一日旅
一日旅
今日は運がいいわ。確認せずに出てきてしまったのに、あと15分で電車が来る。今の季節なら暖かいから待つのも苦じゃない。けれどホームで待つのは味気ないから、外で待つことにする。四つ葉のクローバーないかしら、と地面を眺めながら時間をつぶす。だけど、これはもしかしたら四つ葉にはならないタイプだったかも。花がピンクだし葉の雰囲気も違うから、シロツメクサではないみたい。
担当さんが電話をかけてくるだろうから、携帯の電源は切っちゃいましょう。心配しなくてもちゃんと、物語が降りてきしだい帰りますから。
ありがたいことにご好評を頂いている、私著「光の君」シリーズ。あるときはお坊ちゃまとして、メイドさんに。またあるときは漁師の息子として、旧華族のご令嬢に。あるときは幼い恋を、あるときは大人の恋を。輝く銀の髪と海のように深い瞳を持つ美男子「光の君」が、様々な平行世界で恋物語を繰り広げる恋愛小説だ。たくさんの悲恋を書いてきて、切なさが良いと評判だけど、私は元々恋愛ものを書くのは得意じゃないの。残念ながらもうネタ切れ。よって私は、旅に出ます。
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「すみません、よろしいでしょうか」
ボックス席に一人で乗り込んだ私に、若いお母さんが声をかけてきた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
彼女は小さな男の子の手を引いていた。下を向いていて顔はよく見えないけど、透き通るような銀色の髪が、光をあびてきらきらしていて、とっても綺麗。男の子はぐずぐずと鼻をすすりあげて泣いている。何度も目をこする小さな手! なんて可愛いの。
「どうして泣いてるの?」
話しかけてみると、男の子は涙をいっぱいに溜めた瞳で私を見返した。
「はなぐみのらんちゃん。ぼくのほうがおにいちゃんだから、いつもまもってあげてたんだよ。でも」
私はいつの間にか裸足で砂の上に立っていた。足元には赤いバケツとシャベルが転がっている。ここは幼稚園のお砂場。私は今、花組のらんちゃんだ。私の前には、かがやく銀のかみの男の子――みっくんが、口をぎゅっとしてたっている。
「らんちゃん、ぼく、ひっこすの。らんちゃんともうあえない。でもぼく、らんちゃんがだいすきだよ」
みっくんがいなくなっちゃうって、わたしはママからきいてた。「もう一緒に遊べないのよ」ってママは言ったけど、よくわかんなかった。でもみっくんはわかってるんだ。いっしょうけんめい、泣くのをがまんしてる。わたしもつられて、かなしくなってきた。
「らんちゃん、キスしていい?」
びっくりして、わたしはみっくんを見ていられなくなった。みんながあちこちから、こっそり見てることにも気づいた。はずかしい……わたしはあとずさった。
「ダメ」
こぼれたへんじは冷たくひびいた。わたしは下を向いたまま、教室に走って帰った。
「らんちゃんはダメっていった。ぼくのことすきじゃなかったんだ」
みっくん――男の子の目から涙がこぼれた。彼の小さな手は、今はお母さんの手をギュッと握っている。ガタンゴトンと揺れる電車のリズムと一緒に、彼の体も揺れていた。
「らんちゃんはね、あとでお教室で、担任の先生に抱き着いて泣いたのよ。会えなくなっちゃうなんて嫌って。寂しいよって」
私は彼の頭を撫でた。銀色の髪は、思った通りとてもさらさらとしていて気持ちが良い。
「本当?」
「本当よ。恥ずかしくなっちゃっただけなの」
私はまた幼稚園のお砂場に戻っていた。お母さんに手をひかれてかえっていくみっくんに、わたしはさけんだ。
「おとなになったら、むかえにきて!」
彼はパッと私を振り返った。
「降りる駅よ」
お母さんに促され、彼は立ち上がった。手をつないで、ボックス席を出て行く。
