牛肉鍋をつついてみれば、縁談破局の音がして……

庄助しょうすけ様と添い遂げます」


「ふぁっ!?」


「綾乃! お前さん!」


「こればかりはおとっつぁんの言うことであっても聞けません。おっかさんの話だったとしてもです!」


(な、何が……どうなって?)


 僕の驚きの声と綾乃さんのおとっつぁんの怒声が重なるのは無理もないことだ。


 僕は破談になるものだと思っていたし、綾乃さんもそれを告げに来たのだと思っていた。

 綾乃さんのおとっつぁんだって、《牛鍋屋》なんて得体も知れない生業に手を出そうとする無謀の一家に娘はやりたくないはず。

 だから、意外過ぎる綾乃さんの一言の破壊力は抜群だった。 


「お前さん、自分が何を言っているか分かっているのかい!?」


「もう16ですから。それくらいの分別はつきます」


「馬鹿なことを言いでないよ! 嫁ぐ先は牛鍋屋なんだよ。畜生肉を扱う商いだ!」


 綾乃さんの発言は間違いなく綾乃さんのおとっつぁんにとって《寝耳に水》だったに違いない。


 落ち着きがある風流なお人、というのが綾乃さんのおとっつぁん。

 興奮さえしてなければ、仮にも元は縁談を進めていた相手先の家の当主、つまり僕のおとっつぁんが前にいてここまで酷い言い方をするだろうか?

 牛鍋は、おとっつぁんの発案なんだから。


「食肉とは、外国からの流れを汲んだ食文化だ!」


「それが何ですか?」


「来訪外国人は多くなり、いさかいは多発し、治安も悪くなった。外国への印象が悪い日本人は多い! 外国からの品を贔屓にしたってだけで、攘夷派のお侍様に斬られたモンだっているんだよ!?」


「ご冗談を。攘夷派のお侍様は幕府派のお侍様とのにらみ合いに躍起になっているではないですか」


(綾乃さんもムキになっているね。攘夷派のお侍様に斬られた横浜の者は、確かに結構いるというのに)


 ……どう、しよう。

 《牛鍋屋》というのが出てきたのなら、僕だって当事者に違いない。


「おとっつぁんはねぇ、お前の幸せを考えて!」


「私の幸せは私が決めます」


「牛鍋屋の若女将になってどうするつもりだい? お前はきっと、皆からの笑い者にされるよ! 肉なんて気味悪い料理を出す家に自ら入ったって」


「京には鶏肉を使った鋤焼すきやきがあると聞いたことがあります」


みやこで雅な文化として古くからあるからいいんだよ!」


「それに、鹿をモミジ、猪はボタンとして呼ばれる背景は、食肉を忌避しているという建前の中、本音を言えば獣の肉を食べたいという意識の結果」


「ああ言えばこう言う!」


「これまでだって、声を大にできませんが我が家の夕餉ゆうげにも出たでしょう?」


 だが、普段を知っているからこそ、綾乃さんのおとっつぁんの豹変ぶりは恐ろしく、これに対峙する綾乃さんの表情にも剣幕が漲っているからなかなか話に加われない。

 

(無理……だよねぇ。なっさけない)


「……庄助や」


 このままでは綾乃さんたち親子喧嘩が納まらないと踏んだのか、ここで口を出したのがおとっつぁんだった。


「お前さんは何も言わないのかい? 縁談は綾乃たちだけの物ではなく、お前の物でもあるんだよ?」


 なんて質問をしてくるのだろう。

 おとっつぁんの声を耳に、口論を沈めた綾乃さんと綾乃さんのおとっつぁん。


 特に綾乃さんは、真剣な顔で、覗き込むというか、心の中を見透かしてるんじゃないかという瞳を僕に向けてきた。


「お前はどうしたいんだい? 綾乃とどうありたい」


 おとっつぁんも人が悪い。綾乃さんが意識を向けてくる今、そんなことを聞かなくても良いじゃないか。


「ちなみに綾乃はお前さんに覚悟を見せたよ?」


「ッツ!」


 (あぁもう! おとっつぁん!!)


 うわぁ怖い。綾乃さんの視線はとても強くて。しかも綾乃さんのおとっつぁんなんて殺気立っていた。


「わ、わたしゃ……」


 だけど……


「わたしは、綾乃さんを……娶りたい」


 口にしてしまった。 

 綾乃さんが、彼女のおとっつぁんにあそこまでタンカを切ったこともある。

 おとっつぁんの問いを耳にした綾乃さんが僕の方をじっと見つめていて、ここで答えを間違えることは、今後二度と綾乃さんとえにしがつながらないかもしれないという思いも強かった。


