灰の街


 ァバの街は午後からまさかの快晴だった。

 人々は気にせず葬儀のために歩く。

 首は、垂れたまま。


***


 トルパの火葬場に辿り着いたアッツァは、少年たちから貰った襤褸傘を畳もうとするが上手く畳めず、ならば力ずくで、と力を入れた瞬間に、

「あ」

 中棒が折れてしまった。

 元々ひび割れていたようで、テープで応急処置が施されていた箇所にとどめを刺してしまったらしい。

「……それにして、も」

 アッツァはトルパの煙突を見上げる――降り注ぐ遺灰により、もはやその天辺を見ることは出来ない。ひたすら巨大な灰色の円筒だった。母国でもここまで大きな建築物は見たことがないが、ここに至るまでその大きさに気付かなかったのは、灰色の煙突が灰色の風景と同化して視認できなかった故だ。

 天候が晴れるにつれ、巨大な円筒の形が浮き彫りになった。

「ようこそ」

 トルパの荘厳な門が開くと、灰色で統一された地味な祭服を装った老人が現れる。


 『灰の王』だ。


 アッツァの表情がこわばる。

「司教、お会いできて光栄です」

 アッツァは深々と一礼し、それから己の身分と経緯を軽く説明した。

 司教はにこにこしながら彼女の話を聴き、それからばつが悪そうに告げる。

「すいませんね、アッツァさん。たった今、通用門で『侵入者』が見つかりましてね。その対応で少し慌ただしくなっているのです。全く、参ったものです」

 アッツァは動揺していない風に装ったが、緊急事態じゃないか、と思う。

 彼女の母国で『灰の王』とまで呼ばれている彼が意外にも質素で好々爺然としていることに拍子抜けしていて、彼女は事態を上手く呑み込めない。

「では、中へ。お茶でも飲みながら話しますか」

「恐れ入ります」

「傘は職員に預けてください。

 にしても、傘は宜しくないですよ、

 敬虔な教徒たちの灰をそのような道具で退けることはね! 

 ……おおっと、少し語気が強くなってしまいました」

「郷に入れば、ですか」

「その通り!

 ァバの教徒は厳しい戒律に従います。

 遺灰でさえ、ね!」


 司教は首を垂れていた。


***

 

 街と同様、首を垂れながらでも進めるように、火葬場の床には印が刻まれていた。

 トルパはァバの言葉で『導き』を意味するのです、と司教は――灰の王は、アッツァと会場へ歩きながらァバの歴史を紹介する。

 昔、ァバの教徒は遊牧民であり、ァバの原型となった信仰では死者の遺灰の飛び行く先が次の居住地と定められていた。しかしある時、全ての遺灰がこの地を指示し、天に昇って行った――その地こそ今のァバの街であった。その日から民は遊牧を辞めて定住し、人が死ねばこの地から天に昇る、と彼は言った。

 アッツァの母国のTVでは、この『灰の王』は、表では誰からも尊敬される司教を演じる一方で、裏では人々をの人心を掌握し、人々の人権や自由をないがしろにしている独裁者、と連日のように批判されていた。

 灰燼を操る、怪人。

「……不思議ですか?」

「何がでしょうか?」

「『灰の王』」

 その言葉を言い当てられたアッツァの身の毛がよだつ。

「灰の王、とまで呼ばれる私が、このような普通の老人で、貴女はいささかご不満のようだ。

 いやはや。本当に申し訳ない!」

 がははと豪快に笑って小さな老人は続ける。

「私はね、普通の老人ですよ。

 何を期待していても、わたしには何もない。

 あるのはこの老いた肉体のみ、って具合ですな」

「司教、不躾な質問をお許しください。

 司教は、なぜ煙突に等級があるのか、どうお考えですか?」

「……それは簡単です。

 教徒たちに生きている間に争ってほしくないからですよ。

 良いですか、生者にはいつでも区別が付きまとうのです――貴女の国にもあるとは思いますが、世の中、あらゆるものには等級、階層、カースト、といったものがあります。いや、正確に言えば、元々ありはしなかったのに、人間が区別を産むのです。

 数があれば、大小があり、それを比較することで階層が出来る。尺度を発明すればそのようにして階層が出来る。職業があれば、いくら稼いだかという尺度が付随する。

 目に見えるものの大きさや、数えられる程度の数であれば、大小は馬鹿でもわかりますからね、こうして馬鹿にも階層が産まれる!

 ……失礼。

 つまり、

 このような無数の階層を全て『煙突の大小』一つに帰着させよう、というのがァバの試みなのだ、そう私は解釈しています。死んでから幾らでも階層を比較して争いを産んでも構いません、生者たる我々には何の影響もないのですから。

 ……勿論、そう上手くはいかない。高い煙突を巡り副次的な争いが起きるわけですが、それも貴女の国が言うような『自由』を得た際に起こり得る争いの量に比べればないようなものです。

 教徒たちはとにかく善く生きて、高い煙突で天に昇ることを目標としています。犯罪など起こそうものなら十等ですら火葬されません。

 川辺で野焼きです、野焼き。

 実際、治安ならあなたの国よりよほどマシでしょう?」

「高い煙突から飛ばされるために生きるのですか?」

「短い言葉は説得力はあれど、その実、中身がなかったりするものです」

「しかし実際、灰で肺を冒されたり、

 火葬場で仕事を強制されたり、

 遺灰に関わり続けることで人間の尊厳や自由を奪っているのでは?」

「尊厳、自由、それに、平等!

