終章

終章

「皆さん、こんな時間まで平気で起きているんですね。わたくしたちの国家では、住民のほとんどが、日の入りとともに寝てしまうのが、当たり前なんですけどね。」

杉三は車いすで、てんは木の板に車輪を付けた台(いわゆる土車)に乗って、夜でもまだまだ営業している、日本の町を歩き、そう感想を漏らした。

「そうさ。中には夜遅くまで営業している店もあるよ。」

杉三がそういうと、

「遊郭ですか?」

てんはにこやかに聞いた。

「うん、まあ、それに近いかな?」

杉三が笑うと、

「どこの国でも夜遅くまでやっているのは、そういう商売しかありませんよ。」

と、答えた。やはり、政治家らしく、そういうことはちゃんと知っている。

「ま、役に立つんだか立たないんだか、わからない商売だけどな。」

杉三もにこやかに笑った。

丁度、その時。遠くからチャルメラの音が聞こえてきた。

「なんの音ですか?」

「ああ、屋台のラーメン屋だ。ラーメンを売り歩いているところだよ。」

「ラーメン?」

てんは、首をかしげる。

「あ、そうか。てんは知らないのか。日本の有名な国民食であるラーメンだ。カレーに次いで食べられるだろう。食ってみたいか?」

「ええ、なんだかいい匂いですね。」

ラーメン屋はこちらに近づいてくるのか、でかい音がだんだん近づいてきた。

「あ、そういえば、そっちには麺っていうものはあるの?」

「ええ。米粉を利用したものはありますけど?」

「詰まるところのビーフンか。じゃあ、またラーメンは違うだろうな。その違いをよく味わって食ってちょうだいね。」

そういっている間に、二人の前に、ラーメン屋台を引っ張ったトラックが現れたので、

「おーい、おじちゃん。ちょっと食べさせてよ。」

と、杉三が右手をあげた。てんも真似して右手をあげる。ラーメン屋さんは気が付いてくれたようで、トラックを二人の前で止めてくれた。

「はい、いらっしゃいませ。何にいたしましょう?」

暗くてよくわからなかったけど、いまどき和服を着た人たちなんて本当に珍しいな、と、店主、鈴木千秋は思った。いったいこの二人、どこの誰なんだろう、もしかしたら、暴力団かな?なんて不安も感じたが、

「すみません、わたくしたちは、わけがあってこういう姿をしているのです。お許しください。決して、悪いようにはしないとお約束しますから。」

とても丁寧な口調で言うてんに、千秋は、一般的にいる和服姿の男性とはちょっと違う身分の人だと、感じ取った。それも、歩けない人であるから、悪い人ではないだろう。身分に関係なく、何らかの事情で歩けなくなるということはありえない話ではない。

「じゃあ、ここへ座っていただけますか。今、準備いたしますから、お待ちください。」

千秋はトラックの中から、一対のテーブルと椅子を出して、杉三をそこへ誘導し、てんを持ち上げて椅子に座らせた。

「改めて、お品書きはこちらです。ご注文がお決まりになりましたら、お申し付けください。」

見せられたお品書きのほとんどは、平仮名で描かれていたのが唯一の救いだった。杉三は全く読めないが、杉三は全く読めなかったが、てんは何とか読むことができた。

「しかし、これはどういう料理なのでしょうか、全く理解できませんね。しょうゆらーめん、わんたんめん、ちゃーしゅーめんと、書かれていても。」

「写真でものせてくれればいいのによ。まあ、大体想像つくが、初めてだから、基本的な醤油ラーメンにしようか。」

てんが困っていると、杉三が助け舟を出した。

「わかりました。わたくしも、醤油ラーメンとします。」

たぶん、どこか海外の皇族が、お忍びでラーメンを食べに来たのだろうと、千秋は考えなおした。世界の歴史上、こういうことはよくあったからである。それに基づいた映画もよく作られている。

