貧乏くじ男、東奔西走

蜂蜜 最中

本文


 元旦。初日の出を拝んで、近所の稲荷神社で初詣を済ませたその帰りのこと。大凶のクジをポケットにねじ込んで境内を歩いていると、ぽつん。溢れんばかりの人の海の中に、取り残されたみたいに立ち尽くしてる子供がいた。

 四歳くらいの、大きな目をしたピンク色の着物を着せてもらった女の子だ。


 かわいそうに、そう思って。眺めていたら、ふと大きな目と目が合って俺は思わず目を背けてしまった。

 だって、仕方ないじゃないか。こっちは結婚もしてない二十歳の男が一人。妹どころか弟すらもいない。子供に慣れているはずがない。そもそも、俺みたいな男が小さな女の子に近づくだけでも犯罪者扱いされてしまう世の中なんだ。だから、俺は悪くない。


 そうやって心の中で言い訳していたら、そんな俺を罰するみたいに、ドン、と人の波に押し出された。

 一、二、三。たたらを踏むみたいに前につんのめって、大きな目とまた目が合った。多分、五十センチも距離が無かったと思う。


「……あー、怪我ない?」


 そんなもん見ればわかんだろ。思わず自分自身に呆れ果ててしまった。

 女の子はプルプルと餅みたいな頬を揺らして、首を横に振った。ならばよし、離脱しよう。これ以上一緒にいたら通報される。


「怪我がないならいい。それじゃ気をつけろよ」


 背を向けて手を振る。男は背中で語るもの。強く生きろ幼女、と俺は背中で語るんだ。


 かぽかぽ。


 しかし、今年の冬はえらく寒い。雪が降ってもおかしくないぞこいつは。やめてくれよ、雪かき用の道具なんて持ってねえぞ? ただでさえ金欠だっていうのに。


 かぽかぽ。


 っていうか最近、春と秋が息してない気がすんぜ。めちゃくちゃ暑くなったと思ったら、めちゃくちゃ寒くなる。その次はめちゃくちゃ暑くなる。これの繰り返しだ。


 かぽかぽ。


 お、甘酒タダなのか。安月給の一人暮らしにはありがてえな。


 かぽかぽ。


 甘い香りが漂ってきて唾液が湧いてきやがった。ひゅうっ、久々の米粒だぜ。


 かぽかぽ……ぎゅう。


「甘酒ください」

「はいよ、甘酒お待ち」


 気の良さそうな恰幅のいいおばちゃんがなんでか甘酒が注がれた紙コップを二つもくれやがった。俺が飢えてるのを察してくれたのか?


「どうしたんだいお兄ちゃん。ちっちゃな妹が待ってるよ?」

「は?」


 どちらから口をつけようか考えていたら、おばちゃんがそんなことを言ってきた。姉ちゃんはいるけど妹なんて、


 ぎゅうぅうううう!!


「あいたたたたた!?」


 な、何!? なんぞ!? 太ももがいてえ!!


「誰だよ、俺の太もも抓ってんのは!?」


 抗議の意味も込めてキレ気味に振り返れば――そこには誰もいなくて。あれ? と首を傾げていると、右手に持った甘酒の紙コップに、小さな手が伸びてきて。


 その小さな手を辿ると、見覚えのあるピンク色の袖がプラプラと二の腕の辺りでぶら下がっていた。


「お前、さっきの――」


 言い終わるよりも先に、紙コップが奪われる。その衝撃で甘酒が少し右手に跳ねた。あちい。


「やんちゃな妹さんねえ」

「いや、妹じゃ――」


 かぽかぽかぽかぽ!!


 ぽっくり下駄が強く地面を蹴る音が聞こえた。その音を視線で追えば、甘酒を飲みながら人の海に走り去る幼女の背中。


「ああ、危ない危ない。ほら、お兄ちゃん追いかけな」

「ええ、俺あいつの兄貴じゃ――ああ、もう!!」


 履きなれていないのか、フラフラと走る背中に不安を感じて飛び出してしまった。だって、仕方ないじゃないか。おばちゃんが睨むんだ。


「走るなって!!」


 なんで俺がこんなことしなきゃならないんだ? もしこれで通報されたら泣くぞ。


 恨み言を心の中でグダグダ零しつつ、女の子の左手を掴む。


「お前、流石に一人じゃないよな?」


 こくこく。


「母ちゃんは? 父ちゃんは?」


 こてん。


「わかんねえか。ママとかパパならわかるか?」


 こくこく。


「どこにいる?」


 こてん。


「だよなあ」


 わかるような場所にいたら、そもそも両親が目を離すはずが無い。

 だったら、迷子センター――は、ねえから、さっきのおばちゃんのところに戻って、事情を話せばいいか。


 ぐいぐい。


「あ? なんだよ?」


 少し考え込んでいたら女の子が小さな指で出店を指し示していた。様々な版権キャラクターがプリントされたビニールがぶら下がる横で、風に吹かれてはためくのぼりが二つ。そこには、わたあめ、の四文字が。


「食べたいのか?」


 こくこくこくこく。


 うわめっちゃ頷いてる。てか、なんでわたあめ屋がいるの? 元旦だよ? 商売根性たくましすぎない? 休んだ方が良いって。ねえ?


 かぽかぽかぽかぽ!!


