第7話 疑惑、思惑、迷惑①

 〈かふぇ・おにおに〉店内。

 昼間ということもあって、客はまばらにしかいない。ここが入り組んだ地下道になければ、昼間でもある程度の賑わいを見せていたかもしれないが、残念ながら現在、活気は微塵もなかった。ある者はソファーにひっくり返り、ある者はテーブルに突っ伏し、ある者は死んだような目で資料を眺めている。

 そこへ、この場に似つかわしくない爽やかな風が吹き込んできた。

「こんにちは、廉次れんじさん」

「ぉー……」

 死んだような目で資料を見つめていた廉次は、予想以上に枯れた自分の声に呆れながら、隣の席に腰を下ろしたかおるに視線を移した。

「ゆうちゃん、適当にノンアルくれない? あと、廉次さんにつめたーい水お願い」

「はい」

 カウンター内にはママではなく、若い女性の店員が入っていた。手早くグラスを二つ用意し、一つを薫の前に、もう一つを廉次の前に置く。

「ふぅ……生き返った」

 グラスの中身を飲み干し、廉次は軽く伸びをする。

 廉次のグラスには、氷と、あと何か果物の果肉のようなものが浮いていた。横目で見ていた薫が訊ねる。

「あれ、これただの水じゃなくない?」

「……あ、あの……レモンを少し、絞ってみました……」

 若い女性の店員は、両手を前に組んでモジモジさせながら、上目遣いに廉次の顔色を伺う。

「ゆうちゃんったら、廉次さんには甘いんだから」

「サンキューな。おかげで目が覚めた」

 廉次に笑いかけられた女性店員は、なぜか顔を真っ赤にして奥に引っ込んでしまう。その様子を、薫はニヤニヤしながら見つめていた。

「……お前がこっち側で、心底良かったと思ってるよ」

 特製のレモン水のおかげですっかり覚醒した廉次は、小声になって薫に話しかける。

「まあ……東條とうじょうの跡取りは鬼導部隊なんかに入ってチャラチャラしてる、って言われましたけどね」

 チャラチャラしてる、は言われなかったかもしれない。

 薫は先程まで、鷹司芳哉かやの葬儀に出ていた。貴族が殺されたとあって、事件は市民達の噂話にとどまらず、かなり大々的に広まっている。しかし鬼との関連性はないとされ、廉次たち鬼導部隊が、一般的に広まっている以上の情報を手に入れることは難しかった。薫は匣舟関係者の噂話などに耳を澄ませ、一般には知り得ない情報を掴もうとしていたのだ。

 廉次は再び資料を手に取る。捜査資料と呼べる代物ではなく、都で出回っている情報誌や新聞から、関連記事を掻き集めてまとめたものだ。

「……関連があるかないか、連中が判断できるとは思えないんだがな。……それに付け加えること、あるか?」

 廉次はその資料を、薫の前に突き出した。薫はさっと目を通し、足りない情報を補っていく。

「遺体にあった傷は、背中側から刺されたものらしいです。心臓に達するほど深かったとか」

「……刺し傷、ねえ」

 深いため息をつき、廉次は続きを促した。

「あと、護衛の人たちばかりが悪者にされてますけど、彼らの言い分もちょっとおかしくて、ただ散歩に出かけたにしてはウロウロしすぎだったし、護衛を遠ざけたのは奥様自身だったと言ったそうです。しかも奥様は、『会合に行く』と嘘をついて出かけたようですね」

 捜査を担当している警備局によると、芳哉は金モノ目当ての物取りか強盗に襲われた、ということらしい。

 廉次は片方の眉を釣り上げる。

「ウロウロしてたって、どういうことだ? ただの散歩に行くのに、嘘つく必要があるのか?」

「そこまでは……。ただ、何度も通りを行ったり来たりして、辺りをキョロキョロしながら落ち着かない様子だったとも聞きました」

「何かに追われていたのか……?」

「──もしくは、何かを追っていた、とかな」

 そう言ったのは、気怠そうに店に入ってきた千住だった。真新しい上着がとても似合わない。

「……追うって、何を」

 廉次の冷たい視線を知ってか知らずか、千住はカウンター席の後ろのテーブル席についた。ちなみに座ったのは椅子ではなく、テーブル。

「んー? こいつとか」

 千住は片腕を掲げる。

「……は?」

「あ、そっか。お前見えない人だっけ」

 廉次には、千住の腕に捕まる『生き物』が見えなかった。助けを求めるように、隣の見える人の脇腹を突っつく。

「カリバネですね? ちょっと色違うけど」

「ああ。……廉次も、自分のカリバネは見えるよな? 奴らの体の色は普通、青みがかった白だが、こいつはちと黄色っぽい。見ようによっちゃ金色だな」

 薫と千住は同じ一点を見つめている。廉次は一人だけ置いてけぼりを食らったようで居心地が悪くなり、千住が持つ『妖精』を見ようとするのを諦めて言った。

「で。鷹司の奥様はそのレアなカリバネを追いかけていたって? なんでまた」

 その疑問には、千住も薫も肩をすくめる。廉次は話題を変えた。

「ところで薫、坊やの様子はどうだった?」

「坊やって……耀宗のことですか?」

 実は鬼導部隊も、芳哉の事件に少なからず関わっていた。公政庁本庁舎地下にある霊安室から突然姿を消した、鷹司耀宗の捜索を依頼されたためである。夜も更けていたということもあって、夜目のきく鬼導部隊が適任だと思われたのだろうか。

