バターボールの職業物語

Dr.ペルパー

宰相とラジョン

 ラジョンは一人で酒場さかばへ向かっている、うわさにはただの安い酒場、とうぜん鼻歌はなうた機能きのうしていません。


 彼は留学生りゅうがくせい、酒場へ行く金は持っていないはずだが…彼のかおはいい。いいと言っても別に綺麗というわけでもない、攻撃性こうげきせいとぼしい、どんな角度かくどから見ても他人に危害きがいくわえることはあり得ない。

 地元じもとのボスがこの顔を見込みこんでいきなりバイトの話を持ち出した、二人が初めて出会ったよつで。ラジョンはこのあやしい話にって学生以外がくせいいがい収入しゅうにゅうを手に入れた。


 仕事の内容ないよう簡単かんたん外国語がいこくご書類しょるいをまとめると自国語じこくご電話でんわに出るくらいのことだ。ボスによると将来しょうらい大きな国際企業こくさいきぎょう発展はってんする予定よていだが…今の事務所じむしょは地下2階のおんぼろ部屋二つだけ、何より照明しょうめいが悪い。

 そう、ラジョンは特に学生の才能さいのうを持っていたわけではない。彼はただ外国語を大好だいすきで、留学りゅうがく目的もくてきもそのためだ。バイトの時も廊下ろうかすみっこでタバコをう時間が圧倒的あっとうてきに多い。


 ちっ…ラジョンの不機嫌ふきげんさがだんだんつのっていく。200メートルの坂道さかみちで上へ目指めざす人は彼一人だけ、みんな車に乗って山下やましたの方向へ…あそこのダウンタウンは貴族きぞくねこの会場かいじょう、ラジョンは時々猫のさらから料理りょうりぬすむこともある。


 元来がんらい彼は山の店に行く必要ひつようはなかったはずだが、毎晩まいばん高いみせかよったせいでついこのようなみじめな立場たちばかれた。まだ経験けいけんとぼしい、ゆめへの道はまだまだだ……彼の夢は大商人だいしょうにんになること。


 目的地もくてきちに着いた。古い建物たてものだが一応いちおうビンテージのセンスがにじむ、オーナーの最後さいご尊厳そんげんといってもいい。この調子ちょうしだと酒場ガールズもいるかもしれない。

 ラジョンは店に入った。店の名前なまえは扉の看板かんばんに書いていたのだが彼はそれをめない、この国には複数ふくすうの外国語が存在そんざいするのだ。


 なに?……なんと広い店の中三人の客人しかいない、それにみんなじじいだ、これじゃガールズの可能性かのうせいもほぼ絶滅ぜつめつした。ラジョンは適当てきとうな席に座りやけくそになった。


