邪神様がみてる

 どこともしれぬ薄暗い空間。

 そこに存在したのは、一人の少年ぽいナニカ。

 彼はロッキングチェアに腰掛け、ゆっくりとそれを揺らしながら、空間に浮かんでいるウィンドウを眺めていた。

 手にはワイングラスを持ち、彼はそれを掲げると、冷然とした笑みを浮かべる。

「フフフ、愚かなニンゲンどもよ。もっと僕を楽しませ――」

「オラッ!」

 突然、そのロッキングチェアが背後から蹴り上げられ、天高く舞う。

「のぉぉぉう? なーにーごーとー?」

 なんだか間抜けな声を上げつつ、椅子に座っていた少年も地面に投げ出され、かなりの距離をゴロゴロと転がり……パタリとうつぶせ状態で動きを止めた。

 が、すぐにむくりと身体を起こすと、それを為した相手に向かって非難がましい視線を向けた。

「突然何をするんだい? オーファー」

 その相手は、褐色の肌を持ち、長い銀髪をポニーテールに纏めた美女。

 透けるような薄衣うすぎぬを何枚も重ねた衣を身に纏っているが、その状態でも隠しきれないナイスバディが窺える。

 左手を腰に当てて胸を張り、右手には少年の手から飛んだワイングラスが、中身を溢すこともなく受け止められていた。

「『突然何をする』はこっちの台詞だ、アドヴァストリス。お前こそ、何をしてやがる!」

 美しく整ったその顔を今は不満げに歪め、荒い言葉をアドヴァストリスに投げつけるが、投げつけられた方はケロリとした表情であっさりと答える。

「悪役ごっこ? いかにも悪い奴っぽくて、良い感じじゃなかったかな? 今の僕」

「そっちじゃねぇよ!」

「はて? それじゃないとなると、何のことだろう?」

「『何のこと』じゃねぇよ。今見てただろうが、ガッツリと!」

 エメラルドの瞳を鋭く光らせ、オーファーがビシリッと指さすのは、未だ宙に浮かんだままのウィンドウ。

 そこに流れる映像の中では、三人の少年、少女が猪を相手に奮闘を繰り広げていた。

 どこかの森の中。

 粗末な防具を身に纏い、武器というのも烏滸がましいような代物で巨大な猪に対峙。

 苦戦しつつもなんとか斃しきり、笑顔でハイタッチをする彼ら。

 かと思えば、場面が切り替わり、次に映ったのは一人の少年が裏路地を歩く様子。

 何かに怯えるように、周囲を何度も見回しながら足を進めている。

 突然脇道から現れた男にビクリと身体を震わせつつも、平然を装いつつ男とすれ違い、ホッと息を吐く。

「あぁ、これ? 魂が落ちてたから拾ってあげたんだ。所謂、魂の救済ってやつ? 優しいでしょ、僕って」

「や、さ、し、いぃ~~? お前が? 冗談だろ」

 まるで嫌いな食べ物でも出されたかのように『うえっ』と顔を歪め、オーファーはアドヴァストリスの言葉に不同意を表明する。

「おかしいなぁ……? 何で同意してくれる人が少ないんだろ?」

「お前の普段の行いが原因だっ!」

「えー、これでも面白くなるように努力してるんだよ?」

「そーゆーとこ! そーゆーとこだぞ! 結果はともかく、お前は偽悪趣味がすぎるんだ!」

 心外とばかりに肩をすくめたアドヴァストリスに、オーファーは地団駄を踏み、今更に落下してきたロッキングチェアを、平然と片手で掴み取る。

 そしてそのまま滑らかに、慣れた様子でアドヴァストリスの頭へと振り下ろした。

 すわ、撲殺か、と思いきや。

 アドヴァストリスの方もるもの。

 それをあっさりと受け止めると、オーファーの手からスルリと抜き取り地面にセット、再びそこに腰を下ろした。

「まぁまぁ、落ち着きなよ。それでも飲んで」

 まるで暴行の事実などなかったかのように、にこやかにオーファーに手にあるワイングラスを指さすアドヴァストリス。

 そんな彼の様子にオーファーは忌々しそうに舌打ちをすると、まるでやけ酒を呷るかのようにくいっとグラスを傾け――すぐに驚きに目を瞠った。

「美味いな、これ!」

「でしょ? どう? もう一杯」

「お、すまねぇな」

 オーファーが突き出したグラスに、アドヴァストリスがいつの間にやら手に持っていたボトルから、トクトクトクとワインをそそぐ。

「ありがとよ。――かぁぁ! マジうめぇ。どこで手に入れたんだ? これ」

「ウェスシミアの所から貰ってきたんだ――コッソリと」

「それは盗んだと言うんだ! ボケェッ!!」

 再びアドヴァストリスが宙を舞う。

 しかし今度は空中で体制を立て直し、三回宙返り一回捻りでシュタッと地面に降り立っち、それを見たオーファーが再度舌打ち。

「大丈夫だよ~。オーファーと一緒に楽しんだと言えば、きっと許してくれるから」

「……確かにアイツなら許しかねないが。けど、次からはちゃんと断って持って来いよ?」

 忠言のようなことを口にしながら、アドヴァストリスが持っていたボトルはしっかりと回収し、手酌で楽しんでいるのだから、説得力の欠片もない。

「うん、うん。解ってる~」

 ちなみに、似たようなやり取りはすでに数え切れないほど繰り返しているのだが、二人ともあまり気にしていない。神なので。

「それよりも、せっかくだからオーファーも一緒に見ない?」

 やはりどこからともなくソファーを取り出し、アドヴァストリスはそこにゆったりと腰を下ろすと、隣にオーファーを誘った。

 そんなアドヴァストリスの様子にオーファーは諦めたようにため息をくと、空になってしまったボトルを名残惜しそうに見て、それをアドヴァストリスに投げ返した。

 だが、彼の方はそれを笑顔で受け止めると、代わりとばかりにおつまみのナッツが載ったお皿を差し出す。

「どうせ今回も、なんかやってんだろ?」

「大したことはしてないよ? 僕、優しいから」

「お前のその言葉ほど、信用できねぇものはねぇよ」

 半眼になったオーファーは、どかりとソファーに腰を下ろすと、ポリポリとナッツを口に運びつつ、何かを確認するかのように宙に視線を彷徨わせていたが、だんだんとその目が据わっていった。

