第三章

第三章

「しかし、日本はすごいというか、恐ろしいところですね。何でも間でも人差し指一本でできてしまうのですから。火を起こすにしろ、水を出すにしろ、部屋を暖かくすることでさえも。」

蘭は、当り前にしていることを批判的に言われて、ちょっとムカッときてしまったが、ガスや水道を初めて見たてんが、そう感想をもっても仕方ないと思った。

「逆に、何でも簡単にできすぎてしまって、つまらなくありませんか?」

と、てんは、蘭に聞いてきた。

「あ、ああそうだね。つまらないかもしれないが、僕は歩けないので、こうして便利になってくれたほうがいいんだよ。」

蘭は、とりあえず一般的な答えを出すと、

「わたくしも、歩けないという障害をもっていますけれども、少なくとも火打石さえあれば火をつけることはできます。ですから、わざわざ指一本でよいなんて、しなくてもできるのではないですか?」

と、返ってきたのでまたムカッと来る。

「で、ですけどね、一人で暮らしている人だっているんですし。」

「あるけない人が、一人で暮らしていくなんてまずありえません。一から十まで全部やるなんて、歩けない人にできるはずがないでしょう。必ず親や兄弟などが付いて、一緒にくらすはずです。仮に、身内を失った場合は、使用人などをつけるとかそういうことをするでしょう。わたくしたちは、すでに法令でそうするように義務付けています。それに、使用人には、子供が独立した高齢者などが、担当するようにしているので、供給不足にはなりません。日本でもそういう事業があればいいのに。」

「ですけど、そういう人を雇うには、お金が要るじゃないですか。だから、それを用意できる人たちばかりじゃなくて、自分で暮らしていくだけで精いっぱいの人も多いんですよ。」

「いいえ、まず第一に、そういう人の身の回りの世話をさせるのには、お金なんか要りません。お礼に食事さえさせれば十分です。」

何を言っても糠に釘だ。確かに、文化の違いというのは、どうしても通じ合えないこともある。そういうときは、変な嫌悪感を持たないで、何も言わずに引き下がることが大切だ。ここをはっきり伝えておかないと、国家紛争の原因にもなってしまう。てんたちは、貨幣経済があまり発達していないため、貨幣というより物々交換のほうが重要になる、という文化なのだ。蘭も、ここを押さえておかないと、話が進まなくなってしまうのはわかると思うのだが。

「蘭、少し、我慢しな。鉄のない文化で長年育ってきた人に、ガスコンロの良さなんか、説明してもわからないよ。」

杉三が、そうやってなだめるが、蘭はそれでも嫌そうな顔をしたままだった。確かに、そこを忘れてはならない。てんたちの国で鉄が用いられるのは、よほどのことでない限りないんだっけ。だから、文化的に遅れているじゃないかと思ってしまう。そういうところの人たちに、自分たちの文化を批判されるのは、なんだか嫌な気がする。本当は、文化に甲乙つけてしまうのは、やってはいけないことなんだけど、どうしても、技術が進んでいると、そうでないところに不快感をもってしまうらしい。

「やることなすことが、あまりにも簡単すぎて、日本の皆さんの生活はつまらないでしょうね。感動がなくなるというか、日常生活に、感動しなくなっていて。」

「そうだな。確かに面白くないときもあるよ。」

てんが改めてそういうと、今度は杉三がそれに加担した。蘭は、もう黙っていた。ここは口のうまい杉ちゃんのほうが、話すのは得意だから彼に任せることにした。

「ようしできたぞ!まあさ、つまらない日本の料理だが、これを食べてくれ。日本名物のカレーライスだ。もしかして、うまくないかもしれないけどさ、紹介だけでもさせてくれや。」