店主てんしゅ!店主はいるのかね?酒を持って来いこの野郎やろう!」

「……いらっしゃい、若きお客さん。メニューはこちら…」

「いらないな、僕はエールしか飲めない」

「わかりました、冷えたエール一丁いっちょう…少々お待ちを」

「待て…お嬢ちゃんはいるのかい?」

「はい、では追加ついかお嬢ちゃん二名にめい…」

「待て!……一名いちめいだ」

「わかりました。たかい方か?それともやすい方か?」

「……高い方だ」

料金りょうきん前払まえばらいでお願いします」

「わかった…れ」

「ありがとうございます。酒はお嬢ちゃんが持って来るので、少々お待ちを…」

「(しまった!金は全部無ぜんぶなくした、あと四日生きるのか?……)」


 ……

「お客様、エールを持ってきました…私は同席どうせきでもよろしいですか?」

「……ダメに決まっている。君は僕を愚弄ぐろうしているのかね?」

「申し訳ございません、私は安い方です、高い方はアイスクリームをぎて帰宅きたくしました。もちろん差額さがく返却へんきゃくします」

「(何なんだこのデカブツ、勝手かってに座って…でも椅子いすに座らないのか?そうかその体重たいじゅうだと椅子はあっという間に両断りょうだんするからな)」

「安い?無料むりょうでも注文ちゅうもんしたくないメニューだよ君は。そんな自覚じかくさえないのかね?」

「はい、私の体はこの酒場から出ることもままならない。こうして自分じぶんることしかできません。お許しください」

「だ、か、ら、元金がんきんを持ってないんだよ君は…まずはダイエットしたまえ」

「すみません、私の食糧しょくりょう一週間いっしゅうかんジャガイモ4つ、それ以上るといのちは無いかと」

「ちぇー、僕と一緒いっしょかよ。家の冷蔵庫れいぞうこにまだジャガイモ3つ、給料日きゅうりょうびまであと3日、きびしい状況じょうきょさ」

随分ずいぶんとみずぼらしい冷蔵庫ですね。それでも酒場に来てお嬢さんをさがしていたのですか?贅沢ぜいたくなお方」

「(あれ、なぜ僕は普通にこのデカブツと話しているのかね?まるで酒場の嬢ちゃんとおしゃべりしていたではないか?…)」

「うるさい!僕の習慣しゅうかんだよ、習慣…それから普段ふだんこんな店ぜったい来ないからな、ていうか君は全然ぜんぜんお嬢ちゃんじゃないでしょうに」

「もちろんでございます、ここのとびらは金を持たない客人のため開いたのですから。あなたさまのようなみずぼらしい冷蔵庫と共に生活せいかつした方から毎週まいしゅうジャガイモ4つめぐまれたことだけで、神の奇跡きせきでしょう」

「高い方はどうだい?デザートまで買えるじゃないか」

「彼女ですか、毎日メダルサイズのステーキ2つを食べても金はあまるでしょう」

「ま、ちょっとした収入しゅうにゅうがあったようですな」

「はい、私は彼女を嫉妬しっとしていません。どうですか?私が売れるのはくちだけですが、少しの間ってくれませんか?」

「いいでしょう。どうせ給料きゅうりょうが出るまでやせ我慢がまんしかない」

「ありがとうございます…物語ものがたり主人公しゅじんこうの名前はルシと言います」

「なに奴?」

「彼は帝国ていこく宰相さいしょうつとめたれ者です、若い頃は貴婦人きふじんに愛された吟遊詩人ぎんゆうしじんだけど。やはりルシの職業しょくぎょうと言えば宰相でしたね」

「(物語?面白おもしろいじゃないか…ま、こんなふとい女は読書以外どくしょいがいのすることもないだろうけど)」

「では、準備じゅんびはできましたか?」

「吟遊詩人から宰相か…面白おもしろい、はじめたまえ」

「……若かった頃のルシは周囲しゅういから人がとおざかれ、毎日可愛かわ恋人こいびとたちとたのしく過ごした彼は酒が水のように飲みました…ある日、彼は宿酔しゅくすいのせいで酒を飲んでいません。それをきっかけに一人で森の夜道よみちを歩いて取材しゅざいに行きました。この非日常ひにちじょう行為こうい悪運あくうんを呼ぶ、馬に乗る強盗ごうとうは彼の背後はいごからあらわれ、ハンターとウサギのあそびを始めた……想像そうぞうしてください、豪華ごうか美青年びせいねんさるのようにおどり、一生懸命いっしょけんめい逃げるざまを……」

結局けっきょく死なずに宰相になったのだろう。ふん、つまらない」

「そうでしたか、でもルシは未来みらいのことをわかりません。彼の苦手にがて分野ぶんやとは言え人生初じんせいはつ大敗たいはいあじわい、それにいのちを落としかねない……そんな彼を救ったのはフルプレートの騎士…月光げっこう騎士きし、ルシの目に映ったのはきっと神聖しんせいな光でしょう。感性かんせいの強い彼はこのイラストを忘れることができません」

「待て、騎士と言ったな、あのピカピカの奴か?僕も好きだぞ」

「はい、でも私は鉄騎士てつきしより紙騎士かみきしの方を好きです。『ダンボール騎士放浪譚ほうろうだん』、全冊ぜんさつを持っていますよ」

「なんと!そのコレクションを売ればすぐジャガイモとおさらばではないか?」

「お忘れですか、私はこの店すら出られない、どこで買主かいぬしを探すでしょう」

「む、不便ふべんな体だな。早く有酸素運動ゆうさんそうんどう開始かいしした方がいいよ君」

いやです…つづきますね。ルシはあの夜のイラストにこころたれ、大都市だいとしサーディンへと旅立たびたったのです、あそこはフルプレート騎士の本山ほんざんだと聞きましたから…サーディンは正真正銘しょうしんしょうめいの金と銀の街ですが、フルプレート騎士のほとんどが街のくずえんじた偽物にせもの。ルシは見ました、彼らが安い農婦のうふを買う現場げんば…僕の英雄えいゆうへのあこがれはこんな薄汚うすきたな小屋こや背後はいごにあったのか!?…彼の心はくだかれた」

