エピローグ

 あれから二ヶ月たった。


 日本支部に護送されて厳しい取り調べをした結果、組織のトップは小さいころから耳が悪かったらしく、暁里を浚って来て自分の耳の代わりにしたかったらしい。まともだった頃は病気や怪我で病院に行けたという話をしていた。だが。


〔その時になぜ耳の検査をしてもらわなかったんだ? していたら、今ごろは手術で治っているか、無理なら補聴器がつけられただろうが〕


 呆れたような課長の言葉に、それに思い当たらなかったらしい男は力なく崩れ落ちたとか。

 元々トップの能力じゃ無理だと感じていたらしいナンバー2やナンバー3が組織を動かし、二人がデカくして国際的な犯罪組織にのしあげたらしいし、力のある連中は軒並み逮捕されたか射殺されたりしてるから、日本にいた連中が雑魚のように大したことがなかったのは当然の成り行きなんだろう。

 トップがバカだと部下は大変だな。

 ちなみに遠藤が撃ち落としたヘリに関してはきっちりニュースになったようだが、それもすぐに話題に登ることはなくなった。


 そして俺は、念のためにと病院で検査をしたが、何の異常もなかった。肋骨にヒビでも入っているかもと心配していただけに、拍子抜けした。

 暁里の護衛についても、残党の報復を心配して二週間ほど護衛をしたが、何もなかった。ちなみに、護衛をしていたのは高林だ。

 なので、俺は事件の処理と別の仕事に追われて海外に行ったりしていて、救出作戦以降、暁里には会っていない。

 で、久しぶりに某国のお偉いさんのSPで二ヶ月ぶりに防衛省に来たわけだが、やっぱり出迎えの中に暁里がいた。俺に話しかけたそうにしていたが俺は任務中で、前回と違って面会者がいるわけじゃないので、それをスルーした、その帰り。


「籐……あの、すみません。落としましたよ」

「おや、これは申し訳ない。ありがとうございます」

「……話があるの」

「俺もある。とうてつで待ってろ」


 声をかけた暁里にこっそり手渡されたのは、男物のハンカチだった。但し、俺のじゃない。それをポケットにしまっている間に小さな声で話しかけて来た暁里に、妹の店で待ってるように言うと、小さく頷いた。

 予定していた場所も全て回り終え、別の奴らと交代する。時計を見ると、以前は暁里を迎えに行っていた時間の三十分前だったので、支部に戻って少し休憩しながら妹に連絡を入れる。暁里と待ち合わせをしたから座敷の予約を頼むと、籐子はクスクスと笑いながら了承した。



 ***



「いらっしゃいませ……あら、兄さん。久しぶりね」

「おう、久しぶり」


 店の暖簾をくぐって扉を開けると、籐子の声が店内に響く。夜の九時を回ったせいか、或いは一度はけたのか、店内は落ち着いていた。


「白崎さん、だいぶ待っているわよ? あ、一番奥の座敷よ」

「わかってる。待ってろって言ったのは俺だからな。つうか、一番奥のって……」

「うふふ。不埒なことをしたら、兄さんでも許さないわよ?」

「へいへい。あ、籐子、暁里は飯食ってたか? あと、俺に刺身とお茶漬けをくれ」

「食べていたし、お酒も飲んでいないわね。お刺身とお茶漬けねぇ……ふふ、わかったわ」


 待たせていることはわかっている。仕事が終わらなかったんだから仕方ない。

 ちなみに一番奥の座敷は個室で、四人がけの堀炬燵だ。そして兄妹なだけあって、俺が頼んだ料理の意味を知っているのが忌々しい。それを綺麗に隠し、大空のあとについて行く。


「失礼しまーす。お連れ様がお見えですよー」


 大空が一言声をかけて障子を開けると、緊張した面持ちの暁里と目が合う。ホッとした顔をしたことから、相当待たせたことがわかる。

 先にお通しとおしぼりを置いていった大空と入れ代わるように座敷に上がると、「ごゆっくり」と言って障子を閉めた。


「すまん、遅くなった」

「ううん、大丈夫。私もいろいろあって、ここに来たのが七時半くらいだったの。いつも来てた時間じゃなかったからすごく混んでて、席がないかと焦ってたら、女将さんから『兄さんから予約もらっているわよ』って言われて、びっくりしちゃった」

