第二章

第二章

「こんにちは。」

後ろを振り向くと、てんその人が、手で這って四畳半にやってきていた。もともと車輪文化に乏しかった村では、足の悪い人が手で這って移動していくのは珍しいことではないので、水穂はそこについては言及せず、

「ご無沙汰しております。」

と、てんに向けて座礼した。

「なんだかてんよりも、水穂、お前のほうが痩せているように見える。どうしてだろう?」

一緒にやってきた蘭が、驚いてそういった。確かに、水穂はてんよりもげっそりと痩せていた。

「こりゃあ、立場が逆転してらあ。」

杉三も、驚いてしまったようで、一瞬ポカンとしたが、すぐに笑いだす。水穂は、この時初めて、自分の体格について、恥ずかしいと思ったのであった。

「てんさん顔色、だいぶ良くなったじゃないですか。今までよりも元気になってきたのではないですか?」

蘭がそう続けると、みわが、

「でも、私はまだまだ心配なんですけどね。時折、まだまだせき込んでいらっしゃるから。」

と、まるで彼の妻のように言った。

「で、今日はいったいどうしたんです?お二人でわざわざこんなところまで。」

青柳教授が、そういうと、てんは、

「ええ、先日のことなんですが、これまでにない大規模な野分が、わたくしどもの村を襲いました。いつもの野分であれば、比較的被害の少ない水田の所有者からわけあったりして、食料が尽きてしまうことはないのですが、今回は特にひどくて、村の水田が全部やられました。ちょうど、稲払いをして、米を収穫する直前であったものですから、それが全部となると、本当に食料が得られないということになりまして。」

と、説明した。全員がなるほどと考え込む。

「つまり、一言でいえば、天保の大飢饉に近いものが発生したというわけですか。それはまずいことになりますね。もしかしたら、食料を求めて打ちこわしのような暴動が出るかもしれないですよね。」

青柳教授が感慨深そうに言った。確かに、こういうとき暴動が起きたりしたら、国家として不安定になってしまう。そこを狙って凶暴な民族がやってくる、ということもなくはない。

「わたくしは、支持率がどうのとかそういうことはどうでもいいのです。わたくしの名誉の為とは、望みません。そうではなくて、住民が安定した生活をできないのが、悲しくてならないのです。」

「すごいなあ。そういう発言できるってのを、僕は尊敬する。日本の馬鹿政治家とはまた違う偉さだぜ。」

てんがそう発言すると、杉三は素直に感想を漏らした。確かにこの謙虚さは、日本の政治家にはあり得ないかもしれなかった。そうなるとやっぱり、日本は政治家の力というものは、あまり強くないのである。住民の為を思ってくれている政治家なんてどこにもない。

「まあ、その話はやめましょう。横道にずれると、本題が見えなくなります。お二人はどうして日本に来たのですか?僕たちにどうしてほしいのです?」

青柳教授がそういうと、てんは、核心を突かれたという顔をして、こう答えた。

「ええ、わたくしたちに少し分けていただけないでしょうか。米一斗、いえ、無理なら一升だけでも結構です。いただける代わりに何も差し上げられるものがないのが、本当に申し訳ないのですけれども、どうか、お願いできないでしょうか。」

その顔から、いかにも苦労しているというか、逼迫していて困っているのが見て取れた。

「一斗なんて言わないでさ、もっとたくさん持って行っていいよ。米なんて、スーパーに行けば、何でも買えますから。」

蘭はそう発言すると、

「よーし!買いに行こう!」

杉三もすぐ発言した。

「ま、すぐに買いに行ける環境ではあるのですが、日本は、だれでも行けるというところではありません。あまり大人数で買い物はしないので、変な風に見られてしまう。なので、

僕とみわさんで買い物に行ってきます。大量に買うなら、スーパーで台車を貸してくれますよ。」

「わかりました。日本では日本の作法もあることでしょうし、蘭さんと、二人で行くことにします。いろいろ教えてくださいね。」

蘭とみわは、出かける支度を始めた。すぐに帰ってきますと言って、玄関先から出て行った。

二人が戻ってくると、みわが店から借りてきた台車に、大量の米を置いて、戻ってきた。すべて10キロ入りのビニール袋に入っているものである。ブランドはいろいろあるが、すべて白米であり、値下げシールが貼られていた。蘭が安売りを見つけては、買わせたものである。

