19歳
「来週からようやく、超越領域に行かせてもらえることになったんだ」
僕の向かいに座った友人は楽しそうに言った。
「そうかあ、ようやく念願叶うんだね。おめでとう」
僕の言葉に、友人は「へへ、ありがとう」と照れくさそうに応じ、オレンジジュースのグラスに口をつけた。
1年ぶりに会った友人は、高校の時と比べて見違えるほどに逞しくなっていた。シルエットが1回りは大きくなり、全身の弾けんばかりの筋肉は、まるでプロの格闘家のようである。
「しかし訓練長かったなあ……。ライセンスの学校で2年、取ったあとも1年、もうお腹いっぱいだぜ」
友人は大きく溜息をついたが、その顔には強い充足感が満ちていた。
「そんなに長い事、一つの事を続けるなんて、僕にはとても真似できないよ」
僕は笑って手を振った。僕なんかがやろうとしたって、精々半年くらいで根を上げてしまうだろう。
「お前だってやったら出来るって。今からでも、ライセンス取ってみたら?」
友人は身を乗り出して言ったが、僕は「無理だって」と笑って、首を横に振った。
それはひっくり返っても僕には出来ないことだったし、なにより僕はライセンス自体に興味がなかったのだ。
その後、僕たちは剣道部だったころのことや、友人の訓練のこと、僕の大学生活のことなんかを話した。1年ぶりに会っても友人の声は相変わらず大きいままだった。それに友人の考えは以前と同じように突拍子もない。見た目は多少変わったけど、中身はあまり変わっていなくて、僕は少し安心した。
僕は思い切って、やっぱり超越領域の向こう側へ行くのは、考え直したほうがいいんじゃないかと伝えることにした。僕にはどうしても、あの門がやがて、不吉な何かを引き起こすような気がして、ならなかったのだ。
僕がそんなことを伝えたところで、友人の気が変わるとはとても思えなかったけれど、それでも伝えることに意味があるように思えたのだ。
しかし、僕が口を開くより早く、友人は体をびくりと震わせた。
「あ、ごめん、先輩から交信が来た」
友人はそう言うと、無言で頭上の何もない空間を見つめ出した。
友人が交信と言ったこれは、噂には聞いていた、ライセンス所持者に付与されるという、テレパシー能力だろう。
テレパシーはもともと、超越領域の中に入った2割ほどの人間にしか発現しない超能力だった。しかし、1年ほど前に解析が大きく進み、テレパシーを持たない人間でも――さらに、超越領域の中でなくとも、テレパシーが使えるようになったのだという。
今はまだ、ライセンス所持者に限定されてはいるのだが。
また、そうして付与される超能力はテレパシーだけでなく――
ずっと天井を眺めていた友人が、僕に視線を下ろした。
「ごめん! 先輩から呼び出されちまった……」
友人は申し訳なさそうな顔をして言った。
「あ、そうなんだ。まあ、来週から向こう側に行くなんて忙しいタイミングだし、しかたないよ」
僕が応えると、友人は「マジでごめん。また近いうちに会おうな!」と言って、その場で立ち上がった。
すると、友人の体はみるみる透明になっていき、3秒ほどでその場から溶けるようにいなくなってしまった。
テレパシーと同様に、ライセンス所持者に付与されるという、テレポート能力だ。
あっという間に、僕は喫茶店の席に一人残されてしまった。友人のグラスの横では、いつ置かれたのか分からない千円札が、空調に揺れていた。
結局、僕が言おうと思ったことは伝えられずじまいだった。
超越領域の門が現れてから4年が経った。
以前と比べて、人々の向こう側に対する興味は、いくらか落ち着きを見せていた。しかしそれは人々が超越領域自体に飽きてしまったから、というわけではない。
人々の興味は、超越領域からもたらされるモノへと移っていた。
友人が使っていた超能力に始まり、これまでは超越領域の向こう側から決して持ち込むことの出来なかったモノが、技術の進歩により少しづつ持ち込むことが出来るようになっているのだ。
それは重さを自由に変化させる鉱物や、不治の病を治すことのできる薬草、数時間で種から実になってしまう作物などだ。
いまはまだ一部の人しか触れることができないが、安全性の研究や、世間に不要な混乱を生まないかなどの調査などが済めば、やがて一般に広く普及するだろう。
隣の席で超越領域からやってきたモノについて喋るサラリーマンたちの顔には笑顔が浮かんでいる。背後で学生たちが大声で盛り上がっているのは、自分たちに超能力が備わったら何をするのか、という話だ。
どこもかしこもこんな様子なのだ。まるでクリスマスプレゼントを待つ子供のように、世界中がそわそわしていた。
多くの人にとって、未来は明るく、明日は待ち遠しいものだった。
だけれども、皆が未来へ――超越領域の向こう側からくるモノへ期待を抱くほどに、僕の中の言葉に表せぬ薄暗い不安が、日に日に強まっていくのだった。
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