最終話:瀧と龍とわたしで生きてく

 朝になって雨はようやく上がった。


 今日は、帰れる。月出くんの元に。


 そういえば首肯社のラノベでエッチじゃないやつで、ドラゴンが出てくるのがやたら多かった。

 なぜかドラゴンが会社勤めの女の子に変化へんげしてたり、ドラゴンにクルージングに連れてってもらったり。


 なんとなく瀧と龍とはセットのような気がする。漢字もすごく似てるし、っていうか『さんずい』あるなしの違いでしかないし。


 そうだ。


 帰る前にもう一度お瀧にお参りしよう。


 ・・・・・・・・・・・・


 予感はあったんだよね。天候の変化がぴったりだから。


 昨日の雨で水量を増した瀧の、その水しぶきが日の光に照らされて、瀧壺に虹が見える。

 いわゆるアーチのような虹じゃないけれども、すうっ、とまっすぐな七色が・・・くっきりとはいかないけれども溶け合った感じの色の虹が、昇っている。


「なんか、いいな」


 荘厳さというよりはそのコンパクトな虹のかわいらしさにほっこりして、ぽん、という感じで手を合わせようとしてたら、声をかけられた。


「また、会ったわね」

「お、お母さん!」


 おっと。『誰があなたの母さんよ!』とか言われちゃったりして。

 なんて思ったけど、月出くんのお母さんはそんなベタな人じゃなかった。


「小倉姪さん」

「はい」

「日昇光のことが、好き?」

「は、はい」

「どのぐらい好き?」

「だ〜い好きですっ!」

「そう・・・日昇光に抱かれたい?」

「えっ!? は、はい・・・まあ、一応わたしも女なもんですから・・・」

「方法を教えて上げましょうね」

「!」


 月出くんのお母さんは、とてもわかりやすく説明してくれた。


「小倉姪さん、あなたが処女のまま身籠もるのは事実よ。そこの部分は理屈は訊かないでね。赤ちゃんがあなたのお腹の中に放り込まれるだけだから」

「なんか、すごいですね」

「それでね、月影寺の檀家さんに産婦人科の開業医がおられるでしょう」

「はい。斎藤産婦人科さんですね」

「そこへ行くのよ。そしてね、こう言うの。『女の子のような気がするんです』って」

「なんですか、それ?」

「宣言するのよ。必ずよ。そうしないと、あなたのお腹の中に入ったのが、この私、ってことにならないから」

「あ・・・じゃあ、やっぱり」

「それでね。ちょっと辛いことだけど、日昇光からは最初は疑われるわ。『自分以外の男とをしたんだろう』って」

「それはそうですよね。月出くんが身に覚えがなかったら普通はそう考えますよね」

「そしたらね、泣き落とすのよ」

「泣き落とし、ですかっ!?」

「そうよ。抱いてみれば分かる、って。でも日昇光ははしないはず。代わりに、2人で手を繋いで寝るのよ」

「はは。まさしくウブな寝んねですね」

「それでね、本当に女の子が生まれるわ。名前はこうつけて。『美露みろ』って。必ずよ」

「みろ・・・ちゃん」

「そうすれば、その赤ちゃんがあなたのお腹から生まれた時に、あなたの人格とわたしの人格が分離するわ。それなら日昇光もあなたも誰に遠慮することなくができるでしょう」

「そういうシステムですか・・・」

「あとは好きなだけ日昇光とことをして何人でも生んでちょうだい」

「うーん」

「・・・どうしたの。まだ不明点でも?」

「今のお母さんの姿はどこから見ても生きた人間です。ものすごーくリアルです。悪質な詐欺グループがなんらかの目的でわたしを騙そうとしているんじゃないかって疑念が消えません」

「ふう・・・月影寺の跡取りであるあなたですらそうなのね・・・でも、それはある種正しい危機回避能力でもあるわね」

「わたし、意外とリアリストなんです」

「でも、忘れてるわよ、小倉姪さん。本当の事実・現実の世界は、この那智のお瀧のエリアでしょう」

「あ・・・そういえばそうでした」

「くっきりはっきり見えるからってそれが現実とは限らないわ。本当の現実の姿をあなたに見せてあげる」


 あ!


 刹那しかなかったよ。

 お母さんがドラゴン・・・じゃなかった、龍に変化へんげしたんだ!


 それはね、決して鱗ギラギラの生臭い感じの姿じゃなくってね。

 煙みたいな・・・そう!

 スモークが焚かれるロックバンドのステージ上に青いレーザー光線が照射されて、ホログラムみたいに体長5mぐらいの美しい龍が、那智のお瀧を昇っていく・・・


 わたしはこっちのリアルさがしっくりくるね!


