遥かな国からやってきた

増田朋美

第一章

遥かな国からやってきた

第一章

今日も、澄んだ青空であった。雲ひとつない綺麗な青空。でも、青いという色は時折、気持ちが沈んでいるという事を表している場合もある。今がそのときだった。

「あーあ、いつまでもこの青空が続いてくれればいいのによ。」

鍬を持った、一人の住民が、恨めしそうに言った。

「まあ、しょうがないじゃないか。来年また稲を作るんだな。そのためにも早く田んぼを耕さなきゃ。」

彼の父親と思われる、中年の住民が、そう彼を諭した。

「だけどさあ。こうして、さあもうすぐ取れるぞっていうときに、野分で全滅なんて、もう、やるせないにも程があるなあ。いままでやってきたのが、全部だめになったんだぜ。」

「馬鹿。自然に向かって反抗してはいかん!それに、人生にはこういう事はいくらでもあるんだよ。さあいこう、というときに、それを全部持っていかれるなんて、本当によくあることだから、我慢しなさい!」

父親らしく、中年の住民はそう答えを出したが、

「でもよ。何だか、コレさえなかったら今頃白いご飯食って、大騒ぎできたのにってのが、どうしても抜けられない。」

素直に息子はそう本音を漏らした。

「まあ、その気持ちはわかるが、でも、人生はそういう事の方が多いから、快楽にはまり過ぎない事が何よりも薬だ!」

「つまりたくさん苦労しておくことって事か?」

息子がそう聞くと、

「おう。苦労ができるほど幸せなことはないぞ。」

さらりと父親は答えて、又田んぼを耕すために鍬を動かし始めた。

と、同時に、カランカランと鐘の音が聞こえてくる。

「あ、配給の時間だな。よし、取りに行ってくるわ。」

息子は、鍬を置いて、配給の食糧を受け取るためのざるを取りに行くために、家へ戻っていった。

「配給で貰ってくるのは良いけれど、一度に全部食いすぎるなよ!って、聞こえないか。」

その嬉しそうな顔で走っていく息子に、父親は注意したが、果たして聞こえているかどうか、全く不詳である。

急いで村の中心部にある配給の米を配っているところに走っていくと、既に長蛇の列ができてしまっていた。

「今日は、一人につき一升だ。無駄遣いはしないで食べるように!」

役人がそういっている。受け取る人たちは、大体が女性で、どうもありがとうございます、何て言いながら、ざるに米を分けてもらっている。でも、中には、

「一升?うちは子供が四人もいるんです。これでは足りなさすぎます。すぐになくなってしまいますわ。」

と反抗するものも居た。すると、

「いいよいいよ。うちは年寄り夫婦二人だけだから、一升貰ってもあまるから、分けてあげる。」

と、近くにいたおばあさんがそう言ってくれるのである。松の国では、このわけあう文化は根付いていて、他人に食べ物をくれてしまう事は、平気でやっていることである。子供がいたとしても、三人以上いる家庭は非常に珍しかった。基本的に体の小さい橘族は、一升あれば、大体の家族はそれで一週間は持つといわれていた。

「その代わり、と言っては難だけど、子供さんの古着で良いから、女ものの着物を一枚分けてくれないかな?」

と、おばあさんは言った。

「ええ、わかりました!ありがとうございます!うれしいです!」

と、喜ぶ母親。文字も貨幣もない橘族の長年の風習である。ずっとそれで通っている。だから、それに疑問を持っている人は誰もいない。

「じゃあ、すぐに持ってきますから、まっててくださいね!」

母親とおばあさんがそういうやり取りをしているのを聞きながら、俺の家でも誰かにあげられる様なものがあれば、もうちょっと米にありつけるのではないかと例の息子は思った。でも、うちの家は男二人しかいないし、女ものの着物もないし、道具類も、誰かにあげられるものは殆どない。いらないものはすぐに捨ててしまうという習慣に乏しい橘族であるが、それは、こういうときのために使用する事を意味する。勿論、この考えをうんと重視するかしないかは、個人差があるけれど。

