信仰

 

 駅馬車に揺られながら、アッツァはくだらない、と心の内で吐き捨てる。

 一般人は、葬儀を除けば外出を禁じられている。

 道行く疎らな人影はみな誰かを亡くした人だ。



(わざわざ地下の巨大な空洞から風を送って、火葬場に残った遺灰を煙突から撒き散らして……こんなの、理解なんて出来るかっての!

 ……高い煙突から火葬された方が天に近いからって、裕福な奴ほど高い煙突から飛ばされるわけだから、うちの国まで届くような遺灰は相当な貴族なんでしょうね)


 彼女の母国は都市と山脈を隔てた場所に位置し、ァバを信仰していない。

 近年、増え続ける煙突から撒き散らされた煙がついに山脈を越え、雨と共に母国の農地に降り注いだり、時には日光を遮るような被害が報告されていた。

 国はそこまで深刻な問題とは考えていなかったが、「遺灰を被った農作物」として風評被害を受ける地元の農民を助けるため――本当は形だけでも対策に動いている姿をアピールするために違いない――駆け出しの、しかし大学を最優等の成績で卒業して女性初の外交官になったアッツァが派遣された。


(十三時に司教と――『灰の王』と、面談。

 早く着くかも)


 この国は不可解なことばかりだ、と彼女は眼鏡に付着した塵を払いながら思う。

 例えばこの馬車は車で行けば十数分の距離を一時間掛けて運行しているのだが、理由は環境への配慮などではなく、「車の排気ガスが遺灰と混ざり合うことで穢れ、天への道を妨げる」から。

 首を垂れる理由だって、「上を向いて生者が死者との別れを惜しんでいると、死者が名残惜しくなって天と地の境目を放浪し、いずれ灰は雲となり大雨となる」から。

 ――奇妙極まりない。


「アンタ、良い身なりだね。どの火葬場に行くんだい?」

 先ほど少年を叱責した老婆が呟いた。

 私のことか、とアッツァは自分が母国の礼装を身に纏っていることを想いだす。

 周囲の乗客はお世辞にも位が高い者の身なりとは言い難い。

「えー……っと、トルパの火葬場です」

「一等の火葬場じゃないかい、偉いお方が亡くなったのかい?」

 火葬場には主に煙突の高さ毎に十段階の等級があり、表向きは生前、いかに敬虔な信徒であったかに依って異なる火葬場が割り当てられることになっている。

「いえ、見学のようなものです」

「それでも、一等の火葬場に入れるってことは、相当な身分ってことさね」

「そんな」

「わたしなんて、死んでもどうせ七等が良いところなのに」

 そう言って老婆は右頬を手のひらで潰すようにして不満そうな表情を演出した。


***


 死ねば同じ。


 アッツァはその言葉を飲み込む。

 駅に着くにつれ、一人、また一人と駅馬車を降りて行く――まだ中心部からは遠いので、この辺りの火葬場は十等か、良くて九等だろう――先ほどの親子もつい先ほど降りてしまった。恐らく子供の父親が亡くなったのだろう。

(こっちの国なら、あの親子も生きて行けるだろうに)

 アッツァの国も以前は暴力と恐怖が蔓延っていたが、二十年ほど前に海を挟んだ大国との戦争に敗れて状況は一変した。

 大国の経済の一部として組み込まれた彼女の母国は急速に法整備が進み、更に水産資源が豊富であったことも(そして技術的困難からそれらが手つかずだったことも)あり、戦争に敗れて数年でアッツァのような孤児に生活費を与える余裕すらあった。アッツァは孤児から外交官になった成功者として、大国の慈愛の恩恵を受けた者として大国に招かれ、『孤児から外交官へ』という題で登場した記事やドキュメンタリは各地で感動を呼んだが、彼女の両親が戦争で死んだことは一切触れられなかった。