 その龍は、口を開かずにわたしに語り掛けてきた。


「わたしは那智の大瀧に住まう龍女りゅうめです。その昔、1000日の日照りが続いた折、月影寺の御本尊が我が皮膚に竹筒の水を滴らせて命を救ってくださったのです。わたしは恩義に報いるために月出日昇光をあなたと巡り会わせました。月出日昇光は普通の人間ですが、あなたと一緒にいることによって人々に多くの恩恵をもたらします。月影寺の御本尊にも、あなた自身にも」


 わたしも口を開かずに龍に語りかける。


「龍さん」

「今のうちから美露みろとお呼びなさい。娘となるのですから呼び捨てで構いません」


美露みろ。あなたは、月出くんのお母さんなんだよね。あなたが月出くんとわたしの赤ちゃんとして娑婆に生まれてきたら、とーってもややこしい関係になると思うんだけど」

「案ずる必要はありません。自然と記憶は消えていきます」

「月出くんの、わたしと美露が同一人物じゃないか、って疑問とかも?」

「そうです。自然に都合の悪い記憶は消えていきます。そういうものです」

「ふ、ふふふっ! 都合の悪い・・・確かにそういうもんかもね!」


 美露はもう瀧の一番上まで達して、あとはただただ空に吸い込まれていくだけだったよ。


 ぼんやりと淡く空の色に溶け込んでいく美露。


 次に遭う時はわたしはまだ処女で、そのあと非処女になるのか。


 月出くんの手によって!


 う・・・なんか、ものすごくいやらしい感じの描写になっちゃった。


 さて。


 これでおおまかな用事は済んだし、後は電車に乗るだけなんだけど、駅まで今来た道通るのもなんかね。


 違う道、違う道、って行ってみようか。


 なんとなく方角は合ってるけど順路は明らかに違うな、って道を通った。


『トンネルだな・・・』


 これは言葉に出さずに心の中で思った。なんでかわからないけれども喋るとトンネルの中の何かに気づかれてしまうような気がしたから。


 通らない方がいいかな、とも思ったんだけど、今更経路を変えることの面倒を想像してまっすぐ入って行った。

 向こう側の日の光が見えるぐらいの短いトンネルだから、仮に何かが居たとしても手出しされる前に抜けちゃうだろ。大丈夫大丈夫。


「カミツカエ」


 呼気が震えた。


 あ、ダメだ、って瞬間的に思った。


 だって、この声って、わたしがお盆やお彼岸になる度に檀家さんに地獄の恐ろしさを絵解きするために御本尊の横に吊る、その掛け軸の地獄の淵から聴こえてきた、あの声。


 わたしが初めて御本尊と喋ることができるようになったまだ小さかったその日に、わたしを本堂の木張りの床をバリバリと破り去ってその縁の下のまだ底の、もしかしたら地球のコアの溶岩の中へと引きずり込もうとするような陰険な声。


「オマエ、誰だ」


 けれども、わたしの中でクールに自覚していた自分の恐怖心とはまったく別の感情が勝手に口を動かして、そいつに問うたよ。


 今なら分かる。


 これがわたしと同じ瞬間、同じ娑婆で異なる年齢の人間として同時に存在してた、月出くんのお母さんの感情なんだね。


 強い女性だったんだな。


「カミツカエ、しゃがめ」


 トンネルをまだ1mと進んでないのに背後はもうソイツに塞がれてる。

 厚いだろうと推測される土塊が入り口を遮光し、コンマ数mmの薄っぺらい光の面だけがわたしの顔の産毛を照らし出す。そしてその土塊の表面にはムカデやゲジゲジがモソモソと蠢いている。


「いやだね」


 わたしは自動的に呟いて出口と思われる光へ向かって一歩足を出した。

 と、やたらと湿っぽい手の平をした右手単体の肉片が、わたしの右足首を、きゅっ、と握った。

 推進力が直線ではなく、わたしの頭髪を頂点として、分度器の更に半分である90°分の弧を描いて、びとっ、とアスファルトに顔をぶつけた。


 なんとか首を傾げて鼻じゃなくって、右頬を地面に叩きつける形に持っていった。

 鼻は無事でもアスファルトに散らばっていた小石が頰にめり込んで、先が尖っている細かいものも混じっていたんだろう、出血を感じた。

 だけでなく、頬骨と顎骨に極大の鈍痛を感じる。多分ヒビぐらい入ったろう。


 わたしはアスファルトに対して上になっている左目尻を渾身の力でつり上げる。ツリ目で威嚇するつもりなのさ。


 けれどもソイツはわたしの脅しなんか毛ほどにも取り合うようなヤツじゃないみたい。もう一度声がした。


「しゃがめ」


 しゃがんだ。


「手をつけ」


 手をついた。


「ふふ。そのまま尻を上げろ」


 抗う意思をこそぎ落とすような声質だね。ううん、そもそもこれって本当に音声なのかな? もしかして、獣の呻きをわたしが勝手に脳内で翻訳してるんじゃないかな?


