口下手庄助の、雄弁なる牛鍋

作中、蔑称用語がございますが、時代考察の上、使用しております。


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「縁談の、お話」


 《目は口ほどに物を言う》


 さすがに、苦しそうな顔で我が家に入ってきた時には、話を聞かずとも、ある程度は予測できていた。

 だからこそ僕は母屋ではなく、に綾乃さんを案内した。


 前回綾乃さんと別れてからもう一月半が立っていた。

 すぐに結論を出すって話だったけど、結構時間を要したらしい。


「牛鍋屋の件は……」


「この店の仕切りは、未だおとっつあんですからね。いろいろと話はしてみたんですが、断念する気配はありません」


「そうですか」


 目が泳いでいる。口も重いらしい。となると、何とかこの場までやってきて伝えるべき話というのは……

 縁談が、ご破算になったに違いなかった。


「うっどそおぷ・ちゃあるず・くらあく」


「……そういうことですか」


「ういりあむ・まあしゃる」


「なら、当然ですね」


「ちゃあるず・れのっくす・りちゃあどそん」


 綾乃さんがあげた3人の名前。今最もこの横浜で有名な3人のエゲレス人。


「生麦事件」


 先月の話だ。そして彼らは既に死体となった。


「お江戸は薩摩ご藩主名代、島津三朗久光様がご帰国の行列に、エゲレス人は騎乗のまま割り入った」


 それが彼らが死んだ理由。


「外国との常識、文化の違いと理解しております。ただ、わきまえない者は多い。外国人は勿論この国も同様。そんな中、外国の食文化を流れにくむ食肉は……」


「それら外国嫌いの者たちの目を、牛鍋はひきつけると?」


 あぁ、なるほど。確かにその話の流れなら、破談になっても致し方ない。


庄助しょうすけ様は、笑い話にも思うかもしれませんが」


「いえ、やっぱり綾乃さんはとても敏い。もしかしたら今回のことで腹を立てたエゲレスが報復するかもしれませんし」


 その可能性も考えなかったわけじゃない。ほんの少しだけど予測がついていたのは良かった。


「お江戸が侵攻を受ける事態になるのか。それとも薩摩藩と直接開戦するのか。そうなったら《薩英戦争》にでもなるのかな」


 なら、僕は綾乃さんからの別れを、すんなりとはいかなくても納得したままきっと受け入れられる。


庄助しょうすけ様。とても良い匂いをさせていますが、先ほどから何のお料理を? それに今日はどうしてお店の方に。いつもは母屋にお邪魔させていただいていたはずなのですが」


 僕が調理中・・・という状況であることも手伝った。


 僕は厨房、綾乃さんは店内の席についてもらっている状況。

 僕がもし、今の話を鼻を突き合わせてしていたら、きっと耐えられなかった。


屋号ウチの新たな目玉料理を開発して見ろって。おとっつぁんが」


「《宿六庵おいえ》の? って……まさか」


 本当は、こういう話こそ面と向かってしなければならないはず。それができない自分の情けなさは自覚しつつも、料理に視線だけは集中できたのはよかった。


 もしその視線を受けてしまったら、気恥しいというより、いたたまれない気持ちに違いない。


 それでも、綾乃さんのその問いにだけは、顔を上げて答えなくては。


「《宿六庵》特製牛鍋。牛鍋というより、味噌焼きになってしまうのだけど……」


 ちょうどいいところで上がった料理。

 僕がかつて「畜生肉」と呼んだ焼きあがったソレ。


 盛った平皿を両手に、少しだけ高い位置に持ち上げたのは、綾乃さんの視線を誘導するため。


 ……失敗だった。その動きは彼女の視線を皿に移すためだったはずなのに。


「も、もしよければ、なのですが。食べてもらえませんか?」


「私が、牛の肉を……で、ございますか?」


 綾乃さんは、ハッと見開いた目を、それでも僕に向けてきたのだから。


「なんというか、随分荒っぽい話であることは分かっているんです」


「え?」


縁談が破談になった・・・・・・・・・綾乃さんに……」


「え゛!?」


「更にその、勧める・・・のですから」


 ちょっと今まで聞いたこともないような声が、綾乃さんから聞こえてきた気もするけど、考えてみたらおかしいことじゃない。


 畜生の肉だ。僕だって一月半前までそう思っていた。

 だからあの時、おとっつぁんに《伊勢狸》に連れてもらった後のことは、衝撃的だった。


「そ、そうなのですか? もう、進んでしまって・・・・・・・いると?」


「ええ、勧めてしまって・・・・・・・すみません。でも、だからこそ綾乃さんには受け止めてもらいたかった。僕の覚悟を」


 あの時、まだ口にする前の僕の牛肉への印象を、綾乃さんは持っている。

 

