第4問「というわけで、今日もナナ子は」

「ふ、ふふふふ! ちょうど7インチ……!」


 手元のテーブルライト以外に明かりのない部屋で、ものさしを片手に笑う。目の前にあるモノはだれがどう見ても7インチだった。口角が上がらずにはいられない。


 あとは完成したするだけだが、今はさすがに限界だ。とくにここ二日は徹夜続き。せっかくナナ子の正体を突き止めたのに、疲労困憊の末に実行して失敗でもしたら目も当てられない。


「……ありがとう、サキ。心の友よ」


 結論から言うとナナ子は病理であって病理ではない。分野ごとに病理として扱ったり扱わなかったりする、と言ったほうがより正確だろうか。

 その答えに辿りつくきっかけをくれたサキには感謝してもしきれない。


 一週間前のあの日、サキはナナ子の正体を、こう口にした。






『――って知ってますか?』

『げんえいし?』


 あまり聞き慣れぬ単語にそのまま言葉を返す。しかし、サキは「他人の冗談を根掘り葉掘り説明させるものではありませんよ?」とそれ以上は教えてくれなかった。なので、その意味を知ったのは家に帰ったあとだった。


「簡単に説明するとな。幻影肢とは、例えば病気や事故で右腕を欠損したとき、右腕がそこに存在し続けるように感じることを指すのじゃ。そして摩訶不思議なことに、それはであったとしても起こる現象なのじゃ」

「……なるほど」

「つまり、身体的には存在しなくても脳内に『欠損ナナ子』と対応する部位が遺伝子情報としてあるのじゃ〜」


 実際にそういうことナナ子が女性に起こりうることなのだろうかという疑問は思わなくもないが、人体わたしは神秘で満ち溢れているらしい。……のだが、感心する前に。


「ところでアンタだれ?」

「のじゃ?」


 帰宅すると、自室には髪を金色に染めたツインテールな女児がいた。幻影肢の説明をしてくれるのは助かるが、控えめにいって不法侵入罪だった。


わらわがだれなのか、サクラお母さまはすでに知っておるじゃろ?」


 お母さま……?

 人のことを経産婦にするのはやめていただきたい。生憎ながら、子供を産んだ経験はない。友人サキ創造妊娠かくしごだろうか?


「ちがうちがう。……本当に鈍感じゃな。妾じゃ、妾。(♂)じゃよ」


 ――ああ!

 一瞬考えて、すべてを理解した私は一度だけ頷いて。


 殴った。

 顔面右ストレートパンチだった。


「ぎゃー! なにをするのじゃー!」

「この、この! いつもいつも他人の股間に居座りやがって! そのくせいるかいないか分からない感じで。ちょっとは私の事情も考えろ!」

「妾も好きで母さまの股間にいるわけじゃないのじゃが。いや、いつも悪いとは思って……だから、殴るのは、あっ金的はダメ、それは本当にダメなのじゃ!」


 ちんちんちんっ!と勝敗のゴングが決まった。

 はたから見れば幼女を襲うヤバイやつだったが、どうでもいい。相手がロリ美少女だろうが、大人気なかろうが、これがどうせ夢の中サキュバスだろうが、関係ない。どうしてもこの金髪幼女を殴らなければ気が済まなかった。


「ぎゃっ、謝る! 謝るから! いつも泣かせてしまって悪かったのじゃー!」


 私の手がピタッと止まる。

 ……泣いてる? 私が?


「ぬ? 気付いておらぬのか? いや、気付かないようにしておるのか。今も泣いておるではないか」


 いや、泣いてなんかない。涙なんて見せたことはない。だれにも、自分にだって。もうずっと。


「涙を隠したからといって、泣いていないわけじゃない。それは母さまが一番知っていることじゃろうに。それとも、まだその感情こえを無かったことにするつもりなのかえ? こうして妾が目の前にいるというのに」


 妾に言いたかったことがあるのじゃろ? とナナ子は挑発するように目を細めた。


「私は……」


 ずっと言いたくて、言葉にできなかったこと。隠してきた言葉。私はそれを口にした。


「私は……私は、サキのことが好きだ」


 ナナ子は何も言わないまま頷いた。


「親友として、親友以上に好きだ。幸せになってほしい。彼女を傷つけたくない。彼女を汚したくない。だから……私はナナ子が嫌いだ。私は、私が嫌いだ」

「ああ、うん。ちゃんと言葉にしてくれて、ありがとうなのじゃ」

「嫌いって言ったのになんでナナ子が感謝するんだよ」


 くふふっ、とナナ子は笑う。まるで当たり前すぎたことを訊かれたのがおかしかったかのように、笑った。


「くふ、母さまは愉快じゃな。愉快なので特別に教えてやろう。幻影肢には欠損部分に痛みを感じることがあるのじゃ。その場合の治療法が、こと。ちょっとしたが必要になるが、今頃になって言うてもすでに母さまは知……ん?」


 言葉の途中で突然、ナナ子が光に包まれた。発光した、というよりは末端から光の粒に変わっていた。


「おっと、そろそろ時間じゃな」

「……もう、行くのか」

「夢はいつか覚めるものじゃからな。妾は夢を見すぎた。仕方あるまい」


 ナナ子の手足が光へと変わっていく。

 ずっと邪魔者だと思っていた。今更、特別な感情なんてなにもない。


「母さまは下手くそな泣き虫じゃな」

「……言っとけ」

「くふふっ。では、最後に一言だけ勝手を言わせてもらおうかの」

「……なに?」

「人はだれしも欠けた形を抱いて生きておる。だから、どうか忘れないでいてほしい。今はまだ難しいかもしれぬが、いつか秘密を表に出せる日がきっと来るのじゃ」

「……もしもその日が来たら、今度こそどこが欠けているか彼女サキは教えてくれるかな?」


 質問の答えは返してはくれなかった。しかし、ナナ子はただ柔らかく微笑んでいた。


 話に付き合ってくれて、ありがとう。

 さよなら。


 そして、光がナナ子の全部を侵食した。






 目を開けると、朗らかな光が目に染みて「あぁ、新しい朝だ」と直感した。

 体を起こして、ふと、自分の勉強机に目をやった。

 紙粘土、針金、プラサフ、スプレー塗料、アクリル絵具、ニス、紙ヤスリなど、一週間前にホームセンターで買い揃えた材料が使用済みのまま散乱している。

 その中央には、一本のそびえ立つモノ。


 ナナ子だ。


 それは昨晩完成させた粘土細工だったが、だれがどう見ても7インチのナナ子だった。


 見比べるように自身の股間に目線を落とす。

 そして、深呼吸をひとつ。

 ため息のように言葉を吐きだした。


「お前、消えたんじゃないのかよ!」


 股間にあるナナ子の感覚は健全だった。むしろ、元気満々だった。いや、おかしいだろ。あれは消える流れだっただろ?!


 そんな激昂を孕んでも、ナナ子は依然変わらず私の股間でとしているだけだった。




 結局のところ、今までの努力は徒労に終わったということになる。私の睡眠時間となけなしのお小遣いを返しやがれと言いたいのだが、それでもほんのちょっとだけ、打ち解けてしまった気がしているのが複雑ではあるのだけど。


 私はナナ子へ向かって親指に引っ掛けた人差し指を弾く。私の恨み節はなんににも当たらず、スカッと感覚をすり抜けた。


 けれども、目には見えないけど、だれにも言えないけれど、それはたしかにそこにあるから。




 というわけで。

 今日もナナ子は7インチなのだ。


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ナナ子♂は今日も7インチ 柳人人人(やなぎ・ひとみ) @a_yanagi

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