「ああ、支部についてからすぐに籐子に連絡したからな」


 そんな話をしていると、外から籐子の声がする。すぐに障子が開けられ、刺身とお茶漬けのセット、お茶と箸とレンゲを目の前に置かれた。刺身は甘エビ、マグロ、鰹、アワビ、サザエと、なぜかイカそうめん。お茶漬けは鯛茶漬けだ。


「……なんでイカそうめんなんだ?」

「イカ様のご利益を願って、かしら」

「「は? イカサマ?」」

「あら、兄さんたちは知らない? ……まあ、あとで話すわね」


 イカなんぞ俺が滅多に食わないことを知ってる籐子たち夫婦が、珍しく刺盛りの中に組み込んでいた。

 暁里が席を立ったのをいいことに教えてくれたのは、どこぞの地元議員が恋愛を成就し婚約したきっかけがイカで、それにあやかってということらしい。今でもその話は有名で、結構な頻度でイカが出るそうだ。

 その理由を聞いて納得し、だいぶ前にニヤニヤされた仕返しに、今度防衛省で会ったらからかってやろうと決めたのは別の話だ。

 ごゆっくり、と言って出ていった籐子を見送り、先に飯を食うことにする。話なら食いながらでもできる。


「いただきます。……つうことで、久しぶりだな。あれからどうだ?」

「本当に久しぶり。あれから何もないから、すっごく平和。話があったから籐志朗さんに連絡とろうとしてたんだけど……」

「あー、あの携帯は仕事用だから、任務が終わると誰が使ってもいいように全部変更しちまうんだよ。それに日本に帰って来たのも久しぶりだし……」

「え……? 日本にいなかった、の……?」

「まあな。守秘義務があるから、これ以上の詮索はなしな」


 刺身を食いつつ、お茶漬けをすする。箸休めにお新香を食べながら、暁里と話をする。


「で、話ってなんだ?」

「えっと……その……」


 話をふれば、暁里は急に目を泳がせて俯いてしまう。何をやってるんだと呆れつつも、先に俺から話すことにした。


「なら、先に俺から話していいか?」

「あっ、はい! どうぞ!」

「なら、遠慮なく」


 スーツのポケットから小箱を出して手の中に握ると、背筋を伸ばす。急に変わった俺の雰囲気を察してか、若干青ざめた表情で俺を見る暁里に内心笑いながら、その言葉を告げる。手はもちろんテーブルの上で、まだ広げてはいない。


「暁里、お前が好きだ。結婚を前提に、付き合ってくれ」


 そう告げた瞬間の暁里は、見物だった。一気に耳まで顔が赤くなり、目が潤み始める。


「う、そぉ……っ! だって、そんな素振り、わた、私……っ」

「返事は、『はい』か『イエス』だけな」


 握っていた手のひらをどけて小箱を暁里の前まで押してやれば、彼女は震える手でそれを開く。中身を見た途端に、目から涙が溢れた。


「ふぇっ、う、れしい……っ。私も、好きだから、今日告白するつもりだっ……」

「うん」

「本当は、これが恋なのか、自信がなかった。吊り橋効果だったんじゃないかって、すっごく悩んだ。でも、籐志朗さんに会えなくなって、護衛の人も変わって、それがすごく悲しくて、寂しくて……。寂しすぎて死にそうになってた時、籐志朗さんを見て、やっぱり好きだって……」