 僕はおとっつぁんに強要されて、渋々口の中に押し込んだ。それは父子親子の間だからできるだけ。


 でも、今の相手は綾乃さん。

 縁談が纏まっただけ。いつかは恋仲に成れたら……なんて思ったものだけど、1年半でやっと茶飲み友達位にしかなれなかった自負が僕にもある。

 そんな相手に、いきなり「畜生肉を食え」なんて、彼女の人生じょうしきを崩しにかかるのはいささか無礼が過ぎているのはわかっていた。


「そ、そんな。庄助様が進めて・・・いるだなんて。それも、覚悟をもってって……」


 それでもできれば、居酒屋宿六庵の次期大将を継ぐべき僕の、今できる渾身の一皿を食べてもらいたかった。

 

 きっと別れることは避けられない。

 そしておとっつぁんが牛鍋をやると言い出したのだから、もう覆ることもない。


 少しズルい話。

 それでも僕はきっと、何か彼女の思い出に残すものを作ることで、彼女の中に僕がいたという爪痕を残したかった。


 それがいまだこの国で忌むべき食肉料理で、誰かを納得させるほどの料理を作り上げるという強い覚悟を見せるということ。

 今日、会いに来ると聞いたから、だからおとっつぁんに頼んで、今日だけは店を一日閉めさせてもらった。


 俯いてしまった綾乃さん。黙り込んでしまうから、なかなかこの空気が重い。

 だがやがて、細くて白い指は、箸を握ってくれた。

 箸を持った手は震えている。皿を、睨んでいた。

 それも、僕が一月前に牛肉を前にした時と同様の反応。


 とてもゆっくりした動きで一切れ箸でつまんで、また動きは止まる。

 普段とても落ち着いていて、一本芯を胸に持っているような雰囲気が凛としている綾乃さんだから、摘まみ上げた牛肉を凝視する、眉がひそまった顔が可愛らしい。


 (まさか今更になって、そんな表情もできることがわかるなんてね)

 

「い、行きます!」


「どうぞ!」


 ……その時が、来た。

 一つ見せてくれた気合に僕も返す。


 意を決した綾乃さんは、思いっきり目をつぶって僕の牛鍋を口の中に突っ込んだ。

 

 何かすっぱいものでも食べたように、顔をしかめながら何度も咀嚼する。


 気持ちはわかる。僕も初めて牛肉を口にした時。ただ肉を噛んでいるのではない。

 「食肉とは野蛮であり、その通説からついに自分は逸脱した外道になってしまった」のだと、自分の中の常識セカイまで咀嚼し、壊してしまったような感覚を覚えたものだった。


 そうして……


「……え?」


(来たっ!)


 拍子が抜けた驚きの顔。それこそ、僕が待っていたもの。


「庄助様。これは……」


「歯ごたえが凄いでしょう? 獣臭さもあって癖が強い。それが牛肉を扱う上で最初の壁でした」


 あたり、かもしれながい。

 あれほど前面に出ていた困惑の表情も、たちどころに失せていたから。


「横浜村の《伊勢狸》は、味付けに醤油を使ってました。臭みを取るため、肉自体を酒に漬け、勿論調理も酒を使用し、刻みしょうがを入れて煮込んでいると」


 というより、「なんなのだこれは」とでも言ってそうな表情が嬉しくてならない。


「衝撃を受けました。とてもおいしかった。でも、おとっつぁんが求めたのは《宿六庵うち》独自の牛鍋。だから酒を少量混ぜた味噌に漬け、焼きました」

「……おいしい」


 口元を抑えるすべやかな指。呟いた感嘆の言葉。良かった。この分なら味でも勝負ができそうだ。


「《伊勢狸》は野菜と共に,みそ汁として煮込んだものと2種出してました。ですが醤油味の出汁と違って色の濃い味噌では、煮すぎてさらに硬くなる」


 料理として認めてくれた。

 この一月研究を重ねていた、さっきまで食べるものとして認められていなかったもので、認められた。


「ただ試した中、どちらが調味料として合うか考えたら味噌だったんです。癖の強い肉ですから、香りを消そうとして酒を醤油と併せても、今度は味わいで肉の強さが突出してしまう」


