終章

これが物語の始まりだ


 静かな帰り道だった。


 二人だけの会話を一通り終え、"巨像の間"から出てきたクラウスとマリオンと合流し、ホムラ達はダンジョンの外を目指して歩いていた。


 造りは簡単で、雰囲気も重苦しいものではなく、何より此方の命を狙ってくる敵や仕掛けも見当たらない。静かだが平和で、先程までの戦いの後だと、何だか眠たくなるような穏やかな道程だった。後はこの道を歩いていけば王城の地下に出て、地上に戻る事が出来ると言う。


 アネモネとリオルの話でしか知らない、栄華を誇る世界の中心。広大な土地と、様々な人種や文化が集う、世界一の都。楽しみだ。


「あの、ホムラさん」


 道中、ずっと黙っているかと思っていたクラウスが、不意に話し掛けて来た。泣き腫らした目は赤く、長年苦悩と嫉妬と自己嫌悪に苛まれて来た跡が残るその顔は酷い有り様だったが、今は不思議と、その顔を見ても暗い印象は受けなかった。寧ろ、雨上がりの空を見上げているような、そんな穏やかな雰囲気を滲ませていた。


「ありがとうございました」


 クラウスを含めた全員が歩みを止めない中で、彼はそんな事を言った。


「ホムラさんも、アネモネちゃんも、みんな俺の命の恩人です。貴方達が居なければ、俺は国から討伐されて、魔物として死んでいたに違いありません」


「ん」


 納得は出来ているのか。


 自分の選択に、に、未練は無いのか。


「……」


 瞬時に想い描いた言葉の数々を、ホムラはそっと呑み込んだ。


 ホムラがアネモネに言った事だ。他者が決めた決断に、下手な嘴を突っ込むべきじゃない。他ならぬクラウスが決めた事だ。自身の行動が裏目に出て、思うような結果にならなかったからと言って、言葉でその結果を覆そうとするのは道理が通らない。


 結局何も思い付けなくて、ホムラは呑み込んだ言葉を、短く無愛想な言葉にしか変換出来なかった。


「無事に戻れて良かった」


 もっと、上手い事を言えたら良かったのに。


 内心で嘆息したホムラの心中を知ってか知らずか、クラウスは薄く笑った。


「はい。感謝してます。本当に」


 ホムラにとっては複雑な言葉だったが、会話が始まる切っ掛けにはなった。ポツリ、ポツリと雨が降り始めるように、静かだったダンジョンの中に声が響き始める。最初はクラウスとマリオンの今後についてだったが、次第にその話題は、ホムラの記憶や今後の身の振り方についての話に移っていった。


「――じゃあ、自身の記憶については、何も?」


「そうなるな」


 枯れた噴水が真ん中に鎮座している広間を通り抜けながら、ホムラはクラウスの言葉にのんびりと答える。言葉通り、ホムラには自身についての記憶は戻ってきていない。戦い方と、モノの斬り方については多少思い出す事が出来たが、それだけだ。


 普通なら焦燥を覚える場面なのかもしれないが、不思議とホムラは、自身の記憶や身の振り方については楽観的だった。


「だがまぁ、何とかなるだろう」


「……そうは言っても。えぇっと、差し支えなければ、仕事とか紹介出来るかもしれませんけど……」


「んっ――」


 息を呑む声は、アネモネのものである。


 クラウスの決断に納得出来ていないらしい彼女は、珍しく会話には参加せずに一行の先頭を歩いていたが、どうやら聞き耳は立てていたらしい。何か気になる事でもあるのか、ソワソワし始めたのが目に見えて分かった。


「仕事」


「はい。俺は、今回の事をちゃんと家にも報告するつもりです。だから、両親もホムラさんには感謝する筈です。俺には、何の力も無いけど、両親なら……」


「うん」


 何気無い言葉の端に、クラウスの前向きな部分を見付けて、ホムラは笑った。


 肩を跳ねさせ、思わずといった様子で振り返ったアネモネには敢えて気付かないフリをして、ホムラは言葉を続ける。


「だが、気持ちだけ受け取っておこう」


「え」


「返すべき恩がある。二君に仕える訳にはいかないからな」


 言いながら、ホムラはアネモネに視線を向けた。多分、それにつられてクラウスも彼女の方を見たのだろう。アネモネは吃驚したように目を丸くして、慌てたように前に視線を戻したのだった。


「そっか……そうでしたね」


 確かこの話は、クラウスと出会った時にも一度した。それを覚えていたのだろう。彼はあっさりと納得して、引き下がる。


 少しだけ長い、沈黙があった。


「アネモネちゃん、冒険者になれると良いですね」


「……」


 その瞬間、心の中で、アネモネの感情は爆発していたのだと思う。


 諦めるべきではない、とか。諦めたらそこで終わりなのに、とか。


 恐らくそう言う言葉が喉の奥の所まで出掛かって、けれど彼女は、すんでの所で我慢していた。肩を小刻みに震わせる彼女の手を、隣を歩くリオルが繋ぎ止めるようにそっと握る。


 才能があって年若い彼女が前向きな事を言っても、才能が無くて適正な時期も逃したクラウスには、どうしても鋭く突き刺さるだろう。けれど幼く善い子である彼女には未だそんな事までは分からなくて――否、意外と彼女もその辺の事は分かっている上で、それでも――自身とクラウスの境遇を重ね合わせているのだろう。


「……そうだな」


 危なかったが何とか耐えたアネモネを心の中で褒めつつ、ホムラは短く言葉を紡いだ。


「ま、成るように成るさ」


「はい」


 余計な一言を紡ぎたくなるのを我慢して、ホムラは口を閉じた。夢という大きな目的地を失っても、生きている限りは旅路は続く。成るように成るものだ。それは決して、否定的な意味ではない。


