築50年の古い家に一人でいるときも、足音や話し声が聞こえるので寂しくはない

安佐ゆう

古い家は音がするのがデフォ!

 ピピピ。


 控え目な着信音にスマホを見てみれば、夫からのメッセージだ。


『今日は晩御飯いりません。ごめんね』

「……楽でいいわね」


 スマホの画面を閉じたついでに、京子は居間のテレビのスイッチを切った。

 パチッ。

 小さな音がして、家の中は静まりかえる。


 子どもたちが巣立ってからというもの、京子は一日の大半を一人で過ごしている。洗濯は夜のうちに済ませた。掃除は……まあ、こんなものでいいだろう。

 食器をを洗って仕舞うと、ほっと一息つくことができる。

 そんな時、京子は自分のためにコーヒーを入れて、居間のこたつにもぐりこむことにしている。


 少し高台にあるこの家は、とても見晴らしが良い。障子を開けて掃き出しの窓から外を眺めれば、住んでいる町が一望できる。もう築五十年にもなるが、何度かのリフォームを経て、水回りはほぼ新品同様。古い家ながらも、それなりに快適に過ごしている。

 今、窓の外ではちらちらと雪が舞っていた。寒くなってきたが、この辺りではたとえ雪が降ったとしても、めったに積もることはない。それでも寒いものは寒いのだ。エアコンで汗ばむほどに部屋を暖めても、文句を言う家人がいないのは幸いだと京子は思う。


「はーっ。コーヒー、美味しいわ」


 独り言はここ数年で、癖になってしまった。返事は帰ってこないが、静まり返っていた家の中が、自分の声ひとつで、少し活性化されるような気がする。


 とんとんとん。


 階段を上る足音のようなものが聞こえた。そのあと、ギシギシと二階の床が鳴る。

 家も古くなると、こうしてあちらこちらで軋んで音を立てる。

 それは京子にとっては、何となく、一人じゃないと思えるのだった。


「私、この家が好きよ」


 ぴんぽーん、ぴんぽーん。


 玄関の呼び鈴が鳴る。


「はーい」


 大きな声で返事をしながら玄関まで駆けていったが、そこに人影はない。


「いやあねえ。最近、こういうこと多いんだから」


 どうやら、呼び鈴のセンサーが壊れているらしく、何かに反応してはこうして音を出すのだ。室内の微々たる騒音には問題はないが、呼び鈴は困る。もしも本当に来客があれば、出ないわけにはいかないので、いちいち確かめに行く必要があるからだ。

 寒くなって、こたつから出るのも億劫な今日この頃、京子はふと、思いついた。


「そうだ。先日頂いた鬼の絵!あれを飾りましょう」


 魔除けにもなるという伝統工芸品の鬼の絵は、厳めしくも微笑ましい剽軽ひょうきんさで、額の中から私を見つめていた。

 さほど大きくないその絵は、呼び鈴のセンサーの近くに飾ればちょうど、少しセンサーを遮って誤反応しにくくなるような気がしたのだった。


 くぎを打つのは得意だし、楽しい。

 京子は嬉々として、壁にドリルで小さな穴をあけ、ヒートンをねじ込んだ。作業はあっという間に終わる。少し残念だった京子は、残っているヒートンをあと二つ、壁にねじ込んで、ようやく満足した。


「近いうちに、ここに飾る絵も買ってこないといけないわね」


 ◆◆◆


 鬼の絵を飾ってから数日。


「そういえば最近、呼び鈴の誤反応がないわね」


 こたつでお茶を飲みながら、ふとそう思う。

 それから、しばらく考えて気が付いた。


「そういえば……最近足音や二階が軋むような音も聞こえないわ」


 そう思うと、急に寒くなり、心細くなる京子だった。

 この古くて広い家に、今はひとり。

 何の音もしない。

 冷蔵庫のモーター音だけが、やけに耳に響く。


 ……


「ちょっと寂しいわね」


 こたつから抜け出して、鬼の絵を掛けているところまで行く。どんなに眺めても、普通の絵だ。


「でも、これを掛けてからよね。いろんな音が聞こえなくなったの」


 うーん、うーん。


 悩むことしばし。

 うん。

 小さくうなずくと、京子は鬼の絵の額に手を伸ばした。


「外しちゃいましょう」

「これこれ、そこな女。何をしておる」

「あら?」


 さっきまで誰もいなかったはずの玄関に人が立っていた。

 家の内側にだ。


「いらっしゃいま……せ?」

「女、その絵を外してはならぬ。この家の怪異から守っておるのじゃぞ」

「んー、あなたはどなた?」

「我はその絵に住まう鬼の化身なり」


 そう言う人をよくよく見れば、厳めしくもすこしひょうきんな赤ら顔の、角の生えた鬼だった。


「あらまあ。じゃああなたがいたから、この家は音がしなくなったの?」

「その通りじゃ。調子に乗って騒ぐ怪異どもを大人しくさせておる。だからほれ、絵を外すなというに」

「でも、それじゃあやはり少し寂しいわ。じゃあこの絵は外して仕舞うことに……」

「これこれ、女。やめい。そなた、怪異が怖くないのか?」

「音がすれば、寂しくないですからね」


 納得いかないような顔をしつつも、鬼は今後怪異は脅さないと約束した。それでも額を外されそうになって困り顔の鬼に、京子はたまに出てきて話し相手になるよう言ってみた。


 ◆◆◆


 家のことも一通り済んで、のんびりと過ごす昼下がり。

 お茶を持ってこたつにもぐりこんだ京子は、テレビのスイッチを切った。

 パチッ。

 最後にテレビが小さな音を立てて、家の中が静まり返る……ことはなかった。

 テレビか消えたとたん、誰かが階段から二階にかけて走り回っているような、賑やかな音が聞こえてくる。

 こうしてテレビのスイッチを切るのが合図になっているようだ。鬼の言うところの『怪異』は、京子に認められてますます家の中をにぎわせてくれるようになった。


 ピピピ。

『今日は晩御飯いらない。ごめんね』


 スマホの画面に夫からのメッセージが映る。


「しかたがないわね。……少し良いお肉を焼こうかしら」


 テーブルの前に座る鬼のことを考えながら、京子はいそいそと夕飯の支度を始めた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

築50年の古い家に一人でいるときも、足音や話し声が聞こえるので寂しくはない 安佐ゆう @you345

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