「それはただしい、まずしい人の商売しょうばいはそれしかない、今の僕のようにね」

「さようでございます。でも失意しついの時はみじかい、ルシはすぐ別のうわさを聞いた、サーディンの領主りょうしゅさまこそがしん英雄えいゆうだと…彼は希望きぼうもどしました」

「ふん、りない奴だ。昔の人は簡単かんたんに噂を信じる、おろかな連中れんちゅうよ」

「ルシはあの夜のことを生涯しょうがい忘れません。彼は確信かくしんした、あの日の騎士きし本物ほんものの英雄だと…彼は自分の感性かんせいしか信じない狂人きょうじんなのです」

「僕と違うね。僕は金しか信じない」

「はい、人はそれぞれですから。その後ルシは情報屋じょうほうやから領主のすえつかめ、彼の帰り道にせ、夢の英雄の姿を見ました」

「それでルシが領主につかえ、一国いっこく宰相さいしょうになったと?」

「いいえ。残念ざんねんながら領主はもう白髪しらがだらけの老人ろうじん、あと数年棺桶かんおけに眠る未来みらい。老人はもう正気しょうきうしない、美女びじょではなく、ほねかわばかりの田舎少年いなかしょうねん夢中むちゅうしました」

酔狂すいきょうなジジイだ、彼の名前をおしえろ」

「バルハートさまでございます」

「いい名だ。もっと彼のことを教えよ」

「はい。ルシはバルハートさまに一目惚ひとめぼれ、でも彼の求愛きゅうあいは老人に拒絶きょぜつされた。ここであきらめたら英雄の血はたれてしまう!…ルシはあせった、そして決断けつだんした、何としてもその血を手に入れたいと。彼が助けを求めたのは昔の愛人あいじん故郷こきょう金持かねもち商人の長女ちょうじょでございます。ルシが知っている女性じょせいの中、才知さいち容姿ようし同時どうじそなえたのは彼女以外かのじょいがいありません」

「なに?相手あいていはジジイだぞ、オッケーを出すわけがなかろう」

「どうでしょうか、長女フレンカルトさまは一つの弱点じゃくてんがあります、それは金貨きんかをことよく愛するとのこと。ルシは彼女にうごかすだけの金を用意よういし、故郷こきょうきんかざった。そしてフレンカルトさまとバルハートさまの間に運命うんめいかくし子が出来た。年上としうえのバルハートさまは男好おとこずきの身、その過程かていには何らか蠱惑こわくじゅつを使ったとうかがえます」

「違う!もっと大事だいじなことはあったはずだ。長女をだますための金貨きんかは一枚二枚にはとどまれない、ルシはどうやってそんな大金たいきん用意よういしたのか!?」

「あちこち回って貴婦人きふじんのスポンサーをさがまわりました、ルシは吟遊詩人ぎんゆうしじんとしての才能さいのうもちゃんと持ってますから」

「それは生半可なまはんかな才能じゃないぞ」

「はい、お墨付すみつきの一流いちりゅうでございます…かくはらんだ間、ルシとフレンカルトさまの関係かんけいはまるでむかしに戻ったように……でも綺麗な風景ふうけい長続ながつづきしません、隠し子がまれた当夜とうや、ルシは金貨の半分はんぶんを盗み、赤ちゃんを連れてげました…お客様はどこまで見抜みぬいたのですか?」

「全部だ。盗まれた半分も、のこされた半分も、ルシの目的のためにはたらく」

「お見事みごとです。ルシは金貨と隠し子のスキャンダルをフレンカルトさまのお父さんにリークし、商人しょうにんのお父さんはフレンカルトさまを異国いこく農家のうかとついで、金貨をひとめしました…お客様はどうやってこの策略さくりゃくを気づいたのですか?興味深きょうみぶかいです」