 いつだって言われることです。

 聞こえはいいですが、人間はある程度の拘束下でないと自由に生きて行かれないという矛盾は、貴女の方がよく知っていることでしょう?

 本当の尊厳は無力で、

 本当の自由は孤独で、

 本当の平等は――おっと、全部あくまで私の意見で、信仰とは無関係ですよ?

 何分、話好きなもので」

 走ってきた職員に何か耳打ちされ、灰の王は話を中断して小さく頷く。


「――良い機会かもしれないな。アッツァさん、こちらへ」



***


「姉さん! 助けてくれ!」

 アッツァが連れられた先には、捕らえられた三人の少年が居た。

 声で彼らだと分かり、アッツァは急いで駆けつける。

「君たち!」

 あの、襤褸傘をくれた少年たちだった。

 三人のうち二人の少年は必死に抵抗しようとしているが、十人ほどの大人に押さえつけられ、口にはタオルを噛まされていた。もう一人は既に抵抗する意思がないのか、それとも意識が混濁しているのか、ぐったりと仰向けに床に倒れている。

「司教」

 職員の一人が司教とアッツァに歩み出る。

「この子供たちは、彼女を追って知らず知らずにここまで来たようです」

「まあ、本当は犯罪と言えるが、追い返して済ませろ」

「それだけなら追い返したのですが……」

 職員は慎重に言葉を選びながら告げる。

「――先代司教の灰を売って稼いでいるようです」

「……それは、いけないな」

 アッツァは司教に走り寄る。

「司教。私が悪いのです、彼らは何も」

「貴女にとっては貴女が悪くて彼らは悪くないのかもしれないが、

 私たちにとっては貴女は何も罪を犯していないし、

 貴女は外国からの重要な客人だ。

 彼らは――重罪人だ。

 たまにこういうことが起こるのです。でも、ほんの少数だ、ということは強調して置きます。少数であればこそ、各々のケースに応じて適切に対処する余裕もあるというものです」

 司教は笑って告げる。

「彼らは私の知り合いで、」

「そんなことは関係ない。我々は罪に対しては厳格です。

 犯罪を犯した者の関係者まで罰したりはしない」

 アッツァの視界が回る。眩暈が判断を鈍らせているうちに、司教は迅速に事を勧めたいようで、職員に耳打ちをした。すると職員たちは首を垂れることを辞め――司教に『そういう権限』があることは彼女も知っていた――少年たちを囲っていた職員たちは三人を引きずったまま連れ去ろうとする。

「待ってください」

 と駆けだし、三人を取り戻そうとした彼女を大柄な職員が容赦なく突き飛ばす。

 倒れて足を挫いた彼女の視線の先には、引きずられていく三人の子供たち。

 声にならない呻きをタオル越しに必死に挙げていた。

 司教が彼女を介抱しようとしたのか歩み寄ったところ、アッツァは平手打ちを食らわせ、這ってでも追いつこうと試みて――直ぐに背後から両肩を掴まれた。

 以外にも老人は力強く、もがいているうちに子供たちは視界から姿を消す。

 アッツァは言葉にならない叫び声を挙げるが、声だけでは何も起こらなかった。

 『灰の王』は優しい声音で告げる。


「あの子たち、何を喚いているのかと思いましたがね?

 『助けて』、の他に『牛肉』、って言ってましたね。

 いやはや、いやはや。なんのことだか!


 それにしても、今日は灰の街には珍しい快晴ですからね、三人の子供たちも迷わず天に昇れましょう!」




***

 

 夢なのか、

 現実なのか、

 アッツァは音楽を聴く。 

 無数の煙突が奏でる、

 あの親子がトルパの煙突を指差して叫ぶ、

 ――ァバの街全体は、やっぱりパイプオルガンだったんだ!

 『灰の王』が鍵盤を弾けば、

 街は震え、荘厳な音楽が演奏される。

 どこからか、三つの煙突から灰が昇ってゆく。

 三人の子供たち!

 彼女は叫び、手を伸ばし、掴んだ! 

 ただの、灰を。


 街を行くァバの教徒は音に聴き入り、思わず煙が昇る空を見上げた。

 空は眩しかった。

 彼らは空の明るさに驚き、しかし直ぐに我に返る。

 アッツァは子供たちの灰を必死にかき集めて、かき集めて、かき集めて……、

 道を這い、風に乗る灰を追いかけて、キリがなく、


 音楽はいつしか止んで、ァバの教徒は再び首を垂れた。

 すると、いつも通りのァバの街。


(完)


 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ァバの街では首を垂れよ 比良野春太 @superhypergigaspring

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