6.ゴーイング・ホーム

 すべて〈ハートレス〉だけで構成された特殊部隊、王国第二十一連隊。フィルバート・スターバウが率いるその部隊の、兵站へいたん部門の責任者だったのが、ヴェスランだ。あの血と泥の戦争を生き延び、また生き延びさせた自負もあるヴェスは、自分の物資調達・補給能力に絶対の自信を持っていて、それは家に関しても同じだった。



 その日ヴェスランは、家の持ち主とレフタスと三人で、あれこれと細かな内容を確認しているところだった。家の購入にしぶっていた様子のレフタスだが、ここにきて敏腕家令らしい采配さいはいをみせようというのか、妙にはりきっている。

 そしてフィルバートのほうは、家を内覧してまわったあと、ひとり庭に下りていた。


 庭のなにが気になるのかと、ヴェスランは商談をとめて元上官のほうを見やった。一見して軍人には見えないカジュアルな立ち姿だ。砂色の短い髪と、リネンのシャツ、カーキのズボンに黒いショートブーツ。剣をもたせるより、王都のしゃれたカフェで客あしらいでもしていたほうが似合いそうな青年だが、これが〈竜殺し〉とも悪魔とも恐れられた戦鬼なのだった。一瞬だけ、かつての上官の姿が重なった。


 二人にことわって、ヴェスランも庭に下りていく。

「バラがあるな」フィルバートは、花のほうに目を向けながら言った。

「ここを建てた商人が、アエディクラ風が好きだったみたいでね。庭もそれに合わせたんでしょう。……ここが気に入りましたか?」

 ヴェスランの問いに、フィルはうなずいた。

「ああ。ここを買いたい」

「それは結構」

 実のところ、ヴェスランもこの家が気に入っていた。素朴だが、堅牢で温かみがある。かれらの身分にはそぐわないかもしれないが、もとよりフィルバートは型破りで知られているし、かまうまい。


 たしかにいい庭だ。整いすぎないよう野趣が残してあるが、バラはよく手入れされている。専門の庭師が必要になるな、と頭の片隅にメモしていると、フィルがなにかを拾いあげているのが見えた。


「俺は、彼女を幸せにできるだろうか」

 思いつめた様子で、フィルがぽつりと言った。手のなかに、落ちたバラの花弁があった。「たった一日でも、俺の力で彼女を幸せにできれば、死んでもいい」


「つくづく、結婚に向かない男ですな、あなたは」

 ヴェスランは苦笑いした。「結婚とは毎日の積み重ねですよ。……もちろん、私だって形ばかりのものしか知らないが」


「だけど俺には、永遠に積み重ねられる時間はない。たった一年だ」

「誰だって本当はそうなんですよ。永遠はないんです」

 ヴェスランはバラを一輪手折たおって、フィルに渡した。「いまから思いわずらう必要はありますまい」

 黄色いバラを手に、フィルはもの思う様子だった。


「そうですなぁ、本当はこれは有料のアドバイスですけれどね」

 ヴェスランは、おどけた調子で言ってやった。

「この家を花でいっぱいにして、陛下をお迎えなさい。新婚旅行はで、あの釣り小屋でのんびり、二人で釣った魚を料理して過ごす。贈り物は小さな品で、こまめに、理由をつけて渡すといいでしょう。デイミオン陛下は贈り物のセンスがないらしいですから。……わがままを聞いてあげるのもけっこうですが、時にはノーと言いなさい。あなたしか知らない場所に連れて行く。リアナ陛下はアウトドア好きと見ましたからね。……ま、とにかく、デイミオン王のようになろうとはしないことです」

 そして、不器用な父親のように元上官の肩をたたいた。フィルバートはあいまいにうなずいたものの、まだ迷いが残っているように、ヴェスランには思われた。


 ♢♦♢

 

「大広間も使用人棟もない、客間はたった二つ」

 二人が庭から広間に戻ると、レフタスが屋敷の不満をつぶやいているところだった。この年齢にしてすでに薄くなりはじめた頭髪をふって、ぶつぶつとこぼしている。「勲章の盾と、山ほどのメダルを飾る部屋はどこにするんです? 国難を救った英雄の家に、まったくふさわしくない」

 小言も多いが、レフタスは戦時からフィルバートを崇拝してもいる。「ご領主には命百個分の借りがある」とは彼の言葉だ。だからこそ、フィルのわがままを許して領地を守っているのだった。


「レフ」

 フィルが声をかけた。「小さい家でいいんだ。彼女と過ごせるのは、この一年だけかもしれないんだし」

「まあ、あなたがおっしゃるなら……家令の私は文句を言う立場にはありませんが」

 レフタスは、指に唾をつけて契約書をめくりながら、そう言った。ふと顔をあげると、フィルバートの顔を見て、ぱちぱちと目をまばたかせた。

「何をしおらしくなっておられるんです? 〈ヴァデックの悪魔〉らしくもない。マリッジブルーですか?」

「マリッジブルー」ヴェスランが吹きだす。「たしかに」


 フィルは二人をにらんだものの、反論する気はないようだった。手のなかでバラの茎をもてあそびながらため息をつく。

「ひとの妻だけど、彼女を愛してるんだ。期限つきの、二番目の夫でもいいと思うくらいに」

 ため息には、甘い苦悩がこめられていた。

 夢にも考えないようにしていた結婚だ。嬉しくないはずがないのに、どうしても先のことをいろいろ思い悩んでしまう。一年先、彼女の手を放せるのだろうか。女主人がいなくなったときに、花があれば家にとってなぐさめになるだろうと、庭つきの家を選んだのにしても……。


「簡単なことじゃないですか。寝室でしっかりに励んで、さっさと子どもをつくることです。子どもさえできれば、第一配偶者を蹴落とすのも夢じゃない」

 いかにも合理主義の男らしく、レフタスはと私見を述べた。そういえば、レフはこういう男だな、とフィルは思った。夢を追ってフラフラと大陸を放浪する義父や、リアナのことばかりを優先する自分と違い、いつでも実利的でしっかりしている。


「子どもをつくって夫を蹴落とす、か」

 デイミオンに義理立てするわけではないが、リアナの気持ちを思うと、そこまで悪辣あくらつになれるかは自信がない。それに、フィル自身の家庭観はわきに置いておくにしても、一年というのは竜族の夫婦が子どもをつくるには短すぎる。

 が……

「レフの言うとおりかもしれないな」

 フィルはいくらか元気を取り戻した。あるいは、思い悩むのをやめて今自分にできることにだけ集中しようとした、というほうが正しいだろうか。


 一年は永遠じゃない。でも、彼女と過ごせる大切な一年だ。


「よし。この家を花で満杯にして彼女を迎えよう。おまえたちにも目いっぱい働いてもらうぞ」

 フィルはレフタスに近づいて、肩をたたいた。それから、手に持っていたバラを、ジャケットのボタンホールに刺してやった。

「私もですか? 忙しいのに」ヴェスランが、さも心外というような声をあげた。

「なんです、このバラは。時間外労働は、ちゃんと給金につけさせてもらいますよ」レフタスがバラを見て顔をしかめた。


 フィルはにやりと笑った。

「おまえたちには、命百個分の貸しがあるだろう? いまが取り立ての時だ」



【終わり】



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「家を買うフィル編」は、これで終わり。でも、おまけはまだ続きます~

次は「寝室編」ですヾ(*ゝω・*)ノ)


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