「寂しすぎて死にそうって、ウサギかよ」


 からかうようにそう言えば、暁里は涙を拭きながら頬をプクッと膨らませる。


「と、籐志朗さんが一緒にいてくれるなら、う、ウサギでいいもん! だから抱いてくださいっ! …………って、あれ? 私、今、何言った?!」

「ほう……ずいぶんと大胆だな、暁里。俺に返事をする前に『抱いてくれ』とは」


 そう指摘すると、暁里の顔がまた一気に赤くなり、あたふたと狼狽え始める。


「えっ、違っ、言い間違えた! お受けしますだった!」

「俺は、『はい』か『イエス』でって言っただろうが。暁里、返事は?」

「……私も、籐志朗さんが好きです。なので、お返事は、『はい』です。だから、その、さっきの言い間違いは、なかっ」

「たことにしないからな? 俺がいなくて寂しすぎて死にそうって言ったんだ。そんな可愛い恋人のおねだりは、きっちり叶えてやろうじゃないか」

「え、いや、あの……っ?!」

「寂しくなくなるまで、しっかり抱いてやるから、覚悟しとけ」


 ニヤリと笑った俺に、暁里はガックリと項垂れた。それでも小箱を……指輪の入った箱を離さなかったのは大したもんだ。

 箱から指輪を取り出して暁里の左手を持つと、薬指にそれを嵌める。小粒ではあるがダイヤの指輪は、暁里によく似合っていてホッとする。


 腹ごなしも終わり、二人分の会計を済ませて店を出ると、暁里を連れて俺の家へと向かう。


「籐志朗、さん……」

「いいんだな? ……本当に抱くぞ?」

「……うん。初めてだから、その……」

「わかってる」


 家に着いてそう聞くと、暁里は若干目を泳がせながらも頷いた。そしてこれが合図とばかりに寝室に連れて行くと、暁里を抱き寄せてキスをした。



 ***



「シャワーを浴びようか、暁里」

「ぅ……うん……」


 暁里を抱いたあと、交代でシャワーを浴びたり湯船に浸かる。さすがに二人で入るほど大きな湯船じゃないから、一緒に入るのは諦めた。

 家まで送って行ってやりたいがバスはもうない時間だし、俺も免許はあるが車を持ってるわけじゃないから送って行けない。なので、暁里を泊めることにした。同じベッドに横たわり、腕枕をしながら暁里と話す。


「暁里、明日休みだろ?」

「うん」

「一緒にどっか出かけるか?」

「いいの?!」

「ああ。どこに行きたい?」

「えっと、うーん……」


 ああでもない、こうでもないと唸りながら、明日どこへ行くか考える暁里。結局ショッピングがしたいというので、商店街や駅ビルではなく、都内に出かけることになった。時間があるならサンシャイン水族館にも行きたいらしい。


「じゃあ、先に水族館に行って、それからショッピングな」

「え……いいの?」

「もちろん。サンシャインの中に旨いハンバーグの店があるんだ。そこで昼飯でも食おうか」

「うん!」


 俺のTシャツを着て抱きついてくる暁里は、なんとも可愛い。明日もあるからとまた襲いそうになる衝動を我慢し、柔らかいウサギ肉をまた食べるのは明日にすることにして、暁里を腕に閉じ込めたまま眠った。



 

 ――それから半年後、俺たちは結婚した。新居も暁里の耳に合わせて、防音がしっかり施されているところに引っ越した。と言っても、暁里のリクエストで最寄り駅は希望が丘駅なのは変わっていない。

 心配事がなくなったからか、最近は義母の病状が安定していて、医者からは一時帰宅を許された。ただ、義父も義兄の璃人も家にいないし病院に近いのもあって、我が家に来てもらうことになっている。


 そして義父は、今の航海から戻って来たらそのまま陸での仕事に切り替えるそうだ。安定して来たとはいえ、よほど義母のことが心配なんだろう。今まで一緒にいてやれなかったという理由もあるかも知れない。

 璃人は相変わらず妹バカでウザイやつだが、暁里によると以前ほど煩くなくなったらしい。どうやら俺たちの知らないところでヘマして上司や義父からこっぴどく叱られたり、同僚に「妹離れしろ」と事あるごとに言われたらしく、それから大人しくなったようだ。


「籐志朗さん、お待たせ」

「おう。じゃあいくか」


 外でのデートは久しぶりだからか、暁里は朝からはしゃいでいる。しかも遠足前の子供のように早く目が覚めたらしく、鼻歌を歌いながら朝メシを作っていた。


「サンシャイン水族館~♪ サンシャイン水族館のペンギンさ~ん♪」

「ホントに好きだねぇ、サンシャイン水族館」

「だって、ペンギンが可愛いんだもの!」

「わかった、わかった! ついでに別の階にあるアトラクションにも寄るか?」

「行く! 寄ってく!」

「決まりだな」


 電車の中でそんな話をしながら電車に揺られ、池袋に着く。こんなんで買い物ができるのか? 水族館とアトラクションだけで時間が潰れて、結局は地元の商店街で買い物をする羽目になるかもなぁと内心苦笑しつつ、暁里と手を繋いで歩き出した。




〈 了 〉


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あかりを追う警察官 饕餮 @glifindole

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