ここに、百人斬りは完遂された。
西木 草成
語るに及ばず
これまで、斬り捨てて来た人間は九十九人。
最初の一人目など、すでに記憶の中の霞の向こう側に去って行ってしまった。いまでも覚えている人物は、そう。三十六人目、三十七人目だったか.....ヌンチャクという琉球の武具を持って挑まれたことだろうか。結果でいえば、ギリギリのところで打ち倒したのだが。
この天下統一を目前とする戦国の世で主人を失った強者は野伏せりか、違う主人に鞍替えするか。戦場で死ぬことを許されなかった強者には一振りの刀、ならばさらなる強者を求めて彷徨うのは必然のことだったか。
故に、挑まれた決闘は全て受け止めた。
故に、全て斬り捨てて来た。
故に、これは行き場を失った武士を救う行いだと。
信じて来たのだ。
「さて.....今宵もまた。血に飢えた強者が、この廃寺に迷い込んだか....」
今までのことを思い返しながら。穴の空いた寺の屋根から覗く月を愛でながら酒を飲んでいたところに、寺の中に入る人影を見た。盃を置き、寺の門のある外へと草履を履きながら外へと出る。
こんなところに来るものなど、何か盗むものは無いかと探しに来た巾着切りか、もしくは寝るところに困った修行僧か、旅人か。
それとも。
「古流剣術、今一色流の使い手。今一色 翔十朗とお見受けする」
「いかにも、古流剣術、今一色流。今一色 翔十郎とは俺のこと」
寺の入り口に立つ者は、口元に黒い布を巻き長く伸びた黒髪を頭の上でまとめ上げ後ろに大きく垂らしている。元は武士ではないというのは一目瞭然だった。となると、噂を聞きつけたどこぞの剣に少し覚えのある未熟者が力試しに来たというところか。
「して。何用か、我が名を知る者ならばここに赴く意味を知っておろう」
「然り。故に、其方に決闘を申し込む。今は主人無き身、戦場で命を散らすことを許されず、この刀で自害することも許されず。主人をお守りするがために鍛えた両腕は強者を斬るにこそ相応しい。戦国最強と謳われる今一色流、ぜひともその力を示していただきたい」
眼前の男が腰にぶら下げているふた振りの打刀。それを見る限り、二刀流の使い手であることはわかった。そして、認識を改める。その目は確かに今まで相手にして来た九十九人の強者たちと同じ目をしている。
紛れもなく、強い。
「吾こそは尾張の国の織田信長が忠臣、斎藤 一道っ! 戦国最強、今一色流を打ち取り今は無き我が主君にその首を持ち帰るため、ここに仕ったっ!」
「相手に不足無しっ! 我が名は今一色 翔十郎。使える主君も帰る望郷も無し、ただ強者の黄泉への橋渡しにこの寺で九十九人の武士を斬り捨てて早一年。今宵、百人目の強者よ。忠臣としての腕前、この戦国最強の今一色流を前に余すことなくその力を示されよっ!」
互いに、刀の柄に手がかかる。
睨み合い、一陣の風。
「「いざ、尋常に勝負っ!」」
開戦一番。先に動き出すは今一色流。戦国最強至る所以はその俊足と神速の剣技にあり。相手との距離を一気に詰め、放たれた抜刀術は今一色流の十八番。
『今一色流 抜刀術 風滑り』
振るわれた刀から風向きを変えるほどの風が巻き起こる。同時に、背後から聞こえる何かが砕けた音。
殺気。
すぐさま腰の鞘を引き抜き防除を取る。背後から振るわれた二本の刀、それらが防御した鞘に触れた瞬間、粉々に砕け散る。
「見事っ」
相手の腰に差していた二振りの刀の鞘は砕けており、先ほどの抜刀術を防いでいたことがうかがえる。普通ならば、この一手で相手を追い詰めるのだが、今回は簡単にはいかないらしい。
いや。百人目だからこそ、ここまで心踊るのか。
あっさり終わってしまってはあまりにもつまらないではないか。
「さすがは今一色流。その反応や良し、こちらとて刀の振りがいがあるというものっ!」