息子は、今日も米一升を受け取って、父が待っている、自分の家に帰るのだった。

一方、村の中心部にある、会議場では、てんが机に向かって何か書いていた。紙

と鉛筆の文化がなかったので、筆記具は石版と石筆である。

「おはようございます。何を書いていらっしゃるのですか?」

側近のみわが、彼に話しかけた。

「いや、高粱育てるにはどうしたら良いのかなと思いまして。」

はあ、またお勉強ですか、とみわはため息をつく。

「このままだと、配給の米も全滅してしまいますし。その前に代理の作物を育てさせておくようにしなければなりませんもの。」

「でも、あの味は果たして、全部の住民が、飛びついてくれるでしょうか?」

高粱の味は、少し癖があった。なので、まずいという人も少なからずいる。

「そうですが、米を巡って暴動が起きるようでは困ります。住民の仲たがいが発生する原因にもなりましょう。」

今のところ、そのような暴動は発生していないが、その前にあれやこれやと悩んでしまうのがてんの特徴的なところであった。

「代案として、こなごな島から米を貰ってくるという案はありませんの?」

「それだって、同じことになります。今度はこなごな島の住民が迷惑することになりましょう。」

確かに、それはいえた。こちらから要請したら、こなごな島でまた揉め事が発生してしまうことになる。文明レベルの高いほど、もめごとも多い。

「ですから、早く米の代理になる作物を作らなければなりませんね。暴動がおきてから対処するのでは遅すぎるのです。」

「ですけど。」

みわは、女性らしくきっぱりといった。

「私は、お体の方が心配です。」

一瞬ぽかんとしてしまうが、

「あ、すみません。今のところ、何もありませんので、気にしないで下さいませ。」

と、笑ってごまかすてんであった。

数日後。会議場に集まって、役人たちが会議を行っていた。

「それでは、いよいよ高粱の栽培に踏み切るのですかな?」

「はい。」

役人にそういわれて、てんはきっぱりといった。

「しかし、今もう一度作物を作ろうという気になってくれるでしょうかな?」

「それに、もうすぐ大吹雪の頻発する長い冬もやってきますよ。」

役人たちは相次いでそういう発言をする。

「ええ、確かにそうです。ですから、その前に、短期間で実がなる高粱を栽培させるべきではないかと思うのです。」

「そうなんですけどねえ、、、。」

役人の一人は面倒くさそうにそういった。

「しかし、米にしろ、高粱にしろ、かなり苦労をする作物ですよ。大都督は何も知らないだろうけど、お米を作るというのはですね、年に一度栽培するだけで、非常に手のかかるものなんです。平たく言えば、それで精一杯なんですよ。いいですか、既に、住民は、先日起きた野分で、壊滅的な被害を受けて、かなり気持ちも沈んでいるはずだ。それに、もう一回作物なんて、果たしてやる気を出してくれるでしょうか?そこも考慮しないと、ただ命令ばかり出しているとしか見られなくなりますよ。それでもいいのですか?」

「なんですか?食べ物が得られるのなら、何でもやる気を出してくれるのではないかと、思うのですが?だって、食べ物がなければ生活できないのは、皆さん、百もわかっていらっしゃるはずでは?」

てんがそう反発すると、

「だから、机の上で考えるしかできないからだめなんですよ、大都督。足がお悪いゆえというのは、そういう事ですよ。そうじゃなくて、実践したときの事も考えないといけません。法は何でもここで作っていれば、住民はしたがってくれるかといいますと、そうとは限りませんよ。法を発案するときは、本当に実行できるかどうか、も考えないと。やたら出していたら、それこそただの我侭な権力者としか、住民は見てはくれなくなります。」

と、一人の年をとった役人がそう発言した。他の役人たちもそれに拍手をした。

「本当にそうでしょうか?私は、ただ、皆さんが楽をしたいがために、そういっているだけとしか、見えないのですけど。」

「そういう意味ではありません。大都督が歩けないから、歩ける人間として助言しただけです。それは私たちだけではなく、住民もそう思うことでしょう。そうなれば、必ずその矛先は、私たちに向けられます。良いですか、いくら最高権力者であっても、歩けないという事は、住民よりも一歩立場が下である事を忘れないで下さい!」

こういわれると、大体の人は怒り出すのが通例であるが、てんは怒るというよりも泣き出してしまった。

「そうですが、私も、住民のためを思ってこの法令を出そうと思いついたのです。多少の負担はあるのかもしれませんが、食べ物を得るのなら、仕方ないのではありませんか?」

「だから、それではだめですよ。法令を出すのなら、住民が喜ぶ内容を作ること。政治家は之を第一に考えて生きていかなきゃいけません。」

「では、これからどうしろと?」

高齢の役人たちに言い負かされて、てんが、半泣きでそういうと、

「とりあえず、税として貯蔵していた米を配給として、住民に分配するのをもう少し続けましょう。もし、なくなりかけてきたら、こなごな島と交渉して見ましょうか。」

と、高級な役人がそういったため、それで決定してしまった。

なぜか知らないけど、松の国の役人たちは、日ごろから楽をするのを優先するようになってしまっているように見える。。それはもしかしたら、平仮名というものが役人を中心に浸透してしまったせいなのかもしれない、、、。そして、それを許可してしまったのは自分自身である。てんは、帰っていく役人たちをみながらそう感じたのであった。

