31歳

 昨日、両親から久しぶりに東京へ来るのだという連絡があった。

 僕は昔のまま実家で暮らしていたのだけれど、ここ半年ほどろくに家の中の掃除をしていなかったので、慌てて両親から文句を言われない程度の片づけをすることにした。普段は入らない両親の寝室の中にも掃除機をかけ、布団を干して、換気もした。


 昼過ぎ、両親は玄関先にテレポートで現れた。


「さっきまでどこに居たの」

 僕は両親に麦茶を出しながら訪ねた。

「アリゾナ砂漠よ。たき火を囲んで歌を歌うとね、生きてるって感じがするのよ」

 随分と日に焼けた母はそういって、僕の脳内にイメージを転送してきた。

 僕の頭の中に強制的に貼りついたイメージは、たき火を前にした両親とアジア人らしき人たちが肩を組んで、何か聞いた事もない歌を一緒になって歌っている映像だった。

「この人たちは?」

 僕は頭の片隅でループ再生されている動画が上手に停止できず、とりあえず意識の外側に押しやって訪ねた。

「去年、アラスカで仲良くなったマレーシア人の家族と一緒にしてるんだ」

 麦茶を飲んでいた父は言いながら僕に別のイメージを送り付けてきた。それはオーロラをバックに、湯気をあげるカップを啜っている両親と、マレーシア人の家族らしき人たちとの記念撮影映像だった。


 脳内で、正直僕にとってはどうでもいい2つの映像が、邪魔なコマーシャルのように流れ続ける。これを使い慣れている人たちは、この状態でも問題なく考えたり会話したりできるらしいのだが、超能力から距離を置いている僕にはとてもできない芸当だった。

 僕は目を瞑って、蝋燭が燃えている景色を強く想像した。

 そうやって30秒ほど、思考の中の蝋燭の火を眺めていると、ようやく両親から送られてきた2つの映像は強制終了された。

「まあ、楽しそうで、なにより」

 僕は若干の疲労を覚えつつ答えた。


「それでね」母が急に顔を改めて言い出した。「お父さんとドリブンを始めてから、かれこれ3年になるけど、私たち、地球上の行きたかったところは、全部行っちゃったのよ」

 母の言葉を次ぐように、今度は父が口を開いた。

「おれたち、向こう側に行こうと思ってるんだ」

 今日、両親たちがこの家に戻ってきたのは、この話をするためだったことは、すでに昨日連絡があった時に聞いていた。だから僕は、ああやっぱりその話をするんだな、などと僕を見つめている両親を見つめながら、思っていた。


 超越領域の向こう側から日々新たな技術や物がやって来て、人類はあっという間に働く必要を無くしてしまった。なにせ、エネルギーも、美味しい食べ物も、家も、娯楽も、すべてが超越領域の向こう側からやってきたモノを使えば無尽蔵に生成できるのだ。

 そうして『人類総宝くじの1等当選』になってからというもの、人々がやり始めたのが、好きな場所で好きなように暮らして回る生活様式、ドリブンだった。

 テレポートで好きな場所へ行き、住みたい家を生成し、飽きたら別の場所で同じことを繰り返す生活。

 しかし、両親はそれにも飽きてしまったのだ。

 この地球上でやりたいことは、すべてやりつくしてしまったのだ。

 元々僕が何かにつけて不安がる性格なのは両親譲りだったはずなのに、いちどドリブンするようになってから、両親はまるで別人のように自由奔放な性格になってしまった。


 数年前までは超越領域へ行くのに必要とされていたライセンスも、超能力が一般に普及すると同時に廃止されてしまった。

 いまは、向こう側へ行くのも、ただの個人の自由に任せられている。

 すでに1億人近くの人が、超越領域で生活しているのではないか、と言われている。

「一緒にドリブンしていた人たちと、明日、門を越えることになってるんだが――」父は黙ったままの僕の方へ顔を近づけた。「ほら、お前もどうだ?」


 僕はほんの少しだけ間をあけて、その問いに答えた。

「行かないよ」

 両親も、ドリブンにすらついて行かなかった僕の答えは聞くまでもなく分かっていたのだろう。やや残念そうな顔をするだけにとどまった。


「本当に超越領域のことが嫌いなのね」

 母は心底から不思議そうに言った。

「逆に、母さんたちは、向こう側が怖いな、とか思わないの」僕は両親の顔を交互に見た。「十数年、ずっと良い事しか起こらないなんて、絶対あり得ないだろ。間違いなく、近いうちに嫌な事が起こるよ。とんでもないしっぺ返しが来るんだ。絶対に」

 僕はその一言に、精いっぱいの気持ちを込めた。

 両親は互いに顔を見合わせ、そして溜息をついた。

 それっきり、両親は向こう側に行くことについての話をすることはなかった。こんな話、これまでに何度も繰り返したことなのだ。

 僕の言葉に、意味なんかないのだ。


 そうして、僕が片づけた寝室に入ることもなく、向こう側への高まる期待が抑えられぬといった様子で、2人は僕の前から去っていった。

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