瀧にざっ、と流れるようなわたしのココロを
月出くんは満足してくれたかな?
たった一夜のライブで月出くんのギターを封印してた日々を取り戻せるなんて、そんなこといくら長閑なわたしでも思ってはいないけれども。
ほんの、毛ほどでも、月出くんが心から、ああよかった、って思える瞬間があったら、わたしは本望なのさっ!
だって、月出くんはわたしの月。わたしの太陽。
名前が凄いもん。
月が出て、日が昇る光、だよ?
こんなに希望に満ちた名前ってある?
そりゃあ、わたしの名前もさ、小倉姪カミツカエ、なんて。カミツカエ、って仏様にもお仕えしつつ神様にもお仕えするようにという気持ちを込めておばあちゃんがつけてくれた名前なんだよね。だからわたしも自分の名前、職業にマッチしてるな、って大好きだけどさ、月出くんの比じゃないよね。
けれどもね。
敢えてお寺の
そんな訳で小学校3年生の時から10年余りで初めて
あ、クビ、ってことじゃなくって、休暇の
向かうのは和歌山県。
那智の大瀧。
陸の孤島、って失礼な言い方かもしれないけど、ほんとにそうだよ。車で来ようかとも思ったけど、1人でここまでの長距離を運転するのはちょっと自信がなかったからさ、電車にした。
ほんとに遠い。
けれども、だからこそ意味があるのかもね。
実はね、月出くんと一緒に行っておいで、っておばあちゃんは言ったんだよね。そこにはおばあちゃんなりの決意が込められてた。
若い男女が2人きりで泊りがけで遠出する。
行き先が那智大社だったとしても、何も起こらないって考えるほどおばあちゃんはお人好しじゃない。
「カミちゃん、わたしゃ、疲れたよ。ラクさせておくれ」
そう言ったのは、わたしと月出くんをお寺の後継者とはっきり認めてくれた、ってこと。
この意味は重大。
お寺を後継するだけじゃなくて、ウチの御本尊とのお付き合いを引き継いでいくことだもん。
わたしは御本尊とお話しできるけど、月出くんにもそれを日常にしてもらわないといけない。仮に月出くんはお話しできないままだったとしても、わたしが御本尊とやりとりするその様子を狂人として捉えることのないようにしてもらわないといけない。
おばあちゃんは御本尊と話せずじまいだからね。
ウチで御本尊と話せたのは、おじいちゃんだけ。
おばあちゃんも、お師匠・・・お父さんも御本尊とは話せない。
外から小倉姪家に婿養子で入ってきたおじいちゃんが御本尊と会話できることに、おばあちゃんは複雑な思いだったんだろうな。
分かるよ。
実は、これはおばあちゃんに隠してるんだけれども。
お母さんも御本尊と会話できるんだよね。
おばあちゃんもお父さんも、外から来たおじいちゃんが話せるのに、家の跡取りとして生まれた自分たちが話せないことに、なんだか理不尽さを感じたんじゃないかな。
だって、子供の頃から、友達と遊ぶ前に、ううん、それどころか、宿題をする前に御本尊の前でお経を上げて、それからじゃないといけないっていう生活をずっと送ってきてるのに、ある日突然小倉姪の苗字を名乗ることになったよそ者が当たり前のように御本尊とお話しする。
もしお母さんまで実は話せるんだ、ってことが分かったらそれこそ自分たちのアイデンティティにまで関わるようなことになってたと思う。
だからお母さんは決してそういう素ぶりを見せなかった。
その代わり、わたしと2人きりの時、お母さんは一緒に御本尊の前に正座してくれて、わたしが御本尊に駄々こねたりした時に、諭してくれたな。
『カミツカエ、御本尊も大変なのよ』
って。
その時にね、お母さんはこんな例えを出してくれたな。
『ねえ、カミツカエ。お日様は1日も休まずに私たちを照らし続けてくれてるでしょ。お日様が文句言ったこと、ある?』
『ううん、ない』
『お月様は夜空にぽっかり浮かんで光と、それから露を滴らせてくれるでしょ。お月様が、ああもうやってらんないよー、って言ったことある?』
『ないー』
『神さまも仏さまもおんなじ。ウチの御本尊も。私たちがゴロン、て寝っ転がって高いびきの時も、ああやれやれ、ってお守り通しなのよ』
『あ、そっか。じゃあね、わたし、御本尊によしよししてあげるよ』
『わ。カミツカエ、偉いわー』
『大変そうだから、わたしが御本尊のお友達になってあげるのー』
懐かしいな。
お母さんはきっと神社の娘として生まれて、何かそういう資質を持ってたんだね。
お母さんの実家は、四国の愛媛県と香川県の境目ぐらいの所にある山の上の神社。いつか行ってみたいな。
でも、今日は本州だけれども、遠い遠い熊野大社に来てる。わたしは思うところあって、1人で行くよ、って月出くんに告げて出てきたんだ。
実は本当に小さかった頃、多分4歳ぐらいの頃、わたしが御本尊とお話しできるんだって分かった時にまだおばあちゃんと夫婦で、そして生きてたおじいちゃんに連れられて2人で那智大社に来たんだよね。
