超越領域の至る未知

なかいでけい

16歳

 今日もそれは、当然のようにそこにあった。

 大崎行きの埼京線の車窓の向こう側。立ち並ぶビルのてっぺんより高いところに、それは浮かんでいる。


 それは切り取られた景色だ。


 本来なら、青空と雲しか見えないはずのそこには、ファンタジーゲームの背景のような現実離れした景色が浮かんでいる。それは不必要なほど険しい山々であり、過剰に華やかな花々が咲き乱れる草原であり、異様なほどに煌めき輝く湖だ。

 海抜0メートルを最低点として浮かぶ直径500mほどの巨大な丸い窓に、それらの景色が映し出されている。まるで僕たちをそちらへと誘うコマーシャルのように、映し出された景色は目まぐるしく移りかわる。


 1年前、突如東京に出現したそれは、超越領域ちょうえつりょういきへの門と学者によって名付けられた、いわゆる異世界へと通じる入り口だった。

 あの厚みの無い二次元の門をくぐれば、そこはもうこの世界ではない、別の世界なのだ。


「おはよう!  なあ、ニュースみた?」

 大崎駅で山手線へ乗り換えると、すでに車内にいたらしい、興奮した面持ちの友人に声をかけられた。

 同じ中学で一緒に剣道部だったこの友人は、とにかく声が大きく、周囲の大人たちが怪訝な視線をこちらへ向けているのを感じて僕は顔の前で一本指を立てた。

 友人は僕の仕草に気付くと、気恥ずかしそうな顔をしながら周囲を見渡した。


「ニュース?」

 僕が首を傾げると、僕の反応が全くの予想外だったらしく、友人は「マジかよ」と顔を歪め、「ほら、あれだよ」と乗降口の上のディスプレイを指さした。


『政府、超越領域への越門ライセンスの取得条件の大幅緩和を発表』

 ディスプレイには、そんなニュースの見出しが表示されている。

「18歳以上で、試験に合格できれば、誰でも向こうに行けるんだってさ!」

 友人は、まるで明日にでも向こう側に行けるのだと言うような勢いで言った。


 これまでは学者や軍隊、そして実績のある探検家くらいしか向こう側に行けなかったのに、一般人でも試験さえパスすれば向こう側に行けるようになる、というのだから、確かにこれはすごいニュースである。

 超越領域へ行くことが出来れば、写真や動画でしか見ることの出来なかった、向こう側の美しい景色や、変わった生き物たちを、直に見ることが出来る。

 さらには、調査隊たちがテレビの中で興奮気味に言っていた、身体能力の尋常ならざる向上やら、自分に秘められた特殊な能力の開花などといった、現実では決して味わえない、自身の超人化が体験が出来るのだ。

 友人が興奮しているのも、多少は理解できた。

 しかし――

「僕たちはまだ16じゃないか。18歳なんか、まだまだずっと先の話だよ」

 僕は目をキラキラ輝かせている友人に向かって言った。

「バカだな、俺たちなんかが急に試験を受けたって、合格できるはずないだろ? でも18になるまで準備しておけば、18になったとき、すぐ行けるだろ」

 友人は、分かってないな、と言いたげに鼻から息を吐いた。


 学校から帰った僕は、早速政府が公開したライセンスの新たな取得基準を見てみた。求められるのは特定の分野における高水準の知識、あるいは過酷な屋外活動に耐えうる一定水準以上の強靭な肉体とある。

 やはり、ライセンス取得はそこらの一般人が、観光目的で遊び半分に取得できるような代物ではないのだ。


 それでも、友人は絶対に超越領域に行くのだといって譲らなかった。

 翌週には越門ライセンス取得スクールなる、数日前に出来たばかりの怪しげな学校に、放課後毎日通うようになった。そうして、それまでやっていた剣道部には顔を出さなくなり、やがて僕が止めるのも聞かずに退部してしまった。


 その友人に限らず、世間の人々はみな超越領域への切符を求め、憑りつかれたようにライセンス取得のための自己研鑽に励むようになった。

 それまででも、超越領域についての世間の関心は十二分に高かった。

 書店では超越領域に関する調査報告本がベストセラーになっていたし、動画サイトでも超越領域の様子を映した動画が、ここ10年で最も再生数を稼いだ動画になっていた。

 でも、それまでは超越領域とは、を通してでなければ見ることのできない、夢の場所だった。どれだけ凄いな、と思っても、一般人では到底足を踏み入れることの出来ない場所だったのだ。

 しかし、ライセンスを取得できれば、その夢でしかなかった場所に、自分も行けるかもしれない。夢でしかなかった技術に、自分も触れられるかもしれないのだ。その希望が、世の中の人たちを熱狂させていた。

 テレビでは超越領域で特に必要とされる技能分野の紹介番組が多くなり、Youtubeでは自宅でも簡単に出来る効率のよい肉体造りの動画が流行した。


 さて、世間はどこもかしこもそんな有様だったけれども、僕はそんな人たちからは一歩引いたところで様子を眺めていた。

 もちろん、超越領域に興味がないわけではなかった。

 情報を拾いきれない程の勢いで発見される未知の事象には当然、心が躍る。

 自分が大人になる頃には、世の中は自分が思っていたよりもずっと進歩しているかもしれないなと思うと、わくわくしたりもする。

 だけど、その気持ちをわざわざ口に出したり、一緒になって楽しんだりする気分には、どうしてもなれなかった。


 だって、こんなにも人を引き付けるものに、落とし穴がないなんて、とても思えなかったからだ。

 今は楽園のようにしか見えない超越領域が、いつ人類に牙を剥くのか、僕はいつも不安でたまらなかった。

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