「ありがとうございました」
「いいえ。ばいばい」
お母さんには会釈を返し、男の子には手を振った。男の子の目にはまだ涙が残っていたけれど、にっこり笑ってくれた。
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「おい、手が止まってるぞ」
急に話しかけられて驚き、私は顔を上げた。腰に手を当てて、偉そうにふんぞり返った少年。8月で10歳になる、この家の坊ちゃん。水晶のような銀髪は、室内でも輝いている。
私は厨房の小さな椅子に座っていた。手の中の布巾とシルバーのスプーンを見て、自分が仕事中だったことを思い出す。
「すみませんねー。ちょっと疲れたものですから」
答えて手を動かし始める。壁の時計と、机に置いてある山を見て気合いを入れ直した。15時までにこの大量のカトラリーを、くもり一つなくピカピカにしなきゃならない。子供だからといって適当な仕事はだめ。今日はお客様がいらっしゃるのだ。
「お前、相変わらずつまんねーことばっかやってんのな」
「さわらないで!」
ふき終わった食器の山に坊っちゃんが手を伸ばしたので、思わず大きな声を出してしまった。言ってしまってからしまったと思う。歳が近いとはいえ、相手は雇い主のご子息なのに。
「すみません、つい……」
「ふん」
坊っちゃんは鼻を鳴らして手を引っ込めてくれた。
「お前は本当に態度がなってない」
言葉では怒っているふりをしながら、その顔はニヤケている。坊ちゃんは私を怒らせたり困らせたりすることが好きで、よくいたずらしてくるのだ。わざとらしく何度も手を食器に伸ばして、びくつく私の反応をしばらく楽しんだあと、坊ちゃんはずいと私に顔を近づけた。
「今の失態のわびにキスしろよ」
「……ばか」
肩を押すと、坊ちゃんは素直に離れてくれた。けれど諦めたわけではないらしく、「命令だぞ」、と人差し指でトントンと唇をさす。
「そんなことして奥様に知られたら私、クビになっちゃう」
私は思わず笑ってしまう。坊ちゃんが私を好きなことぐらい、私だって気がついていた。好きな子をいじめるなんて、坊ちゃんってばほんとガキ。
「それに私とキスなんてしたら、リオ様が黙っていませんよ」
坊ちゃんはまだ知らないのだろう。今日の食事会では、リオ様と坊ちゃんの婚約がお披露目される。
「早く部屋に帰ってください。きっと奥様が探してます」
視線をスプーンに戻し、仕事を再開すると、彼が去っていく気配がした。だまって行ってしまったのは、少しすねているからだろう。
坊ちゃんがいなくなったのを確認してため息をつく。……本当は、キスしてしまいたかった。
私もお金持ちのお嬢様だったら……、私も好きです、って言えるのに。
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ドアが開き、浮き輪やシュノーケルセットを持った家族が次々に電車を降りていく。俺にとっては見慣れた海も、彼らにとっては珍しいものなんだろう。子供たちが「海のにおいがする!」とはしゃぎながらホームを走っていく。危ない。
彼らと入れ替わりで入った電車の中は思いのほか寒かった。外が暑いから冷房を入れているのだろうが、いくらなんでも寒すぎるだろ。
座れる席を探して車内を見渡して驚いた。れいか――開きかけた口を、慌てて閉じる。彼女がこんなところにいるはずがない。それによく見れば、彼女よりはるかに年上のご婦人だった。
「どうかしました?」
「あ、えっと……そこ、いいですか」
「どうぞ」
ご婦人が快く承諾してくれたので彼女の向かいに座ってしまったが、ここはボックス席。他の席が開いているのにここに座るなんて明らかに変だった。それなのに彼女は気にしていないようで、「綺麗な銀髪ですね」なんて微笑んでくれた。
「ありがとうございます」