「ど、どうやってこんなに大量に手に入れることができたのですか!」

てんが驚いて二人を見ると、

「すごいところでしたわ。日本の食料品って本当に、すごいものが売っているんですね。お米なんか、買わなくても、充分やっていけますわ。」

みわが、驚いたというか、少し悲しそうに言った。

「でも、日本でもお米は主食のはずですから、皆さん買っていくのではありませんか?」

「いいえ、だれもお米には見向きもしません。ですから、こうして値段を下げて、やっと買ってもらえるようです。」

「おかしいですね。主食がなければ、やっていかれないはずです。日本人は、いったい何を食べているのでしょうか。」

てんは、不思議そうに聞いた。

「わたくしたちのところでは、すいとんが日常食でしたが、、、。それに、特別な時にお米を継ぎ足すような感じで。」

「いいえ、すいとんもお米も飛んでもありません。そんなもの、食べるどころか、当の昔に忘れられてますよ。日本では。食べることなんて、どうでもいいっていう人ばっかり。私たちが真剣にお米を選んでいるときに、馬鹿にして笑う人も少なくなかったわ。」

「まあ、みわさんにはそう見えちゃうよな。日本では、食べるなんて、あまり重要じゃないからな。」

みわの話に、杉三も割って入った。

「それに、料理なんかしなくてもいいくらいです。お湯をかければ、すぐに料理ができてしまうものだってあるんですよ。」

みわは、ちょっと肩を落とした。

「私たちは、料理に何時間もかかって、お母さんというと、大体の人が家事に何十時間もかかってしまって、過労死する人も少なくありませんでしたけど、ああしてお湯をかけるだけで、何とかなんていわれたら、お母さんなんて、存在しなくても、全く平気で居られますわね、日本は。」

「そんなに、みわさんにとって、驚くことだったんでしょうか?」

蘭はみわにそう聞いてみた。なぜ彼女がそんなに驚くのか、よくわからなかったのだ。

「当り前じゃないですか。だって、わたしたちは結婚したら、家事をすること。それが女にとって、一番の幸せと言われてますもの。それなのに、日本の食料販売店では、そういうことを、まるで必要ないと言っているみたい。だってたったの三分で料理ができてしまうんですよ。信じられますか?私達には、何十分もかかるような事が!私が祖父から教わってきた魔法の中にも、そんなことは全くできませんでした。」

その最後の台詞が意外だった。

魔法というのは、面倒なことを簡単にしてくれる、技術ではないのだろうか?

蘭がそれを考えていると、それがまるで読まれてしまったのか、

「いいえ、違います。私たちが魔法でやってきたことは、例えば体が不自由で歩けない人に、移動ができるようにするとか、その為のもので、料理自体をやめさせるためのものではありません。そこは間違えないでください!」

なるほど。そういうことか。

「だって、今いってきた、万事屋にあった食材は、そういうことですのよ。不自由な人が料理をできるようにするのではなく、料理するのをやめさせるというための食材です。そんな魔法、私たちのところでは存在しません!」

「わかったよ。みわさん。そんなことで取り乱さないでくれよ。それくらい、びっくりしたことは、わかったから。」

杉三がなだめるようにそういうと、

「私は、取り乱してはおりません!心配しているのです!ああいうものしか食べないで一生生きているとしたら、」

みわは一度言葉を切ってこう切り出した。

「きっと心の安定しない人が続出するんじゃいかしら。だって、食べるって一番大切なことですもの。母が料理しているのを見て、それを食べることから始まるんですから、それを省略してしまったら、、、。」

「まあ、確かにそうかもしれませんけどね。そういう役割から解放されて、女性も勉学することもできるし、仕事をもって働くこともできるようになって、社会をよくすることも、できるようになるんだ。すごいことだと思いませんか?」

みわをなだめるように蘭が言った。

「いえ、違うと思います。わたくしも、それはよいことだとは思いません。わたくしも、ここへ来る途中に思ったのですが、日本の人たちは、あまりにも無表情で、驚いてしまったほどです。なぜ、手のひらにある、かまぼこ板のようなものを四六時中見つめる必要がございましょう?あれは、なんのためにああして持ち歩いているのですか?」

