モンスター娘のお医者さんスピンオフ
@origuchi-yoshino
1.マルトーナ・ブラックオナーの場合
「マルトーナさん、またですか……」
診療所の若医者グレン・リトバイトは呆れていた。
彼の向かいに座るのは、鼻血を流しているサイクロプス族の女性。その名をマルトーナ・ブラックオナーという。
「ああ、いえ、ちょっと回避に失敗してしまい……正面からもろに……」
「武術を収めているはずでは?」
「えへへぇ、私など半人前ですから……やらかしただけですぅ」
「その『やらかし』何度目でしたっけ」
「えっとぉ……二十回……ほど?」
てへ、とかわいらしく目を閉じてみせるマルトーナ。
単眼種ゆえ、ウインクにはならない。それでも小首をかしげる仕草は、自分がどう見えるかよく知っている女性のものであるが――。
しかしグレンは厳しい表情だった。
「わざと受けましたか?」
「……えへへ」
「マルトーナさん!」
グレンが語気を荒げても、マルトーナはきゃーこわーいとふざけるばかり。
「僕は医者です。どんな方でも平等に診察します。しかし……マルトーナさん、自分から怪我をする方に対しては、医者としてそれなりの態度をとらざるを得ません」
「はい、それはわかっていますわ。私も闘士として、普段は誠実に相手の技を受け、返すことを信条としておりますの」
「ではなぜ」
「たまに……えっと、欲しいのが我慢できなくてぇ」
グレンは頭を抱えた。
マルトーナ・ブラックオナー。闘技場で技を見せることを生業とする闘士の一人である。
異国の装束に身を包んでおり、使う技もリンド・ヴルムではまず見ることのない格闘術とされる。グレンも一度だけ見たことはあるが、舞を舞っているかのような、不思議な身のこなしをしてみせる女性だった。決して闘士として実力がないわけではないのだが――。
問題は。
彼女が生粋のマゾヒスト――痛みを快楽としてしまう性癖の持ち主であることだ。
「いえ、本当に今回は、私の失態なんです。ケイさんの剣を受け損ねて、顔面にもろに」
「……信じますよ。その言い訳も二十回目ですからね」
「私、間合いが測れないのですよ」
ふふふ、と笑う。
確かに単眼種は、間合いをとるのが苦手とされる。目が一つしかないので、距離感をつかむことができないのだ。
だが。
「単眼種特有の特徴ですが……訓練で距離を覚えることは可能です。まして貴女は武闘家です。間合いの測り方など、真っ先に覚えることの一つではないですか……」
「それでも、苦手には違いありませんわ」
マルトーナは笑う。
本当に測れないのか――距離を測ったうえで、あえて惑わせているような、不思議な感覚を覚えてしまうグレンだ。戦いでも、人との付き合い方でも。
マルトーナの距離は測れない。
「ところで! 白蛇のお姉さまはどちらに!? 姿が見えませんが」
「サーフェなら、薬の材料をとりに農園へ行っています」
「そんな! わざわざ怪我までしましたのに!」
「マルトーナさん!」
グレンの怒りも意に介さない。
グレンが心底患者に対して怒るのは、自らの身体を大事にしないものだけなのだが――その怒りは、マゾヒストのマルトーナにはいまいち通じないのであった。
夜。
リンド・ヴルムの裏通り。
マルトーナは一人、歩いていた。診療所からの帰り道である。
「ふふ、さて、かえってクンフーを積みましょうか」
自ら痛みを受けることを喜びとするマルトーナであるが、とはいえ、それは一方的に痛めつけられることを良しとするわけではない。
闘技の過程において、互いに珠玉の技を放ちあう。そうして戦いの技が幾重にも交錯し、潜り抜けた先に――一瞬の閃光の如く、相手を打ち倒すための必殺の技が来る瞬間がある。
闘士同士の、闘争の果て(ただし女性同士)。
(マルトーナにとって)たまらない一撃。
そうした技は、避けられない。
いや――避けてはならないと、マルトーナの深奥の声が叫ぶ。
「まあ、お医者様には理解できないでしょうが……」
武術家としての相手への敬意。
被虐者としての性的嗜好。
その二つが重ねあった感情なので、申し訳ないと思いつつも止まらない。マルトーナも受ける技は心得ているので、今まで重症といってもせいぜい骨折くらいである。
