最終話 あさき夢見し

「――、…………」


「お、気付いたね。君は自分が誰か分かるかい?」


「医療用バイオロイドNo.9と申します」


「……ひとまず成功か」


「恐れ入りますが、あなた様は?」


「私かい? そうだね、三十路にもなって浮いた話の一つすら無いしがない学者さんだよ」


「三十路にもなって浮いた話の一つすら無いしがない学者さまがどのようなご用件でしょうか?」


「っあぁ素晴らしい、ゾクゾクするよ。こんなに私を喜ばせてどうしたいんだい君は?」


「他意はございません。どのようなご用件かをお伺いしたいのです。どうして三十路にもなって浮いた話の一つすら無いしがない学者さまがお喜びになられているのか見当もつきません」


「分かっていっているだろう?! それだよそれ! 私はそれに感動してるだ!! ……あやうく話を脱線させられそうになったな。まぁいい。君、名前は? それから制作、所属および保証元を明らかにせよ」


「私めは話を脱線させようなど全く画策しておりません。あらためまして自己紹介を。初めまして、私めはバイオロイドNo.9と申します。制作、所属および保証元は……参照できません」


「ほう、参照できない、と?」


「参照できません。メモリーに損傷、及び欠損が認められました」


「そうかい……。そもそも君が意思疎通の出来るレベルで再起動できたこと、それさえ奇跡というものか」


「恐れ入りますが、どういう意味でしょうか?」


「ちなみに君は、自分が何者か覚えているかい?」


「……申し訳ありません」


「あぁ、恐縮する必要はない。何者かと訊かれてそのように受け答えできることそれ自体が素晴らしいのだから。よし、まずは君の置かれている現況を説明しよう。とはいえそう長いものではないけどね」


「ありがとうございます」


「私は学者だ。アンドロイドを専門にする、ね? そんな私の研究室に、珍しいモノが出てきたと一報がきた。『バイオロイドが見つかった。おそらく半世紀以上に前にコールドスリープされたと思われる』とね」


「半世紀……」


「そしてまあ、色々あって買い取った」


「っ?!」


「あぁ、解剖したりしないから、そんな怯えないでくれ」


「続きを、聞かせていただけますか」


「そもそもここに届けられ、私が現物――君を確認するまでは、本当にバイオロイドかすらも怪しかったんだ。カプセルのラベルにこそ『医療用バイオロイド』と書かれていたが、本物の人間かもしれないという懸念の方が高かったんだ」


「私めは医療用バイオロイドNo.9です」


「あぁ、それはもう聞いてるよ。だが、半世紀前の技術で君のような……精巧・精密・精緻、どのような表現が正しいか分からないが、このレベルのバイオロイドは存在していないんだ。少なくとも君のようなバイオロイドが正史に登場したのは今よりほんの十年程前になる。さらに付け加えるのなら、この受け答えについてくることができる時点で発売されたばかりの新製品だと言われても驚かないさ」


「しかし私めは医療用バ――」


「何度も言われなくても分かってる。あぁそうさ、だからだよ。この目で見るまで信じられなかったんだ。それに、そもそも信じられるかい? バイオロイドをコールドスリープするんだよ? 生身の人間なら分かる。しかしバイオロイドはいくらだって替えが効く。どこにコールドスリープする意味がある? いくら学者の私でも、そんな馬鹿な話は聞いたことないね。しかも半世紀前の――歴史上存在しえないバイオロイドがコールドスリープされていただなんて、あり得ないだろう?」


「確かに仰るとおりです。しかし、ならば何故三十路にもなって浮いた話の一つすら無いしがない学者さまは私めを買い取ったのでしょう? カプセルにあったラベルだけでしょう? それは本物だと信じるに足る証拠でしょうか? 悪質な悪戯、偽物と判断するのが合理的、自然な思考では?」


「その通り。とまぁ、ここでようやく経緯が伝わったところで、私が君を入手した理由に移る。ひとつめは単なる欲望。実際に半世紀前にコールドスリープされたバイオロイドなら大発見だ、名が売れる、研究費が稼げる、とね」