 彼女に不満はない。

 もし戦争に勝っていれば、あのまま貧民街で暮らし、いつか奴隷として売られて両親の食い扶持にされ、戦争か虐待で死んだだろうから。


 アッツァは死と隣り合わせの貧民街で育ち、歩けるようになってから毎日、外れの不法投棄場――金のなるゴミ山、と母親は言った――まで十キロほど歩いてゴミを漁り売れる物を集めた。指を噛み千切るほど大きい鼠や、翼を広げれば一メートルになろうかという大烏、桃色の涎を垂らし見るからに病に罹っている痩せた野良犬も殺した。彼らは焼けば食べられて、もし当たって吐いても死ななかった。

 いつの間にか彼女の足の裏はガラス片や錆びた釘が何度も刺さって紫色に変色し、叩くと渇いた音がするほど堅くなった。

 死なないほうが、死ぬより苦しい。

 そういう状態に彼女はいた。

 三日三晩飲まず食わずでも、

 野犬に襲われ二の腕を噛み千切られても、

 父親の上半身が目の前で吹き飛ばされて身体いっぱいに内臓を浴びても、

 母親に盾にされて銃撃が頬をえぐり背後の母親の頭部を吹き飛ばしても、

 敵兵がまだ子供である彼女を撃つのを躊躇したこともあり、彼女は死ななかった。

 いつか生きていて良いな、と思えるときが来る。

 健気にそう信じていた。

 どこかで読んだ絵本の影響かもしれないし、生存本能かもしれない。

 そのうち母国は戦争に負け、女性にも教育の機会が与えられ、彼女は与えられた教科書を孤児が集まったキャンプで一日と掛からず読み終えた。学びとは喜びだった。何千年も昔から大勢の人間が必死に作り上げてきた学問や、思想があるということが嬉しかった。必死に大量の知識を消化して、世界を改めて観た時、初めて生きていて良かったと思った。地雷が全て取り除かれた草原を走って、生きていて良かったと思った。大学に入って恋をして、生きていてよかったと思った。

 それから彼女は大学を最優等で卒業し、外交官の職に就いた。

 直ぐに、出来るだけ貧しい国に勤務したいと志願した。


 ――自分のような貧しい子供を、救わなくてはならない。


 しかし、派遣されたァバの街では、彼女の予想に反し子供たちは皆満足しているように映る。幼い頃から少ない食料と賃金で働かされ、肺を灰で冒されても、彼らに話を聞くと満面の笑みで『善い行い』をしているのだから不満はない、と口々に言ったのだった。

 ある日、ある火葬場で子供に話を聞くと、彼らは言った。

「これが私の務めなのだから、良いのです」

「お前には俺たちが奴隷みたいに見えんだろうけどよ、俺はガイジンの方が奴隷に見えるぜ。欲望の、奴隷だ!」

「真面目に火葬場で働き続けるとどんどん等級が上がるんですよ。今はまだ九等ですけど、子供の頃から働き続ければ、死ぬ時には三等の火葬場で燃やされることだって夢じゃない」 

「祖父はそれで四等まで行ったんですよ!」

「すげー!」

「良いなー四等。うちなんて家系図遡っても六等がいいとこ」

 

 『死後、どの煙突で燃やされるか』を口々に語りあう子供たちを見て、彼女は吐き気すら覚えた。


 ――救いとは、何だ?



***


 

 彼女は、不機嫌な表情の己が映る窓を横目にため息を吐く。

 突然、窓を乱暴に叩く音。

「おい、クソガキ、止めろ!」

 御者の怒声。

 馬は嘶き、馬車は停止した。

 アッツァは窓の外を見る。

 そこに居たのは、灰を被って真っ白になった三人の子供だった。

 一本の襤褸傘で、三人で身を寄せ合って降り積もる灰を避けているらしい。

 子供たちは手一杯に、灰の入ってラベル付けされたガラス瓶を持っていた。

「えー、乗客のみなさんたち、遺灰はいりませんか?」

「……こっちの灰は、先代副司教の遺灰。それで、こっちの遺灰は……えっと、なんだっけ」

「こっちの遺灰はですね、何と! 先月死んだ――いや、お亡くなりになられました、先代大司教のアウラウラ様の遺灰です! 今ならお値打ち、一本で銅貨3枚! いかかでしょう」

「そこそこ、そう、あなた! そこの良い身なりの、観光ですか?