 多分、今日が綾乃さんと会うことのできる最後の日。


「少し絡みが強いのは……青唐辛子?」


「同じく味噌に、刻んだものを混ぜました。唐辛子は飲み込んだ後、鼻から抜ける残り香が爽やかです。辛みが肉の味の癖を緩和し、香りは、その匂いを抑える」


 だけれど、少しは彼女の中に何かしらが残せたかと思ったら、なぜか舌が軽くなった気がした。


「さすれば牛肉の癖は殆ど顔を出すことはなく、程よい風味に確かな歯ごたえ。そして魚とは違う肉汁や溶けた油が口の中で広がり、味噌と混ざってコクが出る」


 だがすぐに、そんな考えは吹き飛んだ。


「……私は、見定めに来ただけなのに」


 一切れ食べた綾乃さんが、箸を置いたからだ。「おいしい」と、言ってくれたはずなのに。


「えっと、綾乃さん?」


「これほどの逸品を供すことが出来るなら。どうしてもっと、自信をもってくれなかったのです?」


「自信って? あの、綾乃さん?」


「ここまで真剣に探求されてなお、その不安は、縁談を無かったことにするほどですか?」


「は、話が見えないのですが……」


「もしそれでなお、押し通そうとなさったのなら、私だって……」


 そのうえ悲しげな顔で僕を見つめるのだから、何を言ってるか分からないこともある。たじろいでならなかった……時だった。


庄助しょうすけや、いるかい?」


「おとっつぁん」


「せっかく二人の所悪いね。おっ? 牛の辛味噌焼き、綾乃にも上がってもらえたのかい」


「何かあったのかい?」


 厨房から母屋に続く戸口から、ひょっこり顔を出したのはおとっつぁんだった。

 呼びかけてきた時は明るい笑顔は。だが、聞き返したところで苦しげになった。


「綾乃のおとっつぁんが訪ねて来てね。綾乃がいることを教えたら《宿六庵》に来るとは何事かとね」

「それは、綾乃さんが破談の旨を直接私に伝えに来たんじゃあないか」


 が、僕の回答は、


「破談? わたしゃ、そんな話は聞いとらせにゃが?」


 またおとっつぁんの表情を変えさせた。


「綾乃のおとっつぁんからは……」


 が、おとっつぁんの一言は……


「綾乃が半ば家で同然に飛び出したって」


「え゛っ!?」


 僕にも衝撃的。


「お待ちでないかいおとっつぁん! 家を、飛び出したって! 綾乃さんが?」


 まさか、いくら綾乃さんが行動力と自分の意思をしっかり持っている婦女子として、そこまでのことをするだろうか……少しばかり信じられなかったからだ。


「とりあえず母屋にお戻り。こればっかりは私たち3人だけでナシがつくものじゃないからね。綾乃?」


「はい」


「安心おし。お前さんのおとっつぁんには私からうまくいっておくから。ついてくるんだよ?」


「……はい」


 なんというか、状況はめまぐるしく動いていて、正直僕はついていけていない。


 それでも綾乃さんは、綾乃のおとっつぁんの所に戻っていく僕のおとっつぁんについていこうと一歩踏み出した。


庄助しょうすけ様」


 その時だ。


 毅然とした表情を浮かべた彼女、僕の前を通り過ぎるにあって、足を止めた。


「私の、覚悟では足りませんか?」

「へ?」


 が、僕を一目、名前を呼んだかと思うと、再び動き始める。

 踵を返し、店と母屋を隔てる敷居をまたいだ。


(嫌だね。両家の父親と子らが集まって、面と向かってご破談の話をするのかい?)


 やっとたどり着いたのがその結論。正直、足取りは重くなって、憂鬱にもななるる……が、僕には、それに続かないということはできなかった。

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