そういいながら、杉三は台所からカレーの入った皿を持って来て、テーブルの上に置いた。

「これは、客人をもてなすときの料理なんですか?」

「いや、違う。日常的に食べている家庭料理だよ。客人にはもっと具材が多かったり、肉が高級品だったりするよ。」

「へえ、日本人は、こんな贅沢なものを食べるのですか。わたくしたちは普段の食事など、すいとんさえあれば、充分なはずなのに?」

てんは、驚いているのか、馬鹿にしているのかわからないが、にこやかに笑った。蘭は、なんだか、馬鹿にされているような気がしてしまって、またムキになって怒った。


と、その時。インターフォンが鳴った。

「あれれ、今頃誰だろう?」

と、蘭が言う。

「どうせまた、セールスマンとかそういうのだろ。ま、大したことないから、追い出してくる。」

杉三は、急いで玄関先へ行った。

「はいどうぞ、開いてますよ。」

と、ガチャンと音がして、一人の若い女性と、3歳くらいの女の子が入ってきた。

「誰だいあんたは。見かけない顔だな。」

「あ、はい、私、この度お隣のマンションに越してきました、鈴木真衣と申します。こちらは娘の鈴木みゆきです。」

杉三がそう聞くと、彼女は初めて名前を名乗った。

「あ、なるほどね。でも、越して来たらまず第一に、隣近所にご挨拶に来なきゃだめなんだけどな?それが礼儀だぜ。」

「ごめんなさい。仕事が忙しくて、ご挨拶ができなかったんです。」

「フーン。単に挨拶するのが、面倒くさかっただけにしか見えないけどな。非常時の時の為に、隣に住んでいる人にはすぐに顔を見せたほうがいいぞ。でないと、地震でも起きたときに、助けてもらえなくなるよ。気を付けなね。まあ、話はここまでで、いったい何の用だ?」

ここまで杉三がそういうと、

「はい、回覧板を持ってきました。」

ちょっとしっかりした感じの女の子が言った。

「ああ、そうなのか。ありがとうな。てか、馬鹿にませた子供だな。君、年はいくつだ?」

「三歳です。」

「よく敬語を知っているな。がり勉か?ミッションスクール系の幼稚園でも通っているのか?子供は子供らしく、明るく元気に生活するのが一番なんだけどねえ。それをわすれちゃったの?」

と、杉三が言うと同時に、食堂からみわがやってきた。

「杉ちゃんごめんなさい。会話を聞き取って、どうしても気になってしまって、様子を見に来てしまったの。なんだかおかしいなと思ったのよ。だって、子供が敬語使うなんて、本来ありえない話でしょ。それに、引っ越してきて、互いにご挨拶もしないなんておかしいわ。だから、どうしても確認したくて。」

と、いってみわは、みゆきを注意深く観察した。

「みゆきさんって、言ってたわよね。悪いようにはしないから、おばさんの問いかけにしっかり答えてね。ちゃんとしたもの、食べさせてもらっている?」

「はい、食べています。」

みゆきは、みわの問いかけに、上品に答えた。

「じゃあ、今日のお昼ご飯は、何を食べてきたの?」

「はい、カップラーメンを食べました。」

「上品に答えようとしなくていいわ。子供は敬語なんて使うべきじゃないわよ。そういう言葉は、大人が使うの。貴女はまだしなくていい。そのカップラーメンは誰に作ってもらったの?」

「ママに作ってもらいました。」

と、やはり敬語で答える彼女。全然、楽しそうとか、明るそうな子供さんらしさが感じられなかった。

「そうなのね。じゃあ、ママに言ってごらんなさい。私の一番食べたいものを作って頂戴と。」

みわは、優しくその子、つまりみゆきに言った。

「ほら。何を食べたいか、言って御覧なさい。何でもいいのよ。インスタント食品はだめ。」

「オムライス!」

やっとここで子供らしく、女の子が言った。

「それは嫌だなあ。チャーハンでいい?」

と、真衣が面倒くさそうに言う。

「いいえ、それではだめです。ちゃんと彼女のほしいものを作ってあげてください。」

みわに言われて、真衣はちょっとふてくされた顔をした。

「でも、わたしだって、仕事もあるし、資格も取らなきゃいけないし、とてもあんな面倒

な料理をつくってやる暇なんかありませんわ。あなたみたいな、中年のおばさんのような、毎日暇に恵まれているわけではないのです。」

「いいえ、それはいけません。便利なものに頼らないで、一から十まで手作りしてやってください。そうしてやってください。そうすれば、彼女の表情もきっと変わります!」

真衣に向かってみわはそういったが、彼女は面倒くさそうなままだった。

「ママの手作りは、袋入りのラーメンです。」

母を擁護するように、娘はそういうが、

「いいえ、本当は、貴女もどんどん言っていいのよ。ちゃんと料理したものを、食べさせてくださいと。必要があれば、泣いて訴えてもいいのよ。」

みわは優しく言い聞かせた。

「ママにきちんとつくって、と言わなきゃね。人差し指一つで何でもできるようなものは、料理とは言わないわよ。」

「でもママは忙しいし。」

「そんなことしちゃダメ。食べる権利はちゃんとあるのよ。」

「ちょっと、どういうこと?私が怠けているとでも言いたいんですか?私、こう見えてもちゃんとお母さんをやっているつもりですよ。仕事もしているし、休みの日はどこかへ連れていくこともしているのに。」