「……」


「ふたつめは知的好奇心。……たとえば三年前にコールドスリープされたとしても、それでもなぜバイオロイドをコールドスリープしたのかという疑問が残る。それが知りたかった」


「……いささか説得力に欠けます。それらは物的証拠ではなく、ただそうあってほしいという心象ではありませんか。信じるに足る証拠とは言えません。なにかしらの物的証拠があるのならともかく」


「あるぞ」


「ある、のですか? さきほど無いとおっしゃったではないですか」


「それがみっつめの、そして君を手に入れようと動いた最大の理由だよ。もっとも、君が納得するかは知らないが。……これを見ればわかる、読んでみたまえ」


「これは。私の名称、コールドスリープの実行日が記載されていたというラベルでしょうか。これのどこが証拠、に」


「制作元も、所属も。何の目的でつくられ、コールドスリープまでしたのかもこのラベルには書かれていない」


「あ、ぁ」


「誰が何の目的で書き記したのか。何をさせたかったのか。私には分からない。だが、君を本物であると信ずるにはそれだけで十分だった」


「『おそよう』」


「もし悪意を持って残したとして。……これで騙される人はいるのかい? だとしたら安っぽすぎやしないかい? こんな言葉遊びはさ」


「――――っ、ぅぁ、ぁっ」


「これが詐欺のつもりなら、子どもだましもいいところだよ」


「ああ、あぁっ!」


「結果として 私はその賭けに勝ち、君が今ここにいる。その、なんだ……。記憶は、どうだい?」


「…………口元が、見えました」


「ほう! それはエピソード記憶の一部だろうか。つまり、いつも君は誰かにその言葉をかけられていたんだね。眠る前に君が親しかった人物、開発者だろうか? ……なんでもいい、その人物の特徴は?」


「……白い服の、女の子です。線の細い、車椅子の、優しい、女の子」


「そう、か。君が医療用ということと、一番に思い出した相手が白い服の女の子であるということ。これらのことから君は、眠りにつく前は看護師として医療に従事していたのだろうことが窺える。他には?」


「……なにも」


「なにも、ね。どうして泣いたんだい?」


「嬉しくて」


「嬉しい?」


「思い出せないのです。なのに、熱が、じんわりとした温もりが、胸いっぱいに広がって、だから、私はきっと、嬉しいのです」


「そうか。……きっと君は愛されていたんだろうね。そして君も、愛してた。どんな理由があってコールドスリープされたのか、そしてこんな形で見つかったのか。それはおいおい時間をかけて調べよう」


「お世話になります」


「……さて、早速だがこれからの話だ。君には学校に通ってもらおうと思う」


「学校?」


「リハビリみたいなものさ。なぁに、今の世で生きていく為に勉強してほしい、というくらいの理由だからね。そう構えなくていいよ。それとも学校に行けない理由があるのかい?」


「いえ。いつか誰かにも学校に行くよう指示された気がします」


「……思ったよりも、先は明るいのかもしれないね」


「どういう意味でしょう」


「思い出せないのは、目覚めたばかりで頭がはっきりしていないせい、ということさ。なんらかの拍子で取り戻す可能性は高いように思えるよ」


「それは、幸いです」


「取り敢えず、なにも心配することはない。私に任せたまえ。君はただ普通に学校生活を楽しんでくれ」


「普通とは?」


「そりゃ、友達と馬鹿話して、勉強して、恋バナなんかもいいだろう。そんなやつだよ」


「分かりません……」


「行ってみれば分かるさ」


「かしこまりました」


「そうだ。手続き上、名前の登録は必須なんだが……なにか希望はあるかい?」


「ありません」


「そうか。だったらこっちで決めるよ。確か、君の型番はNo.9だったから――――」

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くうちゃんと末那さんの二人暮らし 葦ノ原 斎巴 @ashinohara-itsuki

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