第3問「チェリーはどうしてサクラン棒なのか?」

 私のナナ子は限界だった。

 今朝、教室で長谷川サキの顔を見たとき「おはよう」の代わりに「出たな、サキュバス」と口走りそうになったくらいだ。


 ナナ子は自分を慰めることのできない哀しき存在である。それでも思春期を解消させる方法が一つだけある。

 溜まりに溜まった思春期を解放させ夢へ向かって精を出す行為……つまり、サキュバスだ。


 私がナナ子に精通しはじめたときと言うべきか、それともナナ子が私に精通しはじめたときと言うべきか。とにかく思春期が初めて産声をあげたとき、私はサキュバスに遭遇した。

 ちょうど今朝の夢のような形で現れるのだが、サキュバスは気まぐれである。サキュバスだからといって必ずしもサキュバスをしてくれるわけじゃない。「チェンジで」と言われたときのナナ子の衝撃はいまだに計り知れない。


 そして、目の前にサキュバスと同じ姿の友人しょうじょがいる。


 というわけでどういうわけか、7インチだ。


 Gちゃんというただでさえ強烈な見た目なのに、わざわざトイレにまで付いてきたり、意味もなく抱きついてきたり……女子高生の独特な距離感とでもいうのだろうか。「それ男性とかが勘違いするヤツだからな?」と教えたことがあるが、「でもサクラさんは女の子ですよ?」と純粋無垢な瞳でまっすぐ見つめ返されてしまえばお終いだ。思わず教室の机となけなしの罪悪感のあいだで潰されそうになった。


「あの、大丈夫ですか?」


 今も心配するふりをして何気なしに指を絡めてくる始末だ。小学生のころに信じていた『手を繋ぐと赤ちゃんが出来る』という学説など、彼女はとうに忘れてしまったのだろう。想像妊娠という既成事実を突きつけてきたあの頃からずっと彼女は無自覚なサキュバスだった。サクラン棒のナナ子には刺激が強すぎる。


「『女の子を前にすると、なぜサクラン棒は挙動不審になってしまうのか』……重大な命題である」


 目を開くと、見知らぬ天井が視界に広がる。突然の場面転換に私は首を傾げた。


「あっ、起きました?」


 そばにいたサキは覗きこむように首を傾げこんでくる。

 思わず顔を背けて、周りを確認する。私たちはカーテンで区切られたベッドにいた。カーテンの向こうから漂ってくる夕日の焼けた匂いで、すでに放課後の時分だということが分かった。


「……保健室?」

「サクラさん、昼休みのときに倒れて……覚えてませんか?」


 まったく覚えがなかったが、サキに手を握られてきっと私の精神が妊娠しかけたのだろう。話の流れ的に。


「顔色は、すこし良くなりましたね。よく眠れましたか? とてもかわいらしい夢を見ていらっしゃったようですが」

「かわいらしい、夢?」

「はい。女の子とがどうとか、寝言を少々」


 おおよそかわいいとは程遠い内容だったが、彼女は疑うことを知らない乙女だった。私が恥ずかしさを臨界点突破させているなんて思いもよらないだろう。私だってまさか次の瞬間、ベッドから起き上がろうとしてよろめいた結果、彼女のGちゃんへと顔面からダイブしてしまうなんて思いもしなかったのでお互い様かもしれない。

 というわけで、どういうわけか。Gちゃんに埋もれている。離れようとしたときにはもう遅く、すでに彼女の両手に捕捉されてしまっていた。


「よし、よし。急に動くと危ないですからね。ゆっくり、ゆっくり……。落ち着いて、深呼吸……」


 直接顔を見れたわけではないが、きっと彼女は白衣の天使のような表情をしているに違いない。悪魔サキュバスはいつもそういう顔で近づいてくる。私は無我の境地に辿りつかなければならない。

 深呼吸せずとも、汗とシャンプーの混じったなかに甘ったるい林檎の香りまで感じとれた。どうして年頃の女子はこんなにも鼻腔をくすぐる匂いをしているのだろうか。サクラン棒が錯乱してしまう。私は無我の境地に辿りつかなければならない。


「ねぇ、サキは誰にも言えない秘密ってある?」


 脳内BGMが般若心経になっている中、私はその質問をしていた。


「いきなり、どうしたんですか?」

「いや、なんとなく」

「……そうですね。ありますよ。例えば、すでに数人に知られていることでも、自分からは言い出せないということも」


 だれにだって秘密の一つや二つくらいあるものだ。だからその返答は当然といえば当然なはずだったが、私にはすこし意外だった。


「例えば……私が手袋をしている理由を、サクラさんには話していませんよね?」


 撫でられる後頭部に布の擦れる感覚が伝わる。

 たしかに直接話されたことのない話題だ。しかし、察するところはあった。


 彼女の手袋は嫌悪の象徴なのだ。


 サキは同級生よりも発育が目覚しく、とくにGちゃんの目覚めについては周囲の異性から注目されやすかった。元より綺麗なもの好きだった彼女は『汚い』ものへの苦手意識をより加速させることになった。たしか小学五年生のころだ。


「ふふっ、懐かしいです。あの時初めてサクラさんが声をかけていただけたんですよね」

「そう、だっけ?」

「ええ。男子にからかわれてた私を、サクラさんが助けてくれたんです」


 そんなこともあったな、ともうすこし記憶を掘りかえしてみる。


『「ちょっと、男子」

「あ、なんだよ? お前Aちゃんには関係ないだろ」

「……。もしかして、あんたってサキのことが好きだからからかってるの?」

「ば、ばばば馬っ鹿じゃねーの?! んなはずねーじゃん!」

「ふーん。じゃあ、勝手にからかうのやめてもらえる? 私はサキのこと好きだからさ」

「っ! お、覚えてろよ!」


「サクラさま……なんて素敵なお方!」


 ……などという捏造された記憶のようなことがあったかは定かではないが、サキが手袋をするようになったのはそのころだ。


 私が知っているのはここまでだ。しかし、それが人に言えない秘密とは思えなかった。潔癖以上の意味があるということだろうか。


「……サクラさん。今から面白くない冗談を言いますので、どうか泣かないで、笑ってもらえますか?」


 聞き慣れたその質問に私は頷いた。

 それは「これは友人が言ってたことなんだけど〜」という枕詞を、交友関係に消極的である彼女なりに言い回したものだった。

 一瞬、撫でる手が止まる。そして、彼女は笑って。


「―― って知ってますか?」


 を口にした。あまりにも唐突な出来事だった。

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