近くで見ても、ご婦人はれいかに似ている気がした。もし彼女と歳をとるまで一緒にいれたら、こんな彼女を見れたのか……なんて、あり得ないことだ。俺は窓の外に視線を移した。
「塩の香りが気持ちいいですね」
それはれいかと初めて会ったとき、彼女が言った言葉だった。驚いて視線をご婦人に戻す。そしてまた驚いた。れいかが少し屈んで俺をのぞき込んでいた。
「何か釣れました?」
「いえ、何も」
気がつくと俺は電車ではなくケーソンに座っていた。手には釣り竿、傍らにはバケツ。残念ながら中は空っぽだ。
「才能無いんですよ、俺。もう日も沈むし、引き上げようと思ってたとこです」
釣り糸を巻き上げ、立ち上がる。そこで彼女の顔をちゃんと見て……固まってしまった。18年間生きてきて、こんな美人を生で見たのは初めてだった。
一目惚れ。そのあとのことはあまり覚えていない。ただただ、仲良くなりたくて必死になった。観光ですか? 案内しますよ、何泊ですか? どこに泊まってるんですか?――今思えば、怪しいナンパ男そのものだ。しかし彼女は俺を好ましく思ってくれて、電話番号を教えてくれた。
彼女は名前をれいかと名乗った。なんと一ヶ月もの間滞在するのだという。俺は不思議に思うこともなく馬鹿みたいに喜んで、それじゃ、町の隅々まで案内しますよ、と張り切った。観光ガイドには載っていない飯のウマい店、海が綺麗に見える秘密のスポット、女の子が好きそうな雑貨が売っている土産物屋。女の子とデートした経験なんて無かったから、きっと俺はいろんなことが下手だったはずだ。なのに彼女はいちいち喜んでくれて、その度俺は舞い上がった。
そして……舞い上がりすぎてしまった。彼女も俺が好きなんだ、告白は男である俺からしなきゃ――ぐらいのことは思っていた。
彼女が帰る日が近づいていたある日の夕方、俺たちは初めて出会ったケーソンから夕日を見ていた。俺は夕日そっちのけでれいかの横顔を眺めていた。れいかがそれに気がついてこっちを見た。夕日のせいだけじゃなく、その頬が赤い気がした。それで俺はたまらなくなって……彼女を引き寄せ、キスしようとした。
「あ、」
近づけた顔は、彼女の手によって遮られた。
「ごめん、嫌なわけじゃないの……嫌じゃないんだけど、……だけど……」
れいかは涙ぐんでいた。俺がどうしていいか分からずに固まっていると、彼女はぱっと踵を返して走って行ってしまった。夕日の中に消えていく彼女の背中は、はっきりと目に焼き付いている。それ以来、俺たちが会うことは無かった。
れいかが旧華族のご令嬢だったということを、俺はあとになってから知った。昔から近所に立っていた白い別荘が売りに出されたことから、噂が広がったのだ。いわく、一家は家柄こそ古いが、最近は経営していた会社が傾いていて、ついに別荘を維持することができなくなった。別荘での最後の夏を過ごしたお嬢さんは、街に帰れば見合いが待っているらしい。
れいかが名字を名乗らなかったのは、これらを隠したいがためだった。俺なんかがお付き合いできる相手じゃなかったのだ。馬鹿な俺。一ヶ月も滞在する観光客なんて普通じゃない。それを疑問にすら思わなかった。ただ、自分に都合のいい状況を喜んでいた。
「どこまで行かれるの?」
ふいにれいかの声がして驚いた。でも違う。彼女は行ってしまった。俺は電車に乗っていて、前の席にはさっきのご婦人が座っている。
「あ、次までなんで。そろそろ降ります」
答えて、横に置いていた荷物を引き寄せる。一駅で降りるくせにわざわざボックス席に座ったなんていよいよ変なやつだ。それが気まずくて、俺は早めに席を立った。
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向かいに座っていた銀髪の青年が席を立ったから、食べちゃいましょっと。鞄から出かける前に作ってきたサンドイッチを取り出す。もうすっかり夜だけど、今日はこのままもう少し遠くまで行くつもりだから、お夕飯も遅くなるし、いいの。