那智大社は神仏習合の地。
『神というも仏というも一体分身にして別あるにあらず。衆生済度のために仏と神と現れ現世には人間の長久を守り給う』
この法然上人の歌の通り。
月出くんたちにお通夜を手伝ってもらった、キリスト教と仏教と無宗教のバラバラなガードナーさん一家の追悼に、一節だけ仏教からの引用を許してもらった、その言葉通りの地。
わたし1人で来るのは今日が初めて。
そして、今日は以前とは立場が違う。
わたしは月影寺の跡取りとして、責任と義務を自覚しつつこの場に立ってる。だから、なんてお参りすればいいのかも、吟味してる。
本音を言うとね、
『月出くんと幸せになりたい』
って祈りたい。
2人だけの恋愛を追求したい。
でも、それはわたしたちには許されないんだ。
だって、わたしは月出くんのお母さんなんだもん。
月出くんには内緒にしてたけど、御本尊がはっきりとそう教えてくれた。
月出くんはその可能性はあると思ってるからわたしにキスと愛撫以上のことは求めない。
ごめんね。
わたし、分かってるよ。
月出くんは、一度も女の子の肌に触れることなく、今まで生きてきてる、って。
さするような、抱擁の延長のような、ソフトな慈しみの愛撫と、気持ちのこもったキスとをわたしにしてくれたのが、唯一彼が女性に触れた経験。
月出くんに申し訳ない。
だって、わたしと結婚する以上、それ以上のことを彼はできないんだもん。
多分、わたしと肌を重ねることは許されることではあるんだと思う。
そういう輪廻をして現世で結ばれる夫婦も必ずいるはず。
でも、それは知らないからできること。
わたしたちのように、知ってしまっている2人に、それはとても、とーっても難しい話。
ましてや月出くんの性格というか人格では、そういうことを自分の選択肢として最初から持っていないと思う。
ごめんね、月出くん。
わたしと恋愛したばっかりに、男の子としての正しい欲求に答えてあげることすらできない。
それに。
月影寺の跡取り、っていう立場なのに、このままじゃわたしは月出くんの赤ちゃんを産むことすらかなわない。
月影寺が、絶えてしまう。
「こんにちは」
神様と仏様のお社に参拝した後、わたしは那智の大瀧にも手を合わせたいと思ってその道を歩いてたんだ。
そしたら、髪の長い、若いけれどもわたしよりは間違いなく年上の女の人が、淡いブルーのワンピースを瀑布の風になびかせて長すぎる裾を瀧壺の飛沫で濡らしていた。
わたしが瀧の轟音で音声を聞き取れずにいるともう一度彼女は繰り返してくれた。
「こんにちは」
「あ・・・こんにちは」
「おひとり?」
「はい。あなたは?」
「わたしもひとり。ねえ、一緒にお参りしない?」
断る理由もないから連れ立って瀧の正面まで歩いたんだ。
瀧の前まで来ると女の人はそのまま気をつけの体制で合掌した。
なんとなくわたしもその人が合掌を解くまで目を閉じて手を合わせてたんだ。
そしたらね。
「あなた、もうじき赤ちゃんができるわよ」
そう言ったの。
余りにも突飛な言葉だったから呆然としちゃって、一瞬反応を忘れてしまったんだよね。
30秒ほどしてようやくわたしは一言訊いたさ。
「どういう意味ですか?」
って。
どういう意味も何も、シンプルな言葉だったから、わたしが妊娠する、って以外の解釈のしようがないんだけれども、それでも彼女は律儀に丁寧に答えてくれた。
「あなたと、恋人の間に、赤ちゃんを授かるのよ。pregnant よ」
英単語まで使って誤謬のないよう取り計らってくれた。
わたしは質問の角度を変えてみた。
「恋人、って、わたしの好きな人のことですよね」
「そうよ。月出 日昇光くん、でしょ?」
「あなた、誰なんですか?」
この質問には女の人は答えようとしなかった。
オチをバラしたくないってことなんだろうか。それとも・・・
「あなた、ウチの御本尊の化身ですか?」
まだ、答えない。
それと、よく考えたらわたしと月出くんの間に赤ちゃんができるということは、男女の既成事実、つまり、そういうことを具体的に、体を使ってやるしかないわけだから、こういう質問が成り立った。
「これからするってことですか?」
ああ。
この神聖な瀧の前でする話じゃないな、って漠然とは思いながら、それでもわたしは彼女に訊き続けるしかなかった。だって、もしわたしと月出くんが肌を重ねての具体的な行為をするなんてことになったら、わたしは多分1カ月ぐらい前から心の準備をしないといけない。
それほどにわたしにとっては重大な出来事なんだよ。
そしたらね、彼女はこう言うのさ。
「大丈夫。そんなことしなくたって、気がついたら赤ちゃん、できてるから」
え?
それは困る!