「お二人は、どこかの国から、公式訪問か何かでいらしたのですか?」

「ええ、まあそういう感じです。日本は初めて来ました。」

千秋が聞くと、てんはそう答えたため、やっぱりそうだなと確信した。

「何か、観光でもされましたか?」

「いえ、そんな暇はなかったんですけどね。今回の訪問は、急を要する事情があったものですから。明日には帰らないといけませんので。」

「へえ、随分大変ですね。例えば、どこかで戦争があったとかですか?」

「いいえ、違います。わたくしたちの国家では、野分の為に食料が得られなくなったので、分けていただきたくてお願いに来ました。」

千秋が好奇心からそう聞くと、てんは意外にあっさりと答えた。こうさわやかに答えるときほど、かえって被害が甚大なのは、千秋も知っていた。女は泣きつくことができるけど、男はそうではないから、かえって明るくふるまうほうが問題は大きいことが、読み取れる。

「そうですか。それは大変ですね。実はこの日本も毎年毎年異常気象に見舞われるようになりまして、年ごとに、悪化する一方です。明日は我が身と言いますか、すぐに台風や大地震が起こりますし、もはや、一家族が全員そろって暮らせるのが、一番幸せだという、昔はやったことわざが、また戻ってくるかもしれないですよ。気候もおかしくなっているのに、経済情勢だって大したことないし、こういう時はかえって団結すべきなのかもしれないのに、どんどんどんどん、個人主義ばかりが横行していますもの。」

千秋は、日頃から自分の中にたまっているものを口にだしてしまった。日本人同士では言ってはいけないことであっても、異国の人であれば、言ってもいいような気がした。

「もう、家族になっても、バツイチバツニは当たり前です。結婚したばかりのころは本当に楽しかったのに、いつごろからか、辛いことばかりになってしまったんです。もしかしたら、人生とはそういうものかもしれませんが、そうなる前に、別れてしまえという人が多すぎる。やり直すなんてどこにもありません。どうしてこうなってしまうんだろうと思われることが、いつの間にか日本では当たりまえになってしまっています。何でなんでしょうね。どんな時でも永遠の愛なんて言葉は、有名無実で死語ですよ。儀式で使うのはよいけれど、そんなもの、あっても効力を発揮しないんですから、ただのまやかしにすぎないんじゃいかな。ちょっとでも、何かあれば、すぐ離婚ですから、、、。」

「そうなると、もはや結婚しないほうが、いいのかもしれませんね。」

てんは千秋の話に相槌を打った。

「はい、今となっては俺もそう思います。ですが、恋愛のほうがやたら称賛されることが多くて、彼女ないと馬鹿にされたりするんですよ。まったくおかしな世界ですよ。日本は。」

「そうですか。わたくしたちは、結婚というものは、基本的に大人が勝手に決めてしまうので、あまり人選びには苦労しないんですよね。中には、生まれてからすぐに、だれだれの家に嫁に行くことが決定してしまう女性も少なくありません。」

「いや、そのほうが楽ですよ。かえって。きっと会社とかそういうものを維持するためにやるんでしょうけど、そのほうがわかれにくくなりますし、子供にはいいんじゃないですか?」

千秋はとうとう、自分の本音を切り出した。

「だってだれだれと自由に結婚できるって言っても、そりゃ、うれしいかもしれないですけどね、でも親に格差があり過ぎたら、その価値観の違いで対立して、子供が精神的におかしくなるかもしれないですしね。大体そうなると、母親の言い分が優先されて、子供の安全を確保とか言って、父はもう不用品になっちゃうんですよ。父というのはそんなに要らないものですかね。もちろん、子供を産むのは母ですが、それって、そんなに偉いことでしょうかと言いたくなるほど、酷い母親も多いです。父は今の時代、金の製造マシーンになるしかできないんですかね。それがもし事実なら、日本社会で父は、何のためにいるのでしょうか?」

「ええ、わたくしは、母がすぐに亡くなってしまいましたから、親と言えば父しかいませんでしたけれども。」

てんは、静かに、でもきっぱりと答えた。

「でも、そのせいで苦労をしたとか、不自由をしたとか、不幸に育ったという記憶はありませんよ。父は軍人でしたから、少しばかりきつい言い方をすることは確かにありましたけれど、しっかりと悪いことは悪いと指摘してくれました。わたくしは、生まれたときから歩けませんでしたので、甘やかしてはならないとも思っていたようです。でも、軍隊を統制するなどの激務で、わたくしにかまうことは少なく、放置しっぱなしではありましたが、肝心な時はしっかり、褒めたり叱ったりしてくれましたので、わたくしは、父に感謝しています。」