「オイ。何で記憶を残して、半端に転生させてんだよ。普通に処理しろよ」

「でも異世界の魂をそのまま輪廻の中に放り込んだら、みんなに迷惑が掛かるでしょ? 通常プロセスで死んでくれた方が良いかなって」

「気遣いが中途半端!? そもそも、余所から魂なんぞ拾ってこなけりゃ、何の問題もないんだけどなぁ!」

「えー、それは無理だよ。見つけちゃったんだから。僕って、子犬とか捨てられたら、手を出さずにはいられないたちだから」

「未だかつて、神界ここで犬猫が捨てられてたこと、ないけどな!」

「判らないよ~? イグリマイヤーが飼っている子が子供を生みすぎて、面倒を見切れなくなって、とか?」

「神獣とその辺の動物を一緒にすんな! 神獣がポコポコ子供を産んでたまるか!」

「あははっ、下手したら神界、消えちゃうよね」

「笑い事じゃねぇよ……」

「それに淀んだ水は腐る。僕は、〝世界〟を揺り動かすのも僕の仕事だと自認してる」

 ドヤ顔のアドヴァストリスに、オーファーは困ったように眉根を揉む。

「面倒くさい自認だな、オイ。そりゃ、権能の範囲だとは思うけどよぉ」

「ついでに、僕もこうして楽しめるし。ちょっとした役得?」

 楽しそうに笑いながら、新たなワインボトルを取り出したアドヴァストリスに、オーファーはグラスを突き出しながら、疲れたようにまたため息をいた。

「お前、絶対他にもなんかあんだろ?」

「いや、何も?」

「……やっぱ信用できねぇ!」

 即座に答えたアドヴァストリスを、胡散臭そうにじっと見ていたオーファーはそう叫ぶと、指を鳴らして宙に浮かぶウィンドウの数を増やした。

「心外だなぁ。ごく普通の肉体に、ごく普通の能力を与えただけだよ?」

「普通、ねぇ。――とか言っているその間に、大爆発が起こったんだが?」

 オーファーが指さしたそのウィンドウは一瞬真っ白に染まり、その後に映し出されたのは、荒れ果てた地面とそこに転がる人々の死体。

 半数以上はろくでもない人種に見えるが、残りはおそらく普通の人たち。

 そんな状況にもアドヴァストリスは大して気にした様子も見せず、何かを確認するかのように視線を彷徨わせると、納得したように頷く。

「あー、【魔力・極大】で魔法の制御に失敗しちゃったんだね。考えなしにスキルを取るから。早速一人……いや、二人脱落か」

「普通じゃねぇし!? やっぱ妙な能力を与えてるじゃねぇか!」

「そんなことないよ。この世界に普通にある能力を可視化して、選べるようにしただけだから」

「選べる時点で普通じゃねぇと、オレは思うんだがなぁ!」

「そこは、別の世界から来た子たちへのサービス? 何の情報もないまま放り出されることを考えれば、そのぐらいはね」

「それで、使えるかどうか判らねぇ能力を選ばされたってか? ひでぇな」

「多少でも説明がある分、優しいと思うけどなぁ。普通は『どんな素質があるか』とか、産まれる前に説明してくれたりなんかしないんだから」

「状況が違うだろうが。赤ん坊の頃から少ない魔力で失敗しつつ成長するのと、成長しきって魔力のある身体をいきなり手に入れるのでは」

 言うなれば、運転免許も持っていない素人が、いきなりF1のレーシングマシンに乗せられ、アクセルべた踏みするようなものである。

 クラッシュしない方がおかしい。

「しかも、巻き込まれ事故が酷い……」

「そんなこと言って、あんまり気にしてないくせに」

「まぁ、オレたちにはあんまり関係ねぇしな」

 どうこう言っても、彼女らの精神性は神。

 神の名を貶めるようなことをすればブチ切れるし、世界全体に影響があることには興味を示すが、個々の人の生き死になどにはあまり興味がなかったりする。

「けどよー、早速云々言ってるが、すでに何人も脱落してねぇか?」

