文字

第1話

文字。字を、文章にすること?でしょうか。

私の場合は、日本語ですね。日本人なので。

私、この文字に魅了されてもう何年にもなります。

私はきっと、赤ん坊のころから文字に触れて生きてきました。読めるようになるまでには、絵本を何度も読み聞かされ、それを暗記して言葉にできるようになって、いつの間にか文字が読めるようになりました。

母国語ってすごく面白いですよね。


私の母親は、よく「本をたくさん読みなさい」と私に言いました。私の家族は祖父母に至るまで本好き、家の中は本棚だらけの家でした。だから本を読むことに抵抗を感じたことは一度もありませんでしたが、特別「読まなくちゃ」という思いで読んでいたわけでもない気がします。たくさん家にあったから必然的に目に入った、くらいです。

小学生になって本格的に文字を習い、一人でもちゃんと文字を読めるようになった頃、私は図書館に通うようになりました。きっかけは忘れてしまいましたが、私の最初の記憶にあるのは、横山光輝先生の「三国志」です。これは漫画で、父親が(ゲームの)三国志を好きなのを知っていて手に取ったのだと思います。

衝撃でした。絵と文字で歴史を語り、仲間が集うエピソード一つで感動したり、戦のシーンでは勇敢な気持ちになって策略が決まればすかっとし、仲間が死ねば泣きそうになり、武将たちの恋模様を見て胸がどきどきし、夢中になって読みました。私は歴史も、文字と同じくらいに愛が深いですが、思えばこれがきっかけだったのかもしれません。

次に記憶があるのは歴史上の人物伝記シリーズですね。これもまた私的には面白くて、私のいないたくさんの時代にたくさんのことを考えて存在した人達の物語はいつも私をその時代に運んでくれました。私が生きたことがない時代を知り、回想するその体験は幼心に本当に快感で、伝記はかなりシリーズがあったので私は図書館にものすごいペースで通うようになりました。週に一回限度まで借りるのはもちろん、中休み昼休み、放課後、夏休み冬休みにも通っていましたね。

初めて小説に触れたのは、メアリーポープ・オズボーン著の「マジックツリーハウス」シリーズでした。恐らく小学校低学年くらいだったと思います。親がクリスマスに買ってくれたのが始まりで、ところどころに挿絵はあるもののほとんどが文章で構成された物語を読むのは初めてでしたが、似たような年代の兄妹の冒険物語は私の共感性をどこまでも伸ばしてくれました。昨年流行ったという共感性羞恥というやつ、あれ、私もよくなるのですが、このころ読んだ物語に深めてもらった共感性が起因になっている気がします。

次に憶えているのはダレン・シャン著の「ダレン・シャン」シリーズです。小学生ながらよくあんなダークストーリーを読んだなあと思いますが、一貫して救いのない話でありながら、文章の暗い美しさにとても惹かれたのを憶えています。ただ華やかに美しいだけではない、その捻じれを私は好きになったのです。この作品を読んで以降、どこかぞくぞくさせてくれるダークファンタジーにも目がありません。


そして、私の短い人生史の中で最も影響を受けたのは、J・Kローリング著「ハリー・ポッター」シリーズです。なんとべたな展開でしょうか。ですが小学校中学年から高学年ごろに日本語訳が発売され、私が手に取って以降、このファンタジー世界を忘れたことはありません。文字を読むだけで私だけのその世界が作られる、そんな体験を始めてしました。本当に、この作品自体が魔法のような存在ですよね。

中学校に上がったその日まで、ホグワーツからの入学招待状が来ることを私は疑っていませんでした。ちなみに親族血縁者に魔法使いはいません。

この作品は全世界にとってそうであるように、私にとって、常に味方でも敵でもなく、ただ魔法の世界を描き出してくれる最高の作品なのです。

私は全作を、小遣いをやりくりしたり、クリスマスや誕生日に貰える全てのプレゼントを使って揃えました。本を渡されるたびに、体が浮いてそのまま魔法世界へ飛んで行ってしまうようなワクワクと、一ページ目からずっしりと感じる現実の質量感がある文字の羅列にただただ圧倒され、引き込まれ、涙し、歓喜し、羨望し、妄想し、好きになりました。現実世界ではない人物達にここまで焦がれることは、この先一生あるかないか、そんな出会いです。私の人生にハリー・ポッターがいないなんて考えることも出来ません。

そこから、私の世界は一気に広がりました。小説というジャンルは、作者の頭の中の空想の物語でありながら私が選べなかった、居なかった、知らなかった世界を教えてくれました。どこか平行線の世界ではそれが現実に起きているかもしれないことを、考える楽しみを知りました。小学校から高校を卒業するまで、図書館にある小説という小説を読みつくしました。