「っ!」
交互に振るわれる刀を受け流しながら反撃の機会を伺う。二刀流は手数が多い分、攻撃、防御においてどちらも高水準な威力と守りを見せる。
手数の多さが強みならば、それを上回る速さで勝負をする。
『今一色流 剣術 時雨<豪>』
乱撃の突進技。
鞘が破壊された今、抜刀術は使うことはできない。ならば、この一振りの刀に全てを賭ける。交差された刀の上で振るわれた刀が打ち付けられ、赤い火花が蛍のように世闇に咲いては消える。
それは、この戦国で失われた武士の魂のようで。
「甘いぞ、今一色流っ!」
「っ!」
交差した刀のもう一振りが自分の首を狙って、とっさに一歩間合いをとるが首の皮と相手の刀の先端が一寸という短い距離で通り過ぎてゆく。
しかし、相手の攻撃と次の動作に隙が生まれた。
この好機を逃す術はない。
間合いを取った勢いを反撃の力に変え、引き絞った右腕は弓のように。その刀の先に見据えるは相手の心臓。
その一突き。
『今一色流 剣術 翡翠』
踏み出した一歩はあまりに早く。まるで、距離が縮められたかのように感じた。そして、刀の先端はまっすぐ一道の心臓にめがけて穿たれた。
大きく吹き飛ばされた二人の体は寺の中を埃を舞わせながら転がり込む。
手先に感じたあの手応え。
まだ、斬り伏せられていないというのは感覚でわかった。
「まだ立てるのであろう? 場所を変えて再戦だ」
「....ここに、墓石のように並んでいる刀は。今まで、其方が戦って来た武士の刀か?」
「然り」
寺の中に突き刺さっている九十九振りの刀。中には刀でないものもあるが、それはかつて強者たちが己の命をかけて戦場を駆け抜けた証に間違いない。
「ここにある刀は、その者たちの魂だ。俺とて、他人の魂を振るうような無作法な真似はせん。あくまで、この刀一振りでお主の魂を刈り取ろうぞ」
「っ!」
振りかざした刀は一呼吸の間に斎藤の頭上を狙って振り下ろされる。しかし、防御が全くされていない胴に左手で持った刀を振るおうとするが、周りに刺された刀が邪魔でうまく刀を振るうことができない。
腹部に蹴り、斎藤の体が大きく弾け飛び寺の腐った床にのめり込む。
「だが。ここに並ぶ魂は、お主をこちらに引き摺り込みたいらしい」
刀の打ち合い、だが外にいたときよりも二刀流の動きははるかに鈍っている。それは場所のせいでもあるが、今一色の放つ殺気に気圧されているというのもあった。
さすがは九十九人の猛者を打ち倒しただけのことはある。一筋縄で行く相手ではない。
「動かぬのなら、こちらから行かせてもらうとしよう」
刀を構え直し、刀の柄は顔のすぐ横。
『今一色流 剣術 鳴門』
体を垂直に回転させながらの突進技。狭く、足場のない場所だからこそ発揮する。相手には一度たりとも反撃を許さない。できることは、防御と回避をしながら逃げ回ることしかない。
圧倒的速さと、追い込まれた場所が徐々に斎藤を追い詰めてゆく。かといって、彼が掲げている信念を無下にするのは決闘を挑む上で決してやってはいけないタブーだ。交差する刀から火花が飛び散るたびに、斎藤の頭の中では打開策が次々と目まぐるしく掻き回ってゆく。
斎藤の踏み出した一歩が腐った床を貫いた。その瞬間に頭上を通り過ぎる刀、同時に背後に立っていた腐った柱が激しい音を立てて切り倒される。
「シィッ!」
すぐさま切り返し。足を床から引き抜き床を転がりながら回避と受けを繰り返してゆく。寺の隅で撃ち合う影が二つ。時折、何かを切り倒すような音を交えながら金属と金属がぶつかり弾け飛ぶ音が世闇を切り裂く。
それは、動乱の時代を終える一つの知らせか。
はたまた、動乱で失われた命の奏でる怨嗟の音か。