てんは、思い出深そうに言った。

「そうですか。それでは、相当偉い方だったのですな。日本では、そんなことはほとんどできませんよ。でも、放置したままということは、日常ではいつも一人だったのですか?」

千秋に質問されて、てんは次のように答えた。

「いえ、それはありませんでした。父が不在の時は、側近がいましたし、そのほかの使用人もいました。」

「そうですか。その考え方はとても古いですねえ。今の日本では、だれでも個人で家を持ち、子を育てるようになっていますから、そういう人はまずいないですよねえ。」

千秋は、そう言い返したが、

「現実的に言うと、子育てを職業にはできないってことだ。てんの住んでいる国家みたいに、乳母も子守もこっちにはおらず、仕事もして、子育てもしなければならんということだ。」

と、杉三は付け加えた。

「まあ、今では、乳母を雇って子育てを手伝ってもらうことはしないのさ。雇われている女性の人権侵害という理由でな。」

「あら、おかしいですね。」

そこで、てんは首を傾げた。

「わたくしたちは、子育てなど、一人でできるはずもないので乳母を雇うものですよ。彼女たちもそれをよく知っているから、より仕事に身が入るわけでしょう?」

「いや、そういう考えはほとんどないですよ。そうなると、雇われた女性が、人間をものにしていると、訴えるようになってしまいまして、、、。」

千秋が急いでそう訂正すると、

「わかりました。わたくしたちより食べ物には不自由しないのかもしれませんが、精神面では、わたくしたちより、はるかに劣っていると言えましょう。」

てんは、そう結論付けてしまった。普通、古臭い考えを持っている人に、こうして指摘されると、腹が立つものだが、

「はい、劣っています。それはわかります。」

確かにそうだと思って千秋は答えた。

「俺も、そういうシステムが発達していれば、きっとうちの家族がバラバラになることはなかったと思います。」

そう、妻と自分をくっつけてくれる存在がいてくれれば、きっと離婚はしなくてもよかったはずだった。それなのに、離婚すれば、妻のほうに同情票がいってしまい、自分は妻や子を捨ててしまった、悪人としか評価がつかない。もちろん、男は家庭を持てば、家族のために働くということはちゃんと知っている。だから、自分の長年の夢だったラーメン屋をやることは、一時すべて捨てた。それよりも働いて子育てをするように、心がけて、それが楽しいと思い始めた矢先のことだったから、もうおしまいだと思ってしまった。

とりあえず、一人になって、ラーメン店を始めたけれど、なんだか楽しくなくて、生活に張りがでなかった。友人の中には、ラーメンをやれたんだから、よかったじゃないか、なんていう、変な励ましをくれる人もいたけれど、千秋はかえって返答に困ってしまう。

「そうだねえ。でも、日本にはそういうものはいないだろ。いくら作ってくれといっても、ここでは日本の政治家に頼まないといけないし、それにてんたちのところには当たり前のようにある、目安箱もないしね。」

杉三がそういってくれたので、千秋はそうだと頷いた。

「そうですか。目安箱がないというのも大変ですね。それでは住民の意思も、権力者に届きにくいでしょうね。」

てんは、そう同情するように言ってくれたが、

「でも、政治に縛られることなく、生き方を自分で決められるっていう長所はあるけどな。例えば、てんたちのところでは、紙を作るなら、一生紙を作っていかなきゃいけないからな。」

杉三がそれに割って入った。

そうか、、、。確かにそういう長所もある。生き方を決められないとなると、苦痛でたまらなくなってしまう人も確かにいる。男性には少ないが、そのせいで、自殺してしまうなどのニュースもよく流れている。

「まあ、結局のところ、てんたちの世界も、僕たちの日本も一長一短あるし、どちらかが正しいなんていうのは、ないんじゃないの?」

「そうですね。今の話で、わたくしもそれは感じましたよ。ですから、わたくしたちはより良い政治をしなければなりませんね。そして、その中で生きていくしかできない住民が、しあわせになれるようにしなければならないなとも思いましたよ。」

「そうか。そう考えることができるんだから、やっぱりてんはしっかりした政治家なんだな。歩けたら、もっといいのになあ。」

千秋は、今の二人の会話を聞いて、こういう人が日本にもいてくれればいいのになあと思った。きっと、この人は、歩けないから、住民=国民の事を、第一に考えられるのだろう。