「当り前さ、大金たいきんというのは最後さいごの一枚まで利用りようし尽くしてからはじめて意味いみがある。こう見えても僕の夢は大商人だいしょうにんだからね」

「さようでございますか……ルシは半分はんぶんの金貨を使って赤ちゃんに英才教育えいさいきょういくたたんだ。やがて赤ちゃんが大きくなって、10歳の時もう両手りょうてで騎士のけんにぎることができました、何より彼の目はバルハートさまとそっくり、ぐ者には間違まちがいありません、英雄の血は本物ほんものです」

「ジジイの分身ぶんしん、やがてルシのおうになるか…なかなかの逸話いつわじゃないか。赤ちゃんの名前をつけたのはルシか、それとも長女ちょうじょか?」

言及げんきゅうされていません、私から判断はんだんするとフレンカルトさまでございましょう」

「そうか、吟遊詩人ぎんゆうしじんらしいな…それで、ルシはただしい王を擁立ようりつ一国いっこくの宰相になったと?」

「ええ、もう少し時間がかかるのですが、そんなところです。バルハートさまはみんなに愛された英雄、彼の隠し子があらわれると味方みかたにする人材じんざい大勢おおぜいいましょう」

一瞬いっしゅんでサーディンを奪還だっかんしたな」

「ええ、無能むのうな方たちは英雄の血をぐ者の前にひとたまりもない、それはことわり。でもサーディンはあくまで一つの都市としくにせいするには遠征えんせいけられません、そこでルシは躊躇ためらいました」

「どうした、宰相と商人しょうにん交差点こうさてんで道にまよったのか?」

「いいえ、確かにルシはかせぐのが得意とくい、でも使うのがもっと得意、商人には向いていません。彼の心配事しんぱいごとは王のとし、13歳、まだ若すぎたのです」

興味深きょうみぶかいね、その躊躇ためらいをいたきっかけは?」

「フレンカルトさまでございます。彼女は農民のうみんとの間一人のむすめが産まれました。田舎いなかの日々はまさしく臥薪嘗胆がしんしょうたん……11年、ついサーディンへと向かう機会きかいをうかがいしました彼女は11歳の娘と一緒にルシのオフィスにたずねた」

せないね、これは出兵しゅっぺいのきっかけになると?よもやじつははを王のところへれていくわけがないのに」

「その通りですよ、お客様。ルシはその夜予約よやくも取らずに親子二人おやこふたり連れて王のところへまいりました。王は11歳の少女を見てすっごく気に入りました」

十分じゅうぶんあり得る、同じはら兄妹きょうだいだからね。でもその後のことは読めません」

「後ではありません、当夜とうやのできことです。王は愉悦ゆえつし、馬に乗り親子を城外じょうがい大樹だいきの下に連れて行きました」

「まるでその場で結婚式けっこんしきげる展開てんかいだな。フレンカルトは簡単かんたんな女じゃないが、王はだまされないぞ」

「さようでございます。王は気づいたのです、少女は兄妹、フレンカルトはみのはは……彼はルシのこしから剣をき、少女のくびを切ったのです」

「なんと!これは王のすることか……ルシは王の成長せいちょうみとめ、出兵しゅっぺい決心けっしんがついただな」

「はい、王は本物ほんものでございます」

「ルシもいつの間に本物の宰相になったな」

「人は成長せいちょうするものです」

「ちなみにフレンカルトの父の末路まつろは?」

異国いこくでの商売しょうばい失敗しっぱいし、毎日ジャガイモを食べて過ごしました」

餓死寸前がしすんぜんか、小物こものらしい結末けつまつだな」

「おっしゃるとおりです……はい、これは私の差額さがく、どうぞ」

「なんと、エール代だけもらったではないか?」

「いいえ、ジャガイモ代をちゃんとりました。お客様の金、大事だいじに使ってください」

「ルシのように?」

「それは大商人へのみちならば…」

「それも仕方しかたないか……じゃな、太い少女よ。本気ほんきでダイエットしないと、今度会うこともないだろう」

「さよなら、お客様。大商人のゆめかなえますように……」

「(エールはまだ一口ひとくち残っている……気恥きはずかしい、残してやろう)」


 太い少女はラジョンを見送みおくった。彼女は本当に彼の夢をかなえたいとねがっていた、自分で叶える夢はほとんどないから。だから他人の夢に希望きぼうたくし、他人の夢を好きになった。それも、悪くない一日いちにちだった。

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バターボールの職業物語 Dr.ペルパー @sharuru

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