「カミツカエ。オマエのその姿勢がなんだかわかるか?」

「知らない」

「メス犬だ。オマエはこれからこの場で、メス犬に輪廻転生する」


 ああ。

 来るんじゃなかった、とは思わないよ。

 どのみちコイツとはどっかで巡り会うはずだったろうから。


 コイツはウチの御本尊の宿敵・怨敵。一方的に怨んでるのはコイツだけどね。


 今度は自動口述じゃなくって、わたしの中の月出くんのお母さん・・・美露ってことになるんだろうね。美露がわたしに答えだけ教えてくれて、わたしの意思でもって唇を震わせてソイツの名前を発音したよ。


「『悪鬼神あっきしん』め」

「ほお。正解だ」

「姿を見せろ」

「見たらオマエは狂い死ぬぞ」

「・・・見せろ」


 見たいなんて思わないけれども、コイツの身体的構造を知りたかった。


 おじいちゃんがおばあちゃんと離婚して月影寺を出ていく前に言ってたよ。


『大昔に悪鬼神あっきしんに危うく食われそうになったと御本尊がおっしゃった。カミちゃん、悪鬼神あっきしんに会った時に無心で口をついて出るぐらいに唱え言葉を暗唱そらんじておくんだよ』


 けれども、どうしようか。

 姿を見せろ、って言ってはみたけど、おじいちゃんが教えてくれた筈のその暗唱すべき言葉が脳に湧かない。


 口も、勝手に動いてはくれない。


 わたしと美露の感情が初めて同調して一緒になって焦る。


 あーあ。どうせ最初の共有なら、もっと幸福な感情がよかったのに。


 悪鬼神あっきしんが光量を調節し始めた。

 トンネルの入り口の隙間がほんの少し広がって、光がわたしの背後から差し込んでくる。


 悪鬼神の躯体が、輪郭を隠す出口からの逆光でなくって、入り口からの隙間光で絵を描くように線が太くなり始める。


 御本尊は、その姿のおぞましさを憐れに思ったんだろう。

 そうでなければ、久遠に人々を救おうとする御本尊が、悪鬼神ごときに滅せられようとするはずがないよね。


 もうすぐ、悪鬼神の顔が見える。見えてしまう。


 わたしは『唱え言葉』を思い出そうとする。けれども、おじいちゃんから聞いたはずのそれが、どうしても脳裏に浮かんで来ない。多分おばあちゃんが、御本尊と会話できるおじいちゃんと、そしておそらくその異能を引き継いだ跡取りたるわたしに嫉妬して、覚え込まないよう禁句にしたんだろう。


 恨むよ、おばあちゃん。


 そういえば。


 ラジオ収録の時、このわたしのお世辞にも美人とはいえない姿を前にして、月出くんはよくあんなにもたくさんのわたしを讃える言葉を紡いでくれたよね。

 水をどれだけ供給しても枯れることのない清らかな地下水脈みたいに、言葉を溢れ出させてさ。


 わたしも紡いでみればいいのかな。


「恋、愛、純愛、悲恋・・・」

「ふ、ふ。思い出せるかな? もうじき見えてしまうぞ、この顔が」


 月出くんのことを思い出そう。


「冷愛、渇愛、慈愛・・・」


 コー・・・という吸気のような音が輪郭の窪みあたりから聞こえた。


 ああ・・・月出くん!


「嘘、虚偽、偽り・・・事実、真実、誠実」


 真・・・実・・・誠・・・訓読みって『まこと』・・・?


 まこと!


「南無阿弥陀仏ということは、まことの心と読めるなり、まことの心と読む上は、凡夫の迷心めいしんにあらず、まったく仏心ぶっしんなりっ!!」

「キョエエエエエエっ!」


 わたしは早口言葉の王者のように『唱え言葉』を神速で放ったよ。

 多分3秒とかからずに言い終わった時、悪鬼神の輪郭がちりっ、と崩れた。


 ズシャズシャズシャズシャ・・・


 固まりかけた汚泥がバラバラに砕けるように、その足元に積み上がった。


 わたしはそのグロテスクな・・・けれどもなんだか憐れな堆積物を、グシャ、とデッキシューズのソールでにじり潰して、逆光だった出口の光に向かってダッシュしたんだ!


 ゴ・ゴ・・・!!! ズシュッウウウ・・・!!!


 わたしが飛び出るまでにトンネルの天井は9割がた崩落して、振り返ったら瓦礫が風圧でわたしの頰にビシビシビシ、っと小口径の弾丸みたいにぶつかってきた。


 でも、避けるまでもないよ。


 帰るんだもん。


 わたしはスマホを手のひらに置いて、LINEをタップしたのさ。


小倉姪:月出くん、トンネルが崩れたってニュース見ておいてね。帰ったら武勇伝教えてあげるね! (o^^o)


 さあ、帰ろう。


 だって、月出くんとわたしの赤ちゃん・・・月出くんのお母さんでわたしで美露みろって名前のかーわいい女の赤ちゃんを生まなきゃならないからさ!






 ・・・・おしまい・・・・



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小倉姪 カミツカエさん naka-motoo @naka-motoo

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