LOVE ILLUSION

羽海野渉

LOVE ILLUSION

 国際展示場駅のホームに降り立つと、冬の寒さがショルダーバッグを通して肩にぐいっと圧しかかる。寒さと痛みは同義といっても過言では無い。


「案外、遠かったのね……」


 早応大学に入ったことと同時に上京した私、安城英梨はこの東京で四度目の冬を越そうとしていた。趣味に時間を割いて、学業はほったらかし。とはいえ、教授にも「よく出せたな」と半ば呆れられつつも卒論を受け取ってもらったのだから卒業は確定している。何よりも大事なのは代返をしてくれる仲間だ。


 今日は12月31日。最低気温が氷点下を下回るこの有明ではコミックマーケットと呼ばれるイベントが開催される。いろんな人たちが自主的に作成した書籍やグッズを売り、それを買いに来るといってしまえばそれだけのイベントだが年の瀬の三日間にも関わらず五十万人以上がこの埋立地に来るという異様なイベント。

 私もそのイベントでスペースを頂いており、この大学生活は夏と冬合わせて八回と全ての回に参加していた。


 国際展示場駅のエスカレーターを昇と、そこは見るからに人の洪水だ。暴力とばかりに人が押し寄せる。武装も何もしていない一介の女子大生(賞味期限近し)には過酷な戦場といえよう。そこをなんとか潜り抜けて、改札の外へ出る。そこから誘導されるままに歩き、なんとかサークル入場の列に潜り込んだ。


 私の前に自分よりもちょっと若いくらいの男女二人組の姿を確認する。おそらくカップルかなんかでサークル参加といった感じなのだろう。もし売り子だとしても、だいたい女性作家のところで売り子をしている男は彼氏か夫のどちらかである。男性作家で女性売り子の場合はだいたいが友人とかオタク仲間とかだ。彼女ではない。これはここ数年で培った経験則だ。

 それはさておき、彼らは共通の作品の話題で盛り上がっている。その光景を見てしまうと、なんだか自分が小さく、世界から孤立しているように思えてならない。


 今、が何をしているのか。そんなことに思いを馳せながら、階段を下って東ホールに向かった。


     ※ ※ ※ ※ ※


 あの人、というのは私の大学生活で中枢神経までも犯してきたあの男、茅野流人のことに他ならない。


 私は高校時代まで静岡に住んでいた純粋培養の腐女子であった。それも相当なド陰キャで、スクールカーストでは底辺も底辺。今卒業アルバムの写真を見返せば死にたくなるレベルで可愛げのかけらもない芋女子だった。教室でよくカップリングの話をできたものだ。


 しかし大学デビュー、といえるかどうかは怪しいが一応清潔な身なりにした上で腐女子であることを周囲には隠したまま、自分の素をさらけ出せる場所を探そうとして参加した漫研のコンパで流人と出会うこととなる。


 それまでいわゆる乙女向け作品や少年たちの活躍する漫画ばかり追っていた私はその空間にいた女子とこそ話が合っていたが、どうも男性たちと同じ作品を読んでいるということがないらしく無事会話から孤立。このまま大学生活はまたこんな感じになってしまうのかと悩んでいたあたりでカシスオレンジ片手に流人は私の隣にやってきた。


「楽しくなさそうな顔してるけど、どうしたの。……えーと、英梨ちゃんだっけ」

「えと、あなたは」

「茅野流人。一応この漫研の二回生ってことになってるけど、まぁそんな出入りしてないし。そんな立場」


 ラフな格好で現れた流人は、そのコンパからすると女子受けも良かっただろうに私のことをわざわざ構ってくれたというのがとても嬉しかった。それ以来、私と流人は「友達」といえるような仲になっていく。


 流人はいわゆるオタクというやつで腐女子である私とは読んでいる作品こそ被っているものの、守備範囲が遥かに広かった。そのくせ、知っている量も多いから私に勧めてくる作品は全てドンピシャ。これまで読んで来なかった作品まで好きになってた。特に流人が一番好きなアニメだとかいうライトノベル原作のアレ。クラスメートの冴えない女の子をメインヒロインにする、とかいう話にとてもキュンキュンした。


 そしていつからか、私は流人のことを好きになっていたらしい。


 らしいというのは曖昧な表現だが仕方がない。いつから好きになったのかわからないのだから。


 しかし、私は恋する乙女(自分で言うのも嫌な表現だな!)であると同時に一腐女子だった。夏と冬のコミケでずっと男性アイドルゲームのホモ本を頒布。恋愛にかまけている余裕はなかったのである。それと同時に、自分の恋心は所詮まやかしだし、こんなにかっこいい流人と私は釣り合わないと自己暗示をかけていた。やっていることが漫画の中の童貞男子と変わらないあたりがダメだ。


 しかし、四ヶ月前の夏コミの打ち上げで状況が一変する。一変というよりは変えてしまったという方が正しいか。

 いつものホモ本が順調に売れて調子に乗っていた私は酔った勢いで売り子をしてもらっていた流人に告白。そして「考えさせてほしい」という一文とともに音信不通に。LINEも既読スルー。寝るまでは何も思っていなかったのに起きたら後悔の嵐で「ごめんなさい」と何度送っても既読スルー/更に後悔の連打。加えて一学年上の流人は既に大学を卒業していて院に進んでいたから別キャンパスで会うことはないという追撃。もうちょっと考えてから発言しろと酔っ払っているときの私に言いたいが、そうも行かなかった。