戦いは激しさを増す。かつてない苦戦に内心、今一色は焦っていた。一抹の不安を抱えながら振るう刀が鈍る。この目の前の男を相手していると、自分の中に巣食う『人斬り』という魔物が自分を喰らおうと襲いかかる。
無論、彼は人斬りに間違いない。だが、数々の行き場を失った強者達の最後の救いという大義名分の元で彼は刀を振るい続けた。
故に、今。彼の頭にある感情は、救いではない。
この、どうしようもなく不安な状況に一抹の興奮を覚えているのである。
『今一色流 剣術 風切り燕』
刀の峰を腕で押さえつけ、横一閃に寺の壁と柱ごと切り裂いた。だが、斎藤はその攻撃を受け止めながら反撃の手を緩めることがない。
この打てば響く防御と攻撃。
今まで戦ってきた九十九人の強者達の記憶を吹き飛ばすくらいの高揚感だ。
だが、その高揚感と裏腹に徐々に軋み始める頭の中。何かに喰われそうになるのを必死に防ぐようにして斎藤を追い詰める。
だが、軋んでいたのは頭の中だけではなかった。
突如、廃寺の壁が大きく拉る音が響き始める。この時に初めて今一色は気づいた。この寺を支えていた柱を斎藤に誘導されるがままに切り倒していたということに。
すでに斎藤は寺の外。大きく揺れ、床に散らばった刀のせいで身動きがうまく取れない。次の瞬間、古い廃寺は大きな音を立てて崩れ去った。いくら古いといえども木造の瓦礫に押しつぶされてタダで済む者がいるはずはない。
その様子を狙ったとおりと胸をなでおろしながら見つめた左手の刀。先ほど放たれた強力な突きで持ち手の柄を犠牲にしたのだ。持ち手は衝撃で中身が砕け、そこから溢れた刀身がスルリと抜けて地面に突き刺さった。
「信長様....私は、戦国最強を討ち取りました。どうぞ、黄泉の国にて見ておいででしょうか.....? 何時ぞやの夜のように私めを褒めてください.....」
見上げた月はあまりにも大きく、成し遂げた達成感と安堵と、そこに入り混じったなき主君への思いが目からこぼれ落ちる。膝を大きくついた斎藤の右腕から刀が落ちた。
だが、
だが、
だが、
見上げた月に黒い影が一つ。
月の光に照らされ、煌めく銀の光。
それは、まるで三日月のようで。
あのとき、彼の傍らで見た美しい三日月のようで。
『今一色流 奥義<春> 枝垂れ桜』
目の前に真っ赤な花びらのような血潮が広がる。薄れてゆく意識の中、最後に見たのは亡き主君への恋慕だったか。
今となってはわからない。
最後の最後まで、斎藤が外さなかった顔を覆う黒い布。その死に顔だけは拝もうと外せば、それは凛とした美しい女だった。今まで戦ってきた強者の中でひどく頭にこびりついてやまない強者が女だったというのは滑稽な話であった。
初めて立てた墓には、彼女が握っていた二振りの刀を添えた。それは、武士として。また、織田信長を愛した一人の女として。故に、二つの道を同時に歩いた一人の人間としての弔いをした。
もしかしたら、今まで戦ってきた九十九人の強者にも違う道があったやもしれない。それを見出すことのできず、強者として、武士としての引導を渡してきたのは己が修行不足が故か。それとも、刀を振るうことしかできなかった己自身にしか導くことができなかったからか。
その後今一色 翔十郎の行方については語られていない。人斬りの身に落ちたか、あるいは太平の世に、他が道を示す方法を導き出したか。だが後の世で彼の名は、この文句とともに語り継がれることとなる。
それは異世界の未熟な後継者にも語り継がれた。
『我、この道を行く。故に探求者なり』
道を示すための百人斬り。
今、ここに完遂された。
ここに、百人斬りは完遂された。 西木 草成 @nisikisousei
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