 そう言いながらオーファーが指さしたウィンドウには、三〇人あまりの名前がリスト状に表示されていた。

 その名前のいくつかにはすでに二重線が引かれ、ドクロマークが付いている。

「あ、それは対象外。あからさまに作った落とし穴に全力ダイブするような子は、しっかり受け止めてあげないと」

「受け止めるっつーか、そのまま穴の底に激突、新しい人生へご招待って感じだけどな」

「信徒にするなら、僕もまともな子が良いからね。間引きってヤツ?」

「まとも、ねぇ。けどコイツとか、アレじゃねぇの?」

「えっと、誰かな? ……あぁ、なんか新興宗教っぽいことを始めた子か。見てる分には面白いけど、ちょっとグレーだよね」

「こんなヤツがいると、オレたちにも影響があるんだが……面倒くせぇ。お前のスキルの提示方法が悪かったんじゃねぇの?」

「でも、上手くやっている子もいるんだよ? この子とか、強力な魔法を取ったからどうなるかと思ったけど」

 アドヴァストリスがついっと引き寄せたウィンドウの中では、三人の少女が魔法で地面を吹き飛ばし、キャーキャーと騒いでいる。

 自然への被害はなかなか酷いが、先ほどとは異なり、自分たちはもちろん、周囲に巻き込まれたような人の姿もない。

「へぇ、似たようなもんなのに、そっちは問題ねぇのか。何が違うんだ?」

「う~ん、たぶん、仲間への信頼? さっきの暴発男ボンバーマンは自分の能力を出し惜しみして、ここぞという時にマウンティングしたかったみたいだけど……ぶっつけ本番で上手くいくわけないよね」

「それを判っていながら、助長するお前も大概酷いけどな。……なら、こっちのグループはどうだ? 順調そうだぞ?」

「あー、それね。慎重で良い感じの子たちなんだけど……ちょっと面白みに欠ける」

「さっき、『まともな子が良い』と言ってたのは、誰だよ!」

「それはそれ。信徒はまともなのが良いけど、観賞するには破天荒な方が面白い」

「やっぱひでぇ。――で、こいつら全員、お前の使徒なのか?」

「違うよ? さすがに問答無用に使徒にするのはね。現状では、信徒ですらない」

 顔をしかめていたオーファーは、アドヴァストリスの言葉にホッとしたように表情を緩める。

「へぇ、そいつは朗報だな。異世界の魂トラブルメーカーアドヴァストリストリックスターの使徒とか、厄介事の臭いしかしねぇし」

「もっとも、僕の神殿を訪れてくれれば、加護ぐらいは与えようと思ってたんだけど……誰一人として来ないんだよねぇ、未だ」

「マジで? 普通、週一ぐらいでどっかの神殿には顔を出すもんじゃねぇの?」

 驚いたように眉を上げたオーファーに同意するように、アドヴァストリスも深く頷く。

「だよねぇ? せっかく正体を明かすのを楽しみにしてたのに」

「名乗ってねぇのかよ! それじゃ、お前の所に顔を出すとは限らねぇよ!」

「いや、僕だけじゃなく、どこの神殿にも顔を出してないから。僕の神殿がある町を中心に配置したから、すぐに来ると思ったんだけどねぇ……残念」

 不満そうに口を尖らせたアドヴァストリスだったが、すぐに気を取り直したようにポンと両手を合わせる。

「ま、今後も全然神殿に顔を出さないなんてことはないだろうし、少し気長に待つよ。楽しいイベントも用意して。ふふっ、彼らはいつ頃来てくれるだろうね!」

「……振り回される彼奴らに、多少同情するよ、オレは」

 楽しげに笑うアドヴァストリスを見て、オーファーの方は呆れたように肩をすくめた。

 

 だが実際のところ、現代高校生の宗教との関わり合いの薄さはハンパなく。

 アドヴァストリスがイベントを実行できるまでには、今しばらくの時間が必要なのであった。


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