 では、どうしたら会えるのかと考えた。返事ではなく謝罪がしたい。そして、昔とは一緒とは言わないがまたおしゃべりがしたかったからだ。愛が重いのは重々承知で、そのためにフルパワーで考える。そして思いついたのが冬コミで流人が推していたあのラノベの本を出すということだった。


 流人はあのラノベの同人誌は全部買うと言っていたし。なら、私のサークルにも来てくれるでしょ。

 そんなことを思った私はバカだった。それも愛が重すぎるのではないか。


 そんなこんなで今日のサークル参加は正直、一人だけに読んでほしいという不純な動機なのだった。以上説明終わり。


     ※ ※ ※ ※ ※


 頒布物を並べ終わり、一先ず今日のサークル準備が終了する。

 その頒布物は例のラノベの純愛本だ。突発的に描いてしまい、自分の色ではないこと、売れないこと、後に黒歴史となることは重々承知である。けれど、これをこの世界に産み落とさないと私が私でいれないような気がしたのだ。


 というよりもこの本は流人のためにしか描いていない、ラブレターと言っても過言ではない爆発物だ。そんな危険物をこんな不特定多数に読まれる/手に取られる場所で頒布しようとしているのだから、私は中枢神経をどれだけ彼に侵されているのだろう?


 思い出せ、思い出すんだ平常心の、昔の私を!


 元々は男性アイドルアニメ本を考えていたのだ。けれど、それよりも先にこれを描きたかった。ただの純愛、イチャラブシーンばかり、起承転結も序破急もナシの感動シーンのてんこもり。正直、読んでいて胃もたれしても仕方がないくらいの盛り付け方で、これでいいのかと問われると首を捻る気はする。


 でも、重要なのは売れるか売れないかじゃない。

 その本を産みだしたいか、産みだしたくないか、その一点だ。


 クリエイターとしての産みの苦しみはいつもながらに辛いものだ。ネタが出なくても、イマジネーションが湧かなくても、〆切は無情にもやって来るし、イベントで「新刊落としました」ということはしたくない。もし、他のサークルさんがそれをやったとして一番苦しむのは他でもなく私だからだ。


 流人が来るかな、という不安と期待が胸の中で躍りながら、拍手とともにコミックマーケットは開会した。


     ※ ※ ※ ※ ※


 売り上げはやはり前回比では落ちていた。


 前回はもちろん顔なじみの作家さんも多く、緊張も何もなくといっては誇張表現になるかもしれないが、それ程に快適だったのだ。加えて用意していた数百部はほとんど捌け、損益分岐点はもちろん突破。とはいえ、そこで手に入れたお金はそっくりそのままあの打ち上げに落としてきたのだけれど……


 対して今回は誰かが手に取ってくれるのか、買ってもらえるのか、とても怖い。前回や前々回もそうなのだけれど、今回はそれ以上だ。周りはいつもと違って男性のサークル主ばかり。隣にはモザイクこそあるものの女の子があられもない格好で男のアレを欲しがっているなんて本もあって、やはり肩身は狭い。


 コミックマーケットが開会して数十分経つも片目で見ていく人ばかりで、手に取ってくれる人、買ってくれる人はやはり少ない。

 まぁ、それは仕方がないことなのかもしれない。手に取ってほしい人は大勢多数なわけでなく、たった一人なのだから。


     ※ ※ ※ ※ ※


 開会から既に四時間が経ち、周りには撤退の準備を始めたサークルの姿が現れ始めた。もう少なくなった新刊と既刊を梱包し、宅配便の列へと向かおうとする彼らを横目に、テーブルの上と足元のダンボールに置かれた自分の新刊の残数を確認する。

 山積みで、どうやって持って帰ろうか途方に暮れる量だった。


 あと二時間が経てば閉会のなかで、ずっとサークルスペースにいるとやはり居心地は悪いものになってしまう。しかし、流人が来るかもしれないという一縷の願いを込めてここから離れるわけにはいかないのだ。


 いつ来るのだろう。

 もしかしたら来ないのかもしれないけど。

 そのときは、この想いを忘れることが出来るのだろうか?

 否、そのようなことができるはずがない。


 この想いは今までの人生でこのたった一回しか感じることが出来なかったものだ。たぶん、これを逃せば私は絶対後悔する。電話をかければそうやって悩むこともないのだけれど、そうしてはいけないような気がするのだ。

 やっぱり会って話さないといけない。

 そう感じたのだ。


「撤退します。お疲れ様です!」

「あ……お疲れ様です」


 両隣のサークルが撤退し、私のサークルだけが残された。オリジナルの新刊はまだ半分以上残っているが、仕方ないという感情が胸の中を覆っている。


 来ないのかな……

 と、そろそろ撤退の準備をはじめようと感じた瞬間。


 走ってはいけないこの会場内に、早歩きでこちらに向かっているオタクの姿を確認する。見覚えのあるその人は真っ直ぐにこっちに向かってきて、やがてテーブルを挟んだ向こう側で立ち止まった。


「……新刊残ってる?」


 その姿を見れただけでも嬉しくて。

 再会できたことに、安堵していて。


「残ってるわよ」


 この感情が、恋だと再認識した。


「英梨、好きだ」

「私も好きって言ったでしょ、流人」


 あれ、おかしいな。


「こんなに待たせてごめん」

「ほんと待ったんだけど」


 謝りたかったのに憎まれ口しか出てこない。


「付き合ってくれ」

「責任とって結婚してよね」


 おかしいな。


「あぁ大切にする」

「……ばーか」

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