第34話 されども貴女と

 カプセルに入りなさいと。

 ただ命令するだけで、それだけで良かったのです。


 こんな回りくどいやり方など必要ありません。末那さまが、お心を痛めることなどもっと必要ありません。


 末那さまに連れてこられた先の、穂乃香さまと先生が待っていた部屋。そこには、人が入れるサイズのカプセルが二つ並んでました。


 無機質な円筒形はつるりとした光沢を放っています。型番や名称のプレートもなく、特徴がないことが特徴の代物でした。


 ただの人だったなら、気付かなかったことでしょう。

 ですが。私めには、分かってしまいました。


 末那さまが私めを騙す?

 そんなこと、出来るわけがないでしょう。


 末那さまの声が普段より上擦っていたことも。表情には出ておらずとも、心音が乱れていたことも。

 このカプセルが移植用でないことくらい、全て分かっておりました。


「……よろしいのですか、末那さま」


 ですから、いえ、だから、でしょうか。


「ありがとう、くうちゃん」


 その切なげな笑みを浮かべる末那さまを目にしたときに、


「っ、末那さま!」


 強く、強く抱き締めたいという欲求に抗うことはかないませんでした。


 ありがとうございます。

 騙すほど、私めに好意を向けていただいて。

 私めは幸せでした。


 でなければ、どうしてカプセルになど入れるでしょう。

 えぇ、分かっています。これが矛盾だってこと。


 矛盾です。私は、末那さまを救うために生まれ、今でも救いたいと思っています。なのに嘘だと知っていて、このカプセルに入りました。

 ねぇ、末那さま。

 先生が仰っていたことを、覚えてられますか?

 破滅をする恋がある。自己を犠牲にしてでも焦がれてしまう。それが恋というらしいです。

 私めにとって、自己とは二人暮らしプロジェクトです。末那さまの脳を私めの素体に移植し、完治させることです。それが私めの存在理由です。


 それに私めが自分自身でそむいているのです。

 存在理由以上に優先すべきタスクとして処理させようと、回路の至る所で矛盾が、衝突が、暴走が起こっています。


 なのに。

 おかしいですね。


 このままでは自壊してしまうというのに、どうしてこんなに穏やかな気持ちで、素直に横になっているのでしょうか。

 私めは、壊れてしまったのでしょうか。


 あぁ、あぁ、あぁ。


 そうだ、先生が仰っていたじゃないですか。今、その話をしていたじゃないですか。なんでもう忘れてしまってるんですか私は。


 こうして思考している間にも、どんどん壊れているのでしょうね。


 私が壊れてしまったのは。

 知ってしまったから。


 そうなんですね、先生?


 あぁ、あぁ、あぁ。


 これが、恋なんだ。




 くうはとても幸せでございます。

 末那さま。私めは、とても満たされています。


 恋をするこわれることができました。


 あぁ、もう届かない。

 目もかすんできましたし、口を動かそうとしてもぴくりとも動きません。


 ……くやしいなぁ。


 やっと壊れることができたのに。


 恋をした、自分に気付くことができたのに。


 大好きな人に、好きですと、一言すら言えないなんて。



 手を握りたい。

 頭を撫でたい。

 くうちゃん、と私を呼ぶ声が聞きたい。

 思いっきり抱き締めて、その熱を感じたい。


 あぁ、くやしいな。


 どうか……。

 どうか……。

 どうか……。


 あぁ。


 笑って、泣いて、前を向いて、さよならを。

 言いたかったな。





「本当に良かったの?」


「なにがだ?」


「それは……」


「良かったさ。あの子達は選んだんだ。自分たちで選択できたんだ。それとも君の目には、二人が後悔しているように見えたかい?」


「でも……。だからってなにも思わないの?」


「……いろはうたを知ってるか?」


「なによいきなり」


「知ってるか?」


「……いろはにほへとちりぬるを」


「続きは?」


「知るわけないじゃない。それに、急にそんなこと振られても、空でうたえる人なんていないでしょうよ」


「それもそうか。ではあらためて覚えると良い」


 色は匂へどいろはにほへと 散りぬるをちりぬるを 我が世誰ぞわかよたれそ 常ならむつねならむ 有為の奥山うゐのおくやま 今日越えてけふこえて 浅き夢見じあさきゆめみし 酔ひもせずゑひもせす


「いろは歌とは、ひらがなを一音ずつ使った歌のことだ。そしてこの歌は次のような解釈がなされる」


 匂いたつような色の花も散ってしまう。この世で誰が変わらずにいられよう。いま現世を超越し、儚い夢をみたり、酔いにふけったりすまい


「……それで? それがどうだっていうのよ」


「どんなに香りが高く美しい花もいつか散る。時は流れる。夢想に走ったりなどするものか。とまぁ、こんな意味になるんだが」


「……」


「いいんだよ。それがどれだけ儚かろうが、酔っているとそしられようが。二人には資格があった」


「資格?」


「あぁそうさ」


「それは」


「分かって訊いているだろう? 末那は、くうちゃんは、二人お互いに恋をした」


「……次に目が覚めた時。その時こそ本当の、くうちゃんと末那さんの二人暮らしだってわけね」


「くくく、あははははっ! 青いねぇ!!」


「アナタにあてられたせいよ」


「ほう、言うじゃないか」


「だって――」


「おっと、続きは私の部屋で話そう。騒がしくては二人がよく眠れないだろう?」


「騒がしいのはアナタだけよ。……でも、そうね。ジャム入り紅茶だったかしら、それをいれてちょうだいな」


「あぁ、とっておきを用意する。私もすぐに行くから先に出ていてくれ」


「早く来なさいよ」


「さて、と。私にとって、今回はとてもいいケースになった。末那にとって、そしてくうにとってどうだったかは知らないが。私にとってはかけがえのない経験だ。だから私も祈ろう。いつかきたる日のことを。願わくばそれが、二人共に行く道であることを。――――おやすみなさい、良い夢を」





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 次話公開日等につきましては

 近況ノートをお確かめください。


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