異世界転生したら孤島に一人で住む偏屈BBAになった話

風嵐むげん

せっかく静かに暮らせていたのに


 ――私はトラックに撥ねられたことで、命と引き換えに最高の楽園を手に入れた。


「あー、今日も良い天気ねぇ」


 透き通るような青空に、ゆったりと流れる白い雲。きらきらと煌く瑠璃色の海と、色鮮やかな緑、そしてなんか妙に古臭い遺跡しかない絶海の孤島。一見リゾート地っぽいが、私の島である。

 世界地図の端にぽつんと描かれた小さな島。大陸では新しい王が即位しただとか、魔物が増えてしかも凶暴化しているだとか言われているけれども。ここでは、そんな世間の煩わしさは関係ない。


「さて、と。朝ごはんも美味しかったわぁ」


 麦わら帽子を被り、軍手と長靴を身に着けて。クワとジョウロ、それから収穫用のカゴとハサミを持って家の隣にある小さな畑へと向かう。

 腰やら肩やらが痛むが、それは以前からだったので特に気にしない。そもそも、この痛みは以前のものとは違う。


 以前はデスクワークによるもの、これは畑仕事によるものだ。


「朝は日の出と共に起きて、採れたての野菜と卵が食べられて、夜はぐっすり眠れる。ああ、なんて幸せな毎日なの……何ここ天国? 天国みたいなものか。この世界に来てから一年くらい経ったけど、今でも信じられないわ」


 大きく伸びをすれば、ぱきぱきと背中が鳴った。我ながら信じられないことに、私はどうやらラノベでよくある『異世界転生』とやらをしてしまったらしい。


 というのも、私は元々日本の中部地方で生まれ育ったごく普通のアラサーOLだった。平日は毎日出勤ギリギリに起きて、急いで寝癖を撫で付け隈を化粧で誤魔化し、スーツを着てヒールを履いて会社へと出勤していた。

 嫌味な上司やかしましい同僚に囲まれて、仕事に没頭する毎日。忙殺される時間と気力。学生時代の友人達は次々と結婚し、疎遠になって、実家にも帰りにくくなって。ゴールデンウイークもクリスマスも正月も、一人暮らしのアパートでゲームやアニメを見つつコタツで寝て過ごす。そんな女としてどころか、人間として終わった日々を過ごしていた私に転機が起こった。

 まあ、帰宅途中に居眠り運転のトラックに撥ねられて死んだだけなんだけど。


「死んだ次の瞬間に別の人生だなんて。人って、生きているだけで多忙なのねぇ」


 畑の土をクワで耕し、畑に水をやって大きくなった野菜を収穫する。こんな風にぶつぶつと独りごちているが、今度の人生は控えめに言っても最高である。

 知り合いどころか、ご近所さんも居ない。同居人は三羽のニワトリだけ。酔っぱらいの喚き声も、上辺だけ取り繕った選挙演説も、大学生のウェーイも聞こえない。デパートもスーパーもコンビニも無い。


 静かで、何もない。それでいて、求めていた全てがここにはある。そんな勝ち組ライフを私は手に入れたのだ!


 ……でも。まあ、強いて言うなら不満が二つだけある。一つは、ゲームとアニメがないこと。

 そしてもう一つは、


「なんでこんな、おばあちゃんになっちゃったのかしら」


 採れたてぷりぷりな野菜を家に持って帰った私は、視界に入った鏡を覗き込みながら溜め息を吐いた。黒髪はほとんど白くなって、顔も皺だらけ。身体中が重く、関節は動かす度にぎしぎしと痛む。最初は驚いたが、もうすっかりなれてしまった。

 もうすぐ三十になる、という頃に死んだ私はなぜだか七十近くのおばあちゃんになってしまった。夫に先立たれ、二人の息子は大陸に旅立ったまま――揃って王国の軍人になって手柄を上げたいと言っていたが、元気に生きていることを願うばかりだ――帰ってこないので、私は完全に天涯孤独な身だった。

 でも、孤独自体はどうでも良いというかむしろ好都合だ。どうやら私は『人間嫌い』らしく、元々人と付き合うことに嫌悪を抱く性質たちだった。他人の体臭、手や足の癖、話し方、笑い方。そのどれもに苛立ちを覚える。


 だから、今の境遇が私にとっての最高なのだ! 誰も居ないから、他人に気を遣う必要が無い。何時に寝て何時に起きても文句を言われない。結婚しろだとか、子供は可愛いよだとか身勝手な正論を押し付けられることもない。

 この人生が少しでも長く続いてほしい。だから、おばあちゃんに転生してしまったことが残念でならない。ただ運が良いというか、この身は相応の老いはあるようだが至って健康体だ。

