聖者は来たりてキャロルを歌う
雪車町地蔵@カクヨムコン9特別賞受賞
イェット・トゥー・カム
「どうして誰も、俺のことをわかってくれないんだ! ひとの心がわからないやつなんて、無意味に死んでしまえばいいのに……!」
12月24日の真夜中。
悲痛な叫び声が響き渡った。
ガシャンと音を立てて、白い皿が床へと落ちる。
丁寧に握られたおにぎりが、陶器のかけらにまみれてフローリングへと転がった。
「金! 金! 金! どいつもこいつも、金の話ばかり! ああそうさ、金が大事だろうよ! 金がなけりゃ生きていけねぇーもんな! 夢も希望も金次第だもんな!」
小さな部屋だ。
こじんまりとした、ワンルーム。
着古したセーターに、ジーンズといういでたちの青年が。
机の上のノートパソコンを薙ぎ払った手の痛みに、いまさら顔をしかめながら怨嗟を吐き続けていた。
「分かってる。分かってるけどさ! 俺が、俺が書きたいのは、そういうことじゃないんだ! 俺は……」
「
青年の血を吐くような叫びを、案じるような声が、そっと包む。
ついさっきまで家事をしていたのだろう、エプロン姿の髪の長い女性だった。
彼女は青年──
怒っているようにも、泣いているようにも、まして笑っているようにも見える不思議な表情だ。
無表情ではないけれど、感情が読めないそんな顔で。
彼女──
「たいへんなときなのは、よくわかります。苦しいことも……私は門外漢なので、確かにはわかりませんが、それでも楼夜さんが辛いことは、分かりたいと思います。だから」
だから、せめて食事ぐらいはしてくださいと、雛菊は言った。
感情の見えない声で、それでも青年を案じていた。
青年は、物書きの端くれだった。
どこぞの雑誌で記事を書いて小銭を稼ぎ、それでも理想の小説を書かんと必死になる志を持っていた。
数日後にとある新人賞の締め切りが迫っており、青年はただ執筆に追われていた。
しかし、それは少しもうまくいっておらず、今日はまだ、数行の改稿すらできていなかった。
自分を追い込むために娯楽という娯楽を断ち、人付き合いもろくにしなくなっていた。
気が付けば、生活は困窮し、明日食べるものにも困る始末で。
(もうすぐクリスマスだって? ばかばかしい……そんなもの、何の悩みもないやつが浮かれていればいいんだ)
自分には書くべきものがある。
青年はそう思った。
けれど彼の視線の先には、もう食べられなくなったおにぎりが転がっていて。
白く細い指が、そんなおにぎりと。
陶器の破片を、摘まみ上げる。
「すぐに新しいものを用意しますから。温かいお茶でも飲んで──」
「いらない、そんなもの! 無駄なものなんて、捨ててしまえばいいんだ!」
気遣いを見せる雛菊に、青年は怒鳴った。
彼女がびくりと身体を震わしたことに気が付きながらも、無視して叫んだ。
「真礼さんだって、本当は俺のことをバカにしてるんだろう?」
「いいえ、いいえ。そんなことはありません楼夜さん」
「嘘だっ。珍獣に餌でもやっている気分なんだ! でなけりゃこんなクズに付き合って、こんな夜にまで予定をあけておくわけがない!」
「それは──」
雛菊はわずかに言いよどんだ。
青年はそれ見たことかと嗤った。
(そんなものだ。たとえ幼馴染だからって、そんなものだ。ああ、くそ。ドチクショウが。世界なんて、滅んじまえばいいのに……)
「ひとを見世物にして、楽しいかよ? 愉しいんだろうなぁ。死ねよ」
「楼夜さん、私は」
「……二度と会いたくない。鍵は開けたままでいいから、出て行ってくれ」
コートをひっつかんだ青年は、ジーンズの尻ポケットに財布を突っ込むと、そのまま玄関へと向かった。
彼の幼馴染が何かを言っていたが、もう青年の耳には入らなかった。
「大切な話が」
「聞きたくない!」
青年は、外へと飛び出す。
行く当てもない寒空の下、夜の街に。
グラグラと煮えたぎる脳髄の怒りのままに、彼はさまよった。
きらびやかなイルミネーション。
街を行きかう人々は、誰もが幸せそうで。
青年には、それが妬ましくて。
身勝手な怒りが──焦燥や絶望が冷めやらないまま。
それでも体だけは冷え切ってきたころ。
青年は、小さな公園に差し掛かった。
「…………」
いつか、雛菊と彼が一緒に来たことがある公園だった。
彼は白い息を吐きながら、ブランコに一人腰掛ける。
隣には、当然誰もいない。
(俺は、悪くない。誰も俺を見てくれないのが悪いんだ。認めてくれないのが、いけないんだ)
青年が新人賞に小説を送るのは、これが初めてではなかった。
何度目なのか、彼は覚えていない。
酷評や、評価すらもらえない一次落ちを繰り返すたびに記憶がかすれ、いつの間にか思い出せなくなっていた。
(俺の小説は面白いはずだ。最高で、これ以上ないはずなんだ。そうだ、運が悪いだけ。審査員の見る目がないだけだ。だから)
「まったく、言い訳ばかりね」
その声は、突然響いた。
驚いて青年が周囲を見渡すが、誰もいない。隣のブランコに誰かが据わっているということもない。
「どこ見てるのかしらねぇ……こっちよ、こっち」
幼い声が、空から降ってきた。
青年が慌てて空を見上げると、そこには。
「だから、なんだっていうのかしら、業突く張りさん?」
赤いもこもこの衣装に身を包んだ、幽霊の少女が、ぷかりと浮かんでいたのだった。
§§
(なんだ、こいつ……?)