「そうやって口に出すから、娘さんは負担なのではありませんか?」

みわは、真衣に向けてそういった。

「そうやって、何々をしている、何々をしているって、娘に言い聞かせるのはやめたほうがいいと思います。彼女は目が見えないわけではないのですから。」

「いやなおばさんね。さ、帰りましょう。今日は疲れているから、チャーハンではなく、オムライスね。」

「作ってくれるのママ!」

「ええ、今までは、つまらないものばっかりだったから、食べさせてあげる。もしまずかったら、まずいと遠慮なく言っていいのよ。」

「わかった。ありがとう!」

嬉しそうに言うみゆき。それを聞いて、自分は何を言っているのかと思った。本当はチャーハンを作るというつもりだったのに、なぜか反対のことを口にしてしまったのである。

でも、その時のみゆきの顔が、今までにない晴れやかで、嬉しそうな顔をしていたので、もうチャーハンとは言えなくなってしまった。

「じゃあ、作ってあげるから、帰ろうね。」

二人は、長居して悪かったと杉三たちに頭を下げて、帰っていった。

杉三の家の隣にある、できたばかりのマンションに二人は帰ってきた。

「じゃあ、作ってあげるから待っててね。時間がかかるかもしれないから、もうちょっと、テレビでも見て、遊んでいてね。」

「わかったよ。」

みゆきは、そう頷いて、見たかったアニメを見始めたのだが、真衣は作り方など全く知らない。

とりあえず、スマートフォンで調べてみたが、どれもみな炊飯器に任せて作るとか、そういう簡単なものばかりである。そうじゃなくて、鍋を使い、トマトピューレを利用した本格的なもの。これはインターネットでは情報を入手できないので、急いで近くの書店に行き、「本格的シェフが作るオムライス」という本を買った。そして、高級なショッピングモールを訪れて、トマトピューレをかった。いつもなら、ご飯なんて後まわしにしてしまうのに、なぜか頭が、そうしなければならないという気持ちになっていた。

「よし、やろう。」

本を見ながら真衣はオムライスを作り始めた。まずフライパンにバターを溶かして、細かく切った玉ねぎとハムを入れて炒める。玉ねぎが透き通ってきたら、トマトピューレを流しいれる。そして、炊飯器に残っていたご飯をその中へ加え、それをよくほぐす。その為に、白ワインを入れ、パラパラになるまで全体を混ぜ合わせるのだが、そこが結構時間がかかった。終わった時は、結構疲れてしまって、額には汗がにじんでいた。急いでそれを吹きとる。

つぎは卵を焼く作業。ボールに卵を三個入れ、泡立て器でよくかき回す。バターをフライパンにいれ、よく溶かす。そして卵を一気にザーッと流し込む。フライパンを揺り動かしながら、全体に卵が広がるようにしなければならないが、火が強すぎてすぐに固まってしまい、丸い卵焼きには仕上がらなかった。

それでも、先ほどのご飯を器にしいて、その上に卵を乗せることには成功した。火が強すぎたせいで、黄色ではなく茶色に近いオムライスになってしまった。

「はい、オムライス、できたわよ。」

にこやかに笑って、真衣はオムライスをテーブルの上に置いた。

「ママ、へたくそ!」

やっぱり予想通りの、子供らしく、生意気な感想が返ってくる。

「そんなこと言わないで、あんたがリクエストしたんだから、ちゃんと食べなさい。」

ムキになって真衣は、みゆきに言った。

「はい。」

渋々食卓につくみゆきに、真衣はちょっと工夫がいるかなと思って、オムライスにみゆきが好きだったウサギさんの絵を、ケチャップで描いてあげた。すると、

「いただきまあす!」

今度は、やすやすとスプーンを取って、むしゃむしゃと食べ始めた。

「どう?おいしい?」

と、聞いても答えない。ただ、無邪気にむしゃむしゃと食べている。

「何か、感想でも言いなさい。」

かつて、インスタントラーメンを作った時は、おいしいおいしいとさんざん言っていた子が、なんでこんなに苦労して作ったものにはなにも言わないんだろうか?