小学校では他に、何故か江戸川乱歩先生やアガサ・クリスティー先生のポアロシリーズなど少し難しい大人びた本を読みました。

中学校では、日本人作家のミステリー小説、恋愛小説、ファンタジー小説を主に読んでいた気がします。東野圭吾先生、宮部みゆき先生、有川浩先生、湊かなえ先生、上橋菜穂子先生の本は全て読みましたね。日本人作家の作品は母国語であると同時に、強い親近感を覚えることが多く、守られるような安心感があって好きです。

特に、上橋菜穂子先生著作の「精霊の守り人」シリーズは思春期に差し掛かった私にとって心休まる大事な作品でした。冒険の胸の高まりと、不思議ないのちの世界観と、人の温もりをこの作品で何度も何度も感じました。主人公が強い女性なのですが、憧れもだいぶあったように感じます。今でも全作大事に持っていますが、どうしても現実につかれる日はあります。そういう日に読むと、不思議な生命力が湧くような、そんな神秘的で温かい本です。

高校に上がると、数多星の数ほどの小説をすべて読みつくすように読みました。特に今までは、私には難しかったエッセイや、外国人作家小説、時代小説など。日本人作家で言えば村上春樹先生の作品を初めて読んだのも高校生の時でした。生々しく面白くて、思春期も最盛期を迎えた私にとって、小説とはたくさんの顔を持つものだと教えてくれました。今まではどこか違う世界だから、とふわっとした気持ちで読めていたものが直接肌に触られているような、そんな感覚を覚えたのです。

時代小説で言えば葉室麟先生。祖父が好きで貸してもらった作品を読んで、現代人が読んでも共感でき、きっともし当時にあれば、その人にも愛されただろう文字に惚れ、全ての著作を読みました。もうあの文章に出会うことが出来ないのが、損失と悲しみでなりません。

外国人作家で言えばダン・ブラウンの著作は特に好きです。後に映画も見ました。外国の作品も面白いのですが、私の国では普段から拳銃を持ち歩いている人はそうそういませんし、出会い頭に抱き合ったりキスをする習慣はありません。たくさんの種類の人が集まって出来た国ではないからでしょう。そういった価値観や、そもそも文体が違うというのももちろん、なにより外国語が読めない私は訳作を読んでいたわけです。もちろん訳していただいているわけですがどこか作品との距離を感じてしまうことが多かったのです。

全世界に共通する文字はありませんが、ハリー・ポッターシリーズを良い例に、全世界を熱狂させ、どこか納得感のある文字や言葉選びはあると思っています。私はダン・ブラウン作品にそれを感じました。

大学生になって、私は本を読む機会が急に激減しました。それ以外に使う時間が圧倒的に増えてしまったことも原因ではありますが、高校生活3年間であまりに膨大な量の本を読んだことで少しパンクしてしまった感じもあります。しかし、少しではありますが文字を書くことを始めました。今見返しても恥ずかしく、またその時特にはまっていた作家さんの影響を多大に受けた拙い文章ですが、当時にはとても良い休息になっていたように思います。

社会人になった今、時間はなくとも本を読む時間は生まれてくるものです。そして、精力的に頭の中にある世界を頭の外に生み出すことを始めました。誰が見てくれようとかまわない、と思って書き始めたにもかかわらず、投稿するごとにPV数を見てしまう自分がいます。現金な奴です、私は。


ここまで書いてみて、ただ私の好きな作家先生の紹介文では?と疑念を抱きつつも、まあエッセイだしそれも良いかと思いますが、もう少しだけ私の話をすれば、私が書いている作品の一つに、生まれて初めてコメントを戴いたことがありました。その方は、一話載せるごとに感想をくれるのですが、私が狙った通りに思ってくれていたり、そんな風に解釈できるとは、と驚くような感想を抱いてくれていたりします。私は文字を操るうえでこの上ない幸せとはこのことだなあとその時感じました。

私が生み出す文字を、見てくれた、その上楽しんでくれた人が一人でもいたのです。その人の人生の数分を費やして私の小説を覗きに来てくれた人がいたのです。

すべての文字は今まで読んできた作家さんからもらったものです。文字を私に与えてくれた大好きな作家さん達をより一層好きになりました。

自分にとって気持ちの良い文字を追求して小説を書くのは楽しいです。そして個人的な主観では日本語という言語はとても美しく感じます。一つの文字はいくつもの可能性を秘められる、そんな言語だと思いませんか?

私は特に日本が好きなわけでもないと思いますが、人間であるとか、そうではないとか、種類に囚われてしまうのは悲しきかな人間の性のようです。

私はそんな人間が織りなす毎日、その積み重なった歴史が好きです。その中で起きる平行線の世界も、魔法も、悪魔も、死神も、管理人も、高校生も、全て私が愛した世界たちです。

私はこれからも文字を織り続けます。

私はこれからも織られた文字を愛し続けます。

願わくばそんなくだらなく平凡な世界がいつまでも続きますように。少なくとも私が生きている間くらいは。私の愛が続く限りは。


2018年12月16日

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