 だから残りの人生、というか余生を全力で謳歌出来る。たった一人で、この島で。


 ……そう、思っていたのだが。最悪なことに今日、私の楽園に客が来た。それも、あろうことか勇者一行が来やがった。


「こんにちは、おばあさん。僕たち、この島の遺跡に伝説の杖があると聞いてやって来ました」

「は、はあ。そう……なんですか」

「えへへ。実は私たち、魔王を倒すために旅をしてるんだ。今喋ったコイツが勇者で、アタシが美少女魔法使い。それから僧侶と格闘家よ」


 よろしくね! と勝手に家に上がるなり、勝手に盛り上がって勝手に話を進める勇者一行。そういえば、この世界には魔物も居れば魔王も居て。悪である魔王を倒すために勇者が仲間達と一緒に旅をしているんだとか。

 子供の頃大好きだったゲームを思わせる、ありきたりで王道なファンタジーの世界なのだ。


 で、面倒なことに。この世界の人間は勇者に出来る限りの協力をしなければならない、というのが暗黙の了解になってしまっている。勇者を名乗った不届き者かとも疑ったが、先頭に居る青年が持つ剣は間違いなく本物の勇者の剣だった。金色の柄に、嵌め込まれた青い宝石がその証だ。

 くそう、窓から見える遺跡に勇者が求めるような代物が眠っているだなんて知らなかった。まあ知っていたとしても、私にはどうしようもない。

 だって遺跡には魔物が居るし、魔法なんか使えないし、そもそもおばあちゃんだし。特にお金にも困っていない。だから、どうぞ勝手に持って行ってくれて構わないのだが。

 次に口を開いたのは僧侶だ。長い栗色の髪を背中に流し、裾の長いローブを着込んでいる。少し気が弱そうだが、優しくて良いお姉さんと言ったところか。

 申し訳なさそうに、形の良い眉を八の字にする。


「あの遺跡には、とても強力な魔物が巣食っていると伺っております。そして、多くの魔物は夜行性で日が暮れた頃に活動が活発になります。誠に勝手だとはわかっているのですが、どうか一晩私達を泊めて頂けませんでしょうか」


 ……って、待て待て。いや、マジか。いくらなんでも無計画にも程があるのでは?


「オレは強い敵と戦えれば何でも良いんだけどな!」


 身軽さを重視した薄手の鎧とグローブを身に付けた、大柄で赤いツンツンヘアーな男が豪快に笑った。じゃあ行けよ。今すぐ遺跡に行ってお目当ての杖を探して来いよ。

 そしてさっさと帰れ。


「ね? 良いでしょ、おばあちゃん!」


 四人の中でも一番小柄な魔法使いの少女が、こてんと首を傾げながら私を見つめてくる。何だ、その仕草は。今はまだ若いから可愛いで許されるかもしれないが、二十歳過ぎたらそんなのただのイタい女だからな!

 黒いローブに、とんがり帽子という出で立ちも相まって。ハロウィンで浮かれたパリピかな!?


「こ、こら皆……すみません、ご迷惑だったら無理にとは言いません。僕たちは船で来たので、船内で休むことも出来ますし」

「えー! この大魔女さまにまたハンモックで寝ろっていうの!? 身体が痛くなるし、顔に縄の跡も付くから嫌なのに!」

「静かに。なので、無理にとは言いません。でも、僕たちは勇者である前に旅人なので。珍しい調味料や食材など、必要なものがあればお譲りします。それから、朝になれば僕たちは出発しますが……それまでに少し時間があるので、何かお困りなら遠慮なく言ってください。喜んでお手伝いしますよ」

「え、ええっと……そうねぇ」


 良かった、勇者はまともだった。問答無用で追い返そうと思ったが、彼の申し出は素直に有り難い。

 洗濯や掃除など、日常の家事や畑仕事くらいなら問題はないのだが。丁度家具を色々と動かしたいと思っていたし、天井や納屋を掃除する良い機会かもしれない。

 ベッドの数が足りないが、魔法使いと僧侶の女の子二人は細くて華奢な体躯だ。一緒のベッドを使ってくれれば事足りる。シーツや毛布の準備も彼らにやってもらえば良いし。


 あら、これは意外と悪くない申し出なのでは。そう考えてしまった瞬間、


「……まあ、こんな何もないところで良いなら。どうぞ、泊まって行ってください」

「わあ、本当ですか!?」

「やったー! 今日はふかふかベッドと清潔なシーツ、そして温かい食事が食べられるー!!」


 不覚にも、頷いてしまって。きゃあきゃあとはしゃぐ一行に、私はすぐに後悔した。

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