのだ。対して中年は血塗れで――



 赤髪が中年へ視線を戻した時には、眼と鼻の先、中年の腕が大樹の幹ほどに一瞬で隆起して、赤髪を殴りつけた。胸骨に響く衝撃のまま赤髪が吹っ飛ぶ。百メートルほど先の壁に背中を叩き付けられた。肺から吐き出された空気に混じって吐血する。



 中年の身体が異形に変わっていく。全身は膨れ上がり、三メートルほどの巨躯になった。腕や脚は大樹の幹の如く太い。彫刻のような美しさすら感じる筋肉に、常人の指ほどの血管が浮かび上がる。顔は人をベースに、馬と狼を混ぜたような禍禍しい風貌である。二本の角が生えている。二メートルはある尻尾が蠢く。だらしなく開いた口から鋭利な牙が覗く。その姿はまるで、



「邪神……」



 赤髪が呟く。次いで疼痛が、思い出したように胸と背中にはしった。――邪神が駆けた。巨躯らしからぬ俊足で、約百メートルの距離が数秒で詰まった。その勢いを乗せたミドルキックが壁をぶち抜いた。壁が爆破されたみたいに弾けた。土煙が舞う。赤髪はインパクトの寸前に横へ飛び込んで回避していた。起き上がった赤髪を邪神の尻尾が薙ぐ。



 赤髪はこれを屈んで躱す。重い風圧が髪をなびかせた。銀光が閃いて、すれ違いざまに、太さ四十センチ弱の尻尾を切り刻むが断つことができない。鮮血と肉片が舞う。邪神が右拳でアッパーカットを繰り出した。これをバックステップで躱した赤髪を、踏み込んだ邪神が左の張り手で薙ぎ払いにかかる。



 赤髪は飛び退くが少し距離が足りない。邪神の指先が当たる寸前に不可視の刃が一閃した。常人の拳ほどもある五指が第二関節で斬り飛ばされた。断面からシャワーめいて鮮血が噴き出す。邪神が呻いて後ずさり、赤髪が追いすがる。



 邪神の左手の肉が蠢いて盛り上がる。そのまま指の輪郭を形作っていく。邪神が叩き潰すように右手を振り下ろした。赤髪が奔り抜ける。空ぶった右手の平が床にめり込み、蜘蛛の巣状にひび割れがはしる。邪神の股下をくぐり抜ける赤髪の周囲が無数の銀光を放った。



 足から太ももに掛けて、駆け上がるように斬撃が刻まれた。皮を裂き肉を弾いて血管を断った。鮮血の雨が降り注ぐ。邪神が苦鳴を上げ、飛び込むようにローリングをうって距離を取る。立ち上がり振り返った邪神の眼前に、間合いを詰め跳躍した赤髪が映った。



 百本の不可視の刃が、一斉に閃いた。



 切り刻まれた顔から肉が弾け飛んだ。片眼は貫かれ鼻は削がれ頬は裂かれ口が破砕した。邪神が苦痛に叫んだ。大きく開いた口、頬の肉がさらに裂けて、ブチブチという筋繊維の千切れる音が響いた。一瞬でザクロめいた顔に変わった邪神が、自由落下する赤髪をキャッチした。



 赤髪の骨が悲鳴を上げた。邪神がそのまま握り潰そうと力を込めた刹那、銀の光が瞬いて指を切断した。鮮血を撒き散らしながら指が舞う。解放された赤髪は、しかし受け身を取れずに床に落ちて吐血した。尺骨と肋骨が折れていた。痛覚が暴れて思考が乱れる。



 不可視であったはずの刃が可視化された。刃渡り三十センチほどの、刃そのものが赤髪の周囲に漂っている。



 邪神の顔が再生した。



 邪神の握り拳が迫る。赤髪はかろうじて立ち上がるが動けない。ノイズがかった頭で指令を出して浮遊する刃を操り、前方へ壁めいて集めた。それは多少の緩衝材の役割を果たしたが、邪神の拳は赤髪を殴り付けた。刃は粉々に砕け散った。壁に叩き付けられた赤髪の背骨にひびが入った。



 邪神が駆け寄る。なんとか立っている赤髪はそれを見、砕け散った刃を操った。千を超す破片が閃く。



 邪神へ向かう破片はまるで銀の帯のように知覚された。



 間合い。邪神が前蹴りを繰り出し、インパクトの寸前に赤髪が倒れた。かろうじての回避動作であった。頭上スレスレを蹴りが駆け抜けて壁にめり込んだ。壁から土煙が舞い、地下空間が大きく揺れる。



