この虚しさを言葉にするな
恐れ知らずな男だった。
やたらに狂ったように沸く観客の熱気にも気圧されず、腕を振り上げて堂々の登壇。
肉は漲り、血管が浮き出るくらいには密度がある。
大きく口を開けて吠える様は、きっと負けなんか知らない自信の現れだろう。
事実、路上では負け知らず。
拳闘、空手、柔道を齧ったのも相まって、立ち塞がってきた奴はことごとく倒してやったというらしい。
勇ましさを語るには十分な経歴だ。
──勇ましさを語る”だけ”には。
「はぐぁッ」
男の頬に拳が突き刺さり、抉り抜く。
舞台を照らす照明に血が飛び散った。
つい数分前に雄々しく見せていた白い歯が、真っ赤に染まりあがっていた。
男自身、今の自分の状態が信じられぬといった風に、瞳がぐらぐらと揺らいでいる。
拳をまだ握っているあたり、プライドまでは折れていないらしい。
それを見て、セイマは容赦なく男に畳みかけた。
男が打たれて数歩下がっていた距離を一気に潰し、拳を叩き込む。
真正面からの拳は、流石の男も腕を固めて防いでみせた。
と思った瞬間、脇腹に鋭い衝撃。
正面は、囮──男が気づいた時には、セイマの拳が腕で覆いきれなかった脇腹に深々と突き刺さっていた。
「ぎ、ぎっ……」
歯を、食いしばる。
ぶんと、ショートフックを返すがセイマには易々と見切られた。
「くそ……こンクソがッ!」
ボクシングと空手で培ったラッシュで巻き返す。
が、皮膚一枚も掠めない。
決して下手なパンチではなかった。
むしろ、ただ喧嘩自慢なだけのチンピラでは敵にならないキレはある。
路上の喧嘩でなら、負けを知らないのもあながち間違いではないだろう。
だが、ここは路上ではない。
賭博試合という、獰猛な獣が蠢く魔窟だ。
「──ふ」
息吹くと同時に、セイマは男の拳を潜り抜け、懐に飛び込む。
刹那、男の顎が跳ね上がった。
顎下をセイマの拳が撃ち抜いたのだ。
セイマに向かって一直線だった眼差しが、ぐりんと白目を剥く。
そこに遠慮なく叩き込まれる、トドメの拳。
鼻骨が砕けた感触が伝ってきた。
男は、それでも握った拳を解かない。
しかし、繰り出すまでには至らなかった。
拳から離れていく顔には、赤く粘っとした液体が糸を引く。
膝がガクガクと揺れたと思うと、途端に大きな体がくず折れてずどんと沈んだ。
結局男は、セイマに傷一つつけることができなんだ。
────
「つまらなかったかい?」
スポンサアの言葉に、セイマは無視を決め込む。
帰り支度を終えたタイミングで現れたこの男に対し、セイマはあからさまな態度を隠さない。
毎度毎度、人を掌の上で転がすような真似が好きなこの男とは、言葉を交わしたくもなかった。
「思ったような相手じゃなくて、ガッカリしてるのは確かでしょ」
見透かしたように言葉を吐くこの態度も、嫌いに拍車をかける。
ぶん殴ってしまいたかったが、それはただの暴力だ。
奴がやる気にならない限り、喧嘩にはなり得ない。
「帰らせろよ」
セイマは、低い声でそう呟くしかなかった。
スポンサアは、ニコニコとした笑みを貼り付けて、全く気にも留めない。
ため息が溢れそうだった。
「ここに来た頃に比べると、本当に強くなったよねぇセイマは」
肩に手を置こうとした手は、流石に払う。
スポンサアは意にも返さなかった。
「君の前じゃ、今日の対戦相手の技術は二流だったかもしれないね。散々一流の格闘技者と戦ってきた君だ、ある程度の技術しかない相手ならもう、対処することは難しくないだろう?」
それは、確かに正しかった。
事前に空手やボクシングなどの格闘技を齧っていたという話は聞いていた。
戦ってみて、体に刻み込まれていることも実感した。
したが──今まで戦ってきた技を極めた者達と比べると、どうしても半端としか思えなかった。
難しくないどころか、困りもしない。
所詮路上レベル、賭博試合に立ってきた猛者と比べると一回りも二回りも見劣りした。
それに、死闘という名の経験を刻んだ身体は、技術を知らなくてもどう動けばいいのか分かっているようだった。
「もう一度聞こうか──つまらなかったかい?」
セイマは答えなかった。
嘘も、吐けなかった。
良くも悪くも正直な男は、憎たらしさを覚える笑みに対して歯噛みした顔を隠せない。
強い弱いで喧嘩の楽しさは決まらない。
喧嘩は、納得できるかどうかが肝だ。
──そう思っていたはずなのに、あれじゃあヒリヒリしちゃくれねえ
脳裏に浮かぶ、これまでの激闘。
勝とうが負けようがそこには、緊張感と愉しさがあった。
全力を振り絞って、命を競り合うような熱さもあった。
今日のセイマには傷一つない。
考えてみれば、危ないと思った瞬間すらも無かった気がする。
軽い──
「……いい加減帰らせろ」
無理やりセイマは思考を閉じた。
それ以上は、いけなかった。
「そうだね、少し話しすぎちゃったね」
ふざけたことを。
そう吐き捨てたかったが、どうせスポンサアに何を言ったところで無駄なことは目に見えていた。
スポンサアを退けて、控え室の取手を掴む。
きっと振り返ったら、あの笑みが面白いようにセイマのことを見ているのだろう。
奴がどんな言葉をかけようと、男は口を固く結ぶ。
心の中でも、決してその言葉を形にしようとしなかった。
してしまったら、どんな心持ちであれこの賭博試合に自ら立ち、正々堂々と拳を交えた相手への侮辱になる。
どんなに虚しさが燻っていても、自分がそれを許さない。
「今度は、骨のある奴を頼むぜ」
「ああ、もちろん」
こんな言葉一つでも満足げな顔を浮かべるスポンサアが頭に浮かぶ。
虚しさにもどかしさも抱えて、重い扉をセイマは開けた。
燃え残りのカスが、燻ってしょうがなかった。
逆境の拳 一齣 其日 @kizitufood
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