「ああっ、走るなって!! 転ぶ――」


 どてっ。


 小石につまづいて盛大に地面にダイブ。せっかくの甘酒が地面にシミを作った。


「あー、言わんこっちゃない。大丈夫か?」


 こくこく。


 抱き起こせば、女の子は頷いてみせた。この歳頃の子にしては我慢強い子だ。俺だったら、きっと泣き出してた。


「えらいな、お前」


土を払い、転がっていく紙コップを拾いながら褒めてやれば、


 ニマア。


「調子いいなお前。しゃあねえ、わたあめ買ってやるから走るな」


 こくこくこくこく。


「そんな嬉しいか?」


 こくこく。


「そうか」


 馬鹿に嬉しそうに頷く、女の子に思わず俺の頬も緩んだ。

 …………傍から見たらやべーやつだろこれ。


 シャキッとしろシャキッと。


 顔だけは緩めるな。通報される上に、もれなくロリコン認定されるからな。そんな称号を未来永劫背負っていくとかどんな拷問だよ。

 まだ火で炙られた雄牛の中に飛び込む方が精神的にダメージが薄そうだ。肉体は察しろ。


 努めて真顔を作り、いざ、わたあめ屋へ。


「へいらっしゃい。どちらにしやすか?」


 どちらにするかというのは、もちろんビニールのキャラについて。


 戦隊ヒーロー、仮面ライダー、プリキュア、ピカチュウ、ドラえもん、アンパンマン。その他もろもろ。あとなんでか般若のビニールがある。


 ……なんで、般若? どこの層狙ってんの? まあいいか。しかし、キャラクターもずいぶん様変わりしたもんだ。ピカチュウ、ドラえもん、アンパンマンは俺の時もいたけどヒーローもライダーもプリキュアも知らないキャラだ。


 ……俺が好きだった仮面ライダーカブトは流石にいないか。


「どれにする?」


 くいくい。


「え、お前、般若がいいの? 渋くない? お前いくつだよ?」


 ぎゅうぅうううう!!


「痛え痛え。買ってやるからつねんなよ」


 反応が歳を気にしたアラサーみたいだ。


「ほい、般若。七百円」

「ぐっ」


 わかっていたものの、やっぱり高ぇ。原価十円かそこらなのに、七百円って……ボロい商売だよなあ。俺いくら持ってたっけ?


 出店の脇にあるゴミ箱の中に紙コップを投げ捨て、傷みに傷んだ黒い長財布をポケットから取り出す。財布は太っているものの、紙幣の類は入ってない。レシートが大量に入ってるせいで太っているだけだ。物臭ゆえ。


 って、紙幣無いってまずいだろ。小銭は!?


 五百円が一枚。百円も一枚。五十円が一枚。十円が四枚。五円が一枚。一円玉は……。


「……マジで?」


 呻きつつ、財布をひっくり返し、俺は渾身の力で硬貨を店の親父に叩きつける。


「七百円ちょうど。毎度ありー」


 ……二度と来るか。口の中で悪態吐いて、親父からわたあめをかっさらう。

 クソ、ふざけんなちくしょう!!


 ぐいぐい。


「あー、はいはい。ほれ、七百円のザラメだちくしょう」


 ニマア。


 ビニールをはぎ捨て、満面の笑みでわたあめにかぶりつく女の子。って、般若捨てちゃうのかよ!? いや捨てるものだけどさ。なんか情け容赦なく捨てられる般若を見ていると、憎くて仕方がなかった般若が途端にかわいそうになってきた。

 とはいえ、ここまで顔を綻ばせてくれるなら、買って良かったのかもな。


 …………いかん、この思考は犯罪に片足突っ込んでる。


「……うめえか?」


 こくこく。


「あー、そうかい。食い終わったら行くぞ」


 じー。


「なんだよ? あまいもの食ったらしょっぱいのが欲しくなったか?」


 こくこく。


「勘弁しろ。もう金がねえ」


 じー。


「睨んだって買えないものは買えねえの。後でパパに買ってもらえよ」


 ぐいぐい。


「一々服の裾引っ張るな。声かけろ」


 ふりふり。


 窓を拭くみたいに、女の子は手を振って――


「――って、あれ?」


 たった今まで目の前で視線を交わしていた筈なのに、女の子は霞のように姿を消してしまっていた。

 あのかぽかぽという、ぽっくり下駄が地面を蹴る音も聞こえない。


「どこ行ったんだ?」

「元旦に狐に化かされるなんて運がいいな兄ちゃん」

「うわあ!?」


 ぬるっと出店の奥から出てきた親父に大いに驚いて、情けない声を出してしまった。


「ここの神様はイタズラ好きでよお。人が集まって来ると参拝客にタカるんだ」

「タカるって……神様が?」

「おうよ。そんでタカった人間の悪運を祓ってくれんだよ」

「悪運……ですか」


 むしろ、あいつが悪運そのものだったような気がしたけど。おかげで財布の中身すっからかんだし。ポイントカードとレシートしかねえ。今日からどうやって生きていくつもりだよ、俺。


「あ、いけね」


 大凶のクジは境内の木に結ばないといけないんだった。


「クジ、クジ……と、あれ?」


 確か、ポケットの中に入れたはずなのに。


「……クジ、無くなっちまった」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

貧乏くじ男、東奔西走 蜂蜜 最中 @houzukisaku0216

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