てんまでも、そういう発言をする。

「ああ、あれのことか。あれは、だれでもみんな持っていて、それを使って誰かと言葉を交わしたりするんだ。」

杉三が、てんにそう解説した。

「そうですか。でしたら、顔を見合わせてしゃべったほうが、よほど効率よく伝わるはずだと思いますが?」

「うーん。まあそうなんだけどね。話せば長くなるが、日本人はもはや、かまぼこ板を介さないと、言葉を交わせないんだ。」

「おかしいですね。口があるのなら、それを使えばよいだけなのに、なぜ、かまぼこ板を介する必要があるのでしょうか?」

「あ、それはですね。てんさん。た、例えば距離が離れていたりとか。忙しくて話している暇がないとか、いろいろ事情があるわけだから、それを解消するために、、、。」

蘭が、そう訂正しようと試みるが、てんは態度を変えなかった。

「離れている人とは、どう考えても接することはできませんよ。わたくしが、おかしいとおもったのは、なぜ遠く離れた人と関係を持ちたがり、目の前にある人大切にしないのか、です。例えば、身近で食事をくれる人のほうが余程、重要であるはずなのに、かまぼこ板を介す関係のほうが大切だというのですか?本来人間は、身近な人を信じて生活しているはずなのに。」

「ええ、わかります。そのことは。」

水穂は静かに、しかしきっぱりと言った。

「でも、今日の日本では、身近な人間は信用することはできなくなっているということは言えます。特に、若い人はほとんどそうです。ですから、かまぼこ板を通さないと信用できないのです。」

「実の母親でも、ですか?」

みわが、小さくそういった。

「ええ。まさしく。」

水穂はそう答えたが、その一言はてんたちにとっては、衝撃的だったらしい。一瞬がっかりしてしまっていた。

「そうですか。実の母でさえも、信用できないのなら、いったい誰を信用すればよいのやら。日本は不思議なというか、不幸な国家ですね。」

政治家らしく、てんはびしっとした発言をした。でも、だれも文句を言うことはできなかった。

「確かに、人間関係に幸福を見出すことは、日本人は非常に難しいと言えますね。」

青柳教授は、てんの意見を、まとめるように言った。

「しかし、わたくしは、そのかまぼこ板のおかげで日本人は幸福になっているのかと言いますと、不幸になっているような気がします。日本は、わたくしたちの国家と比べると、わたくしたちのように、頻繁に大規模な自然災害があるわけでもないし、簡単に事故などで命を落とすこともなく、食物に不自由することもないかもしれない。でも、全部の人が、そうなったことを喜んでいるかということは、ないような気がしますね。」

「待ってください。日本は、お宅とは違って、簡単に他人の意見を受け入れないという特徴もあるのです。長年単一民族国家として生活してきたわけですから、なかなかほかの民族のいうことは、耳を貸そうとはしない。すぐに何とかしようというきっかけがないと、行動に移すこともない。だから、こうしろと呼び掛けても、わかりましたと聞いてくれる人たちではないのです。」

水穂は、てんが何かをしなければならんと思っていると、勘違いして、そういった。もともと、将軍となっている人であれば、あり得る話だった。

「本当に何とかしようとしても、したほうが、差別的に扱われてしまって、かえって被害者より援助者のほうがひどい目にあうということだって、星の数ほどあるのです。だから、誰かが悪いことをしても、止めないで黙認してしまうんですよ。」

もう一文言いたい事があったはずだったが、急に魚の骨でも刺さったような感覚に襲われて、急いで出そうと試みると、口の中に生臭いものがあふれてきて、せき込んで外へ出さねばならないのだった。

「おい、お客さんの前でやらないでくれよな。なんでこう、間の悪いときに、やるんかいな!」

隣にいた杉三に、背を叩いてもらって、何とかしてもらおうと思ったが、それでもせき込んだままだった。

「あーあ、もう、何十日も碌なもん食べてないだもん。今日もみかん二個しか食ってないそうじゃないか。恵子さんに聞いたぞ。」

「おかしいわね。」

みわが、杉三の言葉を聞いて、また首を傾げた。

「先ほどのところに行けば、食料はあふれるほどあるのに、なぜろくなものが食べられないのですか?」

「ああ、あそこにあるものの九割くらいに当たってるよな。唯一食べられたものはかっぱ巻きだけだよ。」

「いったい、どういうことですか?食べ物があれだけあるというのに、なぜ食べ物を食べられないのでしょうか?」

てんも疑問を投げかける。

「たぶんきっと、今の食べ物は、害虫退治などで使う農薬や、腐敗を止めるための科学物質が、多量に混ざっていますから、そこに彼の体が反応してしまうのだと思います。日本では、家の庭で育てた食べ物を食べるという文化は、既に皆無になっております。」