「……それでいい。今は、ねぇ?」


 僕の答えに、探るような視線を送るおとっつぁん。


「それじゃ綾乃のおとっつぁん」


 やがて、いつもの闊達な笑みを、綾乃さんのおとっつぁんに向けた。

 向けて……


「こういうのはどうでしょう。縁談を保留というのは」


「なっ!」


「庄助も綾乃も共にありたいと言う。纏まった縁談を当事者たちが望まない例がある中で、なんとも喜ばしいことじゃござぁませんか」


 ぶちまけた。


「《宿六庵》さん!」


 当然のことながら、綾乃さんのおとっつぁんがこの意見に憤慨しないわけがない。


「まぁお待ちを。牛鍋屋。大博打だ。奇異の目にさらされ馬鹿にされることだってある。娘をもつ父親として、その反応は至極全うでしょう」


「でしたら……」


「とはいえ、若さゆえの強情さだってある。いきなり破談と言われも、飲めるものも飲めんでしょう」


 保留と提案したこと、綾乃のおとっつぁんに対する諭すような口ぶり。

 「牛鍋屋を出す」と言い始めて聞かない。諸悪の根源はおとっつぁんであるはずなのに。


 それでさらに意味不明の発言をしたこと。

 眉を潜め、おとっつぁんの言葉の真意を掴もうとする、綾乃のおとっつぁんが黙ってしまったこと。


(頼むよぉ。変なことを綾乃さんのおとっつぁんにに言わないでおくれよ)

 

 困惑と同時、得も言われぬ不気味さを、僕に感じさせた。


「一年の猶予を設けちゃみませんか?」


「一年ですか?」


 そうして……


「牛鍋を出してからの今後1年間、庄助の働きを、綾乃のおとっつぁん、綾乃に見定めてもらいたい」


「そんなことしても……ですねぇ」


「綾乃はまだ16。気風キップは強いが器量はいい。破談になってもまた縁談の話は来るでしょう。嫁がせるか否か、この一年を見極めてからでも遅くない」


「……え? ええええええええええええええええええええええええ!!」


(なんてことを提案するんだおとっつぁん!)


 保留話をぶちまけただけじゃ、おとっつぁんは止まらなかった。

 次から次へと僕が考えたこともなかったことを、僕に相談もせずに言葉にした。


「確かに私も数月前、横浜村の《伊勢狸》で牛肉を食べるまでは畜生肉と思いました。だが、食べてみてわかった。昨今を考えれば、外国との交流は更に増えます。異文化も入り、それによってこの国での齟齬も減る。食肉は、普及する」


「お侍様たちをご覧におなりなさい。幕府派と攘夷派に割れたのは、そもそも外国から、招かれざる客が来たのが端を発したともっぱらの噂です! どちらが実権を握ろうが、外国的なものは排除……」


「9年前の、ペルリ(ペリー提督)御大の黒船来航の衝撃。お忘れでないかい?」


「ッツ!」


 綾乃さんのおとっつぁんが食い掛るのはしょうがない。だが、おとっつぁんの一言が、黙らせた。


「おとっつぁ……」


「……綾乃や、お前は構わないね?」


 おとっつぁんは、僕の呼びかけすら聞かず、綾乃さんに視線を送った。


「機会を頂き、ありがとうございます。それで、庄助様」

 

「え?」


 そして、綾乃さんはそれに応えた……だけじゃない。

 キッと真に迫った表情で、僕に痛いほどの視線を向けてきた。


「不束者ではありますが、なにとぞよろしくお願いいたします」


「えっ? えっ?」


 そして三指を重ねて頭を垂れた。


 縁談は破談にならなかったのか、保留となったののか、それすらまだ定かではないはずなのに。その動き、まるで祝言しゅうげん(結婚)当日早朝の、花嫁の花婿に対する口上第一声じゃないか。


「庄助、綾乃の覚悟、しっかり受け止めるんだよ」


 その振る舞いに体中が強張った僕。


「いくじのないお前さんに、綾乃はここまでしたんだ」


 未だ頭を垂れ続けた綾乃さんに目が釘付けになるも、嫌に隣のおとっつぁんの声が耳に入ってきた。


「この一年は、今後綾乃を守ってやれるか否かの試練の時期となる。しっかり励みな。そして……」


 その中でも特に、頭に響き、そして残ったものがあった。


「男に、おとこにおなり。庄助」




 牛肉鍋をつついてみれば、縁談破局の音がして……


 纏まったはずの綾乃さんとの縁は、あわや破綻となりかけた。


 何とか保留となったことを不幸中の幸いと思うべきか? だが結果が、傍にいてくれたはずの彼女との距離は、遠くなった。


 だから、僕は結果を残す。残さなければならない。

 父の思惑に美味いこと載せられることだってわかってる。牛鍋の提供にいまいち乗り気でなかった僕に、綾乃さんを出汁に本気を出させようのだ。


 だけど、きっと応えて見せる。両家が持ってきた縁談は両家の都合で破断しかけた。だけど、そのような縁でつながった綾乃さんを離したくはない。

 

 それは幕開け。

 この試練に、戦いに、こんどこそ僕は、僕の力で、綾乃さんを掴んで見せる。


 今は茶飲み友達くらいにしか思われていないかもしれない綾乃さんに、「嫁ぐに不案なし」と思ってもらえるように。


 僕は、強くありたい。

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牛肉鍋をつついてみれば、縁談破局の音がする 全三話 キャトルミューティレート @mushimaruq3

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