死にぞこないの蒼

いよいよ秋祭り当日。家を出る際母は何も言わなかった。こんな格好してるのに何も冷やかされなくてほっとした。

 母の無関心も当然だろう。母は僕の命日が今日であることを知らない。さして息子に興味とか期待を抱いていないのだろう。

 僕にそれほど期待をかけていない分、試験結果がどうであろうと褒めてくることは無かったし僕の進学といった人生に寄与しそうな選択にも何も言わなかった。

 この話をすると、ある種の親に育てられた人からすると、同情を帯びた目を向けられたが、僕からしたらちょうどよかった。芽の出ない鉢にひたすら水を与えるほど、無意味で救いの無い行為は無いだろうから。

 なので母を置いていくことに対して罪悪感は無かった。むしろ今まで育ててもらってきてしまった罪悪感から解放された感覚であった。

 残り時間が一日を切った"腕時計"はほのかに青みを帯びてきた。その青みから逃れるように、袖を手首まで下ろした。


「本当に君がそんな恰好してくれるなんて思わなかったよ」

「あなたの友達のせいだけどね」

「お人よしは大変だぞ」

 そう言う彼女も、まあ、そういう恰好だった。

 涼しげな白地に青い朝顔が彩られた浴衣に、紺色の巾着を携え、見慣れたショートカットもしんなりと艶めいて見えた。

「綺麗だよ」

 恥ずかしげも無く、そんな言葉が口に出た。

「死装束だからね」

 彼女ははにかみながらそう返し、くるりと一回転した。こつりと下駄が着地する音。

「これは良い冥土の土産になりそうだ」

 こうして、命日にしてはあまりにもふさわしい幕開けとなった。


 僕らの間にはあまり会話が無かった。祭りがあるからと言ってそれまでに学校にいる間に関係を改善させようという試みが全く無かったのだから、当然と言えば当然である。

 そんなわけだから、僕としては周りの屋台を見渡すふりをして彼女の横顔を盗み見ることしか出来なかった。そこで彼女と何度か目が合えばなにかしら報われたような気分になれたのだろうが、彼女の方もそれを意識しているのか一度として目が合うことは無かった。

「わたあめでも食べようか」

 そう言って彼女は、人の波をかき分けるようにしてわたあめの屋台に向かって行った。彼女を待とうとしたが、狭い石畳の通りは立ち止まるには不適で、両脇を多くの人がすれ違いながら、舌打ちしたりいかにも邪魔だと言わんばかりの視線を向けられた。

 人が集まると興奮が高まると同時に、その興奮は些細なことにも向けられかねないのが恐ろしい。こんな思いをするのは朝の電車だけでいい。

 彼女を待ってる間に諍いが起きるのは笑いごとでは済まないので、人の動きに逆らわないように、屋台と屋台の間の空いた空間にひっそりと立った。そこはまるで、川の底で、石の配置によって流れが澱んでいるようなスペースだった。

そこには木柵に腰かけてりんご飴をしゃくしゃくと食べる女の子と、僕と同じように誰かを所在なさげに待っている女性がいた。

 通説通りなら待つのは男性の方が多いはずだが、祭りでは男の方が必死に何かを追い求めがちなのだろうか。

いつか適切なタイミングで繋ぐべきだった女の子の右手とか、意図的に歩調を落として見た珍しく後ろでまとめただけの彼女の黒い髪だとか、まるでなんらかの別の意味が持たされているかのようなかじりかけのりんご飴だとか。

 慣れない下駄の鼻緒はしっかり両足に噛みついて、肌は赤みを帯びていた。

 片足の下駄を外して少し秋の空気に晒す。

 人ごみを何ともなしに見ていると、彼女はすぐに見つけられた。

 すらりとした長身に白地の浴衣が映えているというのもあるが、なにより腕の青い光が人の目を惹いていた。彼女はその青い光がひそかに注目されていることに対して気にしないふりをしていた。

彼女は鈍感なふりをするのが常であったから。彼女はわたあめを二つ持っていた。頼んでたっけ?

「ねえ、わたあめ買おうとしたら、左腕のコレみつかっちゃってさ、おじさんに『綺麗な死に装束だね!』って褒めてくれたんだよね」

 彼女はへらへらと笑う。

「そんでさ、ありがとうって言おうとしたら横にいた娘さんかな?に、めちゃめちゃ焦った感じで『すみません不謹慎なこと言ってしまって!』って謝られて、お詫びにわたあめをくれたんだよ」

 はい、と爆弾ゲームをしているかのように、わたあめを渡された。

「先に不謹慎なことを先にしてるのは僕らなのにね」

「めっちゃ謝る娘さんを挟んでおじさんと二人で困惑しちゃってたよ」

「そんでもらってきたんだ」

「そう。むりやり辞退することも得策じゃないなあって思ったし」

「じゃあお言葉に甘えて」

 僕の持つ白いわたあめが、彼女の"腕時計"が放つ青みでブルーハワイ味みたいになっていた。それに彼女は気づいていないようなので、そっと心の中にしまっておいた。

 それから僕らはありきたりのJ―POPみたいに金魚すくいをした。

 彼女は意気揚々と袖をまくってポイを構えたが、周りの子供に比べて近くに金魚が集まっていなかった。

 この時僕は知らなかったが、金魚は暗がりに行こうとする性質があり、金魚すくいの全国大会などでは黒い服を着ていくのが常識らしい。白い浴衣に、発光する”腕時計”をつけているのだから、彼女に金魚が集まらないのは無理もない。