 破片は邪神に命中していた。それは腕の筋肉に浮かび上がる血管に命中していた。破片はそのまま皮を裂き、血管の中に侵入した。



 表面上の傷はすぐに再生する。千を越える破片に傷付けられる血管も同様である。けれど、破片を取り除く事はできなかった。血管を泳ぐ破片は心臓へ向かう。そのまま脳へ――



 邪神はそれを一瞬で理解した。そして恐怖した。彼の生命は脳を潰されれば終わる。再生は効かない。これは人間を依り代にして顕現したデメリットであった。



 そして邪神は赤髪を、殺せば良い、と考えた。この破片もとい不可視の刃が、赤髪の異能力によって作り出されたものであると邪神は看破していた。術者を殺せば術も消える。



 圧倒的強者である邪神がヒトに殺意を抱くなど普通はない。人間で云えば、例えば除草の折に、雑草に対して殺意を抱くようなものである。植物を殺す際に殺意を抱く人間はいないだろう。



 だが事実として殺意を抱いた。



 それが死因であった。血管を泳いでいた無数の破片が、突如意思を持ったように、旋風めいて暴れたのだ。邪神が悲鳴を上げた。心臓が切り刻まれて即座に再生される。血管から飛び出て痛覚を切り刻み、やはり即座に再生される。まるで身体の中でミキサーが掛けられたように、筋肉が神経が内臓が細切れにされる。そして再生。



 やがて血液に乗って破片が脳へ運ばれた。



 脳を掻き回された邪神は、自分の眉間を指で貫いた。頭蓋骨を豆腐のように破って脳に達する。この奇行は、「刃の破片を取り除けばいい」という判断によるものであった。破片と己の指が、脳みそをグジュグジュに掻き乱していく。



 ほじくり出した五指の爪に、脳と脳漿、その中に十数枚の破片を見て、邪神は満足気な表情をして死んだ。







 血とヘドを吐きながら這う。赤髪である。階段を昇り豪邸の玄関をくぐり庭を数メートル進んで意識を失った。それを黒服の男が認めた。男が近づき、懐から拳銃を抜いて狙いを定め、玄関から飛び出してきたゴブリンもどきの眉間をぶち抜いた。



 黒服が赤髪を病院へ運んだ。







 異能の医療はすばらしく、粉砕骨折をしても数秒で治してしまう。癌も普通に治るし、脳が無事であれば死人すら生き返る。後遺症も残らない。――もちろんそれは、相応の金を払えばの話である。金のない老人が風邪に罹って死ぬのはよくある話だ。



 幸いなことに赤髪には多少の貯えがあった。脚や肋骨、ひび割れた背骨や神経の治療費は出せた。ただ折れた両腕の骨だけは金が足りなかった。地球でもやるような手術で繋ぎ合わせた。完治には百日弱は掛かるらしい。



「それではデウロ様」黒服がベッドの横で云う。「依頼の結果を確認させていただきます」



 病室である。首から包帯の巻かれた腕を吊り下げている赤髪が云う。「分かった」



 まず黒服が次のように云った。



 保健所の調査の結果、シューネス・ワルドには奴隷虐待の疑いがある。すみやかに奴隷の保護、および、シューネスの身柄の確保を依頼する。なおシューネスは不明瞭な宗教を信仰している。引き取った奴隷に人体実験を繰り返し、最終的には、邪神の依り代にしているとの噂がある。屈強な用心棒を二十数人雇っているとの情報有り。



「依頼はです。奴隷は発見できず、シューネス・ワルドは死亡しました」その眼で検分した黒服が云う。「つきましては違約処分として二十万エールのお支払いを願います」



「分かった。銀行から引き落としてくれ」



 赤髪が云う。補足しておくと、奴隷は全て人体実験の果てに異形になっていたので保護など不可能であった。邪神の死後、その肉体はシューネスのそれに戻っていた。しかし死者の身柄の確保など無理な話である。――死線を越えた赤髪には不憫な気もするけれど、事実は失敗に違いない。なお成功報酬は二百万エールであった。



「ありがとうございます。またのご利用を、我々ギルド一同心よりお待ちしております」



 うやうやしく黒服が礼をして、



「それとこれは我々からの見舞い品となります」



 と、手に持っていたバスケットをベッド横の台へ乗せる。果物の詰め合わせである。



「おお、ありがとな」



「よければ切り分けましょうか。その腕ではご不便でしょう」



「いや。問題ない」



 と、赤髪は云った。ふいにバスケットの林檎が浮いた。いやよくみると刃物を刺したような穴が開いている。まるで見えない刃が貫いているみたいに。そのまま赤髪の方へ向かい、急に上に飛んだ。まるで刺した林檎を投げ上げたみたいに。



 赤髪の周囲が銀光を放った。



 まばたきの後には、くし形の林檎が十個浮かんでいる。そのまま一個が口元に運ばれて、赤髪が食べた。潤沢な水分を含んだ甘味のある果実が、噛む度に弾けて、口一杯に広がる。



「旨い」



「なるほど。それでは私はこれで」



 黒服が目礼をして踵を返した。赤髪は二個目のくし形の林檎を頬張りながら、



「金、稼がねえとなあ……」



 と呟いた。赤髪は主に治療費で、約一千七百万エールの出費をしていた。この依頼では何も得られず、失ったものしかない。すなわち――



 大損であった。

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