自分を責めていると、不意に咳が出た。まだ自分も完全には立ち直れていないんだなと思いながら、自室へ帰ろうと考えていると、

「お体、大丈夫ですか?」

振り向くとみわだった。

「なんですか。会議場は、女性の方が覗くところではありませんよ。」

特に法令で、女性が会議の内容を覗いてはいけないと決まっているわけではないのだが、てんの父まつぞうが、よく女性の方は会議場から出るように、と言っていた。女性が役人になることは認めなかった。理由はよく知らないけれど、まつぞうは男女の役割に関しては非常に厳しかったのである。

「御免なさい。全て立ち聞きしてしまったんです。あ、勿論、いけないことなのはわかっていますよ。でも、どうしても心配だったので。」

「一体、なぜですか?私は別に体におかしなところがあるとは思いませんけど?歩けない以外なら。」

てんは笑ってごまかすが、

「いいえ、昨日だって、高粱について、一生懸命調べものして、無理やり睡眠時間を削っていたじゃありませんか。それでは、お体を壊してしまいますわ。」

みわは、心配そうに言った。

「もう慣れていますから気にしないでください。多少のことは仕方ありません。やっぱり私は、歩けないわけですから、どうしても、ほかの役人から、頼りない将軍のように見えてしまうのではないですか。」

「そこじゃありません。あんまり馬鹿にされることを、一人でためていたら、お体に障るのではないかと、私は心配なのです。」

「仕方ないじゃないですか。それよりも、住民にどうやって米を与えるかを考えないと。とにかくですね、冬になる前に、高粱の栽培でもさせて、食料を確保するほうが良いと思うのに。お米をあきらめて、切り替えるということは、そんなに難しいことでしょうか?だって、食べ物がないって、非常に困ることですよね?それなら栽培も比較的簡単で、すぐに実をつけてくれる高粱を貯蔵させて、、、。」

てんは、そこまで言いかけたが、少しばかりせき込んでしまうのだった。

「てん様は、住民のことじゃなくて、ご自身のことを考えたらいいのに。それに、私のこともまったく眼中にない。」

これでは通じないなあと、みわはがっかりと落ち込んでしまうのである。


一方、その話し合いが行われてから数日後のことである。日本にある、青柳教授の主宰している、製鉄所では。

「ほら、起きて!いつまで寝ているの!いいかげんに起きて頂戴よ!」

四畳半で眠っていた水穂は、恵子さんに叩き起こされてしまった。でも、体が重たすぎて起きられなかった。

「もう、ほら!今日はお客さんが来るんだから、寝ていられたら困るでしょ!起きて!」

恵子さんは、かけ布団をべらっとはがしてしまったが、それでも起きなかった。

「ほらあ、もう九時よ!あと一時間したら、来ちゃうのよ!御客さんが!今日は大事な話があるから、相談に乗ってくれですって!その前に、ご飯を食べたり、着替えたり、いろいろあるでしょうが!」

恵子さんがそこまで言うと、水穂はやっと体を動かして、

「誰が見えるんですか、お客さんって。」

とだけ言った。

「名前は知らないけど、青柳先生が、顔を見ればわかるって。杉ちゃんたちが、連れてくるって、そう聞いたわ。」

と、恵子さんは答えた。杉ちゃんたちが連れてくるのであれば、ただのセールスとか、勧誘のようなものではないなとわかったので、水穂は、重たい体を、一生懸命もち上げて、布団に座ることに成功した。