 ちょうどその時、廉次は長岡と会っていた。依頼は禮一郎から直接長岡の元へ届き、その場にいた廉次が、長岡から借り受けた「北部派遣隊の連絡手段」を用いて、千住をはじめとする東部派遣隊員全員に伝えたのだ。初動が早かったためか、明るくなる前に耀宗は発見され、千住が家まで送り届けている。いずれにせよ、その内容も然る事ながら、公政庁長官からの直々の依頼とあって、鬼導部隊内部では芳哉の事件よりも関心が高かった。

「……終始たる兄──熾仁たるひとさんに付き添われて、具合悪そうでしたよ」

「ゲロ吐かなかったか?」

 千住が不服そうな顔で唸る。耀宗を家まで送り届けたはいいものの、門の手前で追い返されたらしく、しばらくは機嫌がものすごく悪かった。

「まあまあ……。仮に、奥様はカリバネを追って散歩に出かけたとして、問題は坊やだ。なんで消えた? っていうかそもそもどうやって消えたんだ?」

 千住が匣舟に対する不平不満を語り出す前に、廉次は二人を交互に見ながら疑問点を整理する。

 霊安室は地下にあるため、窓はない。廊下は片方が突き当たりになっていて、禮一郎たちが立っていた方にしか、地上へ通じる階段はなかったという。禮一郎たちの目を盗んでこっそり、というわけにもいかない。

 霊安室内の寝台には布がかけてあったというし、耀宗はその下へ潜り込んでいて、禮一郎たちがあたふたしている隙に外へ出たと言えなくもないが、疑問は他にもあった。

「そういや千住。坊やどこで拾ったって?」

 廉次は不機嫌そうな千住に訊ねる。

「ん? 東地区外縁近くの空き地だけど? 番地は──」

「え、そこって……」

 薫が驚いたように椅子から立ち上がる。千住が言ったその場所、奇しくもそこは、芳哉の遺体発見現場だった。

「偶然かね?」

 廉次はさらに、薫に渡した資料とは別の紙切れをポケットから取り出し、千住が座るテーブルに投げた。何かの記事というわけではなく、とある鬼導部隊員による報告書だった。数カ所に小さな穴が空いており、掲示板に貼られていたものだと思われる。

 芳哉の事件の裏に隠れ、ほぼ見過ごされていた出来事があった。芳哉の葬儀の前日、東部地方と西部地方を隔てる掘りで、中学生の遺体が発見されていたのである。だいぶ下流まで流されていたらしく、中学生が死亡した現場は特定されていない。

 発見したのが鬼導部隊員、発見されたのが都の外ということもあって、匣舟に引き渡す前に色々と調べることができた。もっとも引き渡したところで、芳哉の事件がまだ尾を引いていたので、中学生の死はほぼ闇に葬られつつあったのだが。匣舟は、思春期の中学生の単なる自殺だと決めつけ、早々と捜査を打ち切っていた。

 無論、廉次は自殺だとは思っていない。中学生は堀で溺死したのではなく、明らかに致命傷を負ったことによる失血死だった。匣舟が自刃だと言った傷口にも、堀に流れてしまったと言った凶器にも、疑念しかない。

 廉次には他にも気がかりなことがあった。その中学生、耀宗の同級生だったのである。

「……偶然かね」

 廉次はため息混じりに呟いた。そしてまず、何か考え込むように立ち尽くす薫に指示を出す。

「……薫、お前は鷹司の奥様の護衛してたって二人見つけ出して、もっと詳しく話聞いてくれ。お前の頼みなら、そいつらも断れないだろ」

 薫は頷き、カウンターに飲み物の代金を置くと、足早に店を出て行った。廉次は続いて、薫とほぼ同時に店を出ようとした千住の首根っこを掴んだ。

「千住。気は進まないだろうが、行くぞ」

「気は進まないね」



 ところで、かふぇ店内での東部派遣隊員三人による会話を、聞いている人物がいた。

「……さて、忙しくなりそうだね」

 その人物はソファーから起き上がると、テーブル上のグラスに入った水を飲み干し、店をあとにした。

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地獄物語 鷦鷯エミリ @sasaki_emily

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