青年は呆気にとられていた。
物書きという商売柄、状況だけはすぐに把握できたものの──いわゆるそれはお約束だった──把握するのと、飲み込むのは違う。
(ひとが宙に浮かんで……というか、なんか透けているし。天使……いや、死神とか、幽霊ってやつか?)
「御名答。いかにもあたしは幽霊でござーい。なんちゃってー」
「お、おまえ、俺の考えてることが」
「そんなこと、どーだっていいでしょう? いえーい、ピースピース! ちょっと一緒にインスタ撮りましょうよ」
「はぁ? なんで俺が」
「いいじゃない。減るもんじゃなし」
「……スマホを、持ってない」
「はぁ?」
部屋を出るときに忘れてきたとは、青年は言えなかった。
しかし自称幽霊の少女はそれを察したようで。
「はぁ~、ほんと役立たずよねぇ……」
心底失望したという様子で、青年へとため息を吐きかけた。
「やめろ、クソガキ」
「ガキじゃありませーん。ちゃんと名前がありまーす」
「名前?」
「ええ、教えてあげないけど」
小生意気な少女に、青年は青筋を立てた。
(なんてやつだ……! 教育不行き届きだ! 親の顔が見たい……!)
「幽霊に親を期待されても……まあ、いいわ。あのね、あたしはこれでも、何の意味もなくあなたの前に現れたわけじゃないの。ちゃんと理由ってやつがあるのよ。プロットは大事よね?」
「幽霊にプロットの話しとかされても……」
「わたしは、あなたの輝かしい未来を教えるためにやってきたのよ」
「なんだって?」
突然のことに青年は困惑するが、少女はお構いなしだった。
「イェット・トゥー・カム──長いから、イトカでいいわ。あたしことイトカちゃんは、売れない作家センセーを救うために、優しい優しい神様から遣わされてきたのです。めっちゃ運がいいわね、あなた」
「神さま……」
「あー、そこが気になっちゃうタイプかー。でも、重要なのって、そこじゃないんだよねぇ。えっと……」
「な、なにをするんだ! やめろ、放せ!」
ゆらりと青年の背後に回り込んだ少女は、そのもこもこの両手を伸ばす。
そうして彼の両目を、覆い隠してしまった。
「はいはい暴れなーい。いい? あたしがこの手を外したら、あなたは未来の世界を見ることができるようになるわ」
「未来を」
「そう、それも──飛び切りの幸せに満ち溢れた世界よ!」
ごくりと、青年ののどが鳴った。
そんなものがあるのなら見てみたいと、彼は本気で思った。
絶望のそこで、そう願ってしまった。
少女が、にやりと笑う。
「覚悟はいいわね。スリー、ツー、ワン──未来へ後ろ向き!」
奇妙な掛け声音ともに、少女の小さな手が、さっと取り除かれた瞬間。
青年を、虹色の光が包んだ。
そして──
「……え?」
青年は、それを見たのだった。
何人もの大人たちに頭を下げられながら、札束のように原稿用紙を手渡す、自分の姿を。
§§
「ええ、ええ、少流寺先生! 今回は重版に重版が飛ぶように重なっておりまして……!」
「弊社のほうでも、連載を持っていただけましたらと。もちろん印税は7……いえいえ10%をお約束いたします!」
「デビュー作『雪、揺れる縄、首をくくる』で新人賞を総なめにした先生でしたら、なにを書いていただいてでも掲載させていただきますよ……!」
こびへつらう男たちを見下ろす青年は、いくらか歳を経ていた。
けれど、その目がぎらぎらと欲望にたぎり、身なりは今のようにみすぼらしいものではなく、高級な和服を着こんでいた。
背後には著書の山。
書架に収まり切れない書籍があふれ、金銀財宝のように積みあがっている。
青年はすべてを手にしていた。
地位も、名声も、金も。
「でも、本当にそうかしら? よーく見てごらんなさい。未来のあなたの足元を」
イトカに促されるまま、彼は視線を落とす。
大作家となった自分の足元。
そこには。
(…………)
そこには、小さな墓標が二つ、転がっていた。
閑散とした場所に、打ち捨てられるように設えられた墓標には、名前が書かれていなかった。
ただ寄り添うにそこにあって、未来の青年は、それを踏みつけているのだ。
「『無駄なものなんて、捨ててしまえばいいんだ』」
「……!」
少女の言葉に、なぜか彼はドキリとした。
「『誰も、俺のことをわかってくれないんだ! ひとの心がわからないやつなんて、無意味に死んでしまえばいいのに……!』」
「う」
「『金が大事だろうよ! 金がなけりゃ生きていけねぇーもんな! 夢も希望も金次第だもんな!』」
「うう」
なぜなら、その言葉は。
「『ひとを見世物にして楽しいかよ? 愉しいんだろうなぁ。死ねよ』」
「ううう……!」
それは、彼の口から、ほんの数時間前に飛び出したものだったからだ。
自分が吐き出した悪意が、いますべて、彼のもとに跳ね返ってきたのである。
だから、理解する。
「これは、墓だ」
「…………」
「真礼さんの、墓だ……っ!」
理解する、未来の自分が踏みつけているものがなんであるか。
なにを犠牲にして、大成したのかを。
(でも、それだけじゃない。だって、墓標は二つあって!)
