周囲の人々のお話

おじさんず・いん・すいーつ・ぱらだいす 

 近況ノートからの再掲、「英雄、家を買う」の裏側のお話です。

https://kakuyomu.jp/users/freud_nishi/news/1177354054889236908

https://kakuyomu.jp/users/freud_nishi/news/1177354054889248607

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「そも、エクハリトス家は栄光ある五公十家の一員として、竜王を輩出すること七度。また竜騎手団長にいたっては三代続けて当家の出身者が務め……」

 黒髪青目、長身の美丈夫という、現王デイミオンをそのまま老けさせたような中年の男が言う。「貴殿も、エクハリトス家の一員となられたからには……」


 とうとうと語り続けるヒュダリオン・エクハリトスの話を、銀髪のハダルクは忍耐強くあいづちを打って聞いていた。内心では、そろそろ解放してもらえないものかと祈りながら。


 先日、エクハリトス家の出身であるグウィナと正式に結婚したことから、ハダルクにとってヒュダリオンは縁戚えんせきとなった。同世代ということもあって、あちら側はハダルクのことをいたく気に入っており、タマリスにいる間じゅう何くれとなく呼びつけられている。今日は、ある館の応接間がその舞台だった。


 中流貴族の出から叩きあげでこの地位まで上ってきたハダルクは、上官を褒めるコツというものを熟知している。ヒュダリオンとの会話で今日使ったテクニックは、いわゆる部下の”さしすせそ”だ――


「さすがですね閣下」「知りませんでした」「すごいですね閣下」「そうなんですね閣下」


 「さしすせそ」の「せ」、つまり「センスがいいですね閣下」を、いつ使うべきか、とハダルクがぼんやり考えていると、救いの主があらわれた。


「お話が盛りあがっているようですな」

 やわらかく、よく通る低い声。三人目として部屋に入ってきた中年男性は、この屋敷のあるじ、ヴェスランだった。がっしりした体格で、腰まわりに年齢相応のよぶんな肉がついている。が、今日はしゃれた給仕エプロンを身に着けているために、腰まわりの貫禄は隠れていた。


「おお、ヴェスランどの」

 ヒュダリオンが、少女のように顔を輝かせた。「お待ちしておりましたぞ」


 そう、お待ちしておられたのだ。

 ハダルクはそっと胸中で独言した。ヴェスランとの顔をつないでくれるように、と頼んだのはヒュダリオンだった。正確には、ヴェスランのもたらすあるものが、ヒュダリオンの目的だった。

 つまり、ハダルクは単なる案内役、顔つなぎ。仕事の延長のようなものだった。



「ふふふ」

 ヴェスランは笑い声をたてた。「閣下にそこまで期待されていては、おこたえしないわけにはいきませんな」


「ハダルク卿が貴殿と知りあいと聞いてから、なんとかして伝手をつくろうと奮闘したのです。いや、この身分、年齢では外聞が悪いということは承知しているのですが、こればかりは……欲望に打ちつことが難しい」

 ヒュダリオンは、甥そっくりの深みのある声で語った。そして、そんな自分を恥じるようなもじもじした様子を見せた。


 ヴェスランは、いかにも商人らしい抜け目のない笑みをうかべた。「もちろん、よく存じておりますとも」


「竜騎手にあるまじき不品行だとは思われませんかな?」

「竜騎手だろうとハートレスだろうと、ひとりの男としての欲望を前には、無力なものでございましょう」

「おお……おわかりいただけますか、ヴェスランどの……!」


 なんだか仰々しい会話をしている二人を横目に、ハダルクは冷静だった。ヒュダリオンはまじめで善良な男だが、まじめすぎるところが欠点だ、とハダルクは思っていた。あと、声が大きいところと妙に暑苦しい性格と――いや、列挙するのはやめておこう。



「ああ……それにしてもこの匂い……」ヒュダリオンはうっとりと鼻を動かした。「いやおうなく期待が高まりますな……!」

 


 ハダルクは、高く形のいい鼻をかすかに動かした。たしかに、これは。


 ヴェスランはもったいぶりながら、ワゴンの覆い布を取り去った。

「では、わたくしの最新作を、どうぞご賞味あれ」


 あらわれたのは、二段のワゴンを埋めつくす菓子、菓子、菓子のオンパレードだった。


 ♢♦♢


 その菓子たちは、とても美しく並んでいた。


 給仕用のワゴンの上にあるのは、完璧にふくらんで粉雪のような砂糖がかかったスフレに、ずらりと貝殻の形をそろえたマドレーヌ、虹のようにカラフルなマカロン……。焼き菓子から漂ってくるたまらなく甘い匂いが、鼻腔をくすぐった。