「ちょっと!」

少し声を強くしてみたけど、感想はこなかった。

「しっかし、よく食べるわね。」

やけになって、真衣は彼女をじっと見つめた。それでも感想はこなかった。こら、としかりつけようとしたその時、娘がこれまでにない笑顔でオムライスを食べているのに気が付いた。

こんな笑顔、今までの食事では絶対に見せた事なんてなかった。

それでは、今までの食事って、何だったんだろう?ああそうか、カップラーメンや、インスタントのスパゲティ、そういうものばかりだ。つまり、そういうもの以外のものを、初めて食べることができて、うれしいから、みゆきは今まで以上に喜んで食べているのである。感想なんて言っている暇がないほど、それほど喜んでいるのだろう。喜んでいるときは、言葉なんて言えなくなるから。それは、彼女の顔がそう証明していた。目は口ほどにものをいう、とは、まさしく本当にそうだなと真衣は思った。そして、子供であるから、うそはない。

不思議なもので、子供がうれしくなると、自動的に自分もうれしくなってしまうのが母である。どんなにうるさい子供でも、憎たらしい発言をする子供でも、必ずこういう無邪気な一面を見せてくれる。だから、母親というものが続いていくのである。

真衣はもう食べ終わるまで黙っていることにした。それくらい、今日のオムライスはおいしいのだと思うことにした。

でも、この食生活を続けるのは、はっきり言って無理である。

第一に、働かないと収入が得られない。それがなければ食べ物は得られない。そして、自分には、学歴も職歴も何も大したことはないから、高収入を得るとしたら、一番手っ取り早いのは、体を売るしかない。

だから、そうしなければいけないので、今の生活スタイルを変えることは、基本的に無理なのであった。でも、みゆきが喜ぶオムライスを作って食べさせてやるためには、生活スタイルを変えなければならない。そんなことできないじゃないか!」

一度、娘の喜んでいる顔を見てしまうと、もう一回見たいというきもちがわいてしまった。でも、もう一回なんて、今の経済状況ではまず不可能だった。もう、私は、それを見ることはできないだろうか。そのためには、育児に困らない生活をすることが必要であり、高学歴なすごい人じゃないとできない。

考えてみれば、確かにそうである。

みゆきを保育園に入れてやるとき、彼女が泣いて帰ってきたことがあった。ほかの友人のお母さんが、みんな華やかなので、自分の着ている服を馬鹿にされたというのだ。なんでほかのお母さんは、幸せそうなんだろうかと今一度考えると、たとえ離婚したとしても、おじいちゃんとおばあちゃんがいて助けてもらったとか、みんな何かしら工夫をして安定を保っているのである。その時は、あの人たちは、他人に頼っていてなんて甘えているんだろう、と、少し馬鹿にしたような気持でいたが、今は、そういう人たちに頼ることは、悪いことではないなと思った。頼れる人がいるおかげで、お母さんたちは子供に密着して過ごすことができるのだ。その結果として、手のかかる、オムライスも作ってあげられるのである。

でも、真衣にはそういうひとはいない。親はすでに亡くなっているし、一人っ子で兄弟がいるわけでもないし、近隣に友人もいない。親切なおばさんがいてくれるわけでもない。今生きている存在で、現実にいるのは、夫である鈴木千秋でしかない。

でも、千秋は、お金は確かに作ってくれたけれど、こっちへは全然目を向けてくれなかった。だから、嫌になったわけだ。あの人のところには正直、帰りたくない。

今日の事で、私一人では、みゆきを喜ばせることは、無理だとはっきりわかった。だから、もう一人ではやっていけないことも知った。


「みわさん、あの若いお母さんに、どんなことさせるように仕組んだんですか?」

お茶を飲みながら、蘭はみわに言った。

「大したことはしてないわ。ただ、彼女が思っていることと、反対の事をいうように、仕向けてあげただけよ。」

「ははあ、なるほど。そういうことは確かに、現代の科学ではできませんね。やっぱり魔法というものはそういうものなのかあ、、、。」

蘭が考え込むと、みわはにっこりと笑った。

「ええ、魔法なんて、かっこいいものじゃないわ。ただ、困っている人が、生活できるようにする、道具なだけよ。」


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