 会話が途切れる。簡易なダンジョンの中に、五人分の足音だけが響き渡る。


 けれどその状態も、ほんの短い間のみだった。


「……"始まりの間"だ」


 不意に、クラウスが呟くのが聞こえた。


 "始まりの間"。スタート地点という事だろうか。それなりに長く感じられた地下迷宮の冒険も、これで仕舞いらしい。


「お疲れ様です、姉さま」


「リオルもね」


「兄ちゃん、私ダンジョン出たら一旦別行動して良いかな? 私、衛兵の目を盗んで、こっそり入ってきたから」


「そう言う無茶は、これからはするなよ……」


 皆が思い思いに会話する中で、ホムラはふと、耳を澄ませる。


 何か、聞こえたような気がしたのだ。衛兵とやらの話し声とも、街の喧騒とも違う。もっと聞き慣れた、耳ではなく腹に底に響く音。


「――否定。しかし、姉さま。気を抜くのはまだ早いです」


「え?」


「冒険者たる者。いつ如何なる時でも緊急の事態に備えておくべきかと」


 まただ。そもそもそれは、音なのかも分からない。聞こえるような気もするし、本当はよく聞こえていないような気もする。


 けれど、感じる。気配と言うか、感覚と言うか、とにかく確かに感じるのだ。それは人の談笑の声でも、街の営みの音でもない。


 切れ切れに聞こえてくるのは。断続的に聞こえてくるのは、、否、の音か。


「戦だ……」


「え?」


 知らず知らずの内に呟いていたホムラの言葉に、クラウスが反応した。


「何です?」


「上で、ぞ」


 皆が、驚いたように立ち止まった。クラウスも、マリオンも、アネモネですら、"いきなり何を言い出すんだこの人"と言わんばかりの目でホムラを見る。


「……そんな馬鹿な。此処は神々から託された聖域、"約束の地《イモータル》"ですよ? 此処で大それた事が出来る種族が居る筈がありません!」


「その、"約束の地《イモータル》"ってのがどれだけ神聖な場所なのかは知らんが」


 言いながら、ホムラは出口の方に目を遣った。


「行ってみりゃ、分かる。俺が先頭を行こう」


 異論は出なかった。ホムラが先頭に立ち、一行は"始まりの間"と、その先にあった広くも狭くも無い階段を抜けた。


 ダンジョンを、出た。


 其処は相変わらず日の光が無い石造りの地下だったが、少なくとも明らかに人が居た形跡のある場所だった。アネモネの話では、此処には普段から衛兵が詰めていて、ダンジョンに勝手に入る者が無いよう見張っているらしい。


 今は無人だったが。


「アーロン、どこ行っちゃったんだろう……」


「姉さま、警戒を」


「う、うん」


「ホムラ、道なりに進んで下さい。階段を上りきったら、突き当たりを右へ。城の大広間に出られます」


「分かった。お前ら全員、俺の前から出るなよ」


 リオルに指示された通りに進む。道なりに進んで地上へ出る階段を上り、突き当たりを右へ。


 既にに、声は聞こえ始めていた。鬨の声というわけではないが、大勢の人間が怒鳴り合うように話す緊迫した声。状況はどうとか、非番の奴も掻き集めろとか、そういった単語が切れ切れに聞こえた。


 やがて、廊下を抜けて広いエリアに出た。


 これまでと違って、無人ではない。鎧に身を包み、武器を携えた大勢の衛兵達が忙しげに行き交う大広間。彼等とお揃いの鎧を身に付けていないホムラは当然目立ち、直ぐ様殺気だった衛兵に目を付けられる事になった。


「何だ貴様!? 冒険者か!? 何処から入ってきた!?」


「冒険者志望だ。ついさっき、事故が起きた試験から生還した。漸くの思いで地上に戻ってきたらこの有り様で、戸惑っている。何が起こっているのか教えて貰いたい」


「冒険者志望……? 事故……?」


「アネモネ! リオル!」


 怪訝な顔をする衛兵とは別に、驚いたような男の叫び声が聞こえた。ガチャガチャと鎧が鳴らして駆け寄ってくる音に視線を向けると、ややくたびれて冴えない印象を受ける男が、慌てた様子で駆け寄ってくるのが見えた。


「お前ら、無事だったか!!」


「アーロン!!」


 アネモネの叫んだその名前が、駆け寄ってきたその兵士の名前なのだろう。どうやら姉妹と彼は知り合いらしい。リオルも居るし、後の会話の流れは彼等に任せた方がスムーズだろう。


「無事を祝って何か奢ってやりたいが、とにかく今は避難しろ! 城の一部が市民の為に解放されているから、お前ら全員其処へ行け! 場所はその辺の兵士に聞きながら行けば直ぐに分かる!」


「分かった。でも何でそうしないといけないの? 今一体何が起こってるの?」


「すまない時間が無い非常事態なんだ! 俺もすぐ前線の部隊に合流しないと……!」


「前線?」


 狙い澄ましたように、リオルが口を挟む。


「戦争ですか?」


「ああ、そうだ!」


 アーロンを呼ぶ声が聞こえる。彼と同じ部隊の仲間で、恐らくこれから、前線に投入されるのだろう。実際アーロンは踵を返し、彼等の所へ戻り始めていた。


「――大鬼オーガだ!」


 去り際に残した彼の声は、まるで第二の戦場のような騒ぎの中でも、不思議によく通ったのだった。


「この王都に、大鬼オーガ共が攻めて来やがったんだ……!」














 


 


 


 









――「果て無きリンボの境界線」エピソード1 了

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

果て無きリンボの境界線 罵論≪バロン≫ @nightman

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