そういえば前回出した「光の君」は、サンドイッチを得意料理にしたんだっけ。三十路も越えたというのに独り身の騎士様な光の君は、お昼にいつもサンドイッチを持参していた。料理が苦手で、それしか作れなかったのだ。
彼がお仕えする幼い姫君はそのサンドイッチがお気に入りで、「命令よ。一つちょうだい」とおねだりしては彼を困らせた。本当は毒味係を通していない食べ物など、姫に渡してはならなかった。けれど彼は姫君可愛さに、毎日多めにサンドイッチを作るようになってしまう。姫君は大喜び。毎日ご機嫌に彼の元にやってきて、「さあ、早く食べさせて」と、今度は「あーん」を所望するようになった。サンドイッチのあーんなんてやりづらくて仕方がなかったが、無邪気で美しい姫君に彼は逆らえなかった。彼女が彼を好いていることにも気づいていた。自分もまた、許されぬ思いを抱いてもいた。「キスして」とせがまれた時だけはその意に逆らい、プチトマトをその口に押しつけて笑った。
けれどそのささやかな逢瀬はある日人目に触れてしまう。騎士は左遷となり、次に姫君に再会する時には、彼女に婚姻の祝いを述べることとなった。
田舎でとれた秋の実りを献上した彼に、姫君は「サンドイッチじゃないのね」と寂しそうに笑う。彼は静かに「姫君のこれからの人生が、実り多き幸せなものとなりますようにと」とだけ答えその場を去る。姫も、そして自分も、もう二度とあのような実らぬ想いを抱かぬようにと、彼は満月に祈る。
「光る君」シリーズは悲恋ばかりだけれど、私は本当はこのお話はハッピーエンドにしたかった。せっかく三十代の騎士という設定にしたんだし、いつもより男らしく、姫君をさらって駆け落ちして欲しかった。それが無理でもキスぐらいさせたかった。
それなのに担当さんは、大反対。「姫君に手を出す騎士なんて台無しです、忠誠心が足りない騎士に魅力無し!」と大力説。そこまで言うならと悲恋で書いたところ、読者にも好評だった。売れたのは嬉しいけれど、少し悔しい。
そういえば私が気に入っている、港町を舞台にした巻は「光の君が光ってない!」と不評だった。私ってセンスないのかもね。だからネタもなくなっちゃうんだわ。
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「お客さん、終点ですよ」
駅員さんに肩を叩かれて目を覚ます。え? 終点? 混乱して時計を見ると、なんと真夜中。途中で眠ってしまったみたい。
おまけにホームに降りてびっくり。自宅の最寄り駅じゃない。眠っている間に電車は折り返していたらしい。どこかで泊まってくるつもりだったのに帰ってきちゃうなんて、なんて格好つかないの。
改札を出ると、街灯の下に男性が一人。銀髪というには無理があるけれど、そこそこ綺麗なロマンスグレーの髪の人。街灯の明かりのおかげで、その顔もはっきり見える。おでこと口元の小じわ、そして私の大好きな、海のように深い色の瞳。
「コートを着て出なかったみたいだから、持ってきたよ。今夜は雪になるそうだから」
「そう。ありがとう」
コートを受け取り、彼と並んで歩き出す。家までは近いのだ。駅の近くに家を建てたことがこの人の自慢。その代わり近所にはコンビニすらなくて、便利なのかどうか、意見が分かれると思うけど。
「それで、何か浮かんだ?」
なんて意地悪なこと聞くの。何も浮かんでやしないわよ。
私はずっとしたくとも出来なかったキスの代わりに、彼の腕を軽くつねってやった。
短編(サイト時代) 木兎 みるく @wmilk
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