「み、見つけたぞ、一つ目の娘!」
「……?」
ふと。
呼びかけに足を止めれば、そこにいたのは一人のオーガ。
「あら、えっと……どちら様でしたか」
「てめえ、ふざけんな! こないだのこと、忘れたとは言わせねえぞ」
「ええと……ああ」
先日の飲み屋でのこと。
暴れていたこのオーガが、女性店主にちょっかいを出そうとしていた。マルトーナとしても、闘士らとともによく行く店であったので、その時は口での注意にとどめたのだが。
どうやら目をつけられてしまったらしい。
わざわざ復讐とはご苦労なことである。
「私を闘士と知ってのことですか」
「ああ? ちょっとくらい強いからっていきがるなよ! これでも俺は地元で鳴らしてんだ!」
「ああ、つまり観光客の方……」
マルトーナは少し考える。
つまりこのオーガ男は知らないのだ――リンド・ヴルムにおいての常識を。
この町で、闘士にうかつに手を出してはならないということを。
「闘士は単なる喧嘩の強い者たちではありません。強い力を振るうということは、それなりの礼儀と立場を持つということです。残念ながら……闘士と一般人の私闘は固く禁じられています。私は手を出せませんね」
正当防衛でれば自衛くらいは認められるだろうが、そんなことをマルトーナはわざわざ言わなかった。
「ああ……? つまり、俺が殴り放題ってわけだな!」
相手が女であっても、そんなことはお構いなしとばかりに。
オーガがこぶしを振りかぶる。
「……ああ、もう面倒くさい」
マルトーナは。
構えさえとらない。そもそも手出しは許されない。
だが、だからといって男に一方的に殴られるのは趣味ではない――女性からならばともかく。
「なっ……がっ……!」
だから。
動くことはなかった。
ただただ睨みつける――その鋭い、巨大な眼球で。
「なっ、手、手が動か……」
オーガは振りかぶり、今にも殴り掛からんとする姿勢で、しかし石のように固まっている。
「お、お前――ッ! お前、なにを!」
「観光客に手は出しません。リンド・ヴルムはいい町です。お金を存分におとしてくださいませ」
「ふ、ふざけんな! お前、これ」
「単に、『睨んでいるだけ』ですわ」
マルトーナは何の気なしに言う。
「武術家にとって眼力は、もっとも端的に気迫を表す場所。もちろん、だれかれ構わず威圧していては話にならないでしょうが、貴方のような方にはとても効果的です」
「に、睨むだけで……動けない……てめえ、その目で変な術を!」
「達人の気迫は、常人を怯ませ、すくませます。ただ睨んでいるだけでも、臆病なあなたはわかってしまう。私には勝てない、一歩でも動いたならば、私にやられてしまうのだ、と」
マルトーナにとっては、それは特別な術でもなんでもなかった。
眼力による気迫と威圧。それは武術の心得のないものには効果的だが、同程度の実力差であれば問題にならない。たとえ巨大な眼球から発するからといって、それで竦む程度であれば第三階位にまで上がれないのだ。
マルトーナ自身も、体を大きく動かしたり、流れるような演武でもって、相手との距離を惑わせる格闘術を得意としている。眼力による威圧は、あくまで武術家として研鑽したマルトーナの得た、当然のオーラのようなものだ。
だが、素人には効果覿面だ。
「しばらくそうして固まっていてくださいませ」
マルトーナは、動けないオーガの脇をすり抜ける。
私闘はご法度である――が、眼力で動けないのならば、私闘になりようがない。
「て、てめえ」
「さて……次の対戦相手は、どんな女性かしら」
マルトーナはすでにオーガ男に興味などなく、次の相手のことを想っている。
美しい女性闘士から、技を受け止める。
これ以上、自分の性情にあう仕事はない。
「くふふ……」
いつかあこがれの白蛇のお姉さま――薬師サーフェが闘技場に来てくれはしないだろうかと、そんなことを考えるマルトーナなのだった。
オーガ男が動けるようになったのは、その場からマルトーナが完全に姿を消してからのことだった。
モンスター娘のお医者さんスピンオフ @origuchi-yoshino
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