「わたしたち、キスしかしたことないんです。その、わたしだってそういうことしてみたい気持ちはあるので、なにも無しにできちゃったら困ります!」
「そう・・・でも、月出 日昇光くんがそれをしたがらないでしょ?」
「あなたはわたしたちの何を知ってるんですか? もう一度訊きます。あなたは誰なんですか?」
「答えたら、あなたが困るわよ」
「構いません。答えてください!」
「日昇光の母です」
瀧の爆音が、わたしの耳鳴りになった。
耳鳴りからまた瀑布の水の音に変わると、もうその女性は居なかった。
・・・・・・・・・・・・・
日帰りのつもりだったけど、突然の豪雨で電車が動かなくなった。ほんの少しスケジュールがずれただけでこの地から別のエリアへ移動することは途端に困難になる。
わたしは月出くんにLINEを送った。
小倉姪:お母さんと遭ったよ
月出 :え
たったこれだけの応答。でも十分だよね。月出くんなら理解してくれると思う。
取り敢えず駅まで行って、宿を当たってみた。いくつかチェーンのきれいなホテルはあったんだけど、なんだか気にくわないんだよね。
わたしは民宿に泊まることにしたさ。
多分熊野古道を歩こうと思って来たんだろうね、女子だけのグループ客が何組か居たよ。ソロ活動はわたしだけ。
「もしよかったらご一緒しませんか?」
2人連れのアラサーぐらいに見える女子組から大広間で食事してると誘われた。わたしは自分のお膳を、つつつ、と畳の上を滑らせて彼女たちに合流したんだ。
2人は同じ会社の同期で間接部門所属なんだって。この年齢までは仕事も順調に進んで来ていたけれども、『将来』という曖昧な概念に対して漠然とした不安を持つようになったそう。
どこかでその不安の塊というかどろっ、とした半液体のモヤモヤを解消したかったんだってさ。
「わかります。瀧で、ざっ、と流すんですよね」
わたしは2人に自分の目的の一端を示してみた。
共感してくれるかと思ったけれども、そうじゃなかった。
「あのね。私らは流せないんだ」
「? どういうことですか?」
「なんだか余分なものも含めて流しちゃったら今まで積み上げたものが全部消えちゃう気がして」
「ああ・・・それもなんとなくわかります」
「あなた、若いわよね? いくつ?」
「
「ああ、うらやましい!」
彼女たちだって十分若いんじゃないかな、と思ったけれどもよく考えたらわたしが既に若くない。
その昔、人生が本当に50年だった頃はティーンになった途端に老化の一途を辿るような感覚を持っていたと御本尊から聞いたことがある。
50年。
なんだか、とても寂しい。
死ぬのが怖い、っていう感覚も間違いなくある。
わたしの貧弱な審美眼をもってしてもきれいな部類に入る目の前の2人の女性にしたって、タイムリミットを等しく50年と考えれば、わたしより確実に約10年ずつ老化現象を先取りし、わたしより約10年先に死んでしまう、はずだ。
それが、とても寂しい。
昼間、瀧で見た月出くんのお母さんと名乗る女性にしたって、もし当の本人だとしたら、もう死んでるのよね。
魂は生き続ける、という概念は、このわたしの寂しさを埋める役割をまったく果たしてはくれない。
「ねえ、あなた。大丈夫?」
ショートの女性から声をかけられて、はっ、とした。
「すみません。もう休ませていただきます」
・・・・・・・・・・・
食事を腹6分目ぐらいで終えたわたしはお風呂をいただいた。
大きな民宿なので、風呂場は広く、浴槽もいっぺんに5人ぐらいは入れそうな感じ。
底は浅く、体育座りをしても余裕を持って鎖骨から上ぐらいは湯面から出すことができる。
でも、わたしは、たぷん、と頭までそのまま沈んでみた。
わたしの髪がお湯と湯気の境目でゆらゆら揺れているのが毛根の引っ張られ具合で分かる。
もう一度、月出くんのお母さんの顔を思い浮かべてみる。
とてもきれいな人だった。
本当にあんな美人が、わたしと同一人格なんだろうか?
わたしと同じ時代、同じ空間に、互いの生まれ変わりとして現世に同時に存在していたんだろうか?
うーん。
じゃあ、こういう仮説はどうだろう。
昼間の、月出くんのお母さんを名乗る女性が見えたのは、月出くんのお母さんとわたしが一体であるってことの、わたしの自覚症状では?。
月出くんのお母さんは悪性リンパ腫が全身に転移して、癌の痛みに耐え難くて月出くんに付き添われ、神社を参拝して回った。
まだ50歳に満たなかったはず。
彼女を憐れにお思いになった、彼女の思考や人格とシンクロするいずれかの神社の神様が、わたしとの縁を作ってくださったとしたら。
わたしのやるべきことは、次の2択かな。
①月出くんのお母さんの人格とわたしの中で仲良く暮らす。
②月出くんのお母さんの人格をわたしの中から追い出す。
うーん。
月出くんのお母さんがわたしと同一人物である限り、月出くんはわたしにそういうことをしないだろう。
赤ちゃんができるのはいい。
でも、そんな
わたしは月出くんと、そういうことがしたいのさっ!
これって、エッチなこと?
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