 こんなクソみたいな灰の街にようこそ!

 観光土産にほら、遺灰ですよ、どうです?」

 どうやら彼らは遺灰を売っているようだった。

 副司教クラスになると、葬儀の際はその人が火葬される場所以外の火葬場は休みになる。その人の灰が他人と交わらず天に昇れるようにするためだ――そのおかげで、その日に降った灰が誰かは直ぐに分かる。

 勿論、拾って保管しようものなら重罪に違いない。

 灰だらけの子供たちは、観光客に灰を売り生計を立てているのだろう。

 孤児だろうか、とアッツァは考えた。

「待ちな!

 お前さん、異国の人だか知らんがね、首を垂れな!」

 彼女が窓を開けて少し話そうとした矢先、老婆の鋭い声が響く。

 警告を無視してアッツァは迷わず窓を開ける。

 待ってましたと言わんばかりに吹き込む灰に思わずせき込んでから、アッツァは一瞬で灰に塗れた眼鏡を外し、半目のまま話しかける。

「あなたたち、親は?」

「知らねえよ!」

「いません」

「両親なんかいない、俺たちは『灰から産まれた』んだから、な!」

 子供たちは大きな声で笑った。

 彼らのような子供たちは街では『穢れた子供』と呼ばれ、ァバを信仰していないため首を垂れることはなく、主に遺灰を売って生計を立てているが、やはり灰を大量に吸い込んだ影響で肺を冒され、みな若くして死んでしまうのだった。

「……じゃあ、全部貰おうかしら」

 アッツァは財布を子供たちに放り投げた。

 財布に子供たちは群がり、興奮した様子で紙幣を数える。

 数え終えると、子供たちは満面の笑みで瓶を渡した。

「姉ちゃん、金持ちだな! ガイジンは気前がいいや!」

「いいんですか、こんなに?」

「良いのよ」


 子供たちがそれぞれ礼を言って去るや否や、御者が静かに告げる。

「お客さん、ここで降りてください……お分かりいただけますよね?」

 周りを見ると、乗客はアッツァが取った行動に対して、困惑と怒りが溢れどう行動すれば良いか分からないようで、老婆に至っては怒りわななき、震えながら涙を流しており、首を垂れたまま両手を組み天に突き出し神に許しを乞うていた。

「……申し訳ありませんでした」

 静かに馬車を降りると、馬車は直ぐに彼女の下を去った。




 彼女はまた一つため息を吐く。

 灰を払いながら歩いていると、路地裏から先の三人の少年が歩み出て、彼女に襤褸傘を差し出した。

「……いいの?」

「いいよ、さっき貰った金で傘だったら何本だって買えるし」

「……姉さん、優しそうだし」

「ま、お互いさま、ってやつだな!

ところで、変な歩き方だな、姉ちゃん!」

 ゴミ山を歩いた後遺症で左足が不自由になったんだよ、とは言わなかった。

 アッツァは彼らの様子に思わず吹き出してしまった。

 ――こういう子供たちも、ァバの街にはいる。

 彼女は、救わなくてはならない、と再び思った。

「いい? 君たち」

「なんだ!」

「生きてれば、いつか良いことだってあるのよ」

「え?」

「今日みたいに儲かる日があるってことだろ、姉ちゃん!」

「勝ち……勝ったら、なんかくれる?」

 三者三様の反応を見せる子供たちに、彼女は微笑む。

「そうね……ねえ、牛肉って食べたことある? 

 これから用事があるけど、終わったら、食べさせてあげるわ」

 ァバの街では牛肉は最高級品、と耳にしたことがある。

 子供たちはめいめいに牛肉の味を想像して涎を垂らしていた。

 子供たちに名刺を渡してから、彼女は再び歩き出す。

 牛肉の誘惑からやっと我に還った一人の子が叫ぶ。


「姉さん、ありがとな!」


 アッツァは振り向かなかった。


「……あ、遺灰、馬車においてきた」


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