『大切な話が』
青年の耳の奥で、幼馴染の最後の言葉がリフレインした。
「馬鹿野郎……!」
そうして今度こそ、青年はすべてを悟った。
それは、幼馴染の墓だった。
幼馴染と──彼の子どもの、墓だった。
悟った瞬間に、虹色の光が消える。
青年は、元居た公園の、ブランコの上へと投げ出されて。
「……馬鹿野郎は、俺だっ!」
そのまま、地面に転がるようにして、彼は駆けだした。
これまでの出来事とか、幽霊のこととかは、もうどうでもよくなっていた。
(いままで見ていたものが幻覚でも何でも構わない。そんなこと、どうでもいい。見えてなかった! なにも見ていなかったのは俺だったんだ、認められなかったのは──俺の方なんだ!)
走る。
走る。
寒い街を。
きらびやかな街を。
白い息を吐き出しながら、肺を冷気に蝕まれながら。
青年は、ひたすらに走る。
(頼む……! 間に合ってくれ……!)
一縷の思いを込めて、彼はそこへとたどり着いた。
自分の家の、粗末なドアに手をかけて、思いっきり引き開ける。
鍵は、開いていた。
「真礼さん!」
彼は家の中に飛び込んだ。
明かりはついていなかった。
真っ暗闇の中、彼は叫んで、幼馴染の姿を探し求めて。
「真礼さ──っ!」
次の瞬間、眩しい光が彼の視界を焼き。
パンという、乾いた音が、響き渡った。
青年は、ゆっくりと崩れ落ちて──
「……真礼さん」
「おかえりなさい、楼夜さん。それから──メリークリスマス!」
「────」
呆気にとられた彼の目の前に、彼女はいた。
片手にパーティークラッカーを持って、なにを考えているのかわからない表情で。
(だけれど)
「……帰ってきてくれると、信じていましたから」
(そう、だけれど。確かに優しい表情で)
熱いなにかが涙腺をこみあげてくるのを悟りながら、青年は。
そうしてまた、大声を上げるのだった。
「ごめんなさい──ありがとう」
──と。
§§
「走れそりよ、風のように♪ 雪の中を、軽く早く♪」
ケーキも七面鳥も、もみの木もない。
そんな青年と幼馴染の、清貧なクリスマスを眺めながら。
幽霊の少女は上機嫌で歌う。
赤いもこもこの姿も相まって、イトカはまるで、聖人のようで。
「傲慢で、業突く張りで、救いようがなくても。それでもそんなロクデナシを、最後まで支えてくれるお人好しって、いるところにはいるのよねぇー」
笑顔と呼ぶには苦みが勝ちすぎた表情で、少女は改心した小説家たちを眺め続ける。
やがて彼女の鼻先に、なにか冷たいものが触れた。
「あら、雪じゃない……」
いつの間にか空からは、真っ白な雪が降り積もり、聖夜を白く、白く彩っていった。
少女は楽しそうに雪と戯れ、また鼻歌を歌う。
そうして彼女は、金色の粒子になって、夜に溶けてゆく。
少しずつ、消えていく。
消え去る間際、彼女は弾けるような笑顔で、世界を祝福した。
「今度は──生まれてきてから会おうね! パパ、ママ──」
今宵は聖夜。
あなたにも、素敵な奇跡と、プレゼントがありますように──と。
お決まりの、だけれどかけがえのない、聖句を持って。
「メリー・クリスマス!」
聖者は来たりてキャロルを歌う 雪車町地蔵@カクヨムコン9特別賞受賞 @aoi-ringo
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