 結局彼女は頑張ったが金魚を一匹も取ることが出来ず、店主に一匹貰っていくかと訊かれたが、私達じゃ飼えないからと辞退していた。

「金魚すくい、初めてやったよ」

「そうなのか」

「子供のころからやりたかったけど、親に水槽の掃除とか面倒だからって反対されててね。それを聞いた私自身も、自分が全部世話できるとは到底思えなくてすぐ諦めちゃってた」

「冬とかだと水を取り替えるとき冷たいからね」

「飼ってたことあるの?」

「あるよ」

「へーえ、羨ましいなあ」

「それがさ、買った水槽が一抱えくらいあってさ、金魚二匹しかいないから広いなかをゆらりゆらりと泳いでいたんだ」

「ちょっと寂しげだね」

「大きければ大きいほどいいってわけじゃないんだよね。水取り換えるのも重くて一苦労だった」

「確かに」

 そう言うと彼女は、言葉を用意するような間が空いた。

「他人のペットって可愛い部分しか見ないけど、その子がそこまで成長するには飼い主が手間暇かけて育ててきたって事実を見過ごしてしまいがちになるよね」

「そんな世話の苦労が垣間見えるペットなんて見たくないよ、普通だよ」

「正論振りかざされてもなぁ」

「頭回らなくて」

 彼女はそっと僕の袖を掴んだ。

「まさかまだ緊張してる?」

 彼女の目を正視出来なかった。なぜなら彼女の言葉通り緊張してしまってたから。言葉に詰まった僕を見て、彼女は満足そうに笑った。

「そっかそっか」

 それ以降、彼女は何も言わず、ただ嬉しそうに巾着を揺らしながら僕の横を歩いていた。

 神社の前まで来て、屋台の列も途切れた時、"腕時計"は000:00:00:32:25を示していた。残り30分近くだ。神社もメインの祭事が終わり、片付けの人がまばらにいる程度だ。

 僕達は持っていたごみをごみ箱に捨て、手水舎で軽く手を濯いだ。

「いよいよあと三〇分だよ」

 と伝えると、彼女は左手の"腕時計"を確認した。

「あっという間だったね。三ヶ月」

「そうだね」

「余命三ヶ月もあれば十分に悔い無く過ごせるかと思ったら、意外と短いしね」

 何も言えずに、通り行く人々を眺めていた。

「ねぇ、本当に後悔してないの?」

 僕は白い階段の石に視線を移しながら口を開いた。

「正直言うと、君が僕の道連れのようにして死なないなら、なんの後悔もしてなかった」

「マジか」

 素が出てきて思わず笑った。

「いや、笑い事じゃなくてさ」

「ごめんごめん」

「後悔してないのかあ」

「諦めるのばかり上手くなっちゃったからね」

「そっか、こっちの負けだね」

「君を好きになっちゃったことが誤算だな、こんなに仲良くなるとは思わなかった」

「おっ嬉しいね」

「……やっぱり付き合ってはくれない?」

「する訳ないでしょ、こんな良い女なんだから」

 こんな場面でも冗談を挟めるのはやっぱり彼女らしい。

「じゃあ、それだけだよ。後悔したの」

「来世ではどう生かす?」

「好きになった人が、自分のために命を賭してまで何かを伝えようとする前に、自分の力で気づいていきたいです」

「……死ぬ前になっていきなり、好きって言い始めたね」

「茶化す人の心配をしなくていいからね」

「他人の恋愛沙汰なんてそんな誰も気にしてないよ」

「気づくには人生短すぎたかな」

「ざまぁみろざまぁみろ」

 そんな話をしている僕らは、明らかに片付けの邪魔になっていたが、腕につけていた"腕時計"が終末期の強い蒼い光を放っていたからだろう、声をかけられることはなかった。

 "腕時計"を見ると、あと五分程になった。

 "腕時計"の神経作用が働きだし、意識が少しずつ遠のき夜更かししているみたいに感じてきた。

「ごめん……もう意識が……限界だ……」

「そっか、じゃあ一応……みーちゃんには連絡取っとくね……話したいこともある……から」

 そう言って、彼女は緩慢な動作で携帯を操作し始めた。まぶたが重く、座っているのも限界になり、拝殿に横になった。

 意識を手放しかけ、また取り戻すというのを繰り返した。水底にいるように、隣にいる彼女の声が話かけてくれる声がくぐもって聞こえる。


 何分経っただろうか。

 僕の手に何かが触れた。そして誰かの声が聞こえた。何が触れたのか、誰が喋ったのか、まぶたが開かなかった僕には何も分からなかった。

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