「まあ、昔だったら、たまにいたよね。少なくとも心がけでもしていた人は。ほらあ、変な句を作っていた天皇がいたじゃない?秋の田の、刈穂の庵のとまを荒み、我が衣手は露に濡れつつ。」

杉三が、千秋に目配せしたが、だれの事だか思いつかなった。知っているのは昭和天皇、平成天皇くらいである。

しかし、てんは次のように答えた。

「ええ、名は知りませんが、わたくしも、そのような歌が描ける政治家を目指したいと思います。」

「あ、そうか、てんたちも和歌の文化はあったのか。」

「ええ、わたくしたちは、紙がなかなか作れないものですから、長文の手紙が書けず、こうして短くまとめることが必要なのです。」

そうか、物がないほうがかえって、たのしそうだなあと、千秋は思った。

「わたくしたちは、より良い暮らしを提供しなければなりません。そして、住民が与えられた環境で、楽しんで生きていけるようにしなければね。」

「そうだな。」

てんと杉三は、顔を見せ合って笑いあった。

本当に、日本にもこういう人がいてくれればいいのになあ。と、言いたかった千秋だが、言葉に出たのはこのセリフだった。

「でも、俺は、生まれてきたから生きてやるという気持ちは持っています。何だか、すごいことをしているわけではないですけど、この世とさようならしてしまうことは、本当に負けてしまったみたいでしたくありません。」

「お、しっかりしてら。それ、若い奴らに聞かせてやってよ。体の弱った、水穂さんにも。」

杉三がからかうようにそういうと、

「どこからそんな発言を思いついたのですか?」

と、てんが聞いた。

「いやあ、俺のじいちゃんが、幼い頃に地上戦に巻き込まれて、そう誓ったそうで、俺にさんざん言い聞かせていました。だから、なぜか頭がそうなるようになってしまいました。」

「ああ、そういうことか。沖縄戦に巻き込まれたのね。あれはものすごい戦闘だったと聞いている。若くてかわいい女の子も犠牲になったそうじゃないか。」

彼の発言に、杉三がそう説明した。

「わかりました。それなら、父親として、充分やっていけると思いますよ。基本的に男というのはいざとなったら、そうやって戦えるようにできています。それはなにも悪事ではありません。そこを忘れないで、さいごまであきらめずに戦ってください。」

てんは、いきなりこう発言した。はじめのうちは千秋も理解できなかったが、あ、なるほど、彼はそのことを言っているのだと気が付き、うん、と心に誓った。

「わかりました。俺、頑張ってあの二人がこっちへ帰って来るようにして見せます。妻の真衣なんて、平凡な育ちですから、働くのには慣れてないと思います。それに、女が高収入なんて、もう女をうることしかないですし、それは危険な商売ですから、はやくやめさせるようにします!」

それを口にだして本当によかった。俺はそうしよう。あの二人がしたことは、絶対に間違っている。そんな事したら、娘のみゆきも育たないだろうし。俺は平和な生活を取り戻さなくちゃ。

「ありがとうございます。それではと言っては何ですけれども、とびっきりの醤油ラーメンを食べて行ってください。」

杉三とてんの前にどんぶりに入ったラーメンが置かれた。

「よーし、食べようぜ!いただきまあす!」

「いただきます。」

杉三とてんは、二人そろってラーメンを食した。てんは、ラーメンの味を、曖昧で不思議な味と表現していた。食べ終わって、丁重に礼を言い、車いすと土車で帰っていく二人を、千秋は、どこかの妖精が、自分のもとへやってきてくれたのだと解釈することにした。


翌日。

丁寧に礼を言って、てんたちは、自分たちの村へ帰っていった。日本で買ってきた大量のお米は、住民の配給にすべて使ってしまった。これがあれば、当分持つぞと、喜ぶ住民を見て、てんもみわも、助かったと胸をなでおろすことができた。

「きっと、鈴木さんご夫婦は、わたくしたちの顔を見ていると思いますが。」

てんは、みわにこうお願いした。

「わたくしたちに会った記憶は、彼女たちからけしていただけないでしょうか?わたくしたちが手を出したのではなく、自然に家族が元通りになったという筋書きにしたいのです。」

「ええ、わかっております。」

みわは、そういってにこりと微笑んだ。


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遥かな国からやってきた 増田朋美 @masubuchi4996

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