青柳教授がそう答えた。

「そうですか。では、それを排除して、そのままの食品を提供しようということはできないのですか?」

てんが聞くと、

「はい、ありません。」

青柳教授は当然のように答える。

「本当に何もないんです。逆戻りの習慣はなかったものですからね。そこがほかの民族とは、」

話を続けていると、水穂が又せき込んだ。青柳教授の話を消してしまうくらいせき込んだ。

「水穂さん、もう休んだほうがいいよ。もう無理だよ。二人には帰ってもらって、休んだほうがいい。」

杉三が、また背中を叩きながらそういった。

「そうですね。わたくしたちも、これだけのたくさんのお米を分けていただいたのですから、もう帰ったほうがよろしいですね。」

てんは、その有様を見て、そうしようかと考えているようだったが、まだ何かしてみたいことがあるようだった。

「どうしたんだよ。まだ、何か言うことあるのか?」

杉三が、そう聞くと、

「いえ、もし可能であれば、一晩だけこちらにいさせていただいてもよろしいでしょうかと思っていましたが。少し、日本という国家を体験してみたいと思ったんですけどね。」

と、答えが返ってきた。

「まったく。さんざん悪口言っていたのに何で?」

と、蘭は思わずつぶやいたが、青柳教授に黙っていろと言われてしまった。

「わかったよ。僕の家に、空き部屋があるから、そこをつかってくれていいよ。」

杉三がそういったため、てんとみわは、二人でそこへ泊めてもらうことにした。

「あーあ、僕らはかわった客人をもてなすことになるのかあ。」

蘭はまた青柳教授につつかれてしまう。

「今日は、よろしくお願いします。」

てんがあいさつしたのと同時に、水穂は杉三にもらった薬が回りすぎて眠り込んでしまった。そのあとのことは、杉三たちに任せっきりになってしまって、目が覚めたときは、てんやみわの姿はどこにもなかった。


鈴木真衣は、新しい家に引っ越してきたばかりだったが、気が付くと、この新しい家が前に住んでいた家とよく似ていることに気が付いた。まったく新しい生活をと思ってこの家を借りたのに、なんでこんな風に変わらないんだろう。さすがに娘のみゆきは、何も言わなかったけど。

こっちに来たのは夫から逃げる為で、とにかく夫が探しに来そうにない場所へ逃げたかったのである。もう夫に、子供を返せと言われるのは、まっぴらごめんだ。

夫以外の身内が襲ってくることもあり得るから、とにかく遠いところ、田舎でいいから、あまり人気のないところ、そういうところを選びたかった。

でも、旧姓に戻るのに時間がかかるとか、夫から逃げるのには、こんな面倒なのかというのには思い知らされた。世間ではやっぱり男の言い分が優先されてしまうらしい。

そういう世の中にはなってほしくないから、私は一人でこの子を育てて見せる!なんていう気合も入れていた。

毎日昼間は資格試験の勉強をして、夜は水商売、昔の言葉を借りて言えば、吉原の赤線のようなところで働いた。さほど大きな店ではないが、遊郭に近いシステムはあった。とにかくこれをこなすだけで精一杯なのに、子供は子供らしく泣き叫ぶ。この子にいなくなってもらえないだろうか?と、真衣はいらいらしていた。


鈴木千秋は、妻が突然出て行ってしまって、がらんどうのような店で毎日ラーメンを作っていた。エリートサラリーマンだった千秋は、それなりの収入もあった。だけどいつの間にか、真衣は、自分のことを金の製造マシーンとしか見てくれなくなった。それに、子供が自分と妻との溝を修復してくれるかなと思ったこともあったけど、男が子供とくっついていたら、仕事を怠けていると勘違いされたことも多々あり、会社に入り浸っているほうが、上司からの受けはよかった。

もし、自分のことを金の製造マシーンとして見られているのならそうなろう。千秋は毎日会社で仕事をしながらそれだけを自分に言い聞かせるようになっていた。

それなのに、突然真衣が出て行った。机に置かれた手紙によると、子供のことを全く面倒見ないから、という。

だから、もう金を作る気はしなくなって、会社を辞めた。

どうしてこうなってしまうんだろう。

せっかくつかんだ幸せも、簡単に盗られてしまう世の中になったもんだなあと思いながら。


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