でも、悪くはない役目だったのかもしれない
「おばあさん、このシャベルはここで良いですか?」
「ええ、ありがとう。助かるわ」
「いえ、これくらい何でもないですよ。これで一通り納屋の中も片付きましたね」
汗ばんだ額を拭いながら、勇者が笑った。ううむ、まさか本当に掃除を手伝ってくれるとは。ずっと見て見ぬふりでごちゃごちゃしていた納屋の中が、すっかり片付いてしまった。
勇者って、器用なんだな。
「他にも何かあれば遠慮なく言ってください。僕、今では勇者だなんて呼ばれてますけど、元々は田舎の出身なんですよ。両親は酪農家で、僕は四人兄弟の一番上で。旅に出るまでは、弟や妹の世話や家の手伝いをずっとしていたので。家事は結構得意なんですよ」
「へえ、そうなの」
どうりで、何事も手際が良いと思った。物腰も穏やかで、気配り上手。勇者などに選ばれなければ、きっと故郷で静かに暮らしていけていたのだろう。
それなのに、今は世界の命運を背負って戦っているだなんて。難儀なことだ。
「はあー、この島は静かで良いですね。風が柔らかくて気持ちが良い。こんなところで暮らせるなんて、おばあさんが羨ましいです」
休憩がてら、私と勇者は納屋を出て家の前にあるベンチへと並んで腰を下ろした。元々は私の――正確には、おばあちゃんのだが――夫が作ってくれた木のベンチで、生前はここでよく夫婦二人で日向ぼっこをしていたのを思い出す。
そんな思い出深い場所にやって来た客人達。格闘家は畑の草むしりと薪割り、僧侶と魔法使いの二人は今夜の夕食を作ってくれている。
どれくらいぶりだろう、こんなに騒がしい時間は。早朝にニワトリ達が暴れているのとはまた違う賑やかさだ。
「あの、ちょっと気になったんですけど。おばあさんは、どうしてここで暮らしているんですか?」
勇者が私の方を向きながら、不思議そうに尋ねる。どうして、と言われても。
「さあ、どうしてでしょうね。気がついたらここに居て、ここで暮らす方法しか手元に残っていなかった。頼れる人も居ないし、そもそも人付き合いなんてしたくない。他人に合わせて、おべっか使って。大嫌いだわ。ただ、それだけよ」
しゃがれた声で、私は答えた。嘘は言っていない。転生してからは、この島が私の世界そのものだった。
この島しか知らない。だから、この島さえあれば良い。
「ふふっ、寂しいババアだと思ったでしょう?」
思わず、自虐的に言ってしまった。信頼出来る仲間達と一緒に世界中を旅する彼には理解出来ないだろうし、むしろ滑稽に見えているのかもしれない。私はここから出ようとしなかった。変わろうとしなかった。
この島を出ようと思えば、不可能なんかじゃなかった。島には私一人しか居ないが、近くを漁船が通ることも稀にあるからだ。私が望みさえすれば、どこへでも行けるのだ。
年齢なんて言い訳にならない。要は、今の自分から変わろうとする意欲を持てるかどうかだ。それくらいわかっている。
でも、前の世界で私は思い知った。新しいことに手を出すのは大変だ。それに、人と違うことをやれば非難される。目立ったら叩かれる。そういう世界で生きて、死んだのだ。
今更変われるわけがない。それも、こんなおばあちゃんなのに。
「おばあさんは、今の生活が好きですか?」
「は?」
あれ、おかしいな。今、結構嫌なBBAだったと思うのだけど。蔑むのでも、哀れむのでもなく。
勇者はただ、私を真っ直ぐに見るだけだ。
「この島での生活、おばあさんは好きですか?」
「え、ええ。ここは私にとって楽園よ。煩わしいものは何もないし、面倒な人付き合いもしなくて済むもの」
「そうですか、それなら良かった」
「良かった?」
「ええ。この島も、おばあさんも、世界の一部ですから。『こんな世界ぶっ壊れちゃえ!』って思われてたら、命を賭けて戦うことなんて出来ません。誰も必要としない代物なんかのために、戦いたくなんてないですから。あ……今、嫌なやつだって思いました?」
う、バレた。でも、彼は表情を変えなかった。
「戦いたくない、とは言いません。それが僕の役目ですから。でも、それならせめて戦う価値があると信じたい。信じられない世界なんて、魔王にぶっ壊されちゃった方が良いですよ」
「……とんでもないこと言うわねぇ、あなた」
「勇者のくせに、不謹慎だって思いました?」
くすくすと笑う勇者に、つられて笑ってしまう。彼は厭世的な老婆を非難することはせず、変化を嫌う私を
なんだ、変に肩肘を張っていたのは私の方だったのか。勇者の飾らない物言いに、胸の中にわだかまっていた何かがすっと溶けてしまった。
「これ、仲間達に言うと勇者らしくないって怒られちゃうから……秘密にしてくださいね?」
「ええ。それじゃあ、私も秘密を一つ話してあげようか。私はね、実はここではない別の世界から転生してきたの」
「え、それってどういう意味――」
「みんなー! ご飯出来たよー!!」
勇者の声を遮るようにして、魔法使いが叫んだ。これで話は終わりだ。私がベンチから立ち上がると、勇者が呼び止めた。
「おばあさん、あなたってなんだか不思議な人ですね。おばあさんらしくないっていうか、どちらかというとおねえさんっぽいというか……この戦いが終わったらまた遊びに来ても良いですか? その時に、今のお話の続きを聞かせてください」
「……そういうこと、そんなに軽々しく言っちゃ駄目よ」
死亡フラグっていうやつだから。私がそう言って笑えば、勇者が不思議そうに首を傾げた。
勇者達は約束通り、翌朝には遺跡へと出発し夕方に目当ての杖を手に戻ってきた。そして夜明けを待つことなく、彼らは旅立ってしまった。以降、彼らとは一度も会っていない。
あれから、あっという間に一年が経った。半年ほど前に偶然立ち寄った旅商人から聞いた話だと、勇者達は見事魔王を打ち倒し世界に平和をもたらしたそうだ。大陸中が歓喜し、夜通しの宴が何日も続いたらしい。
でも、私は何も変わらない。この島はいたってずっと同じで平穏だ。作物はずっと豊作だし、ニワトリ達も元気だ。一つ歳を重ねたが、今のところ健康を保ち続けている。
まあ、年齢が年齢だからいつどうなるかはわからないが。どうなったとしても、心残りはない。
……いや、正直一つだけあるけれども。
「まあ、無事で居てくれるのなら良いわ」
最初から、勇者との約束が果たされるだなんて思っていない。むしろ、果たされなくて良い。誰とも会わずに済む、静かで豊かな暮らし。それさえあれば十分なのだ。
吸い込まれそうな程に青い空に、わたあめのような雲。瑞々しい自然に、穏やかに波打つ海原を進む一隻の小型帆船。
……ん? 待て待て。あの船は、なんか見覚えがあるような。私は思わず、笑ってしまった。
「あーあ、最悪。また騒がしくなっちゃうじゃない」
異世界転生したら孤島に一人で住む偏屈BBAになった話 風嵐むげん @m_kazarashi
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