57歳

 品川駅前のベンチに腰かけて、大昔に流行した2つ折りゲーム機で、ひとりパズルゲームしていた。


 平日の正午。昔は大勢の人が行き交ったこの場所も、今は見渡してみても人影ひとつない。一見すると街は以前のままあり続けているように見えるが、目を凝らすと建物も道路も、細かい箇所で老朽化が目立つ。

 住む人が居なくなると家は途端に朽ちるとは言うが、街も同じような物で、利用する人、メンテナンスする人が居なくなったとたんに、急速に朽ちていくようだ。

 タイルのはがれた壁。サビが浮いたコンクリ。一昨年の台風で割れたまま放置されたビルの窓ガラス。雑草によって破断され歪んだアスファルト。

 すべてが疲れ果てて、早く自然に戻ろうと躍起になっている。

 どこかから秋の終わりを告げるような冷たい風が吹いてきて、僕は背を丸めた。そうして再びゲーム機に視線を落とした。

 

 不意に、僕の前に影が落ちた。

 顔を上げると、僕よりも十ほど若い夫婦が、険しい表情をして立っていた。


「どうしたの」

 向こうから話し出す気配がなかったので、僕はゲーム機を折りたたんで尋ねた。

「やっぱり、息子たちを探しに行こうと思うんです」

 頭を坊主にした夫が、強い決心を秘めた目を向けて言った。

「そうか」僕はベンチの背もたれに寄りかかった。「息子さんたちが向こうに行ってから、もう2年だっけ」

 脳裏にいつも不機嫌そうな顔で俯いて歩いていた、彼らの息子の姿が思い浮かぶ。


『俺は、あんたたちとは違う。来もしない破滅にビクビクしているあんたたち老いぼれと一緒に、こんな捨てられた世界で死にたくない』

 2年前のあの日、彼らの息子はそういって、僕たち反超越領域同盟の制止を振り切り、仲間たちと共に超越領域の門を越えた。


「あの子、超能力の使えない体なのに向こう側に行って、きっと困っていると思うんです。だから……」

 白髪の目立つ妻は、目を潤ませて言った。


 僕は彼らにかける良い言葉が思い浮かばず、黙って二人を見つめていた。

 どうせ止めたところで、行ってしまうのだ。

 これまでもずっとそうだった。

 超越領域や、向こう側からやってきたモノが、やがて人類や世界に大きな災厄をもたらすに違いない。そう信じてやまない僕たちでも、あらゆる超越領域からやって来るモノに抗う生き方を選んだ僕たちでも、結局は家族のため、親友のため、そして信念のために、向こう側へ行く宿命にあるのだ。


『超越領域へ行ってしまった人々に、それが大きな過ちであることを説いてくる』

 反超越領域同盟の、僕たちのリーダーだった男も、半年前にそういって超越領域の門を越えた。

 リーダーと一緒に、何人もの人々が門を越えていった。

 彼らの目は、確かに向こう側から人々を連れて帰ってくるのだ、という強い使命感に燃えていた。

 強い意思を持った人たちは皆、向こう側へ行ってしまった。


『リーダーたちはいつか帰ってくるのだろうか』

 残された人々の中で、最年長だった僕は、よくそんな風に聞かれる。

 しかし、もう十年以上、向こう側へ行った人が戻って来たという話を聞かない。

 行ってしまったら、もうそれで終わりなのだ。

 もはや向こう側で何が待ち受けているのか、誰にも分からないのだ。


 この夫婦だって、そんなことは十分理解しているだろう。彼らはそれでも、向こう側に行かなければならないのだ。息子のために。

 僕が黙ったままでいると、2人は僕に頭を下げて、そうして背を向けた。

 そちらには、あの忌々しい、真円の門が、僕たちを誘うように不気味なほど美しい景色を映し出す門が、待ち構えていた。


 僕もいつかは、結局向こう側へ行かなければならないのだろうか。

 ぼんやりとそんな風に考えてみたけれど、僕が向こう側に行ったとして、何の意味もないであろうことは、想像に難くなかった。

 父も母も友人も、どうせ僕の話なんか聞いてはくれないだろう。そもそも、戻って来るつもりだったのなら、まだ人々が向こう側とこちら側を行き来していた頃に、戻って来ているはずなのだ。


 それとも、僕も門を越えて向こう側へ行くと、考えが変わるのだろうか。向こう側には何も不安なんかないじゃないかと、恐れるべきものなんかないじゃないかと、破滅なんか起こるはずがないと、そういう考えになるのだろうか。


 僕は頭を振って、超越領域の門から目を逸らした。

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