 ハダルクにとっては名前も知らないようなそれらの菓子を、作ったヴェスランがひとつずつ説明していく。


「オンブリアでは、菓子といえば女性が作るものという偏見がありますが――製菓は男性にとっても、楽しい趣味なんですよ」

 オンブリアの菓子は、ナッツや干しブドウを使った素朴なものが多い。だが、イティージエンやアエディクラといった異国の製菓技術はなかなかに複雑で、取りくみがいがあるのだとヴェスランは笑った。


「このクリームもおいしいですね。くどくなくて、苺に合う」

 美しく切り分けられたタルトを口に運びながら、ハダルクがそう評した。


「イティージエン風の、卵を使ったクリームですよ。とろっとした口当たりで、おいしいでしょう」と、ヴェスランが得意げに言った。

「このクリームは、リアナ陛下もお好みになるということで。作るのもそれほど難しくありません」

「ほぉ」

 ハダルクは相づちを打ったが、「リアナが好む」という情報がやや気になった。この春、彼女の当座の夫となるフィルバートは、なかなか上手に料理をこなすという。女性の心は胃袋でつかめ、とも言うし、これはデイミオン王にとっては危機となりうるのでは……。


 それにしても、ヒュダリオンが静かだ。デイミオンそっくりの精悍な顔でケーキをむさぼっている男を、ハダルクはそっと見やった。

「うわっ」そして、思わず声をあげる。「ヒュダリオン卿、どうなさったんですか!」


 ヒュダリオンは静かに、滂沱ぼうだと涙を流していた。

「さくっとした歯触りのあとで、口のなかでほどけてゆく生地の触感……黄金色のクリームは濃厚なのに甘すぎぬ至福の味わい……!」

 そして急に語りだした。「こんなにも満ち足りた思いは……はじめてだ……!!」


「そ、そうですか……よかったですね……」


 ハダルクは業務用のあいまいな笑顔の下で、心の距離がさーっと開くのを感じた。美貌はもちろん、度を越した愛妻家であるという点がデイミオンと共通しているが、性格的には真逆といってもよさそうだ。それから、食べ物の嗜好も。


「デイミオン陛下は、甘いものは召し上がるんですか?」

 ヴェスランがさりげなく尋ねる。そこには何かしら、探るような意図が感じられたが、幸福感に包まれているヒュダリオンは嬉々として答えた。

「いや、あいつは荷運び竜ポーターのような男でしてな。調理してあるものなら、なんでも文句を言わずに食べますよ。甘いものが特別に好きというわけではないようだ」

「ご自分で調理はなさらない?」

「無論です」ヒュダリオンはマカロンに手を伸ばした。「湯を沸かすくらいのことは、できるでしょうが」

「さようですか」ヴェスランがにっこりした。ひと呼吸おいて、続ける。

「……そういえばリアナ陛下は、甘いものがお好きでいらっしゃるようですね。私が用意したマドレーヌを、褒めてくださいましたよ」


 うーむ、これは……。

 ヴェスランはハートレスで、フィルバートの元部下でもある。そしてフィルバート卿は手先が器用で家事もこなすらしい。なにかしら、彼の結婚生活に有利にはたらくような情報をあたえてしまったような気が、しなくもなかった。


 しかし、ハダルクのそんな思いも、テーブルの上に並べられたものを前に霧散むさんした。小瓶のなかに、宝石のように赤く輝く液体が入っている。


「苺の旬はもう終わってしまいます。はしりの果実を使うほうがみやびだという考え方もありますが、私は旬の終わりの果実というのも好きなのですよ。うまみが凝縮していますし、とても安く手に入りますからね」

 ヴェスランはもったいぶって瓶を振ってみせる。「……シロップとジャムも作ってみました。奥さまへのおみやげに、ぜひどうぞ」



 中間管理職の悲哀として、ハダルクは新婚の妻にあまり時間を割いてやれていない負い目がある。ちょっとした甘いおみやげは、彼女の機嫌を取るのにうってつけだろう。


(このことは……ええと……私の胸の中だけにしまっておこう)


 ハダルクは体よく買収されたのであった。

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