でも、昨晩飲んだ薬はとうの昔に切れていて、座るとせき込んでしまった。

「ほらあ。昨日たくあん一つしか食べないからそうなるの。今日は御客さんが来るんだから、せき込んで吐いたりしてたら、困るでしょ。だからはい。ご飯食べて!」

と、恵子さんは、お盆を、枕元にある小さなテーブルの上に置いた。

「早く食べて!そうしたら着替えて頂戴。ただし、お客さんの前だから、銘仙ではだめよ。わかった!」

と言っても、返答はなかった。代わりに、

「咳で返事してる。」

と、ため息をついた。

「いい加減にやめてよ!」

恵子さんも布団に座って、いやいやながらも背中をさすった。こうなるとまた、たくあん一切れだけ食べて、薬飲んで眠っちゃうのか、という筋書きが見て取れた。

「もういいから、せき込むのはやめてさ、ほら、一口だけでも食べて。そうじゃなきゃ、いつも飲んでる薬だって飲めないわよ。食べないまま飲んじゃうと、怖い夢みて唸りだすでしょ。それじゃあ、眠った気はしないわよ。だから、何か食べないと!」

「はい、すみません。ごめんなさい。」

やっとそこだけ返答することができた。数十分して、やっとせき込むのが静かになってきた。

「よかった。治まってきたみたいだから、ほら、食べて。でないと、飲めないわよ。薬だって。」

そういって恵子さんは、雑炊の入ったさじを、水穂の前に突き出した。水穂は黙って受け取った。ここまでは成功したが、中身を口にもっていって、飲み込もうとすると、またせき込んでしまった。

「ちょっと、当たる食品はなにも入れなかったはずだけど?」

なんで?と思ったが、作った後に試食してみて、味が薄かったので、醤油を入れたのを思い出す。

「醤油ごときで、、、。なんでこんなに過敏になっちゃうんだろ。」

さじが、テーブルの上に落ちた。畳の上ではなくてよかったとおもった。

「わかった。これはおばちゃんが悪かった。今度は醤油なんか使わないで作ってあげるから、その時はちゃんと食べてね。じゃあ、この缶詰だけでも食べられる?」

缶詰は、ミカンの缶詰だった。とりあえず一つだけ口にして、それを飲み込んだ。

「ああよかった。ミカンの缶詰だけでも食べてくれた。」

今日は敢えてたくあんを出さなかった。たくあんを出してしまえば、いつもを一切れ食べてしまうだけで、おしまいになってしまうからである。

「じゃあ、もう一個。」

恵子さんが言うと、

「もう結構です。」

と返ってくる。これには思わず恵子さんは頭にきて、

「何よ!ミカンを一つ食べただけでもうおしまいなの!」

と、わざときつく言ってみた。仕方なく、水穂はもう一個、ミカンを食べる。

「よし、もう一個行ってみよう!」

今日は完食してくれるかもしれないと、うっすら期待を寄せ始めた恵子さんだったが、

「いや、さすがにあと一つは。ごめんなさい。」

と、言われてしまって、謝られても許すどころか、怒りを感じてしまうのであった。

「ごめんなさい。本当にもう無理です。食べる気がしません。ごめんなさい。」

「馬鹿ね!謝ったってね、事が解決するわけじゃないのよ!今回は、謝るんだったら、とにかく食べて頂戴よ!」

無理矢理押し込んだら、無理解な人たちに何か言われてしまう可能性もあるので、恵子さんは、それはできなかった。それなら、座って食べさせるよりも、寝たまま食べさせてやったほうが、倫理的にいいのかもしれなかった。そのほうが、看病してやっている、という感じが周りの人に伝わって、少しは同情票がつくかもしれないので。

「本当に、食べる気にならないんです。味もしないし、ただ、なんか口に入れているだけしか。」

つまり、味の感覚もおかしくなってしまったんだなとわかった。

「理由なんてすぐわかるじゃないの。食べないから、退化していくんでしょ。それを食い止めるためには、食べるしかないのよ。」

人間は使うところを使えば使うほど、強くなるという。逆に使わないところは使わないほど退化していく。それを止めるには使うしかない。よく、頭がよくなることに例えてそういうことを言うが、食べるということも同じらしいのである。食べないと大変なことになるのに、なぜか食べないで居続けていると、食べたとき感覚を忘れてしまって、体が異物と勘違いしてしまい、吐き出してしまうことになるらしい。確か、アメリカの有名なバンドの、女性ボーカリストが、あまりにダイエットをし過ぎたせいで、がりがりに痩せ、心配した周りの人が、無理矢理ご飯を食べさせたところ、恐ろしいほど錯乱したことがあったと、恵子さんはある映画を見て知っていた。

つまり、水穂もそういうことになってしまうのかと、恵子さんは不安になった。

同時に、

「おーい、来たぜえ!ちょっと変わったお客さんだから手を貸してくれ!」

杉三の声が聞こえてくる。恵子さんは、水穂に、羽織を着て待っているようにと言って、客の応対をしに、玄関先へ行った。

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